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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第3章
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op.10 レモンの花咲くところ(1)

 ゴトゴトと馬車が揺れている。


 始めこそはしゃいでいたリートとリリコは途中から疲れてしまったのか、今は二人ともリチェルにもたれかかって眠ってしまっていた。


 窓の外の景色は、リチェルの知らない街の風景を映していく。

 国境を越えたのだ。


 知らない景色なのに、ここはリチェルの生まれ育った国だということがとても不思議に思えた。


『ラクアツィアへ?』


 昨晩、寝る前にヴィオにこの後のことを伝えられた。

 問い返したリチェルに、ヴィオはあぁ、と頷いた。


『アルの家についたら、次は一旦リチェルの孤児院へ向かおうと思う』


 でもヴィオのお父様は、と尋ねたリチェルにヴィオは『もちろん近くだったらそちらを優先させてもらうけれど』と前置きした上で、地図を広げて丁寧に説明をしてくれた。


 リチェルの孤児院のあるラクアツィアはアルの町から馬車で丸一日の距離だ。山道にはなるが、ルフテンフェルトまでの山越えのように馬車が通れないような険しい道ではないらしい。


『リチェルも孤児院からアーデルスガルトへの行道は馬車だったんじゃないのか?』


 そう言われてみればそうだった気もする。

 都市に出てからはずっと汽車だったから歩いた記憶はほとんどないが、どちらにせよリチェルの記憶は曖昧で頼りにならない。


 だからヴィオがそう言うのであれば、とリチェルは頷いたのだ。


(孤児院……)


 リチェルが生まれ育った場所だ。


 あんなに辛かったクライネルトにいた期間は思い返せばたった三年と少しだった。リチェルは生まれてからほとんどの時間を、修道院に併設された孤児院で暮らしていた。


 だけど浮かび上がる記憶は、今でも断片だ。

 まだ色んなことを落としたままな気がする。


 それをどう受け止めていいのかわからない。

 孤児院に着いた時、自分は何を感じるのだろう。


 嬉しいのか、懐かしいのか、悲しいのか。

 果たして自分は、その先を考えることができるのか──。


(だけどそうね。元々その為に、サラさんの所からヴィオと一緒に来たんだもの)


 だからきっと、それは一つの区切りになるのだろうとリチェルはそっと思った。








 カスタニェーレ。

 アルの故郷でもあるこの町は国境のほど近くにある町で、人通りも多く賑やかな町だ。


 近くに大きな町があるから、そこまで栄えてないんだけどね。

 とアルは口にしながらも、道中町の案内をしてくれた。


「昨日の町より小さいね〜」

「でも村よりは全然賑やかだよ」


 リートとリリコがそう言いながらも、物珍しげに当たりを見渡している。

 前回の町で勢いよく飛び出していったことを、アルをはじめとして口酸っぱく怒られているので今日は耐えているのだろう。


 二人はキョロキョロしながらも、弾丸のように興味のある場所に飛んで行ったりはしなかった。


「アルさんのおうちは、レストランだったわよね?」

「そうだよ。といってもそんな堅い場所じゃなくて、大衆向きなんだけどね。だから格好とかも気にせず入ってね」

「お前、普通に帰って大丈夫なのか?」


 ふと気になってヴィオが尋ねると、アルがピタリと足を止めた。


 何を隠そうアルは家出の真っ最中である。

 置き手紙を置いてきた感じも無さそうだったし、ここに来る間で事前に家に連絡を入れていたようにも見えない。


 果たしてアルはふーっと息を吐き出すと、何かを諦めたように爽やかに笑った。


「まぁ、なるようにしかならないよね!」


 あ、これは何も考えてないんだな。

 そう結論づける。


 出来れば何事もなく対面して欲しいが、そうもいかないだろう。

 双子の事もあるため、出来るだけ穏便にいくように可能な限りフォローするしかない。


「何かありましたらフォローはいたしますので、おっしゃってください。私共もアルフォンソ殿には随分助けられましたから」

「ありがとうございます」


 ヴィオの思考を拾うようなソルヴェーグの言葉に、アルが嬉しそうな顔をする。

 でも、とアルが困り顔で後頭部をかく。


「出来れば、ちょっと離れててもらった方が危なくないかも……」

「あぶない?」


 あまり穏当ではない台詞に、リチェルがことりと首を傾げたその時。


「兄さん⁉︎」


 酷く驚いた、高い声が後ろから響いた。


「あ、ロミーナ……」

「やっぱり! 兄さん!」


 通りの向こうにある店から女性が慌てた様子で、アルの方に走ってくる。

 店員さんなのか、身につけた赤の三角巾とエプロンが可愛らしい。


 近づいてきた女性はアルに似た優しげな雰囲気をしていた。下がり気味の瞳が控えめな印象で、だけど今は走ってきた勢いのまま、アルのコートを両手で掴むと思いっきり揺さぶった。


