op.06 小さな旦那様、小さな奥様(8)
リチェルがガスパロの家に駆け込んできたのは、双子たちに連れられて家へと向かって半刻程経った頃だった。
双子の母親が病気で、とリチェルに言われて真っ先に顔色を変えたのはガスパロだった。
村には医者がおらず、代わりに村にある教会へと走ってくれた。医者のいない村や町では、聖職者が医療を担っていることもまだまだ多いのだ。
話を聞いた神父はその日の夕方にはアガタの様子を見にきてくれた。そして──。
「ちゃんと病院へ連れて行った方がいいでしょう」
夕刻。アガタの様子を見た神父はヴィオ達に淡々とそう告げた。
開け放した窓から双子達の元気な歌声が聞こえてくる。双子達は神父様が来てくれたことで安心したのか、今はリチェルが相手をして庭で遊んでいた。
聴いた事がないがメロディーから察するに口伝で伝わる子守唄の類だろう。母親から教えてもらったのかもしれない。
ガスパロは眉間に皺を寄せたまま、子どもたちの声の聞こえる窓を一瞥して神父に視線を戻す。
「悪いですか?」
「えぇ。風邪に見えますが、呼吸がちょっと違う気がします。昔同じような人を見たことがあるのです。その人は病院に行くお金がなくて家で休んでいましたが、亡くなってしまいましたからね。アガタも最悪の場合……」
「……そうですか」
ガスパロが重い息をついた。
「お役に立てずすみません」
「いや、ハッキリとおっしゃっていただけて有り難い。この後のことはまた考えます。もしかしたらまた世話になるかもしれませんが……」
「えぇ、いつでも声をかけて下さい」
礼をして帰って行く神父をヴィオ達もガスパロと一緒に見送る。扉を閉めると、ガスパロが重く息をついた。
「町の病院へ行くのは難しいのですかな?」
ソルヴェーグがガスパロに尋ねた。考える、と言うことはすぐには返事が出来ないと言うことだ。思った通りガスパロは『難しいな……』と沈鬱な口調で呟いた。
「金の方は当てがないわけでもない。だが昼間に言った通り、あの家は母親が一人で双子を見ているんだ。元々アガタは村の人間じゃないから、身内もいなくてな。リートとリリコを見る大人がいない」
行って戻ってくるにしても彼女一人では無理だろうしな、とガスパロはうなる。
ガスパロも家族はおらず、日中は畑や家畜の世話があるのだろう。
「……行って戻ってくるまでどれくらいかかりますか?」
「一週間ほどはかかるだろうな」
一週間。
村に留まるには長い期間だった。例えば明日ヴィオ達が発つときに一緒に連れていければ良いが、それだと復路を共にできる人間がいない。
「……ヴィオ様」
ソルヴェーグの案じるような声に『わかっている』と小声で返す。
ディートリヒがこの村を経由した事が分かったのだから、先を急いだ方がいい。それでも割り切れないのは多分母親が病気だというその状況が──。
と、不意に入口の扉がノックされた。神父が忘れ物でもしたのだろうかと目を上げると『失礼するよ』と聞き覚えのある声がした。扉が開いて入ってきた人物にガスパロが目を丸くする。
「村長じゃないか。どうかしたのか?」
「なに。君ではなく旅人さんに用があってね。無事泊まれることになりましたか?」
「はい、お陰様で」
ヴィオが答えると、『それはよかった』と入ってきた村長は相好を崩した。
「実は君たちにお願いがあって来たんだよ。君たちが演奏をすると出会った時に聞いた事を思い出してね。先程手紙が届いてね、収穫祭で演奏するはずの楽団が一組来れなくなってしまったんだ。もし君たちさえ良ければ演奏をお願いできないかと思って」
思わぬ依頼だった。
「あぁ、もちろん明日には村を出る予定だったことは知ってるよ。急ぎがあるなら無理にとは言わない。出てくれる場合はもちろん謝礼もお渡しするから。少し考えてくれないかな?」
昼間であれば、ヴィオは村長の申し出を丁重に断っただろう。だけど今は少し事情が違った。
ヴィオが何か答える前に、村長、とガスパロが口を開いた。
「客人への依頼に来たところをすまないんだが、一つこちらも相談があってな」
ガスパロの言葉に村長は分かっているというように頷く。
「アガタのことだね。今そこで神父様とすれ違ったよ。話を聞いたけれど病気だって?」
「あぁ」
村長の言葉にガスパロが頷く。
