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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第4章
122/159

op.15 悲しみと涙のうちに生まれ(1)

『良いわ。後継ぎでも何でも産んで差し上げます』


 目を閉じると昨日のことのように思い出す。


『だけど私は、絶対に貴女を許さない』


 真正面からこちらを見据えるエメラルドの瞳。大切な物を全てその身から引き剥がされて尚、闘志を失わないその瞳を。


『一生貴女を許さないわ、お母様』


 たった一人の娘の、憎悪のこもった声を。






   ◇






 ハーゼンクレーヴァー伯爵家。


 レーゲンスヴァルトに屋敷を構える、古くから続く由緒正しい貴族の家系だ。レーゲンスヴァルトは昔から戦争によって割譲の憂き目によく合う地域だったのだが、その地で血を絶やすことなく存続してきたことからも爵位と血統だけではない事が伺える。


 実際ハーゼンクレーヴァーは代々政治と諜報に長けていると言われていた。近年ずっと男児に恵まれなかったものの、現当主であるイングリット・フォン・ハーゼンクレーヴァーの政治手腕は卓越していて、正式な当主の不在を物ともしなかったという。


 高潔でいて、潔癖。

 冷徹でいて、冷酷。


 己の家に刃を向けたものには、一切の容赦をしない無慈悲な貴婦人。


 それは己の家族とて例外ではなく、彼女の一人娘は長い監禁生活を強いられた上病で亡くなったという。


 その非情さは実の娘さえ殺す。

 娘殺しのハーゼンクレーヴァー。

 





 

「来てくださって良かったです。応じて頂けなかったらどうしようかと思っていたので」


 紅茶のカップを片手に目の前に座ったエリーがにこやかに笑う。


(よく言う……)


 湯気の立ったコーヒーカップを前にしながら、ヴィオは心中でため息をついた。


 ヴィオがこの招待に応じた理由は、エリー自身が作ったものだ。ヴィオが応じる事を確信した上での芝居がかったセリフは、ヴィオではなくてリチェルに向けた物だろう。

 

 かくいうリチェルはエリーの芝居に気付くこともなく、出された紅茶のカップを両手で持って口に運んでいた。


「……美味しい」

「本当に? 良かった! お気に入りの茶っ葉なんです」


 焼きたてなのでどうぞ、とエリーが焼き菓子の入ったバスケットをリチェルの方に勧める。


「スコーンです。イギリスで古くから食べられているパンの一種で、最近はアフタヌーンティーでよく見られるんです。お腹にたまるから、昼食は控えめで良いかもしれませんね」

「い、いただきます」


 エリーに押されて、リチェルがスコーンを手にとってまじまじと見たあと口に運んだ。

 その表情がパッとほころんだのを見て、ヴィオも笑みが溢れる。


 リチェルとヴィオが座っているのは、こじんまりとしているものの調度品が整えられた上品な部屋のソファだった。


 行き先を聞かれて、まだ昼食には早いから散歩に行こうとしていたのだと正直に言ったのはリチェルで、それなら、とエリーがカフェに案内してくれた。周到なことに、店に入るとすぐに奥へと通された。

 

 部屋は個室で、周りの物音で人払いがされている事が分かる。お茶と茶菓子を運んできた店員も用を終えるとすぐに部屋からいなくなった。


「接触が早すぎるな。いつから見ていた?」

「やだなぁヴィオさんは。姉様はともかく、ヴィオさんは偶然だって言っても信じてくれませんよね」


 お二人が駅に着いた時点で連絡を寄越すように伝えていたもので、と答えにならない返事をしてエリーは微笑む。


「あ、あの。エド……じゃなくて、エリー、くん?」


 リチェルがためらいがちにエリーに声をかける。リチェルに呼ばれてパッと顔を明るくすると『何でしょう姉様』とエリーが応じた。


「その、姉様っていうのは……」

「言葉通りですよ。リチェルさんは僕の異父姉弟に当たりますから。ほら、姉様。僕のことはエリーで良いです。エリーと呼んでください」

「う、うん。じゃあ、エリー?」

「はい」


 戸惑うリチェルとは対照的に、にこにこと笑うエリーは裏表もなく本当に嬉しそうだ。


「エリーは、ハーゼンクレーヴァーのおうちの跡取りなのよね?」

「はい」

「どうして違う名前でヴィタリに?」


 リチェルの疑問に、あぁ、とエリーが苦笑をこぼす。


「ちょっと野暮用が……いえ、そういう言い方は姉様に対して誠実じゃないですね。身内の恥を晒すようで恐縮ですが、実は最近内部から家の私財を持ち出した人間がいまして。その後始末をしていたんですよ」


 エリーの言葉にリチェルが目をぱちぱちと瞬かせる。リチェルにとっては預かり知らぬ世界の話だから当然だろう。


「ハーゼンクレーヴァーの前当主は確か美術に造詣が深かったな。私財というのは絵画を?」

「流石ヴィオさん。よくご存知ですね。はい、うちが絵画を集めているのは祖父に限らずもっと前からです。僕もそのお陰か絵を見る目は多少持っていまして。本当の美術商というわけではありませんが、偽装としてはあながち的外れな役ではないんです」


 エリーの言葉にヴィオは目を細める。


 あの時確か、エリーは絵画の買い戻しではなく本物へのすり替えを行っていた。私財の持ち出しの後始末だというなら、普通逆だろう。贋作の回収に行っていたのだから、単なる私財の持ち出しとは考え辛い。

 何より後継であるエリーが直接現地に向かっているのだから、きっとそれだけではない。


 ヴィオの思考を読んだのか、エリーがにっこりと笑う。

 それ以上話す気はないという意思表示だとくんで、ヴィオも突っ込まなかった。


「あの、エリー。もう一つ聞いていい?」

「はい、何ですか?」

「エリーは以前会った時、亡くなったお姉様がいらっしゃるって……」

「あ」


 エリーの表情が固まる。少し気まずそうに頬をかいて、だけどすぐにごめんなさい、と素直に頭を下げた。


「あれは姉様の気を引くための嘘です。いや、姉がいる事は事実なんですけど。他でもないリチェルさんが姉様だった訳で……」


 あまりに正直な告白にリチェルはポカンとしている。八重歯をのぞかせて申し訳なさそうに笑うと、エリーは『でも』と続ける。


「姉がいたことは幼い頃から知っていました。母様から聞かされていたので」

「おかあ、さま?」




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