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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第1章
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op.05 まもなく朝を告げ知らすために(4)

 ヨハネス・マイヤーが雇った人数は、ヴィオに接触した人数が全てなら三人だ。


 宿から出て潜伏する前から、居場所を割り出す指示はソルヴェーグに出していた。

 叔父であるルートヴィヒがヨハネスとは別ルートでヴィオを連れ戻す為に動いた場合、皮肉なことにマイヤーが指示を出した人間は目的の上では協力者足り得る事は考えていた。


 サラと別れた後、ソルヴェーグには彼らの協力を仰ぐように指示を出して、ヴィオ自身は隠れ家に帰った。

 

 リチェルの居場所を割り出す為には、相手側にヴィオの居場所を把握させて連絡を取らなければならなかったからだ。

 相手の人数が分からない以上、ソルヴェーグの足跡が辿られないことは賭けではあったが、協力を得たマイヤー側の人間から追手が二名である事が聞き出せたので、ソルヴェーグの動きまでは感知できないだろうと分かってホッとした。

 リチェルの側に一人置いたなら、あと一人はヴィオにつくのが道理だろう。


 マイヤーの手勢に頼んで、追手の一人は先に無力化出来たが、残るはリチェルの安全をどう確保するかだ。


 叔父の追手と対等に会話をするには、圧倒的に有利な状況を作らないと話にならない。

 ある意味ではルートヴィヒの正式な伝令になるから、顔を合わせた以上ヴィオにはその内容を無視することが出来ないのだ。


 こちらの事情を話し、納得の上で帰らない旨をルートヴィヒまで伝言として持ち帰ってもらう必要がある。その為には、リチェルを人質に取られるわけにはいかない。


 冷静に考えた上で、合理的に導き出した内容ではあった。

 実際うまくいったのだろう。だが真っ暗な部屋の奥にリチェルの姿を見た瞬間、そんな事は全てどうでも良くなった。



「リチェル!」



 姿を見た瞬間、名前は自然口からこぼれていた。


 こちらを向いた若葉の瞳が驚きに見開かれる。

 ヴィオ、とリチェルの唇が微かに動いた。駆け寄って衣服の乱れも大きな怪我もない事も確認して、心底安堵する。


 だが目が合った瞬間くしゃりと歪んだリチェルの表情はどこか悲しげで、その事に今まで冷静でいた心が動揺した。



「ヴィオ様!」



 ソルヴェーグの鋭い声がする。

 ハッとして振り返った先で、残る一人の追手の男が、ヴィオに酒場で絡んで来た男──ヴォルフを引き倒していた。流石元軍人だけあって並の人間では不意打ちで飛びかかったとしても、押さえることは出来ないらしい。

 だが──。


「……すまない、後で話そう」


 リチェルに囁くと、ヴィオは追手の男の方を振り返った。


 恐らくヴィオがリチェルの部屋に飛び込んですぐにヴィオを押さえようとした所を、ヴォルフが止めようとして逆に押さえ込まれたのだろう。

 だがヴォルフは三人の中で一番大柄で力も強く、流石に押さえ込むので精一杯らしい。


「……流石にそのままで俺とソルヴェーグを相手にするのは難しいだろう。出来れば落ち着いて話がしたいんだが」


 冷静に追手の男にそう告げる。


「……だな」


 それは男の方も悟っていたのか、大きく息をつくと押さえ込んでいたヴォルフを離した。ゲホッゲホッと離されたヴォルフが膝をついて、咳き込む。


「すまないが、ナイフを放って部屋の真ん中の椅子に座ってもらえないか? 貴方が自由に動ける状態だと、こちらも警戒せざるを得ない」


 とはいえ、ヴォルフに対してナイフを使わなかった時点である程度の良心はあるのだろうと思っていた。

 抜け目のないお坊ちゃんだな、と苦笑して男はナイフを部屋の隅に放ると、ヴォルフの側から離れて部屋の真ん中にドサリと腰掛けた。


「ちなみにだが坊ちゃん。俺の負けは大前提として、アンタの手駒はそこの男一人じゃないな? 外に何人いる?」


 男の言葉に目を細める。答えていいものか迷ったが、向こうの人数は二人で一人は無力化している。負けだと言う言葉はそのまま本心だろうと判断して正直に答えた。


「二人だが」


 途端に男が吹き出した。くつくつと笑いを噛み殺しながら、そうか、とこぼす。


「そりゃ周到なこった。その人数ならベンが相手取れなくても仕方ない。アイツ体術はてんでダメだったからな」


 ハァ、とひとしきり笑うと、男はヴィオの方を向いて苦笑を零した。


「いや、すまん。良いとこの坊ちゃんだと思って舐めてかかっていた。大尉からは楽器より重いものを持たない貧弱な坊主だと聞いてたからな。まさかこういう状況で遅れを取るとは思わなかったんだ。俺も鈍ったもんだ」

「お言葉ではありますが……」

「ソルヴェーグ。今はいい」


 口を挟みかけたソルヴェーグを制する。

 こんなところで延々庇われるのは居心地が悪い。だが退役したとはいえ、元々部下もいた階級付きの軍人だ。ヴィオに裏をかかれた事に、思うところはあるのだろう。


「……フォローにもならないかもしれないが、叔父上から昔言われたことがあって」

「大尉が?」


 男が眉を上げる。


 聞いた話によると、ルートヴィヒはヴィッテルスブルク侯爵家の後継であるヴィオには本格的に体術を仕込みたかったらしいが、ヴィオがヴァイオリンを習っていることで人知れず断念したらしい。

