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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第4章
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op.12 月に寄せる歌(4)

 古くからあるのかドナートの工房は、年季の入った建物だった。

 思っていた以上に広く、恐らく工房の中でも規模の大きい部類に入るのだろうと分かる。


 入口に近づくと、奥から木の削る音がかすかに聞こえてくる。ニスと木の匂いが混ざるその空間を、リチェルは不思議そうに見回している。ヴィオにとってもこの匂いはどこか落ち着く心地がした。


「それでは私はドナートさんに確認して参りますね。しばらくお待ちください」


 そう言って、カリーニは頭を下げると工房の奥へと消えていった。


 二人で取り残されると、途端に隣の少女の気配が明確になった。

 ほんの少しヴィオが手を動かせば袖が触れる距離にリチェルがいる事に気付く。


 出会った頃はリチェルはヴィオの少し後ろをついてきていた気がするが、いつの間に当然のように隣に並ぶようになったのだったか。それももう覚えていない。


(……大丈夫だろうか)


 亡くなった父親の事で心を痛めてはいないだろうか。それこそ先程『貴族の道楽に巻き込まれた』だの『身を滅ぼした』だの、ショックな言葉を聞いたばかりだ。


「あの、ヴィオ」


 何か言おうとする前にリチェルに声をかけられて、ヴィオはリチェルに視線をやる。どうした? と尋ねるとリチェルは言いづらそうに口籠もった。


「さっきの、あのね。ニコさんという方が言ってらした事……」

「あぁ」


 ちょうど同じことを考えていたのだ。頷くと、リチェルは『付き合わせてしまってごめんなさい』と申し訳なさそうに呟く。


「あの、気を悪くしてないかな、って……」


 リチェルの言葉に一瞬目を丸くして、そしてすぐに苦笑をこぼす。


 そうだ。リチェルはこういう子だった。自分の痛みよりまず先に、他人の気持ちを考えてしまう。ヴィオも貴族だとリチェルは知っているから、ずっと気になっていたのだろう。


「きっと悪気があった訳ではないと思うし、ヴィオのこともご存知ないから……」

「リチェル」


 名前を呼ぶと、パッとリチェルが顔を上げた。気にしなくていい、とヴィオは笑う。


「俺は気にしてないから。それよりも君の父親に繋がって良かった。すぐに話を聞けるといいんだが」


 ヴィオの言葉に安心したのか、リチェルが目に見えてホッとした表情を浮かべる。そしてふわりと笑うと『うん』と頷いた。


(…………)


 一瞬、手が伸びかけて止めた。ふとした折に触れたくなる。その意味が分からないとはもう言えなくて、だからこそ意識的に止める。


 ずっとそばにいられる訳ではないのだから、と己を戒める。

 そう思って息をついた、その時。


 

「ヴィオさん⁉︎」



 これまた聞き覚えのある声が耳に届いた。


 カリーニもまた会えると言っていたから予想はしていたが、思っていたより早かった。

 顔を上げると、予想通り見覚えのある少年が通りに立っていた。片手に下げているのはパンの入ったカゴで、恐らく先程の青年同様先輩達の買い出しにでも行っていたのだろう。


 くすんだブロンドの髪を帽子の下から覗かせた少年は、カリーニ同様ベルシュタットで出会ったマルコだ。驚いた顔をしてヴィオ達の所へ駆け寄ってくる。


「どうしたんですか、こんな所まで! あ、もしかしてヴァイオリンを見に来てくれたんですか? ちょっと待ってください、今誰か先輩を……」


 何も言ってないのに工房の中へ駆け込んでいきそうなマルコを『ちょっと待て』と止める。

 久しぶりの挨拶より前にヴァイオリンに頭がいくところは、安心するほど変わっていない。


「有難いんだが、ここへ来たのは全く別の用でカリーニさんにもう頼んで──」

「お久しぶりです、マルコさん」


 その時、目があったのかリチェルがマルコに挨拶した。その声に、マルコが今初めて気付いたかのようにリチェルを見た。


「………………」


 そして、硬直する。


 マルコが石像のように固まったままリチェルを凝視してる。

 以前も上から下まで値踏みするように見ていた気がするが、今回のそれは全く別種のものだ。


 沈黙、そしてまた沈黙。

 そうやって沈黙を守ること、数十秒後。


 

