ミラレタ
これは、オレが病院に入院していた時の話だ。
当時オレは、消灯時間が過ぎた後を狙って、毎日のように病室を抜け出していたんだ。
理由? そんなの決まってるだろ。暇で暇で死にそうだったからだよ。あわよくば幽霊にも会っちゃったり、なーんて馬鹿馬鹿しいことも考えてたな。
でも実際、夜の病院ってのはすごく不気味なんだ。静かで、暗くて……音もよく響いて。何度か自分の足音にビビったりしちゃったな。そんなんだから、いつ幽霊が出てもおかしくはなかったんだ。
それで、だ。ついに現れたのさ。……幽霊が。
部屋とか何もない長い廊下を歩いてたら、いつの間にか目の前にいたんだよ。知ってるか? 人間、本当に驚いた時は頭が真っ白になって、そのまま立ち尽くしちまうもんなんだ。時間にして30秒くらいは固まってたな。
ただ、相手もオレと同じで人間かも知れない。これまたオレと同じで、深夜の散歩が趣味の奴かも知れない。そう考えたから、ようやく重い口を開けたんだ。
「こんばんは」
ってな。できるだけ気さくに、だ。
挨拶をしたら、緊張もほぐれてきて、相手の見た目とかも分かるようになってきたんだ。性別は女。真っ白いワンピースに、顔が半分くらい隠れるくらい長い前髪。髪の色はもちろん黒で、ロングヘアーだった。
……やばいと思ったね。いかにも幽霊みたいな外見をしているのもそうだが、どうして相手の姿を事細かく説明できるんだ? ここは真っ暗な廊下だぞ?
たぶんオレは、そいつのことを目で見ていたんじゃないんだ。何かこう……第六感的なもので感じていたんだ。つまり目の前にいるのは、この世ならざるもの。つまり幽霊ってこと。オレが幽霊に会ったと理解したのは、このタイミングだ。
すぐに逃げ出そうと思った。だが、足がすくんで一歩も動けない。するとだんだん恐怖心よりも、肝心なところで何もできない自分への苛立ちの感情の方が大きくなっていった。そうして取ったオレの行動は、今にしてみれば狂っていたと反省している。
「おい、幽霊。な~~んでオレが挨拶してやったのに一言も返さねえんだコラ」
そう、オレは怒りを幽霊にぶつけたのだ。しかも、すんごくショボい理由を付けてだ。仕方ないだろう、オレが身動き一つ取れないでいるのに、相手は徐々に近づいてきていたんだからよ。何かアクションを起こさなければ、絶対に呪われてたね。
だが、幽霊は歩みを止めず、ついには手を伸ばせば届く距離まで詰めてきやがった。だからオレは手を伸ばしてやった。幽霊の頭を鷲掴みにしてやったのだ。
「おいコラ。前髪で顔を隠しやがって。ちょっとその顔、見せてみろ」
オレはそう言って、幽霊の前髪をかき分けてみた。
「う、うおッ!」
思いっきり叫んでしまった。どす黒く血走った左目はぎょろりと見開き、もう片方の右目はぐちゃぐちゃに潰れてた。直後、オレの脳内に、喉からひねり出したような女の声が聞こえてきた。
「ミラレタ……ミラレタ……」
「オマエノコトモ……ミテヤル……」
喋っているのはどう考えても目の前にいる女の幽霊だが、声が何重にも重なって複数人に話しかけられているようだった。
そこからの記憶はない。次に目を覚ました時、オレは病室のベッドの上にいた。周りに患者はいなくて、やたらと埃っぽい部屋だった。後から分かったことだが、その部屋は不審死が相次いだとかで現在は使われていないらしかった。
オレがなぜその部屋にいたのか。自分でその部屋に行ったのか。はたまた幽霊に連れて行かれたのか。それは未だに謎だ。
…………
……
「はい、オレの話はここまでだ。どうだ、怖かっただろ」
オレは数あるろうそくの火を一つだけ吹き消し、友人に感想を求めた。
「ああ、怖かったぞ。あんな嘘っぱちを、さも自分の体験談のように堂々と語れるお前の度胸がな」
「あー! 全然信じてねーな!」
「そう言うなら証拠の一つでも出してみろよ」
「……証拠? そうだ、証拠ならあるぞ」
「なにっ!?」
「言い忘れてたけど、いつの間にか動画を撮ってたみたいなんだ。幽霊に出くわした時のな」
そう言ってオレはスマホを取り出した。この中には例のシーンが保存されている。自分でも言った通り、動画を撮影した記憶はまったくない。無意識の行動だろうか。今思えば、所々記憶があやふやなので、幽霊にカメラを向けていたことを忘れていたんだろう。
再生ボタンを押してみると、そこに映っていたのは暗闇と、それから――
『こんばんは』
『おい、幽霊。な~~んでオレが挨拶してやったのに一言も返さねえんだコラ』
一人で何もない空間に向かって喋っている、哀れな男の横姿だけだった。幽霊の姿も声も、そこには映ってなどいなかった。
「プフッ! こ、これが……しょ、証拠だって?」
「おかしいな。前見た時はちゃんと幽霊の姿が映ってたのにな」
「はいはい。そういうのはもういいから……ん?」
友人は、何か引っかかりを覚えて、画面を食い入るように見つめた。
「どうした」
「これ、誰に撮ってもらったんだ?」
「はぁ? オレが撮ったに決まってんだろ」
「いや、それはおかしい。お前が撮ったなら、お前自身の姿は映らないはずだ」
「……あっ」
全身に悪寒が走った。嫌な予感がして、動画が終わるのを待たずに終了させた。するとまた一つ、新たな動画が保存されているのに気がついてしまった。さすがにオレは手が震えてしまい、代わりに友人に再生ボタンを押してもらった。そこに映っていたのは――
『これは、オレが病院に入院していた時の話だ』
嬉々として怪談を語るオレの姿だった。
周りのろうそくの火が、無数の血走った目玉のように赤黒く揺らめいていた。
オレも友人も血の気が引いてしまい、怪談はここでお開きとなった。
……それからというもの、オレは常に誰かにミラレテいる気がしてならない。