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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第1章
33/159

op.04 エレベの濃い霧の中に(5)

(ここで、歌って、生きていく……)


 一人になった宿の部屋は、どこかガランとしていた。

 元々リチェルの荷物はほとんどなくて、クライネルトの屋敷から持ってきたのはショールだけだ。ヴィオが買ってくれた服は先日宿に届けられて、部屋の隅に置いてあるのだけど、何だか今見るとちくりと胸が痛む。


 座っているのも落ち着かなくて窓際に立ったまま、リチェルはずっとサラの話について考えていた。


 宿へ帰ってから、ヴィオの部屋でお茶を淹れてもらって、三人で少し話をした。

 これまでの旅路や、リチェルのこと。他愛のない話だったけれども、どこか居心地が悪かった。今までヴィオと一緒にいて居心地が悪かったことなんてなかったのに。


(ううん。元々それがおかしかったんだわ)


 ヴィオに仕えていたというソルヴェーグはその所作も、ヴィオへの気配りも、全てが洗練されていた。

 それをヴィオも当然のように受け入れていて、少しも不自然さを感じない。旅を出てから少しずつ積み上がってきたリチェルの知識で考えてみると、おぼろげながら答えが見える。


 多分ヴィオは貴族階級の人間なのだ。

 リチェルがきっと本来なら口を聞くのも許されないような、そんな家柄の人なのだ。


(だとしたら、尚更──)


 多くを知らないリチェルでも、クライネルト家でデニスに近付いてはいけないと言われていた理由は承知していた。


『孤児が偉そうに誰に許可を得て口聞いてんだよ』

『お前みたいな薄汚い孤児は金輪際、坊ちゃんに近づかないこと』


 今までは気にならなかった、当然だと思っていた言葉の数々が今更ながらに胸を刺す。

 それは全て、今この状況にも言える事だ。本当は今の状況こそ異常なのだと、リチェルだって気付いてもおかしくなかったはずなのに。

 

 ヴィオが言わないのは彼が優しいからで。

 ヴィオに仕えるソルヴェーグもきっと、優しい人なのだろう。それに甘えているのは、他でもない自分で──。


(サラさんのお話、ちゃんと伝えないと)


 何も言わなくても、ヴィオはリチェルの引き取り先をちゃんと見つけようとしてくれるだろうけれど、人を一人引き取ってくれる先を見つけるというのは大変な労力がかかるはずだ。


 だからリチェルがサラに引き取られるというのは最善の選択だと、何度考えても答えは変わらないのに。

 それなのに、ここに残ることを考えると胸が締め付けられるようだった。


(どうして……)


 答えを出そうとすると靄がかかる。サラの提案はリチェルにとってもヴィオにとっても最善の選択のはずなのに、どうして自分はこんなに────。

 

 ギュッとスカートの裾を握りしめる。早く伝えなければいけない。本当は帰ってきてすぐに伝えなければいけなかった。


 その時コンコン、と部屋のドアがノックされてリチェルはピクリと肩を震わせた。


「はい」


 返事をして扉を開けると、ヴィオとソルヴェーグが立っていて心臓がはねた。ヴィオがどうにも居心地の悪そうな顔をしているのを見て、きっと何か気を遣わせてしまっているのだとすぐに察する。


「どうしたの?」


 だから努めて明るい声を出した。ここで自分まで暗い顔をしていたら、もっと気を遣わせてしまうかもしれない。


「少しいいか?」

「えぇ、もちろん。何かあった?」


 部屋に入ってきたヴィオは軽く咳払いをすると、『実はこの宿を出ることになって』と歯切れ悪く口にする。


「えっと、町を出ていくの?」

「いや、そうではないんだが……」

「ヴィオ様。言いづらいのであれば私からご説明差し上げても?」


 ソルヴェーグの言葉にヴィオは一瞬黙って迷っていたがやがて、頼む、と短く口にした。


「それでは。実は少し危急の要件がありまして、ヴィオ様も私も目立ったところに泊まる訳にはいかなくなったのです。申し訳ないのですが、詳しい事情については伏せるのをお許し頂けますかな」


