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【完結】Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー  作者: 原案・絵:若野未森、文:雪葉あをい
第4章
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op.12 月に寄せる歌(9)

 気付けばもう窓の外の太陽は随分と傾いていた。それでも窓から差し込む光はあたたかい。ずっと話し続けていたからだろう。少し疲れたようにドナートは息をついた。


「そこから二週間後だ。お前さんが工房の前に捨てられていたのは」


 早朝に工房の職人が見つけたのだという。身元を証明するものは何一つなかったのに、ミケにはすぐにそれがリゼルの子どもであると分かったのだとドナートは言った。


「その後ミケは誰にも何も告げずにお前さんを孤児院へ預けに行って、一人で帰ってきた。真面目な奴だったからな。あの時は随分と騒ぎになったし、これ以上迷惑をかけられないと思い詰めたんだろうな」


 働き詰めで、死ぬまでの五、六年はずっと身体を悪くしていたのだという。


「勘違いしないでやってくれ。アイツはお前のことをずっと引き取りたかったんだ。本当にそれだけの為に身を粉にして働いてたんだ。だけど元々そんな丈夫でもなかったから身体を壊しちまって、それでも働き続けて、そのまま……」

「…………」


 もうずっと、涙を堪える事ができなくて、リチェルは何度も目元を拭っていて、唇は結んだままだった。何か言葉を発したら溢れてしまいそうだった。


「お前さんの孤児院に、ミケが死んだことを伝えたのは俺だ。いよいよダメだって時に、ようやくミケがお前を連れて行った場所を吐いた。工房の連中は誰も知らん。引き取ろうとしなかったのは俺だから、ここにいる連中は誰も責めんでくれ」

「……そんな、ことっ」


 言葉をこぼした瞬間、雫がこぼれ落ちた。

 そんなこと、ある訳がない。


「……ありがとう、ございます」


 何を言っていいか分からなくて、頭をただ下げた。ポトポトと落ちる雫が、服に大粒の染みを作っていく。


「辛い話を、教えてくださって、ありがとうございます」


 それから、何よりも──。


「父と母を、守ってくださって、ありがとうございます……っ」


 ドナートの話は淡々としていて、ドナートが父と母をどんな風に思い話してくれたのかは分からない。だけど、話の端々からどう考えてもドナートが便宜を図ってくれないとどうしようも無い事柄がたくさん見てとれた。


 たった一つも、何かをしただなんてドナートは言わなかったけれど、それでもきっとこの人は父と母を守ってくれていたのだ。


「──守れて、ねぇよ」


 小さな声でドナートが呟いた。


「……守れんかったよ。俺は」

「いえ。いいえ」


 何度もリチェルは首を振る。そんな事は絶対ない。

 だってこの工房の人たちは──。


「朝から、この工房の皆さんと少しずつお話をさせて頂きました。みなさんとても優しかったです。わたしに、とても優しくしてくださいました」


 そんな大騒動が起きていたなら、リチェルの父親は邪魔者扱いされてもおかしくなかっただろう。だけどこの工房の人達は誰一人として、リチェルの父と母を悪く言わなかった。彼らがリチェルに優しいのは、最後まで父にも優しかったと言うことだ。


 父が最後までこの町にいたのは、ドナートが父を看取ったと言うことは、この場所が父にとって大切な場所だったということだ。


「それがきっと、ドナートさんが父と母を守ってくれた証拠です」


 人一人の手で出来ることはとてもささやかなものだ。理不尽な出来事は時に嵐のように暴力的で、人間の手にはあまるばかりだ。だけどその中で、ドナートが精一杯父と母の存在を守っていてくれたことだけは確かだった。


「ドナートさんを責めるなんて、絶対にありません。お話ししてくれたことはきっと忘れません。感謝しか、ありません……」


 そう言ってリチェルは深く頭を下げる。


 聞いた話はとても温かで、幸せで、とても残酷だった。

 胸が痛くて、どうしようもなかった。だけど思い出の中の父と母の日々は幸せだったのだろう。そんな父と母のそばに、こんなに素敵な人がいてくれた事がとても嬉しかった。


 お前さんは、とぽつりとドナートがこぼす。


 

「お前さんは、幸せだったか?」



 いや、孤児院に捨てられた子どもに聞くことじゃねえな。とドナートは自分に言い聞かせるみたいに呟く。忘れてくれ、とボソボソと呟いたドナートに、リチェルは小さくかぶりを振って、笑みを浮かべた。

 

「はい、幸せです」

「…………」


 ドナートが顔を上げる。


「今日こうして、お父さんとお母さんの話を聞くことができました。二人に望まれて、産まれてきたのだと知る事ができました。それは知らないことよりずっとずっと、幸せなことだと思います」


 少しの沈黙の後、ドナートは掠れた声でそうか、と呟いた。

 きちんとした質問の答えにはなってないかもしれない。だけどきっと伝えるのはそれだけで良いのだ。今幸せかどうかだけで、十分だ。


 ドナートもそれ以上は聞こうとはしなかった。


「最後に一つだけ、教えていただけませんか?」

「あぁ、俺が知ってることなら」

「母の本名を」


 ドナートが小さな目を細めた。

 リーゼロッテという名前は先ほど聞いた。だからリチェルが聞いたのがファーストネームではないことは、ドナートにも分かったのだろう。


「知ってどうする?」

「……分かりません」


 貴族だということは分かった。

 しかもリーゼロッテを連れ戻した時の話を聞くと、随分乱暴だったことも。きっと聞いてもリチェルには何をする事も出来ない。だけど──。


「でも、知らずにいるより、知っていたいと思うんです」


 何が出来るか分からなくても、知らずに生きて行くより、知ってどうするかを決めたい。それはラクアツィアに言った時から、リチェルの中に確かに芽生えたリチェルの想いだった。


 ドナートはリチェルの目をじっと見たまま沈黙していたが、やがてフッと力を抜いた。


「お前に見つめられると、ミケとリゼルの両方に見られている気分になって落ち着かん」


 苦笑をこぼして、懐かしいな、とドナートが呟く。


「お前はミケ似だな。ミケはおっとりしてて、滅多に怒らない奴だった。細やかで良く気がつく男でな。他人のことばかり考えてた。みんなアイツが好きだったよ。お前の目は、リゼルよりちょっと柔らかいな。ミケと同じ、優しい目をしてる」


 とつとつと、ドナートが語る。


「リゼルは初めて会った時から物怖じしなくてな。俺のことを誰も呼ばないファーストネームで呼んでいたよ。オトさん、オトさんってアヒルの子どもみたいに俺の後ろを付いてくるんだ。可愛かった。娘ができたみたいだった。性格はお前とは正反対だな。だけど容姿はそっくりだ。正直、今もリゼルが帰ってきたような気分になるよ」


 目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出すとドナートは『ハーゼンクレーヴァーだ』と告げた。


 

「リーゼロッテ・フォン・ハーゼンクレーヴァー」



 それがお前の母親の本名だ、とどこか疲れたように、ドナートは吐き出した。








明日は区切りの都合で2話分更新します。

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