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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第4章
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op.15 悲しみと涙のうちに生まれ(5)

「……説明を、お願いしても良いでしょうか?」


 エリーがそう口火を切ったのは、馬車が出発してしばらくしての事だった。車輪の音が止まっている。恐らくどこかで止まるようにエリーが指示していたのだろう。


「と言うと?」

「話が違う事についてです」


 エリーの声はかすかに震えていた。

 その事に多少の負い目はあっても、後悔はしない。元からヴィオにはヴィオの思惑があってこの会談に応じたのだ。それはエリーも理解しているだろう。


 意外だったのは、エリーの声音にヴィオを責める響きがなかったことだろう。エリーの口調には、何を間違ったのか、どこで読み違えたのか、見切れなかった事による悔しさだけが滲んでいた。


(噂には聞いていたが確かに優秀なご子息だな……)


 責任の所在を自分に持ってくることに慣れている。己の実力を信じてはいるが、過信してる訳ではいない。きっと次に同じ場面になったら、エリーは間違わないだろう。


「……好きに使えばいいとは言ったし、君の話は分かったとも言ったが、一言も『協力する』とは言ってないだろう」


 ヴィオが答えると、エリーがぐっと奥歯を噛み締めたのが分かった。だけどすぐに『確かにそうでした……』と掠れた声で呟く。


「だけど、ヴィクトル様は姉様を大事に想っているのだと思っていました」


 エリーが小さな声でこぼした。返事を期待していた訳ではないだろう。沈黙を守るヴィオをまっすぐに見据えると、エリーは『尚更わかりません』と続ける。


「姉様は今の時点だと何の後ろ盾もありません。もしハーゼンクレーヴァーが認知すれば、婚姻に関しても全く支障は無いでしょう。貴方は乗ってくれると思っていました。それとも姉様のことはそこまで本気ではありませんか?」


 エリーの声に初めてヴィオを責めるような色が混じる。

 

 声音から挑発ではない事も分かった。

 この少年は本気で疑問をぶつけているのだ。普段明るく飄々としていたエリーの声は、今は感情で揺れている。少なくともエリーにとってリチェルのことは、感情的になる価値のある事なのだと分かる。


 だから──。


「……後ろ盾が無いと怖気付くようなら、ずっとそばにとは思わないよ」


 そう、正直に答えた。


 出来ればヴィクトルとして話をしている時に、リチェルの事で言質を取られるような真似はしたくなかった。だけど、エリーが真剣になっていることがリチェルのことなら、誤魔化すのは誠実じゃない気がした。

 

「そんな覚悟で一緒にいる訳じゃない」


 小さな声で、だけどハッキリと口にする。


 ヴィオにとっては、何よりリチェルが傷つかない事が最優先だ。

 彼女にそばにいて欲しいと伝えることを決めた時に、ヴィオも覚悟を決めている。


 今更リチェルがどこの誰であろうと、ヴィオには本心から関係がないのだ。この会談はリチェルが彼女の望まない選択を強いられるような事態を避けるため、イングリットの思惑を知りたかったから応じただけだ。

 

 そしてイングリットは最後までリチェルの存在を認めようとしなかった。

 それで良かったとヴィオは思っている。打算も建前もヴィオにとっては慣れたものであるが、リチェルにとっては理解できない類のもので、時に彼女の持つ優しさを否定するものだろう。


 そんな場所に、リチェルを置く気はない。


 エリーは唖然として、ヴィオを見つめていた。だがやがて、腑に落ちたようにふっと表情が和らぐ。


「……だから、姉様に名前を教えていないんですね」


 先ほどとは違う、柔らかな声音だった。


「いざとなった時、何も知らないほうが守りやすいから。僕たちの家名が守るのは、あくまで内側の人間です。貴方は姉様を害するのなら、例えそれが自分であっても切り捨てるおつもりなんですね」


 参ったな、とエリーが前髪をかき上げて、うつむいた。ハァ〜、と分かりやすく大きくため息をついて、脱力する。


「ごめんなさい。本気じゃ無いんじゃないかなんて失礼なことを言いました。僕の認識不足です。……あーあ。お祖母様の思惑も全然図りきれてなかったし、もう嫌になっちゃうなぁ……」