 ソルヴェーグの言葉に、リチェルは大丈夫です、と返事をする。


「それで、大変申し上げにくいのですが、リチェル殿については出来れば別行動でお願いしたいと思っております。ヴィオ様ともお話をしたのですが、貴女の身のためにもそれが一番良いかと思います」


 ソルヴェーグの言葉に、あ、と気付く。

 詳しいことは何も分からない。だけど唐突に理解した。


 きっとヴィオの事情に自分は邪魔なのだ。


 ヴィオは優しいから、それを言えないだけで。


「もちろん場所はこちらで手配いたしますので、ご安心ください」

「リチェル。もちろん後で迎えにいくから」


 リチェルが口をきかず黙っている事を誤解したのだろう。

 ヴィオがソルヴェーグの言葉を遮って口にした言葉が、その優しさが、リチェルの背中をトン、と押した。


「大丈夫よ」


 気付けば、そう言って笑っていた。


「今日サラさんとお話をしていたと言っていたでしょう。実はわたしの事を引き取ってくださるというお話だったの」

「え?」


 これにはヴィオも流石に驚いたらしい。目を見開いて、リチェルを見ている。


「ごめんなさい。さっき言おうとしたんだけど、わたしもまだ混乱していて遅くなってしまって。


 その、この町の劇団で歌わないかと言ってくださったの。そうしたらわたしの身元も引き受けてくださるとおっしゃって下さって。今日はサラさんは公演があるから、夜ご連絡をするのは難しいかもしれないけれど。明日伝えれば、サラさんならすぐにご用意くださると思うし」


 精一杯、明るく笑う。ともすれば震えそうな手を片手で押さえつけて、痛みで疼く心を押し殺して、頼むから今だけは笑ってと自分に言い聞かせる。


「わたしは大丈夫だから、ヴィオはヴィオの事を一番に考えて」


 だってたくさんもらったから。

 もう十分すぎるほど、わたしはたくさん貴方に、助けてもらったから。

 

「あ、でも。サラさんのご用意が出来るまではこのお部屋を使わせてもらってもいいかしら? それに、一度ヴィオとサラさん、もしかしたら旦那様と奥様にもお話をしてもらわないといけないかもしれないのだけど。ごめんなさい、その辺りの常識がよく分からなくて……」


 でも絶対に迷惑はかけないようにします、とリチェルは誠心誠意頭を下げる。その様子を、ヴィオはただ呆然と見ていて──。


「ヴィオ様」


 ソルヴェーグの声で我に返ったように、ヴィオが慌ててリチェルに頭を上げてくれ、と言った。


「リチェル殿」


 名を呼ばれてソルヴェーグの方を見ると、老執事は恭しくリチェルに頭を下げる。


「主人へのお心遣い感謝いたします。リチェル殿が憂慮されていることは、こちらで万事計らうので心配には及びません。取り急ぎ今日はこちらのお部屋でお休みになってください」

「……ソルヴェーグ」

「ヴィオ様、ご用意を」


 ソルヴェーグに促されて、ヴィオはただリチェルの方を向いて『また後で』と言い残して部屋を出ていった。


 パタン、と扉が閉まる。


 それが合図だったように、身体の力が抜けた。震える足でベッドの所に戻って、ぽすりと腰を下ろす。


(大丈夫)


 浅く息を繰り返して、もう一度大丈夫、と今度は小声で繰り返す。

 夢が叶うのだから、自分にとっても最良の結果で。この今がある事に感謝しなくてはならない。だから──。

 

 この痛みは、きっと何かの間違いだ。


 視界が歪む。唇を噛み締めて、ギュッと手に力を入れる。


 大丈夫。これでもうヴィオに迷惑をかけなくてもいい。

 と、そう必死で繰り返しながら、リチェルは鈍い痛みを必死で押し殺した。

 

 

 

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