「兄さんったらこんなに長い間どこに行ってたの⁉︎ 私本当にとっても心配して、父さんだって……!」

「あ、えっと、ごめん……」


 歯切れ悪くアルが謝る。

 二人の様子に『何も言わずに飛び出してきたのだろうな』というヴィオの予想は、そのまま確信に変わる。そして決まりが悪くて連絡もできなかったのだろう。


 良かった、と涙ぐむ女性は恐らくアルの妹だ。

 驚いてはいるものの、アルの帰郷を喜んではくれているようだ。この様子なら父親とも比較的平和に対面できるかもしれない、と一先ず安堵する。


「とにかく、すぐに父さんに謝ろう? そうしたらきっと父さんだって許してくれるはずだもの」

「…………」


 妹の言葉に、アルが黙り込む。

 黙って出てきているのだからとりあえず謝った方がいいだろう、という言葉は赤の他人が言うことでもないのでヴィオも口には出さない。ただアルも色々と葛藤があるのだろうと思うのみだ。


「もう兄さんったら! こんな時に意地張らないで! 兄さんがそんなんじゃ父さんだって……」

「ロミーナ!」


 と、後ろからダミ声が飛んだ。そこをどけ! と続け様に声が飛ぶ。


「あぶっ……!」


 瞬間、アルがこれまでにないスピードでロミーナを引き剥がした。

 その一瞬の差で、ゴッ! と見事な音を立ててアルの眉間に太い棒のようなものが命中した。


 鮮やかな一投。


 思わずヴィオも片手でリチェルを庇い、双子は俊敏にアルから離れソルヴェーグにしがみついていた。


 目の前で、アルがひっくり返る。

 ドサリと倒れたアルの横に、調理に使う麺棒がコロリと地面に落ちた。



「お前今まで何やってたこのドラ息子がっっっ!」



 間髪入れず凄まじい怒鳴り声が響く。


 ロミーナが出てきた店からズカズカと出てきた男は、アルよりガタイの良い四十代程の男性だった。アルの父親で間違いない。


 眉間を押さえて呻きながら起き上がったアルが『危ないだろ⁉︎』と、間を置いて至極真っ当な反論を口にした。


「もうちょっとでロミーナに当たるとこだったろ⁉︎ お客さんだっているんだぞ⁉︎ 外で! 麺棒を! 投げるなこのバカ親父!」

「あぁ⁉︎ んなヘマするか! それにお前にしか当たらなかったじゃねぇか!」

「結果論だ!」


 第一息子にも投げるなそんなもん! と今まで見たことがない剣幕でアルが言い返す。


 言葉を挟む隙間もない。

 出来るだけ穏当にいけばいい、というヴィオの考えは秒で消え失せた。これは多分ダメなやつだ。


「お前の顔はちょっとくらい凹んだ方がスッキリするだろ!」

「その言葉はそっくりそのまま返すけど!」

「──もう!」


 と、二人の言い合いに声を上げたのは間に入ったロミーナだ。二人の腕を引っ張ると『やめて二人とも!』と声を上げる。


「父さんも兄さんもいい加減にして! 恥ずかしいでしょう! お客様もいるのよ⁉︎」


 羞恥で頬を染めたロミーナの言葉に、男二人はようやく我に返ったらしい。

 腕を引く娘(妹)を見下ろして『ご、ごめん……』とアルは気まずそうに呟き、アルの父は気まりが悪そうに目を逸らす。


「……あー、その。帰ってきてすぐに何だけど、ロミーナの言う通りお客さんがいて。あと、ちょっとの間預かりたい子達も──」

「あぁ? 預かり子だ?」


 そう言ったアルの父親の目線が、アルの視線を辿ってソルヴェーグの足元に落ちた。ビクッとわかりやすく双子が固まる。


「こりゃ、お前……」


 だが分かりやすく固まったのは双子だけではない。

 アルの父親も固まったまま、双子を見下ろし……、数秒の間を置いてハッと目を見開いた。


「お前、まさか隠し子──ッッ⁉︎」

「もう本当恥ずかしいから落ち着いて父さん……!」


 アルの父の発言に、ロミーナが顔を覆って消え入りそうな声でつぶやいた。




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