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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第1章
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op.03 空高く軽やかに舞う鳥(5)

 リチェルの服が仕上がったと宿に連絡が入ったのは、採寸からきっちり一週間後の事だった。

 随分無理をしてもらったのではないかと申し訳なく思いながら、ヴィオに連れられてリチェルは宿を出た。


 出がけにショールをヴィオから渡された。

 リチェルがクライネルトから唯一持ち出してきた臙脂のショールだ。受け取ったものの何故必要なのかが分からなくて首を傾げる。


「どうして?」

「多分あった方がいい」


 ヴィオの言葉に大人しくリチェルは頷いて、ショールを両手で抱える。


 都合が合わなくてサラは一緒に来れず、ヴィオと二人で仕立て屋まで行く。着いてすぐに店主が奥から顔を出した。


「あぁ、ローデンヴァルトさん。お待ちしておりましたよ」

「急いでもらったようですまない」


 いえいえ、と店主が笑みを浮かべる。ちなみに店主が呼んだローデンヴァルトはヴィオの家名だ。


「サラ様たっての頼まれごとでしたから。あの方にはいつもご贔屓にして頂いているので多少の無理はききますとも。さぁ、お嬢さんこちらへどうぞ」

「は、はい」


 緊張と期待がまぜこぜになって、返事がつっかえる。また待たせてしまうだろうか、とヴィオの方を不安げにチラリと見ると、微かに笑ってついていくよう促された。


「はいこちらへどうぞ、お嬢さま。旦那様はそちらのお席でお待ちくださいね〜」


 前回も採寸してくれた元気のいい針子の女の子が、リチェルを引っ張るように奥へと連れていく。お嬢さま、だなんてらしくない呼ばれ方にドキリとする。

 早足で後ろをついていくと、針子はふふっと悪戯っぽく笑って声を潜めた。


「良いんです良いんです。男なんて多少待たせとくくらいでちょうど良いんですよ」


 あけすけな物言いに目を丸くするリチェルに、針子はにっこりと笑う。

 この間は緊張で気付かなかったけれども、良く見たら彼女はリチェルと同じくらいの年頃のようだった。サラがいないからか、前回よりも砕けた口調で話しかけてくる。


「それよりもとっても可愛く仕上がったんです。きっと別人みたいになりますよ。だからたっぷり驚かせて差し上げましょうね! もう考えるだけでワクワクしてしまいます」


 実際とても楽しそうな口調で針子はそう口にして、リチェルを前回採寸した場所へと引っ張っていくのだった。






 これまでの人生で、リチェルが意識して衣服を選んだことは一度もなかった。


 実際そんな機会はなかったし、きちんと身体を覆えて、冬は寒さが凌げればそれで良いのだと考えていた。

 自分の鏡などもちろん持っていなかったから、イルザの持っている姿見で時たまおかしな所を整えるだけで、ろくに自分の姿もきちんと見たことがなかったくらいだ。

 だから──。


「旦那様、終わりましたよ!」


 朗らかな声で針子が店頭に声をかけに行く。


「こら、お前。さっきもそうだがこんなにお若い御仁に旦那様はないだろう。すみません、アレでもうちの娘なんですが、少しばかり礼儀に難がありまして……」

「じゃあ若旦那様?」

「こら!」


 だって早く見て頂きたくて、と針子はクスクス笑って奥にいるリチェルを手招きする。

 その手に招かれるようにリチェルは一歩足を踏み出した。鏡では見たけれど、針子の言った通りまるで別人みたいで、緊張でめまいがしそうだった。


 脚にかかる重みが以前とは全く違う。広がるスカートの裾が危なっかしい。

 ブラウスのレースがこそばゆくて、おろした髪の感触が落ち着かない。

 何より気持ちが少しもひとところに止まってくれなくて、心臓がずっとバクバク鳴っているのだ。


 パチリとヴィオと目が合った。

 何か言わなきゃと心が焦る。


「……あの、お待たせしました……っ」


挿絵(By みてみん)


 かろうじて声を絞り出した。


 大丈夫だろうか。

 おかしなところはないだろうか。

 似合ってないのではないだろうか。


 ぐるぐると回る思考を遮るように、リチェルのそばに寄ってきた針子が『いかがですか!』と元気な声でリチェルの両肩を持ってグイッと前に突き出した。


「どうです、とっても可愛いでしょう! ちょっとした良家の子女と言われても納得の仕上がりでしょう!」

「お前が作ったわけじゃないだろう」


 呆れたように店主が言うが、娘の耳には届いていない。しかし、と店主もリチェルに目を留めて、感心したような表情を浮かべる。


「確かに見違えたようだね。どこからどう見ても綺麗なお嬢さんだ」


 サラが選んでくれた服は落ち着いた濃いブラウンを基調とした衣服だった。

 繊細なレースがあしらわれた白のブラウスに、濃いブラウンのベスト。同色のスカートにも白いレースがあしらわれている。たっぷりと布を使ったスカートはボリュームがあって、アンダースカートを履いている分フワリと膨らんでいるが上品だ。


