Q:あなたの家族構成を教えて下さい。 A:お父さん、いっぱい。お母さんも、いっぱい。お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹は、数えきれないくらいいるよ。でも、あと3年したら、一人ぼっちになるの。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
一視点からの見解に終始した内容となっております、極端な考え方より気分を害される方もおられるかもしれません。また、当内容を肯定するモノでもありません。予めご了承ください。
「以上、現場からのレポートを終わります」
「はい、ありがとうございました。スタジオに戻ります。さて、児童虐待、育児放棄の問題から始まった児童育児集団管理法が施行されて30年がたちますね。馬場葉芭さん」
「そうですね。21世紀初頭に児童虐待が問題視されました」
「いったんCMを挟みます」
□ □ □
「当時は、多くの議論がなされたと聞いています。『そもそも、今の社会では育児を行う能力を、私人が習得することが困難』といった声もあったそうですね? 馬場葉芭さん」
「そうなんです。その背景には、核家族化や、個人情報管理の高まりがありました」
「そうでしたね。では核家族化から確認してみましょう」
【核家族化と男女平等の社会進出】
「馬場葉芭さん。核家族化が進んだ結果、育児経験がある両親。または、親類との同居をしない事が当たり前になりました」
「そうですね。それが理由で、育児ストレスや、育児パニックが起き易くなった。と、唱える方は少なくありません」
「この場合の【理由】は、何を指しているんでしょうか?」
「育児の先達者。先生・先輩にあたる存在――つまり自身を育てた親・親戚が近くに【居ない】事だと言われますね」
「【居る】【居ない】ですか。その言い方ですと、核家族化はもっと別の問題をはらんでいた。と、聞こえますが」
「その通りです。男女雇用機会均等法等の【男女が平等に働く機会を確保する】といった当時の世論が、核家族化での育児の限界を見せつけた。私はそう考えています」
「共働きは、核家族化の元では難しかったと言う事でしょうか?」
「一日の中で、人に与えられた時間は決まっています。増えたり減ったりしません。その時間を二人の、あえて“夫婦”と言いますが。夫婦の、または、個々人の時間として使ってきたわけです。そこに子供を授かった事で、育児という新しいカテゴリーを組み込む事になります」
「つまり、自身の時間。働く時間。に、育児の時間が加わった事で、自身の生活時間の配分の必要が出来た?」
「そういう事です。ただ、祖父母等の親類との同居があった場合、その子供――つまり育児をする自分自身達はすでに独り立ちしていて、祖父母は現役を引退しているケースは多いですね。その為、育児について時間に余裕の出来た祖父母の協力を得る。といった事が一昔前ではよく見られた光景でした」
「核家族化になって祖父母との同居が無くなった。それが育児協力という時間の援助が受けられなくなった」
「突き詰めれば、同居をしていなくても、祖父母宅に子供を預ける。または、祖父母が通うという事でも可能ですが、同時期に多発した【高齢者による運転操作ミスによる巻き込み事故】が、この“通う”をためらわせました」
「なるほど」
「21世紀初頭において、託児所や保育園の存在が重要になったのですが、その必要数に達しない事による【待機児童】が大きな課題になりました」
「子供の面倒をお願いするにも、親族はその場に居ない。代わりとなる保育園は足りない。どうにもなりませんね」
「そして、これが児童育児集団管理法の施行理由の一つとなる【育児放棄】につながっていきます」
「それはどういう事でしょうか?」
「育児とはある意味閉鎖的な環境下で行われる行為です。男女ともに社会進出を当然とする今、男性は過去より社会で働く事が当然だった故に。女性はその地位を獲得したが故に。乱暴な言い方ですが、社会活動の権利を放棄する事を良しとしない思いが、現代人にはどこかしらに潜んでいます」
「それが、育児放棄につながると?」
「そうです。育児が発生した際、時間の再分配――人生の時間割を【変える】【変わる】事を認識・覚悟していると自他ともに考えるのですが、実際はそうではない。若しくは、そうでは無くなってしまう事が多かったんですね」
