op.06 小さな旦那様、小さな奥様(9)
「リチェル、少しいいか?」
ヴィオが村長達と一通り話を終えて外に出ると、リチェルは双子達と一緒に夕飯の準備をしているところだった。薪を両手に抱えたリチェルが振り返ると、スカートにじゃれついているリートとリリコも一緒に振り返る。
「あ! ヴィオ兄ちゃんだ!」
「お話終わったの?」
耳慣れない呼び方に一瞬固まると、リチェルが慌てて口を挟んだ。
「お名前教えちゃったんだけど良かったかしら?」
「……あぁ、そういう事か。特に問題はない」
「ねぇねぇ! ヴィオお兄ちゃんもうちでご飯食べて!」
リリコがじゃれつくようにヴィオの手をとる。
ほとんど話もしていないのに距離の詰め方が早い。正直少し戸惑ってしまうが、振りほどくことはせずリチェルの方を向き直る。
「夕飯? リチェルが作ってるのか?」
問いかけると慌ててリチェルが首を振った。
「アル兄ちゃんだよ!」
「すっごく上手なの!」
リチェルが口を開く前に、先を争うようにリートとリリコが口々に答えた。
「アルフォンソが?」
「そうなの。アルさん本当にお料理が上手なの。びっくりしちゃった」
リチェルがほんわかと笑う。その時家の中から『おーい!』とアルの声が聞こえてきた。
「薪持ってこれそうかな〜?」
「あ、大変」
リチェルが両手に抱えたままの薪とヴィオを見比べて、リートとリリコに視線を移す。
「二人ともこれをアルさんに持っていってもらってもいい? わたしはヴィオと少しお話があるから」
えー、とリリコが不満そうに声を上げる。握ったままの手をギュッと引っ張られて困惑する。
(どうしたものか……)
子どもの扱いにはどうにも慣れない。昼間のリチェルを思い出して、『すまないが頼めるか?』と直接リリコに頼んでみるとむぅ、と頬を膨らませながらリリコは渋々手を離してくれた。
リートがリチェルから薪を受け取ると、リリコに『行こう』と促す。
「わかったわよぅ」
パタパタと二人が家に入っていく。二人の姿が見えなくなると、リチェルが改めてヴィオに向き直った。
「……さっきはごめんなさい。いつの間にかリート君がいなくなっていて。迷惑にならなかった?」
先程村長と話していた時のことを指してるのだと分かって、大丈夫だとヴィオは答える。リートはおとなしかったし、すぐにリチェルが迎えにきてくれたから、と伝えるとリチェルはホッとした表情を見せる。
「それにしても二人とも元気だな」
「そうね。二人ともとても明るくって、たくさん元気をもらうわ」
にっこりと笑ってリチェルが言う。特に表情に含むこともなく、恐らく本心なのだと思うと純粋にすごいな、と思った。ヴィオにはとても真似出来ない。
「少し意外だった。リチェルは子どもの前ではあんな風に喋るんだな」
元より穏やかに話す子ではあるが、リートとリリコに接するリチェルの話し方は余裕があって、慈愛に満ちたと表現するのが正しいのだろうか。愛情深く落ち着いた雰囲気を持っている。
ヴィオの言葉にパッとリチェルが頬を赤らめる。
「へ、変かしら……?」
「いや。ただ君が子どもたちを叱ったのは少し意外だった。もちろんあの場で子どもたちをたしなめてくれたのが有り難かったのは前提として、とても巧みだったから」
そう言うとリチェルはどこか居心地悪そうに視線を動かした。
「全然大したことじゃないのだけど、ヴィオがそう思ってくれたのなら、きっとそれは孤児院のシスターのお陰だわ」
そう言ってリチェルが微かに笑う。
「悪いことをした時には、わたしもあんな風に言い聞かせてもらったのを思い出したの。頭ごなしに怒られるよりもずっと反省した気がするわ」
「リチェルが怒られるところはあまり想像つかないな。子どもたちの世話は孤児院で?」
「うん。孤児院では年下の子の面倒を見るのは年長の子達のお仕事だったから。だから、そんな特別なことじゃないのよ? それよりもお医者様を手配してくださってありがとう。わたしだけじゃどうしたら良いか分からなかったから……!」
ワタワタと慌てたようにリチェルが言う。褒められることに慣れていないのだとすぐ分かるリチェルらしい話の逸らし方だ。
「それで、何かあったの? 用事があって来てくれたみたいだから……」
「あぁ、そうだ。お医者様からの話を聞いて少し話したいことがあって──」
そう伝えると、すぐに察したらしい。リチェルが表情を曇らせた。
「……アガタさん、やっぱり悪いの?」
嘘をつく必要もないので、正直に頷く。
「町の病院に連れて行かないといけないんだが、行き帰りに一週間程かかるから、その間双子の面倒を見る家を探さないといけない」
「今から? 家が決まるまでどれくらいかかるかしら……。アガタさん、きっとあの二人の預け先が決まらないと行くと言ってくれないのじゃないかしら」
