op.15 悲しみと涙のうちに生まれ(3)
リチェルを宿に送り届けると、そのままヴィオとエリーはハーゼンクレーヴァーの本家へと向かった。表に出て止まっている馬車に乗り込むと、マティアスが礼をして扉を閉める。
「良いのか? 乗せなくて」
「御者台に乗るように言ってあります。流石にお付きの者を侯爵家の次期当主と同じ空間に乗せるわけには参りませんよ」
そう言って、エリーはヴィオに目を向けると改めて頭を下げた。
「この度は会談に応じて頂きありがとうございます。ヴィクトル様」
先程とは打って変わった丁寧な所作にため息をつく。
「リチェルの前で合わせてくれた事には礼を言う」
「とんでもない。使い所のわからないカードを、無闇に切るほど馬鹿ではないというだけです。姉様にはまだ言ってないんですね」
「あぁ。話を戻すが、俺が応じるのは分かっていただろう。流石に本家の俺に対しての正式な招待を断るわけにはいかない」
そう、アルの店に届けられた手紙は宛名こそヴィオとリチェル宛だったが、中にはもう一通別の手紙が認められていた。それこそヴィオがこの招待に応じなければならなかった理由だ。
宛名はヴィクトル・フォン・ライヒェンバッハ。
結びの名はイングリット・フォン・ハーゼンクレーヴァー。
レーゲンスヴァルト伯爵家当主直々の招待とあれば無視する訳にはいかない。
「俺のことも調べたのか?」
「いえ、実を言うとヴィタリで会った時からヴィクトル様の事だけは気付いていました。僕は社交界にはまだ出ていませんが、正式な顔出しがまだと言うだけなので。お祖母様について回っていたこともありましたし、ある程度有力な貴族のご子息のお顔は把握しているんです。それにヴィクトル様はともかく、ソルヴェーグさんは本名のままだったでしょう?」
先程と打って変わって、濁すこともなくエリーは続ける。
「ライヒェンバッハの執事の名前は有名ですよ。何せ敏腕ですから。煮え湯を飲まされた人間は片手では収まりきりません」
「他意はないんだろうが、その言い方だと相手に要らない警戒心を抱かせる。気をつけた方がいい」
「あ、すみません。もちろん含む所はありませんが、そうですね。軽率な発言でした」
エリーが慌ててフォローする。実際他意はないのだろう。だがこの少年が見た目通りの人間ではないことをヴィオは知っている。
『そういえばエリーのお父様はどうなさってるの?』
『いませんよ』
先程何気ない口調でエリーがいない、と答えたハーゼンクレーヴァーの入り婿は、三年前私財の横領と着服で離縁され放逐されているのだ。
ハーゼンクレーヴァーの一人娘であるリーゼロッテは結婚後、男児を一人出産したが、それ以降子どもが出来たという記録はない。
夫婦仲が良くないという話は伝え聞いたことがあるし、実際婿の方はあまり評判が良くない人物だったらしい。
そして入り婿だったその人物を告発したのは、十一歳の実の息子だったという。つまり目の前にいる少年こそが、実の父親の罪を告発し、家から追い出した張本人なのだ。
ヴィタリでも少しの間行動を共にしただけだが、エリーが頭の回る人物である事はもう分かっている。例えリチェルへの親愛が本物だとしても、エリーの目的がリチェルの為になるものだとは限らないし、ヴィオとしては用心せざるを得ないのだ。
「──着くまでの間に聞かせてほしい。この会談をセッティングしたのは君か? それともご当主が?」
「それは僕です」
「目的は?」
「もちろんお祖母様に姉様を認知して頂くためです。僕は姉様をずっと探していたし、家に迎え入れたいと思っています。でも僕一人の力では弱いので、ヴィクトル様の力をお借りできたらと……」
「失礼だが、何故と聞いても? 今更だろう。リチェルは会った事もない血縁だ」
用心を重ねて尋ねると、エリーはケロリとして答える。
「完全に僕のわがままですよ。理由は……そうだな。母様がずっと姉のことを案じていたから自然と僕もそうなった、ではいけませんか?」
「それを否定する材料を俺は持ってないよ。だとして、君は本当にそれが叶うと思っているのか?」
「勝算はあると思っています。何よりまずお祖母様がこの会談を呑んで下さったことが一番の理由です。元々祖母は姉を認知をする気は全くなかったはずです。本来なら今回の話に応じるはずがない。だけどここに来て驚くほど簡単に承諾してくれたのです。恐らく理由はヴィクトル様にあるのではないかと……」
「…………」
口ぶりからヴィオとリチェルの関係性の変化も把握しているのだろう。確かにその関係性を含んで考えると、リチェルを引き入れることは家の利益と取れなくもない。
ヴィオの生家であるヴィッテルスブルク侯爵家は古くから国境の要衝としての役割を果たしており、皇家の覚えも悪くない。
現在のハーゼンクレーヴァー家は娘のリーゼロッテの件から始まり、エリーの口にした身内の横領などで周りからの見え方が良くない。今の場面において、リチェルの存在は使い方によってはかなり良いカードになるだろうと冷静に考えても思う。ただ──。
「君の考えは分かった。使いたければ好きに使えばいい」
「本当ですか⁉︎」
良かった、とエリーが息を吐く。
「ヴィクトル様にとっても、姉様が伯爵家に入ることは悪いお話ではないと思うんです。後ろ盾がないままだとやはり心配な事も増えますし……」
少し安心したのか、溢れるエリーの打算を無言で流す。
(だが──)
イングリットは、血筋と自分の家に誇りを持った人物だと聞く。だからこそ、彼女の人となりを考えると、そう簡単にいくようにはヴィオには思えなかった。