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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第4章
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op.13 偉大な芸術家の思い出に(6)

『頭部の損傷による失血死でした』


 ベネデッティは、多くの医者がそうするように淡々と事実だけを口にした。

 今年の夏の初め、リコルドから少し離れた農村で看取った身元不明の男性がいたという話を、ヴィオはベネデッティから一通り聞いた。ベネデッティから聞いたその男性の特徴は、ディートリヒと共通していた。


 そばにいたジョヴァンニがヴァイオリンを演奏してくれたのはその人だ、とも教えてくれる。


 やがて戻ってきたアルフとソルヴェーグとも合流し、溺れたアルフを助けてくれたのがその人で、ヴィオとよく似ていたから逃げたのだと話を聞かされて、もう本人だとしか思えなくなった。


 それでも何か、父とは別人かもしれないという一縷の望みにかけて、ソルヴェーグとヴィオはアルフたちと一緒に村へと向かった。


 道中、ジョヴァンニが返事の有無に関わらず村の話をしてくれたのが救いだった。ヴィオもソルヴェーグも、そしてきっとアルフも、話をする気にはなれなかったから。あどけない声だけが、道中響いていた。

 

 村へ着くと、見知らぬ大人と一緒に帰ってきた子供たちをアルフの両親が驚いて迎え入れてくれた。ヴィオが手短に事情を話すと、母親と父親は目に見えて顔を曇らせた。


「すみません。急にお伺いして。でももし何か遺留品が残っているなら、本当に父かどうかを確認させていただきたいのです」


 ヴィオの丁寧な物言いに、両親は顔を見合わせる。やがて父親の方が『すみません、何も残っていないのです』とためらいがちに口にした。


 アルフを助けた男性は怪我をしたまま、アルフをおぶって村まで連れて来てくれて倒れたらしい。

 衣服は水を吸って重たく、また血に濡れていてとても残しておけるような物ではなかった、と父親が説明してくれた。村でも必死に看病したが、その夜には息を引き取ったという。ベネデッティが村に駆けつけたのはその直後だったという。


「身元を証明するものは何もなく、ジョヴァンニの馬鹿は名前すら聞いてなかった。どこの誰かも分からなかったのです。それでも息子の恩人だからと、せめてお墓はきちんと作らせて頂きました。謝っても謝りきれるものではない。それでも、本当に申し訳ありません……!」


 そう言って頭を下げるアルフとジョヴァンニの両親を、ヴィオはどこか現実でない光景を見るような心地で見ていた。

 まだ父だと決まったわけじゃないが、ここからどうやって本人だと特定すればいいのだろう。本人だと特定できなければ、少し事情はややこしい事になる。


 そんな事を、冷めた頭で考えていた。

 

「あの時のおじちゃんのもの、あればいいの?」


 その時、不意に下から声がした。ハッとしてそちらに目をやると、ジョヴァンニがことりと首を傾げてヴィオ達を見上げていた。


「おい、ジャンニ。お前いい加減なことを……」

「持ってるよ、ぼく。ヴァイオリン」

「……!」


 突然の申告に目を見開いた。

 両親も初耳だったのだろう。驚いたようにジョヴァンニを見つめている。父親の方が『お前何でそんな大事なことを言わなかった⁉︎』と怒鳴る。


「え、だって。誰も聞かなかったから……」


 どうして怒られたのか分からないのだろう。ジョヴァンニがビクリと身体をすくませる。


「兄ちゃんが川に落っこちた時にね、大事なものだから持っていて、っておじちゃんに言われたの。だから次会ったら渡そうかしら、ってぼく……」


 悪いことを言ったのだろうか、とオロオロとするジョヴァンニの様子にヴィオは息を吐いた。


(よりにもよってヴァイオリン、か……)


 その単語を聞いて、不謹慎にも笑いが漏れそうだった。


 遺体がすでに埋葬されていても。ヴァイオリンさえ残っていれば、ヴィオにはそれが父親のものかどうかは分かる。むしろ衣服や他の持ち物が残っているよりずっと、よく分かるのだ。


(分かったほうがいいに、決まってる)


 さっきも考えた通り、生死はハッキリさせた方がいいのだ。今後の家のことを考えても絶対に。

 だけど分からなければ……、と一瞬そんな思考がよぎってヴィオは軽くかぶりを振る。


 ゆっくりとジョヴァンニの隣にかがむと、ヴィオはジョヴァンニと目を合わせた。


「そのヴァイオリンを、見せてくれないか?」


 静かにそう口にした。

 ヴィオの真剣な口調をそのまま理解したのだろう。ジョヴァンニはうん、と頷くと家の中に入っていった。

 

 その後ろ姿を見送ってから、母親がヴィオ達を居間まで案内してくれた。ヴァイオリンを広げるのであれば玄関では難しいだろう、と思ってのことだ。礼を言って上がらせてもらう。

 しばらくしてジョヴァンニは小さな手には不似合いなヴァイオリンケースを抱えて戻ってきた。


「お前これずっと隠してたのか?」

「うん。だっておじちゃん、大事なものだからって」


 父親の声に怯えながら答えたジョヴァンニの手から、ヴィオはそのケースを受け取る。

 テーブルに乗せて、そっと中を開いた。


 