「そうだな。町の病院までは村長の奥方が連れていってくれるらしいんだが、ガスパロさんも双子の世話を一人でするには荷が重いらしくて……」
「そう……」
心配そうに同意するだけで、リチェルはそれ以上は何も言わない。
リチェルはヴィオ達の事情も明日たつ予定だというのも知っているから、どれ程気がかりでももう少し滞在できないかとはヴィオには聞かないだろう。だけど今日出会ったばかりの人のことだろうと気にかかってしまうのがリチェルという少女だ。
「……それで全く別件になるんだが、実はさっき村長から収穫祭で演奏を頼まれたんだ」
突然話が変わって、リチェルはキョトンとしてヴィオを見る。話の繋がりが見えない言い方をしているのはヴィオにも自覚はある。だがこれから伝えることはリチェルの持っている生来の優しさを利用しているようで、少し言い辛い。
「収穫祭まではまだ一週間あるし、その間この村に留まることになったんだが──」
その瞬間パッとリチェルが顔を明るくした。
「それならアガタさんが病院から戻ってくるまでの間この町にいられるの?」
「あぁ。だから、その、双子のことは──」
「もしヴィオやアガタさんが良いとおっしゃってくれるなら、リート君とリリコちゃんのお世話をわたしが見てもいいかしら?」
それなら他のおうちの都合を気にしなくてもいいし、とリチェルがヴィオに尋ねる。
「あ、でもアガタさんのおうちを借りてもいいかも分からないものね。聞いてみるわ」
もちろんリチェルの申し出は願ってもないことだった。むしろヴィオはそれを頼めないかここまで聞きに来たのだが──。
「…………」
「……わたし、何か変なことを言ったかしら?」
「いや、もちろん言ってはいない……」
「ヴィオ?」
リチェルが不思議そうにこちらを見上げる。その無垢の視線が少し気まずい。
収穫祭の依頼を受ける際、それなら双子のことをこちらで引き受けられるとヴィオが考えたのは事実だ。だがヴィオ自身は幼い頃から大人に囲まれていたせいでどうにも年下の子ども相手は不得手だった。その時思い出したのが双子の世話を見ていたリチェルの様子だったのだ。
自分では世話ができる気がしないからと引き受けたことをリチェルに頼むのも不甲斐ないし、何よりリチェルがきっと断らないのも分かって頼みに来ているのだから少々気まずい。
が、当のリチェルはそんな事を気にもしていないようだった。流石にこのままリチェルの好意に甘えるのも不誠実な気がして、観念して口を開く。
「……白状すると元からリチェルに頼もうと思って出て来たんだ。俺には子どもの相手や家のことは出来る気がしないし、初めから君を当てにしていた。すまない」
ヴィオの言葉に今度こそリチェルは目を丸くしてヴィオを見る。だが次にはおかしそうにクスクスと笑いだした。
「……リチェル」
「ごめんなさい……っ。だって、そんな事気にしなくてもいいのに」
全然大丈夫よ、とリチェルは笑う。
「元々アガタさんのお家にお世話になるのだから何かお返しできたらと思っていたの。それにヴィオにはいつも迷惑をかけてばかりだから。わたしが力になれることなんて普段はほとんどないから嬉しいわ」
「そんなことはないが……」
「ううん。そんなことあるの。ずっとヴィオのお世話になっているから、わたしに出来ることがあるならいつでも頼ってほしい。ヴィオに比べると、出来ることは全然少ないけれど。ありがとう、ヴィオ」
「君に礼を言われる立場では全くないんだが──」
むしろ礼を言うのはこちらの方だ。
それに、とリチェルが話を続ける。
「収穫祭で演奏するならヴィオの演奏がまた聞けるのね。それもとっても楽しみ」
「その事だが、村にピアノがあるらしいからアルにも演奏を頼もうかと思ってるんだ」
「そうなのね」
嬉しそうにリチェルが手を合わせる。
「じゃあ当日は二人のコンツェルトが聞けるのね」
「まぁ曲目は一曲と言われたわけではないし、要望があればアルと二人で演奏しても構わないんだが……」
「一曲はもう決まってるの?」
キョトンとしてリチェルが尋ねる。
曲目が決まっているわけではない。だけど一つ決めていることはあった。
(そういえばまた大事な事を言ってなかったな……)
リチェルの様子を見て反省する。
ただ演奏の依頼を受けた時から決めていたことではあった。演奏を引き受けた理由は双子のこともあったが、同じくらいヴィオにとっては大きな理由の一つがそれだ。
もちろん本人が嫌がらなければの話だが──。
あぁ、と頷いて笑う。
「リチェルさえ良ければ当日は君にも歌ってもらいたいんだが、どうだろうか?」
若葉色の目が驚きに見開かれる。
丸い瞳がパチパチと瞬きを繰り返して──。
「え⁉︎」
やがてらしくない高い驚きの声が夜の丘に響いたのだった。
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次回から七話です。