 採寸の時はスカートの後ろを膨らませるのが流行だからと針金を用いたバッスルも紹介されたが、動きやすい服装で、とリチェルが言ったからサラが気を利かせてくれたのだろう。


「本当はもっと色味を華やかにしても良いと思うんですけれど、それは次の機会にとサラ様に言われてしまったので。でもこれはこれで味が出て良い感じです」


 自身の手柄のように自慢げに語る針子の声をどこか遠くに聞きながら、キュッとスカートを握り締める。

 先程から反応がないヴィオは珍しく虚をつかれたようにリチェルを見ていた。視線があっているようで合っていない。


「ヴィオ?」


 もしかしてどこか変なのだろうか、と不安が首をもたげたその時、ハッとしたようにヴィオの瞳が焦点を結んだ。今度は目線がかち合う。


「……いや、そんなに待ってはいないから大丈夫だ」

「?」


 それがリチェルの出てきた時の問いかけの答えだと察するのに、少し時間がかかった。ヴィオは立ち上がるとリチェルのそばに来て、それからかすかに笑った。


「良く似合ってる」


 カッと頬が熱を持ったのが分かった。

 良かった、変じゃなかった。おかしくなかった。安堵すると同時に、きゅうっと胸が締め付けられるような心地がする。


 だって多分、その言葉が一番聞きたかった。


 出会ってからずっと、自分なんかが隣に立っていて良いのだろうかと思っていたから。


「うん、ありがとう。ヴィオ」


 だから他でもないヴィオが似合っていると言ってくれるなら、隣に立っていても良い自分に少しだけ近づけたんじゃないかと、そう思うのだ。


「そうだ。これを……」


 ふと思い出したようにヴィオが採寸前に預かってくれていたリチェルのショールを、フワリと肩にかけてくれる。


「あぁ、確かに良く合ってるな」

「え?」


 キョトンとするリチェルの隣で、針子が合点がいったと言うように、リチェルの姿を正面から覗き込む。


「これが前回おっしゃっていたお客さまの私物なんですね。うん、色合いも馴染んで良く似合ってますね。この間色合いを決める際に、旦那様がこれと同じ色合いの布を差して『これと合う物にしてくれないか』ってサラ様におっしゃったんですって」


 弾かれたようにヴィオを見ると、あぁ、とヴィオが頷く。


「大事にしていた物だから、今後も身につけられた方がいいだろうと思ったんだが。余計だったか?」


 ヴィオの言葉にフルフルと首を横に振る。

 余計だなんてそんな事があるはずない。覚えていてくれて、それを伝えてくれたのだとしたらそれはとても嬉しいことだ。


「ううん。とっても嬉しい。ありがとう」


 心から礼を言うと、ヴィオが穏やかに笑う。


「気に入ってもらえたのなら何よりです。……お前、一緒に仕上がった外套も持っておいで。今夜の公演には必要だろう」

「はーい」


 店主の指示にパタパタと針子が奥に引っ込んでいく。


「とりあえず下から上まで一式今日のために急ぎで仕上げたのですが、ブラウスや肌着などの替えはあと少し待っていただけますか。出来次第、鞄や他の小物類と一緒に宿に届けます」

「あぁ。感謝する」

「いえいえ。あとこれは気持ちなのですが、お嬢さんの服の布地の端布でリボンを作りましたので、良かったらお使いください。あぁ、おい。お前が結っておあげ」


 ちょうど外套を手に戻ってきた針子に店主が声をかける。

 はーい、と元気よく返事をして、針子はヴィオにさっと荷物を預けると、その手でリボンを手に取ってリチェルの後ろに回る。先程丁寧に梳かしてもらった髪はサラリと指の間をすり抜けていくが、彼女は器用に上の髪をすくうと結ってくれる。


「アップにしても可愛いですけれど、お客さまはまだ若いですもんね。おろしていた方が可憐だから、残しておきますね」

「ありがとうございます。ヴィオ、荷物はわたしが……」

「いや、構わない」

「あー! お客さまそういうのダメですよ。もう男の子の格好をしている訳じゃないんですから、こういうのは殿方に甘えないと。ご婦人に荷物を持たせている男なんて評判ガタ落ちですからね。せっかくの美形も台無しってものです。ここは旦那様に花を持たせるつもりで荷物は丸ごと持って頂きましょう。わかりましたね?」


 針子の言い様に、店主が顔をしかめる。


 だが大意を否定をするつもりはないようで、針子を諌めつつも『持ってもらいなさい』とリチェルには言う。オロオロとヴィオを見ると、苦笑して頷かれた。

 どうやら針子の言い分は間違ってはいないようだ。知らないことがいっぱいあって、恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになりながら、はい、とリチェルは大人しく頷くのだった。

 

 

 

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