op.10 レモンの花咲くところ(2)
数分後。
ようやく落ち着いたアルの父親とロミーナに案内されて、ヴィオ達はアルの実家であるレストランの席に腰を下ろしていた。
表には『トラットリア・トト』と看板が掲げられ、その下にはクローズの札がぶら下げられている。
昼の客もはけて休憩中だったのだろう。客はしばらく来ねぇから店の椅子に座ってくれて大丈夫だ、とアルの父親が言ってくれた。
ワインの瓶が並べられたカウンターに肘をつくと、アルの父親がヴィオ達を見回す。
「サルヴァトーレ・ニコロージだ。ここいらじゃ表の看板通りトトで通ってる。トトさんとでも気軽に呼んでくれや。どうもうちの馬鹿息子が世話になったみたいで、すまんかったな。で、こっちが……」
「妹のロミーナです。兄を連れて帰ってくださってありがとうございます」
父親の横柄さとは打って変わって、丁寧にロミーナが頭を下げる。
「ヴィオ・ローデンヴァルトです」
ヴィオも名乗ると、そのままソルヴェーグとリチェルを紹介する。
「それからこの二人は、ご子息のアルさんから紹介させてもらった方が良いかもしれないのですが……」
そう言って双子を振り返ると、リートとリリコは青ざめた顔でいつになく大層お行儀よく椅子に座っていた。
背筋は真っ直ぐ、手は膝の上。
カクカクと小刻みに震えている。
「り、リートと申します」
「リリコです」
「このたびは、ごめいわくをおかけして」
「まことに、もうしわけ、ありません」
ギ、ギ、ギ、とブリキの音でも鳴りそうなぎこちない動作で双子が頭を下げる。
アルとロミーナが不自然な双子の様子を見、そのまま視線をトトに向ける。
「……ほら、父さんったら。こんなに小さい子達が脅えてるじゃないの」
ロミーナの非難の声に、さしものトトも反省したらしかった。
口元を指でかいて、いやぁついな、と溢している。
視線をアルに向けて、気のいい声を絞り出す。
「まぁ、で、何だったか? この双子を預かるんだったか?」
「……そう」
これに関してはアルも頼む側なので強くは出れないようで、大人しく頷く。
「お母さんが近くの街に入院しててさ、村では世話する人間がいないらしいから、母親の退院と一緒に送り届けようかと思って。大体一ヶ月くらい? 部屋は余ってるでしょ」
「まぁ余っちゃいるけどなぁ」
トトがはぁ、とため息をつく。
「お前なぁ、そんな簡単に小さい子を預かるって言ったって……」
実際は難しい、そうトトが言いかけた時だった。
チリンチリン、と軽やかなベルの音ともに店のドアが開いた。
「あぁ、すまねぇ。今の時間は休業ちゅ……」
「ごめんなさいねトトさん、お休み中に。朝聞いてた追加の野菜を持ってきたんだけど」
入ってきたのは人の良い雰囲気の女性だった。
年の頃は二十代後半か三十代前半くらい。ロミーナと同じように頭には三角巾、片方にまとめられたブラウンの髪がふわりと揺れている。カゴいっぱいの野菜を両手で持って入ってきた姿を見て、今までになく慌てたのはトトだ。
「ラウラちゃん⁉︎ あぁ、いや! そんな時間か! 今日は客人が多くて気付かなかった!」
すぐに女性の持ったカゴを引き受けると、トトが飲み物でも出そうか、と口にする。
「良いですよ。お客様がいらっしゃるんでしょ? って、あら。アル君! 帰ってたの?」
「あ、どうも……お久しぶりです」
アルがおずおずと頭を下げる。
「アルお前そんな気のない返事をするんじゃねぇ! すまんなラウラちゃん。何分気の利かないドラ息子なもんで」
「何言ってるのトトさん。アル君はいつでも気の回る自慢の息子さんじゃないの。良かったわ帰ってきてくれて。トトさん、アル君がいなくなって気が気じゃなかったみたいで」
「あぁぁ! ちょっとラウラちゃん!」
慌てた様子でトトがラウラと呼ばれた女性を止める。
ラウラの視線が不意にアルのそばに座るリートとリリコに向く。
「まぁ可愛い双子ちゃん! アル君のお知り合い?」
「そんなところで……」
「そうそうコイツが連れてきてね。うちでしばらく預かることになったんだよ」
トトが機嫌良く口にするのをハァ⁉︎ とアルが振り返ろうとして、その頭をガッと強い勢いでトトが押さえた。
何か言おうとするアルがうぐともぐぎとも言えない声を漏らしている。
若干ミシミシと音がしているのは気のせいだろうか。
「そうなの。じゃあきっとまた会うわね! その時は是非紹介してねトトさん。今日はお客さんがいるみたいだからこれで失礼するわ」
「あぁ、またいつでもおいで」
そう言ってトトがラウラを入り口まで送っていく。
トトが扉を開くとチリンチリン、とまた可愛らしいベルの音が鳴った。愛想よく手を振ってその後ろ姿を見送っているトトを、アルが何とも言えない微妙な顔をして見ている。呆れているというか、あんまり見たくなかったものを見たというか。
「あぁ、何だアル。お前その顔」
「別に……。というか預かってくれるって?」