(────あぁ)



 別人であればいい、と思っていた。

 心のどこかで、そうではないかと願っていた。


 だけど手に取らなくても分かる。そのヴァイオリンは、どうしようもなく見覚えのあるものだった。ディートリヒが、持ち歩いていたものだった。


 ソルヴェーグの方を振り返ると、ソルヴェーグも分かったのだろう。ゆっくりと頷いた。


「……どう、でしょう」


 震える声で、母親が尋ねる。その声に『父のもので間違いありません』とヴィオは淡々と返した。


「そうですか……、そう……。本当に、申し訳ありません……。何と言っていいか……」


 母親が顔を覆う。その肩を父親が抱いて、怯えたように頭を下げた。


「私の方からも、謝罪しか出来ませんが、本当に申し訳ありません。愚息を助けていただいて……、そんな立派な方だとは知らず……」


 父親の言葉に遅まきながら気付く。

 この父親はヴィオとソルヴェーグの服装や関係性を見て、ヴィオの家が裕福な家だと判断したのだろう。もしこれで息子の事を槍玉に上げて父親の死を追求されれば、小さな村の家族にはひとたまりもない。


「……いえ。息子さんを助けたのは父の意志です。貴方方を責める気はありません。ここには本当に父本人かどうかを確認したくて来ただけです」


 ヴィオが敢えてそう答えると、二人は謝罪を繰り返しながらも明らかにほっとした様子だった。その事に少しだけ気持ちが逆立つのを感じたが、すぐに鎮める。仕方がない。まず自分たちの事を考えるのは当たり前のことだ。


 『君もありがとう』とヴィオがジョヴァンニの頭を撫でると、ジョヴァンニがくすぐったそうに目を細めた。


「このヴァイオリンは持って帰るが、かまわないか?」

「うん。だって、おじさんの大事なものなのでしょう。おじさんが大事なお兄さんが持ってかえるといいと思うよ」

「ありがとう」


 ヴィオは小さく息をつくと、後ろで言葉もなく控えるソルヴェーグを振り返った。


「ソルヴェーグ。せめて遺体を連れて帰りたい」

「承知しております。村長の方に話をしましょう。お二方、お手数ですが村長の家に案内をして頂いてもよろしいでしょうか?」

「えぇ、もちろん」


 震える声で父親が肯定する。

 その時だった。ずっと黙って話を聞いていたアルフが小さな声で、母ちゃん、とこぼした。


「……俺に、あの人、帰ったって……」

「……っ」


 うつむいたままアルフが発した言葉に、母親が息を呑む。どうして……と押し殺した声で発したアルフの肩をソルヴェーグがそっと掴んだ。


「きっと母君は君が傷つくのが分かっていたから、嘘をついたんですよ」

「……っ、わかってるよ! でも!」

「やめろ、アルフ! お前は助けてもらった立場だろう⁉︎ 余計なことを言うな!」


 父親が焦ったようにアルフを叱りつける。

 その声音の焦燥感に、保身が見え隠れするのをヴィオは責める気はない。この父親は父親なりに家族を守ろうとしているのだと分かるから、尚更。だけどいい気分はしなかった。


「……だって、でも……っ」


 アルフはぐっと唇を噛んで、今度は恐る恐るヴィオの方を見上げた。かすかに肩を震わせながら、アルフが小さく首を振る。ごめんなさい、と弱々しい声が呟いた。


「じいさんも、兄ちゃんも、ごめんなさい……っ。大事な人だって、俺……」


 はしばみ色の瞳から涙がこぼれ落ちた。


「────」


 その雫を見た瞬間、今までずっと現実感のなかった景色が色を変えた。遠くから見ていた現実に、引き戻された心地がした。


 この子は、本当によく知りもしない父の死を悼んでくれているのだ。

 ただ純粋に。


(……父上なら、何と言ったのだろうな)


 そう考えて、苦笑が漏れた。

 あの人は優しい人だった。アルフが足を滑らせて川に落ちた時も、きっと前後のことなど考えなかったのだろう。我先にと、身体が動いたのだろう。


「アルフ」


 名前を呼ぶと、おずおずとアルフが顔を上げる。


 アルフが溺れた状況は分からない。

 だけど今の言葉からきっと、アルフは自分のせいだと思っているのだろう。だとしたらこの少年がずっとその責を抱えて生きてくことを、父はきっと望まないだろうから──。


「父は多分お前を助けたことを後悔していないよ。結果が分かってても、きっと同じことをしたと思う」

「……え?」

「だから責任を感じる必要はない。俺も、誰もお前を責めないから、どうか今まで通り弟の事を大事にして、よく両親を助けてやれ」


 そう言うと、アルフは目を見開いた。

 その瞳に新しい雫が溜まって、またすぐにこぼれ落ちる。下を向いたまま嗚咽をこぼすその肩を母親が抱いた。


 そうして父親と共に、黙ってヴィオにもう一度深く頭を下げた。






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