「リチェルぅ────っっ⁉︎」



 期待を全く裏切らず、マルコが絶叫した。


 ついでに数歩ほど後ずさってリチェルから距離を取る。

 え⁉︎ え⁉︎ と裏返った声をあげて、何故か周りを見回す。心配しなくてもここはマルコのホームだが、生憎と味方はいないし、そもそも何故助けを求めているのかも分からない。


 思わずため息をついたヴィオの横で、リチェルがポカンとしてマルコを見ていた。それから自分の格好に気付いたらしい。そっとスカートをつまむと、変でしょうか? とどこか不安そうに尋ねる。


「え⁉︎ うん! 変!」


 マルコが即答した。思わず蹴り倒したくなったが堪えた。


「そうですか……」


 目に見えてリチェルがシュンとするのを見て、マルコは我に返ったらしい。


「あ、いや! 変ってそう言う変って意味じゃない! でも、え⁉︎ 俺がおかしい⁉︎ だっておかしいだろ⁉︎ え、でもそうか! これが普通なのか!」


 ちょっと気の毒なくらい混乱して、マルコが辺りをやはり見回す。

 だから周りを見ても誰も味方はいない。この混乱の中でも先輩に買ってきたパンは落とさないあたりは流石なのかもしれない。


 リチェルの姿をもう一度凝視して、ようやく落ち着いたのかマルコが静かになった。


「……そっか、リチェルか」


 静かになったマルコが呟く。しかしまた何かに気付いたのかハッとして、リチェルに『だ、大丈夫だぞ!』とフォローを入れる。


「ちゃんと女に見えるからな!」

「言うに事欠いてそれはないだろう」


 流石に今度は思ったことが口から出た。


 よくよく考えればマルコもアルと同郷のはずなのだが、この違いは何なのだろうかと心底思ってしまう。


「それなら良かったです」


 リチェルはリチェルで本当にホッとしているらしい。

 笑顔で胸を撫で下ろしている。これはちゃんとマトモなフォローを入れた方がいいのだろうか、とさしものヴィオも悩んでいると、マルコの後ろにスッと影が差した。


「こんのド阿呆!」

「痛ぇっっ!」


 ドスのきいた声と共に、ゴッとマルコの頭にゲンコツが振り落とされた。

 今しがた工房から出てきたのだろう。マルコより随分と年配のいかつい男が、マルコの首根っこを掴むと『女性に向かって何て口の利き方だ!』と怒鳴る。


「……だってカルロさん」

「お前はもうちょっとヴァイオリン以外にも目を向けろ! このままじゃ素材の木とでも結婚しかねん!」

「流石に木はちょっと……」

「ならヴァイオリンと結婚するか?」

「…………」

「否定しろ馬鹿!」

「……はーい」


 どうやらマルコのヴァイオリン好きはこっちでも常軌を逸しているらしい。カルロと呼ばれた男性はどうやら現役の職人の先輩らしく、マルコは口答えする事もなくその場で項垂れる。


「で、あんた達がカリーニさんが言ってたお客さんだな? 生憎今親方は手が離せなくて──……」


 そう言って、ヴィオとリチェルに目を向けたカルロの語尾が不自然に消えていく。その目が、まるで信じられないものを見たかのように見開かれている。

 その視線は間違いなくリチェルに釘付けになっていて──。


「どうかされましたか?」


 不審に思ってヴィオが尋ねるが、カルロの耳には入っていないようだった。呆然としてリチェルを見たまま、やがてカルロは掠れた声で呟いた。



「リチェル、ちゃん……?」






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