「あ? あぁ! そうだな! 子供の二人や三人や四人くらいどうって事ぁない。お前俺を誰だと思ってんだ! 天下のトトさんだぞ!」
「……クソ親父」
「あぁ⁉︎」
「痛い! 痛いって!」
ボソっと呟いたアルの後頭部を戻ってきたトトがぐりぐりと押さえつける。で、とトトが改めて双子の方を見る。
「えっと、何だったか。リートと、リリコ?」
「は、はい。僕がリートで、こっちはリリコ」
こくこくと隣でリリコも頷く。
「おー、よく見りゃ二人とも可愛い顔してるじゃねぇか。お前らお母さん別嬪さんだろ? リリコなんてあと十年経ったらなかなかお目にかかれない美人になるぞ?」
「本当?」
パッとここで初めてリリコが素の表情で明るい声をこぼした。
おうよ、トトさんのお墨付きだ! と快活に笑うトトにリリコがパアッと嬉しそうに笑う。
「ね、聞いた? ヴィオお兄ちゃん! リリコ美人になるって!」
「ん? あぁ、良かったな」
「違うの! 良かったのはヴィオお兄ちゃんなの!」
モダモダとテーブルを叩くリリコに、ヒュウとトトが口笛を吹いた。
兄ちゃんも隅におけんなぁ! とバシバシ背中を叩かれて微かによろめく。
遠慮がない。力が強い。
「こっちの嬢ちゃんはまた雰囲気の違った別嬪さんだな。お前こんな美人に囲まれて遊び呆けやがって。お貴族様じゃねえんだぞ!」
「分かってるよ、たまたま運が良かっただけだよ! ……うん。それは本当に、運が良かったなぁ……」
しみじみと呟くアルに、お前な……とトトが苦い顔をこぼす。
「で、今日は全員うちで泊まりでいいのか、アル?」
「え、そりゃ親父がいいなら」
「おう、任せとけ。ロミーナ、お前適当に部屋割り振って、客人を案内してやれ。アルの部屋も使っていいから!」
「え、僕は⁉︎」
「お前は地下室でいいだろ。ジャガイモと寝てろ」
「何でだよ!」
アルが吼える。
「というかとっとと片付けて夜の仕込み手伝え! 今までサボってたんだからその分チャキチャキ働け!」
「ちょっ、親父! ちょっとくらい話を……!」
「兄さん!」
話は終わったとばかりに、奥の厨房へ引っ込んで行くトトをアルが追いかけようする。その腕をロミーナが引っ張って止めた。
「何だよ」
「アレでも父さん気を遣ってるの。そんなに怒らなかったでしょ? 本当は兄さんが帰ってきてくれて嬉しいのよ。ただ素直じゃないだけ。分かってあげて」
話なら仕事が終わってからでいいじゃない、というロミーナの言葉にアルも思うところがあるのが渋々引き下がる。
「アル! お前ちんたらしてないで、とっとと着替えてこい!」
「あ〜〜〜〜、分かったよ!」
奥から聞こえた声にアルが怒鳴り返す。
ごめんヴィオ君。とアルがヴィオの方を見た。
「あんな調子だから、ヴィオ君の方の話も後でいいかな?」
アルの言葉にあぁ、と頷く。事情を聞きたいのはこっちの都合だし、手探りで探すよりは分かって待っている方がずっと良い。
じゃあ、と荷物を持ってアルは急いで走っていく。
「ごめんなさい。とっても騒がしかったですよね?」
その後ろ姿を見送って、ロミーナが気を遣うように話しかけてきた。
確かにトトとアルがいなくなると一気に店内は静かになった。
「いえ、気にしないでください。こちらこそ忙しい時に、大人数で押しかけてしまってすみません」
「…………」
「どうかしましたか?」
ヴィオの顔をじっと見てたロミーナが、パッと頬を染めていえ何でもないんです! と手をパタパタと振った。
「こっちです。あ、リート君とリリコちゃんもこっちよ」
ロミーナに呼ばれて、遠慮がちに立ち上がった双子がその後をついていく。
「リチェルも」
「あ、うん……!」
珍しくボーッとしてたのか、リチェルが慌てたように立ち上がる。
足元にあるリチェルの荷物を持ち上げると、リチェルが『自分で持つわ』と手を伸ばしてくる。
「いや、これくらいはいい。慣れない馬車で揺られて疲れただろうし、しばらく休ませてもらおう」
「でも」
言い募るリチェルは、多分ヴィオだけでなくソルヴェーグのことも気にしている。
ヴィオが女性としてリチェルを扱うのは、確かに事情を知る身からすると微妙なところがある事を、リチェルも少しずつ理解してきているのだろう。
だが実際それに伴う事実はない事をソルヴェーグも知っている。
リチェルが思うほど気にする事でもないのだ。
ソルヴェーグもリチェルの遠慮を察したのか、私としたことが先を越されてしまいましたな、と冗談めかして笑う。
「はて、男としては私の方が年季が入っているはずなのですが、ヴィオ様には負けてしまいます」
「そういう冗談はいい」
辟易しながら言うと、リチェルが少し気が抜けたのかクスリと笑った。
「ほら、行こう」
「うん」
荷物のことは、リチェルももう何も言おうとしなかった。
目だけでソルヴェーグに礼を言うと、分かっています、というように目礼を返された。本当にこの元執事は察しがよくて助かる。