「私も、覚悟を決めたつもりがその場になると――といった苦い思い出があります」
「特に、その当時は【働き方改革】といった個人の充実が注視されていました。この個人の充実の中には、残念ながら【育児】は含まれていなかったようです」
「つまり、【プライベート】【仕事】そして【育児】といったカテゴリーがあり、【仕事】と【プライベート】に目を向けた反面、【育児】から目がそむけられた。という事ですね」
「そうです。中には熱心に【育児・教育】をされた方も勿論もおられました。ただ、私からはそれは【育成という仕事】をしているように見えます」
「育成ですか?」
「スポーツ選手、芸能界での活躍。そういった子供の夢を叶える。といった横で、それをプロディースする自分。という事です」
「なるほど。そういう捉え方もある訳ですね」
【インターネットという情報社会】
「先のような結果、何かあった時に気軽に聞ける相手がいない。と、いった事が起きやすくなったわけです。体調に関わる事ならその都度、救急や病院にそれを問い合わせても良いかもしれませんが、あまりに気軽に行われてしまうと、救急も病院も機能マヒを起こしてしまいます」
「たしかに、『ゴキブリが出た』と警察通報する。といった案件は、未だに耳にしますね」
「そうですね。そう言った事の代替えとしてインターネットなどの情報媒体は有効なのですが」
「が?」
「インターネットの普及に伴う多量の情報習得のしやすさが、より専門職――この場合、育児・教育ですが。を、求める事につながりました」
「えっと、情報を多く簡単に知ることが出来るのなら、逆に、この場合、育児・教育ですが。核家族化へのフォローになるのではないでしょうか?」
「問題は【多くの情報】というところです」
「多いのが問題なのですか?」
「そうです。どの子も個性があります。【個性】と言う言葉は非常にあいまいで、そこを別の言葉で言い直した場合、子供の【年齢】【体調】【性格】は当然として、その親の【年齢】【体調】【性格】。さらには親自身の【被育児経験】や【収入】。育つ土地の【気候】【風土】。育つ家の【家族構成】【生活環境】等、これらを一言で【個性】と表現してしまっているわけです」
「言われてみれば、【個性】と言う言葉で理解しているつもりになってしまいますが、例えるなら【個性】という看板を見て入ったお店の中には、自分が思っていたものだけじゃない。それどころか、それすらも無かった可能性があると言う事ですよね」
「もし、その【個性】を構成する全てを理解したとしても、今度は手に入れた情報が、自分にあった情報なのか。それを吟味する能力が必要になるわけです」
「なるほど。ただ、知るにしても知る準備――勉強が必要と言う事ですね」
「しかもですよ。こっちでは、こう。あっちでは、ああ。と同じ事を取り扱っているのに、内容が違う事は多々あります」
「そうなんですよね。あれは、困ります」
「その中には、ウワサ程度やフェイクの情報も入ってくるわけですよ」
「困りましたね」
「そうすると、何を信じていいのか分からないわけで。もし独学でそれらを修めた場合、それは既に職業として成り立つレベルと言う事です」
「たしかに、そこまで詳しくなれば、『手に職』というより、本業ですよね」
「ならばいっそ専門職に任せた方が良いのでは? そもそも両親とは言え、育児を素人が行って良いのか? という論調が起こり始めたわけですね」
【専門職の不在】
「話は変わりますが、【個人情報の管理】はどのようにかかわってくるのでしょうか?」
「当時、【アポ電詐欺】や、【オレオレ詐欺】等の犯罪において、個人情報は必須でした」
「返事に困りますが、そうなりますね」
「その為、個人情報の管理について、多くの国民が気にするようになるのは当然です」
「知らない人が、いつの間にか自分の情報を握っている。恐怖を覚えますね」
「私もそう思います。そんな中、いくつかの事件が発生したんですね」
「事件ですか?」
「一つは、通学路の見守り活動を行っていた住民が、その見守る対象を監禁・暴行・殺人をした事件」
「今聞いても、痛ましいですね」
「これは今ではもうありませんが、当時ランドセルや体操服には大きく氏名を書く習慣があり、それを読み取ることで住居等を特定したとあります」
「以前は色んな色のランドセルがあったそうですが、今は個人の特定をさせない為。と、黒一色になっていますよね」
