op.14 春への憧れ(1)
「ヴィオお兄ちゃん!」
「リチェル姉ちゃん!」
元気な声と共に扉からリートとリリコが飛び出してきたのは、リチェルとヴィオがあと少しでトトの店にたどり着くその時だった。遠慮のない全力の突進に、衝撃を受け止めきれずにリチェルの身体がよろめく。
「きゃっ」
倒れる、と思った瞬間、寸前で後ろから大きな手がリチェルの身体を支えた。
「……大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫、ありがとう」
背後からヴィオに覗き込まれて、リチェルは少し頬を染めるとすぐに体勢を立て直す。
ヴィオが呆れた声で『お前ら出会い頭に全力で突撃してくるな』と叱ると、双子は全く悪びれない笑顔で『ごめんなさぁい』と謝った。変わらない二人の様子を見て、だけどすぐにおかしくなってリチェルはクスクスと笑う。
「二人とも私たちが来たのがよく分かったわね」
「歩いてくるのが見えたの!」
「驚かせようってリートと言ってたのよ!」
にこにこと笑う二人の後ろから『二人ともおかえりなさい』とロミーナが出てきた。その姿が制服姿でないことを一瞬不思議に思ったが、すぐに今日が休息日である事を思い出した。お店が休みなのだ。
「あれ、ソルヴェーグさんは?」
「ソルヴェーグは別件があってクレモナに残ってもらってるんだ。ここに寄ったのは何か連絡が届いていないか確認したくて。もしないようだったら、まだ宿を取ってないないからまた改めて来させてもらってもいいだろうか?」
ヴィオの返答に宿? とロミーナは首を傾げる。
早朝に出たのだが、カステルシルヴァに着く頃にはもう時刻は夕刻で、空は茜色に染まっていた。ヴィオの言う通り、一泊するならすぐに宿を見つけないといけないだろう。
だけどそれを聞いたロミーナはやだ、と笑い出す。
「ヴィオさんったら。そんな水臭いこと言わないで、うちに泊まればいいじゃない。リート君とリリコちゃんも二人が一緒の方が嬉しいわよね?」
「もちろん! 二人とも好きなだけ泊まっていってね!」
「リリコ、一応ここトトさんの家だよ」
「そんなの分かってるわよ! でもあたし今はニコロージの家の子だもん」
ぷいっと顔を背けたリリコにロミーナは『その通り』と笑う。
「父さんと兄さん今仕込み中なの。ちょっと呼んでくるわね。そういえば、何か手紙が届いてたような気がするし」
二人ともちょっと待っててね、と言うとロミーナはパタパタと厨房の方へ走っていく。
「ねぇ、聞いてヴィオお兄ちゃん。あたしじゃがいもの皮剥きとっても上手くなったのよ」
ロミーナがいなくなると、すぐにリリコがヴィオの手を引っ張った。『そうか、良かったな』とヴィオも柔らかい声で応じる。
リートが『ぼくも上手くなったんだよ』と笑ってリチェルを見上げてくるから、リチェルも『すごいわね』と笑った。
まだカスタニェーレを出て一週間しか経ってないのに、ロミーナや双子の空気がとても懐かしく感じた。ここはとても明るくて、温かい。リートとリリコの元気な声にたくさん元気をもらう気がして嬉しくなる。
カステルシルヴァの教会で、ヴィオが父の死を告げたあの日。
ヴィオがリチェルのそばで泣いたのは、ほんのわずかな時間だった。リチェルを離して、ありがとう、と言った時のヴィオの声音はもう普段通り落ち着いていた。
『リチェルのおかげで、気持ちに整理がつきそうだ』
そうヴィオは言ってくれたけれど、実際リチェルは何もしていない。ただそばにいることしか出来なかったし、あの時間で立ち直ることができるヴィオが強い人なのだと思う。
その晩ヴィオとソルヴェーグは夜通し話をしていたようで、結果的にソルヴェーグはヴィオの父の遺体を運ぶ手配のために、カステルシルヴァに残る事になった。
このままヴィオはソルヴェーグと別れて、リチェルをリンデンブルックまで送った後実家に帰る手筈だ。翌日は二人とも忙しそうだったから、リチェルはドナートの工房で手伝いをしていた。
そうして翌朝、つまり今日の早朝にカステルシルヴァを出てきたのだ。きっと大変だと思うのに、道中もヴィオの雰囲気は落ち着いたものだった。
ただ──。
「ヴィオ君、リチェルさん!」
「おー! 帰ったか。どうだった? ディルクさん見つかったか?」
と、アルとトトが二人して奥から出てきた。
トトの言葉にヴィオがかすかに笑って頷いた。
そうか、と破顔したトトにですが、とヴィオは続けようとしてリートとリリコをチラリと見る。リチェルもハッとした。流石に双子の前では話しづらいだろうと、二人を上へ連れて行こうと思ったのだけれど、場の空気を察したのか、ロミーナが先に渋るリートとリリコを奥へと連れていってくれた。
二人がいなくなるのを待って、ヴィオが事の次第を簡単に二人に説明する。ヴィオの父の訃報に、アルもトトも二の句が繋げないようだった。ただそれを告げるヴィオの口調は淡々としているが穏やかで、無理をしている様子にはやはり見えなかった。
「サルヴァトーレさんのお陰で父の行方までたどり着けました。本当にありがとうございます」
「や、お前そんな……っ。いや、俺ぁ、その……」
頭を下げたヴィオに、言葉が見つからないようで歯切れも悪くトトが口を濁す。だがやがて、ポツリと『そうか……』とだけ呟いた。
「いい人だったよ、ディルクさん。本当に……」
そんな事確認させるために教えたわけじゃねぇんだけどな、と頭をぐしゃぐしゃとかいて、ハァとトトは息をついた。
「残念だった、で済ませられる事じゃねぇな……。だがお前がそんだけ落ち着いてんのに、俺がうろたえる訳にもいかねぇな……」
よし、とトトが呟く。
「今からフルコース作るぞ! リチェルもヴィオもたらふく食ってけ! 飯を食わないと元気にならないからな! おらアル! お前いつまでぼうっとしてるんだ! お前も作るんだよ!」
「え、ちょっと! だって動揺くらい、す……」
「だからヴィオが落ち着いてんだからお前がメソメソすんな! 飯を、作れ!」
後頭部を思いっきり叩かれて、アルが『痛いよっ!』と声を上げる。
それでもやはり気になるようで、アルは恐る恐るヴィオを見ると『本当に大丈夫なの?』と遠慮がちに聞いた。
「あぁ。もう十分落ち込んだんだ。だから次のことを考えないと。それでサルヴァトーレさん、俺宛に何か届いてなかったでしょうか?」
ヴィオの言葉に『あぁ!』と思い出したように、トトが声を上げる。そして届いてたよ、とすぐに肯定した。
「ちょうど今日。二通」
その言葉にヴィオが目を瞬かせた。
「二通?」