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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第3章
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op.09 序奏とロンド・カプリチオーソ(6)

「本っ当〜〜〜〜〜〜に、すみません!」


 競売が最後まで無事終わり、合流した頃にはもう夕暮れ時になっていた。

 茜色に染まる空をバックに頭を下げるエドは、本心から申し訳ないと思っているようで深々と頭を下げる。


「話のついた人が見張りに立ってるはずだったんですが、直前で入れ替わったらしくてちょっと手間取ってしまって……」


 ヴィオさんとアルさんがいてくれて本当に助かりました、とエドがもう一度頭を下げた。


「私の方からもお礼を言わせてください。偶然ではありましたが、あなた方にご協力いただけて本当に助かりました」


 ヴァルターも頭を下げる。


「それに時間稼ぎなんて理屈を抜きにして、素晴らしい演奏でした。あの演奏は癖になりますね。何度でも聴きたくなる」

「ありがとうございます」

「そう言ってもらえると嬉しいなあ」


 礼を言うヴィオの横で、照れたようにアルが呟く。


 前回の失敗を挽回するように今日のアルの演奏は完璧だった。きちんとヴィオの音を聴いて正確に、だけど楽しんで弾いていたのがわかる。


 本人も分かったのだろう。

 終わった後に『良かったよ』と伝えると、誇らしげに『でしょ?』と返してみせた。


「リチェルさんもごめんね。窮屈だったでしょう?」


 エドに話を振られて、リチェルはふるふると首を振った。


「全然大丈夫だったわ。あんな風に絵を見る機会はなかったから、不謹慎だけどとても楽しかったの。それよりエド、エドは何もなかった?」


 元の格好に着替えたリチェルが、同じく着替えたエドの手首にそっと触れて顔を覗き込む。

 一番危険な仕事に行ったエドの事がずっと気になっていたのだろう。


「怪我とか……、危ない目に遭ったりしなかった?」


 その言葉に、エドが一瞬、不意打ちを食らったように目を見開いた。


 大人びているからつい相応に見てしまうが、エドの年齢は恐らくまだ一五に達してもいないだろう。

 リチェルの反応は本来至極当然で、だけどエドを相手にしていると忘れがちな、年下の子を本当に心配するものだ。


 沈黙は一瞬だった。

 エドはすぐに破顔すると『全然平気です』と静かに笑う。


「あ、でももし褒めてくれるなら、どうかハグしてもらえませんか?」


 冗談めかしてそう言うと、エドはパッと両手を広げて見せた。


 えぇ⁉︎ と声を上げたのはアルだ。

 リチェルの方をチラリと見る。


 少しずつ慣れてきたとはいえ、リチェルは男に触れられることに対してまだ抵抗がある。

 それは流石に、とヴィオが止めようとした時、トッと前にでたリチェルがエドを抱きしめた。


 同じ影を踏むと、リチェルの方がまだ少し身長が高い。

 自分で言っておいてエドは驚いたように目を瞬かせていた。

 やがて懐かしそうに目を細めるとそっとリチェルの背に手を回す。何かを思い出すように一瞬目を伏せたのも束の間、エドは自分からリチェルの腕をそっと押した。


「……これで、良かった?」


 恐る恐る身体を離したリチェルに、エドは『はい』と笑う。


「ありがとうございます。誰かにハグされたのなんて本当に久しぶりです。自分で言っておいて少し、恥ずかしいですね」


 えへへ、とエドが笑う。


「お二人はこれからどちらへ?」


 ヴィオの問いかけにヴァルターが答えた。


「私どもはこの後すぐに町を出ます。こう見えて多忙で。皆さんは本日はまだこちらの町へ滞在のご予定ですよね。どうかゆっくりと休んでください」


 本当に感謝いたします、とヴァルターが頭を深く下げる。


「どうかお元気で。皆様の道行きが良きものでありますように」

「お二人も道中気をつけて」


 アルとリチェルも口々に挨拶をして別れると、二人は歩き出す。

 背を向けたヴァルターを追いかけるエドが振り返りながら何度も大きく手を振った。


 その背中に声をかける気になったのが、どうしてなのかは分からない。


 エドがリチェルに似ていたからなのか、もしくは少し同じ匂いを感じたからなのかもしれない。


「エド」


 声をかけるとエドが足を止めて振り返る。数歩先でヴァルターも足を止めて振り返った。


 ヴィオが歩み寄ると、『どうしました?』とエドが小首を傾げる。


「一つ、余計なお世話かもしれないが」

「?」

「仮にも弟子を名乗るなら、もう少し発言は控えた方がいい」


 ヴィオの言葉に、エドがピタリと動きを止める。丸い瞳が瞬いた。


「どちらが主導権を握っているかが分かり易い」

「……なるほど」


 神妙に頷いて、エドはにっこりと笑う。


「気をつけます」


 そう言うと今度こそ振り返らずにヴァルターの所へ走っていく。『行きましょう、先生!』という溌剌とした声が通りに響いた。

 

 





 

 町の外れまで歩くと、予定していた通り馬車が一台止まっていた。

 夜の強行軍なんて御免なのに、明日には家に着かないと行けないのだから仕方がない。


 馬車は簡素だが造りがしっかりとしていて、表はともかく中の乗り心地はそれなりに良いものだからそれだけが救いだ。


 エドが歩み寄ると御者が扉を開けてくれる。

 差しのべられた手を不要だと言うように、手をひらひらと振って遠慮するとエドは馬車に乗り込んだ。


 続いて乗り込んできたヴァルターが『失礼します』と言って向かいに腰を下ろす。


「すごいな、あの人」

「何がでございますか?」

「ヴィオさん」


 殊更楽しそうにエドはそう言うと、目を細めた。

 音を立てて馬車が動き始める。


 普段は気にしない馬車の振動さえ小気味よく感じて、エドはくすくすと笑う。今日の出来事を思い返すと、まるで喜劇みたいだ。


「いささかお喋りがすぎたのでは?」

「あはは、それ言っちゃう? だってすごく楽しい人達だったから、つい口が出ちゃって。まさか自分とそっくりな人間に会うだなんて思わないでしょ。でも何事もなくうまくいって何よりだよ、先生?」


 からかうような声音にヴァルターが眉間に皺を寄せて、ため息をついた。


「冗談だよ」


 くすくす笑ってエドは馬車の外に目をやる。車窓を流れる景色はいつの間にかもう街を抜けていた。


 思い出すのは自分によく似た少女のことだ。

 最後の最後まで、まるで普通の男の子にするように自分を心配してくれた瞳を思い出す。抱きしめられた温もりも。


『────』


 懐かしい声が、脳裏によぎる。

 温かくて、ただ幸せだった記憶をなぞるような、夢の時間。


 過ごした時間と交わした会話を、頭の中で繰り返して閉じていた目を開ける。


「……ラクアツィアの孤児院、ね」

「エアハルト様?」


 怪訝そうに呼ばれた声に、エドはつっと視線をあげた。

 そしてねぇ、ととびっきり甘い声を出してヴァルターを見た。



「ちょっと急ぎで調べてほしいことがあるんだけど」




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