 だがその代わりに軍略や戦術を時たまヴィオに聞かせることがあった。


「肉弾戦において、一人の戦士が戦況くつがえすなんて珍事はままある事じゃない。基本的に人数が多い方が勝つ。だからお前も絶対に勝ちたい喧嘩があるなら、とりあえず頭数を揃えろと」


 無論その珍事を起こせる逸材はいるだろうし、状況にもよりけりだろう。ただ今回の場合は教えられたセオリーに則って頭数を揃えたわけだ。

 黙って聞いていた男が吹き出した。


「ははっ、大尉が言いそうなことだ。あの人意外に自分のことを凡人だと思ってるんだよなぁ」


 あーあー、依頼主の入れ知恵に足元をすくわれたかぁ、とボヤきながらも男は相好を崩す。わだかまりは多少氷解したらしい。息をつくと、それで、とヴィオは本題に入った。


「どうしてこんな事を?」

「ん? 聞かなくても大体察してるだろう? 大尉に頼まれたんだよ。甥をとっ捕まえて帰ってこいってな。で、見事に失敗した訳だがそちらさんは何をお望みで?」

「……こちらからの要求は二つだ。俺はこのまま町を出るつもりで、貴方がたに邪魔をして欲しくない。それと叔父上には父上を見つけるまで帰るつもりはない、と伝えてほしい」

「…………」


 男は黙ったまま、チラリとヴィオの後ろに目線をやる。

 その理屈を通すには明らかに不利になる事情があるだろう、と視線が言外に告げていた。その視線を遮るようにリチェルの前に立つ。


 リチェルが聞いている以上喋らせる気はなかったが、何を思ったか男は結局それを口に出さなかった。代わりにただ淡々と告げる。


「身内のことだから承知とは思うが、あの人が納得するとは思えんがな」

「伝える気はないと受け取っても?」

「いや、伝えるさ。俺はアンタに負けた訳だから、いさぎよく伝書鳩になるよ」


 男はそう言って肩をすくめてみせる。


「それにもしここで俺がアンタを力づくで連れ戻そうとするなら、アンタらはこの町を安全に出るまでの間俺たちをこの町で拘束するだろう。すまんが待ってられん。こっちにはこっちの事情があってな。出来れば一刻も早く家に帰りたい」

「……そうか。それなら有難い」


 いささか拍子抜けしながら、ヴィオは答える。


「じゃあ、嬢ちゃんを連れてとっととここから出ていきな。心配しなくても約束は守るよ」


 本当にそれで良いらしく、男はリラックスして椅子に座ったままだ。ソルヴェーグと視線を交わして頷く。もう話すことは特にない。


「リチェル。手を出してくれるか?」


 そばにかがんで、懐から折り畳んだナイフを取り出すと、慎重に手首のロープを切り落とす。

 少し迷って、そっと赤くなった手首に触れた。

 見上げるリチェルの頬が赤く擦れているのを見てぐっと奥歯を噛み締めた。胸にうずまくのは後悔で、押し殺した声ですまない、と謝罪する。


「……俺のせいで、君を巻き込んだ」


 謝りながら自己嫌悪が渦巻く。

 こんな事、謝罪の一つで済ませられる範囲を当に逸脱している。気付いたら知らない場所で知らない男に囲まれて、何時間も拘束されて。リチェルの恐怖はヴィオが想像できる範囲を超えているだろう。


 だが、同時に分かってしまう。

 きっとリチェルはヴィオを許すのだ。それどころかきっと、責めることすらしないのだろう。


「……その頬の傷も、後で手当てしてもらおう」


 触れるのは躊躇われて、かろうじてそれだけ呟いた。


「ううん。わたしこそ……ごめんなさい」


 震える声でリチェルからこぼされた謝罪に困惑する。どうしてリチェルが謝る必要があるのだろうか。リチェルはこちらの事情に巻き込まれただけだと、そう言ったはずなのに。


 リチェルの表情はうつむいていて良く見えなかった。謝罪の意味を聞きたかったが、場所が場所で人目もある。今は少しでも早く落ち着ける場所に移してやりたい気持ちが強い。

 

「立てるか?」


 尋ねると、こくりとリチェルが頷いた。

 その手を引いて立ち上がらせる。部屋が冷えたのか握った手首は冷たかった。だけど触れた手のひらは微かに温かい。それがクライネルトの屋敷の地下室でリチェルの手を引いたあの時と重なって、心が痛む。


(何でだろうな……)


 その手を離すことに躊躇した。

 明日別れてしまえば、もう会うことも難しい。それがどうしようもなく心を掻き乱す。


(初めから別れることは分かっていたはずだ)


 自分の手に重ねられた小さな手のひらを見下ろす。


「……ヴィオ?」


 ヴィオが沈黙していることに戸惑ったのだろう。リチェルが気遣うようにこちらを見上げていた。


「……いや、何でもない。帰ろう」


 重ねた手を離すと、わずかな熱の気配が離れていく。それがどうしてか、酷く名残惜しく感じた。





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