「そうですね。当時は自分と他人とのを間違える。と非難があったそうですが、全部同じつくりですから、入れ替わっても問題ないんですが、その考えに至らない方が、当時は一般的だったみたいです」
「そして、当時の児童相談所でも問題があったんですよね」
「【情報漏えい】と【対応の懈怠】です。保有した情報を加害者自身に漏えいした。警察からの同行要請に、時間外だからとソレを拒否した」
「馬場葉芭さん。悲しいことにどちらの事件も幼児が死亡しています」
「たしかに、所員も自身の生活があります。しかし、その業務の性質上、救急とまではいきませんが、突発的な事案への対応は備えて置くのは当然ではないでしょうか?」
「その気構えが、無かったんですか?」
「当時よりそれ以前。児童相談所は文字通り相談するところで、児童の物理的な保護をする行政機関としての認識は、自他ともに薄かった。と、当時の資料より読み取れます」
「えっと、行政なのですよね? ボランティやTPO団体ではなく?」
「そうです」
「えっと、どう言えば良いのでしょうか」
「私も思う処は有りますが、意見は差し控えさせていただきます。当時の行政は、人員不足を訴えていました」
「当時は従事者不足で、コンビニや24時間の飲食チェーン店が閉店に追い込まれたとあります。相談所もやはり。という事でしょうか」
「ただ、人員不足といっても、そもそもの内容が異なります」
「内容ですか?」
「『看護師が足りない』と『保育士が足りない』と言って、ただ素人をそこに補充しても仕方ない。そういう事です」
「つまり、当時の相談所はその業務の専門家――プロがいなかったと?」
「居なかったとは言いません。しかし、専門の学習機関は存在していませんでした。その技術や知識は個人の資質に頼る所が強く、気持ちがあっても行動できない。またはその活動実績が不透明な処から、個人が手を異抜いても分からない。といった問題があったんです」
「たしか、基本一つの案件にはチームで対応するとの事でしたが、実際は個人が受け持ち、他は他で受け持ちがある為、応援を求めることが出来なかったようですね」
「そうです。所長に至っては、『自分時もそうだった』と、経験からの業務の改善を行うどころか、今度は自分が楽をする番とでもいうような人物もいたらしいです」
「ただ、その横で、努力を続けた所員もいたわけですよね」
「もちろんです。当時の行政は児童相談所が、児童虐待という犯罪の防止・抑止・発見をする部署との一面をあえて見ないようにしていたのではないかと疑ってしまいます」
「と言っても、警察ではないわけですよね」
「その通りです」
「かと言って、育児相談を実施する為の専門学校が出来たとしても、今は解消されましたが当時の【待機児童問題】のように、いくら人がいても足りない。もし足りたとしても、今度は児童の減少から維持が出来ない。といった問題がでてきますね」
「そうです。それらを払しょくする為に出来たのが、【児童育児集団管理法】ですね」
【学校という教育の勘違い】
「『三つ子の魂百まで』と言う古い言葉があります」
「突然ですね。馬場葉芭さん」
「これも【児童育児集団管理法】の成立の要因なんですよ」
「どういう事でしょうか?」
「先に結論を申し上げると、小学校などの学校教育に【躾け】が含まれる。と、勘違いする親の増加が問題に拍車を掛けました」
「【教育】は、【教え】【育てる】という意味ですから、間違っていないのではないでしょうか?」
「まったく含まれないとは私も思いません。しかし、【遅すぎる】事と、【思い込み】が問題になるんです」
「二つの理由を提示されましたが、まずは【遅すぎる】からご説明いただけますか」
「簡単な話で、小学校に入学する頃には幼いながらも【モラル】や【マナー】は既に形づけられていて、それは強固です。それを学校で直せと言われても、程度が知れています」
「そうなんですか?」
「ペットを引き合いにだして申し訳ないですが、【ペットトレーニング】というのがあります。ペットを飼う際、飼う前に必要な【躾け】をプロに任せ、トイレ等の飼われるのに必要なスキルをペットに身につけてもらう事を目的として行われますよね?」
「私の知人は自分で躾けるからと、頼まずに犬を飼い始めたんですが、家のどこでも粗相をして困る。言う事を聞かない。と嘆いていますね」