「どうも具合が良くないらしい。町の病院へ行ったほうが良いと言われた」
「アガタには身寄りがないからね。うちのに町まで連れて行かせよう」
「良いのかい? 奥さんも祭の準備で忙しいだろう」
村長が『まぁ、そうなんだけどね……』と少し言葉を濁して、苦笑をこぼした。
「……同じ村のことだから。誰かが連れていかなきゃならん。なに、あいつの代わりは息子の嫁が務めるさ。末の子も今年は成人だし、人手は十分だよ。今からであれば行って戻って来ても、十分収穫祭には間に合うだろう」
問題は子ども達だな……、と村長が呟いたその時村長の入ってきた扉が控えめにキィっと音をたてた。音につられてヴィオが玄関に目を向けると、丸い碧眼と目が合った。
「おや、リートじゃないか」
遅れて気付いた村長が居心地が悪そうに玄関から顔を覗かせているリートに声をかける。リリコは? と穏やかに問いかけられてリートは小さな声で答えた。
「リチェル姉ちゃんと遊んでる。ぼくはちょっと抜けてきたんだ」
リリコと一緒にいる時の様子とは違い、一人で来たリートは落ち着いて見えた。村長とガスパロを見上げてリートが遠慮がちに問いかける。
「お母さん、具合悪いの?」
「心配しなくていい。大丈夫だ」
「うそ」
噛み付くようにリートがガスパロの言葉を遮って、すぐにごめんなさい、と小声で謝った。
「でもさっき村長さんとお医者様が話してるの聞いちゃったんだ。大きい病院へ行かなきゃいけない病気なの?」
「……少し検査をして来た方がいいというだけだ。まだ行くと決まった訳でも……」
「大丈夫だよ!」
リートがパッと顔を上げてガスパロの言葉を遮った。
「ぼくとリリコは大丈夫! ねぇ、ガスパロのおじいちゃん。リリコには僕がおはなしするから、ちゃんとお母さんを病院に連れて行ってあげてほしいんだ。
ちょっとくらいリリコと二人でも平気だよ!
毎日お手伝いもしてるし、それにお使いにも行けるし! あと鶏とヤギの世話も、ぼくできるから!」
それからそれから、と懸命に出来ることを並べていくリートが、母親のことが心配で遊びから抜け出して来たのはよく分かった。
「分かった。分かったよリート。母さんのことはこっちで何とかするから、君は外で遊んでなさい」
「でも……」
村長の言葉に納得できないようにリートが不満げに大人達を見る。と、コンコンと玄関がノックされて、リチェルが顔を覗かせた。
「すみません、失礼します。リート君の声が聞こえて……。リート君。みんな大事な話をしてるから、こっちにいましょう?」
「リチェル姉ちゃん……」
リートは不満げにしながらも、リチェルに促されて外へと出ていった。最後までコチラを振り返るリートの瞳がドアが閉まる直前にヴィオの方を見たのが分かった。
パタンとドアが閉まって二人が出ていく。
「……村のみんなを当たってみようか。一日や二日なら良いんだが、一週間くらいはかかるだろうね。持ち回りで二人を預かってもらうか、二人一緒には無理でも一人ずつなら……」
「そうだな」
リートがいくら大丈夫だと言っても、まだ六歳の子供を二人家に残しておくわけにはいかないし、何より母親が納得しないだろう。
リートとリリコの一週間分の滞在先が決まるまでは病院へは行けないことになる。それに村長の奥方が連れて行ってくれるのだとしたら、あまり遅れると今度は収穫祭までに帰ってくるのが間に合わなくなってしまう。収穫祭が終わるのを待つには病状が心配だから、急ぎ預かり先を見つけなくてはいけない。
そういった趣旨の会話を村長とガスパロがしているのを聞きながら、ヴィオはソルヴェーグの方に視線をやる。
先程から沈黙を守っている老執事はヴィオに判断を任せているのだろう。ヴィオの迷いを汲み取ったのか、どう判断して頂いても構いません、というように穏やかに笑った。
(先を急いではいる……)
だけどヴィオの旅路はハッキリとした期限がある訳ではない。
何より──。
『ちゃんとお母さんを病院に連れて行ってあげてほしいんだ』
懸命に訴える瞳の奥にある感情は、ヴィオにも覚えがあった。そしてあの時振り返ったリートの瞳は、どこか期待がこもっていたように感じた。
(この後の事だって決まっている訳じゃない)
目を伏せて小さく息をつくと、ヴィオは話を続ける村長達の方に顔を上げた。
「村長、先ほどのお話ですが──」





