心を紡ぐ
女の子が空から降ってきた。その台詞が頭に浮かび、ジブリで有名なシーンを思い出した。伊坂幸太郎の作品にも、冒頭そんなフレーズで始まる物語があった。
私の目の前に落ちてきたのは、ぬいぐるみ。大きさ二十センチほどの二頭身でつぶらな瞳、手足はまん丸、体はふっくらとして手触りも良さそうだ。その茶色の物体は、確か「おさるのジョージ」といったはず。
頭上を見上げると、三階のマンションのベランダから前屈みに下を覗く小学六年生の女の子と目が合った。話したことはないけれど見知ってはいた。時々道ですれ違うこともあったし、一人で歩く女の子を一方的に気にかけていた。
夕暮れ時、西日の影に隠れた女の子の顔は、泣いているように見えた。私と目が合った瞬間すぐに引っ込んでしまったので、はっきりと認識はできなかったけれど。
落ちていたジョージのぬいぐるみを拾い上げる。冬の晴れ間が続いていたおかげでそんなに汚れてはいなかった。ほんの少しついた砂ぼこりを払うと、首の付け根がほつれて綿が見えていた。女の子がわざと捨てたものなのだろうけど、取りに来る様子がないので私はそのまま持ち帰ることにした。そして首のほつれを糸で縫った。全く同じに戻ったとはいわないまでも、下手ながらに少しは綺麗になったと思う。汚れも濡れた布巾で落とし、直ったぬいぐるみを持ちながら手放さなければならなかった女の子の気持ちを思った。
翌日、学校は休みだったのでそのまま女の子の家に向かった。どうやって渡そうか逡巡しているうちに朝早くから女の子がマンションの出入り口から出てくるのが見えた。私はホッとして、下を向きながら歩く女の子を呼び止める。
「おはよう」
無言で驚く彼女に昨日のぬいぐるみを差し出し、
「よけいなお世話だったと思うけど」
と言って私は直したものを見せた。女の子は思わずといった感じで受け取り、胸に抱く。「なんで?」と問われて「私もジョージが好きだから」と答えた。
もっと気のきいた優しい言葉の一つでもかけられたらいいのだが、笑顔すらつくれずに私は無表情にそわそわとしているだけだった。
ぬいぐるみの所在が心配で朝早くから探しに来たのだろう。とても優しい子だ。
あの母親に、来年中学生になるのだから子供っぽいぬいぐるみは捨てろとでも言われたのかもしれない。壊れたところを直そうとしていたのかは分からないけれど、それがきっかけか、少女の鬱屈は外に大切なものを投げ出してしまうくらい溜まりに溜まって爆発してしまった。教育熱心なあの女のことならやりかねないと思ったし、干渉と期待が正しく作用されなかった結果がこのように現れていたことに不憫さを感じた。
私の家族を壊したあの女に復讐するつもりはない。ただあの女の被害者を減らしたかっただけだ。どうせあの父親はまた見て見ぬふりだろう。私はこの子をここから連れ出して、外はもっと広いんだということを教えたかった。私は遅かったけれど、この子はまだ間に合う。
ただの小娘、中校生の私に何ができるか分からない。だけど一人じゃないってことはとても強いはずだから。
朝日を背に、ぬいぐるみを抱く女の子を見ながら、せめて風避けになってあげられたらと思った。ほつれた糸はまた新たな糸で縫えばいい。そうやって私は彼女の隣に何度でも立ち、救い上がる可能性の助けになりたい。
そうすればきっと私自身も飛んでいける気がする。
朝の澄んだ風が二人の間を通りすぎる。枯れ葉の音がカラカラと優しく私たちを包み、それに混じって「ありがとう」という言葉が耳に届いた。冷たい手はぬいぐるみがあたためてくれるだろう。今度は自然に笑うことができた。