 エリーの声に初めてまだ十五にもならない少年らしさが滲む。ぼやいた後エリーはしばらく落ち込んだようにうつむいていたが、やがてつと瞳に光を宿して顔を上げた。


「──ヴィクトル様」

「何だ?」

「つまりヴィクトル様は、ハーゼンクレーヴァーが姉様にとって安寧の地で、姉様が幸せになると分かるなら、認知に協力することもやぶさかではないと判断しても?」

「…………お前」


 殊勝な態度で落ち込んでいるのかと思えば、頭の中で次の算段を組み立て始めていたらしい。


 その心持ちは賞賛に値するし、個人的にはエリーのような人間は嫌いじゃないが、今回のリチェルの件に関しては味方にはなれない。

 悪びれずにエリーが笑う。


「僕、諦めが悪いんです。取り急ぎ今日は負けを認めます。でもそれは今日だけの話です。一度で諦める気はありません」


 姉様がリンデンブルックに行かれても僕は会いに行きますし、といけしゃあしゃあとエリーは口にする。


「……どうしてそこまでリチェルにこだわるんだ?」


 思わず尋ねていた。

 それは行きの馬車でも聞いたことだが、今は事情が違う。


 家のことだけを考えるのであれば、イングリットの態度が正しいだろう。リチェルは私生児で、跡取りはエリーがいる。当主であるイングリットが反対している事が判明したのだから、エリーの理想のために伴う労力は並大抵ではない。エリー程の人間が、それを分からないはずはないだろう。


 だが、エリーは気負うことなく自然に答えた。


「姉様だからですよ。家族と一緒にいたいと思うことに理由が必要ですか?」


 曇りのない真っ直ぐな瞳だった。

 僕は、とエリーが続ける。


「母様を愛しています。母様の境遇を考えると、好きでもない男との間に出来た子供なんて普通は目に入れたくもないでしょう。でも母様は心から僕を愛してくれました。自身が持つ嫌悪と憎しみを一片もこぼすことなく、愛情だけを僕に注いでくれた。その母様の心残りが姉様です。会いたい、と思う事は不思議でしょうか? 家族でいたいと思うことは不自然でしょうか? 僕は周りに隠れることなく、姉様を姉であると言いたいのです。その……、もちろん姉様が嫌じゃないなら、ですけど……」


 自信に裏打ちされた言葉が、最後の方だけ急に尻すぼみになる。


「……少し話しただけで、姉様が優しすぎることは分かるから。ヴィクトル様の懸念も分かります。僕だって姉様を傷つけたい訳じゃない」


 それから急にパッと顔を上げて、ヴィクトル様、とエリーが不安げに口にする。


「ヴィクトル様から見て、姉様は僕の提案を迷惑だと思うでしょうか。今更現れて、家族だなんて言ったら、虫が良すぎるでしょうか」


 心底心配している声音だった。これで諦めるならきっと『迷惑だ』と言った方が良いのだろう。それなのにどうしてか言う気にならなくて、気付けば『心配しなくていい』とヴィオは答えていた。


「リチェルは人の好意を迷惑だと思うような子じゃないよ。ましてや、弟に対して迷惑だなんて思うはずがない」

「本当ですか!」


 エリーがパッと破顔して、良かった、と息をついた。


「……一応聞くが、もし迷惑だと俺が答えたらどうするつもりだったんだ?」


 ヴィオが尋ねると、エリーは苦笑する。


「その時は、諦めますよ。姉様が嫌なことをしたいとは思いません。僕は、家族を大事にしたいです。きっと母様が生きていても、同じようにしたでしょうから」


 そう言った後、エリーは不意に嬉しそうに笑った。


「正直に答えてくださって、ありがとうございます。迷惑だと答えた方がヴィクトル様にとってはきっと都合が良かったのに」

「…………」

「あ、もしかして僕が姉様に似てるからですか? ちょっと得したな」


 悪戯っぽく笑うエリーは立ち直ったのか通常運行で、閉口する。軽く咳払いをすると『ところで』とヴィオは続けた。


「君の理屈で言うと父親も家族だと思うが、そこはどうなんだ?」


 若干意地が悪いと分かっていて口にする。

 ヴィオの質問に、エリーは露骨にスッと冷めた目になった。打って変わった淡々とした口調で、アレは、と口にする。


「もう父親ではありません。縁はとっくに切れています。ご存知の通り、家の私財を横流しにして、家紋に傷をつけた不届者です。母様の闘病中も外で遊び歩いてましたし、僕が幼い頃から愛人の存在を隠そうともしなかった。放逐して大人しく謹慎していたのならまだしも、離縁して尚うちに損害を与えるロクデナシです」


 辛辣だった。感情のこもらない口調は、エリーが一片たりとも父親に良い感情を持っていないことを如実に表していて、若干口の端が引きつりそうになった。


「でも大丈夫です。もうちゃんと悪さが出来ないようにしましたから。姉様へのリスクもアレに関してはゼロです。今後も手出しはさせないので、ご安心ください」

「…………」


 得意げに胸を張るエリーにヴィオは沈黙した。


 こうして相対しているとエリーの顔はやはりリチェルに良く似ていて、それなのに出てくる言葉はまるで違うのだから調子が狂う。


(きっとコイツは性格も母親に似ているんだろうな……)


 協力するつもりは無いが、エリーが本気でリチェルを大切に思っていることだけは少し分かって、なおさら厄介だなとヴィオは心中でため息をついた。


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