「成犬になってからも、ドッグトレーナーに預ける事は出来ますが、一度しみついたモノをそぎ落とすのは、大変だそうです」
「ただ、この理屈ですと小学校に上がる前に十分な【モラル】【マナー】を学ぶ機会を意識したら済むように感じますが?」
「そこに【思い込み】が関わってきます」
「それはどのようなモノでしょうか?」
「率直に言えば、幼少期の託児所や保育園を、同居する祖父母や親類と、互換する存在と間違えたわけです」
「間違いですか?」
「当初の核家族化の問題と重複しますが、核家族化によって幼少期の育児は自身または両親が行わなければいけなくなりました」
「ただ、働く事との時間のやり取りが難しい。それを補う為に託児所、保育園が出て来たわけですよね」
「そうです。問題はその【補う】と言う処を、親族の【代わり】と誤認してしまった」
「十分に【代わり】となると思いまずが?」
「『お金を払っているんだから』という方を、よくよく耳にします。ただ考えて欲しいんですが、託児所・保育園を【ペットトレーニング】のような【躾け】を目的として預けているのか? と言う事です」
「確かに【躾け】が目的かと言われれば、それだけではないですね」
「危険が無いよう子供の生活を預ける。その過程で【躾け】もお願いしたい。そんな感覚だと私は考えています」
「そう……ですね」
「【その過程】という程度を【必須】と考えてしまったわけです。確かに、祖父母や親類が同居しているからと言って、必ずしも【躾け】が出来るわけではありません。が、普通に考えて、託児所・保育園よりは、幼児一人当たりに配られる注意が圧倒的に集中されるのは間違いありません」
「特に【自分の家の子】という考え方が根強くあった当時では、そうだと思います」
「人間は、比較でしか物事を認識できません。学校では、勉強――考え方の習得の他、複数の同年齢者と比較して、自身の現状を認識する事が目的なのだと。私は考えています」
【児童育児集団管理法】
「まず、育児は専門的な知識・技術を必要とする行為であり、それを成すための資格を有するべきである。とした処からですね」
「馬場葉芭さん。国民は、生まれるとすぐに、自治体が運営する育児・教育施設。通称【センター】に預けられます」
「これによって、子供を産んだ後、その両親は育児に時間を割かなくてもよくなったわけですね」
「そうですね。だいたい市町村あたり一施設児童〇歳から一五歳まで、八千人程度の規模で運営され、生活支援だけでなく、学校としての教育。健康面を意識した小児科病院も兼ねるモノとなりました」
「確かに、子供がそこで生活をするのなら、学校や病院を点在させる意味は、薄いですよね」
「そうです。これは思わぬ効果を生み出しました」
「どのような事でしょう」
【効果1:学力の向上とイジメの改善】
「まずは学力の向上と、イジメの減少です」
「まあ、学校が家になったような環境なので学力の向上は分かりますが、イジメはなぜでしょう?」
「イジメが起きる原因は置いておいて、どうしてイジメることが出来ると思いますか?」
「なぜではなく、どうしてですか? うーん、共感を持てないからですかね?」
「私は、【他人だから】と考えております」
「他人ですか?」
「確かに血のつながった親類でも殺傷事件は起きます。ただ、多くのいじめは、他人に対して行われると言う事です」
「【他人】というと、学校では同じでも、家に帰れば別の人。と言う事でしょうか?」
「そうですね。【旅の恥はかき捨て】ではないですが、何をしても接点を持たない時間が存在するという事です」
「なるほど。確かにセンターは学校であり家ですよね。生まれた時からの生活はある意味、兄弟姉妹という事でしょうか?」
「そういう事です。兄弟姉妹の喧嘩とイジメは似て非なるものです。そして、行き過ぎたイジメに親が出てくることは、どうか。という声がある一方、兄弟姉妹の喧嘩は、なぜ仲裁しないと指摘が出る事は珍しくありません」
「センターの児童は、全員が兄弟姉妹であり、センターの職員は全員親であると言えますよね」
「そうです。しかも、センターの職員はそれぞれ生活・教育・健康とそれぞれのスペシャリストが数多く共に生活を送っています。今、親というとセンターの職員を指すのは常識ですよね」
「そうですね。そもそも【夫婦】という言葉が、死語になりましたからね」
「これが二つ目の効果にも関係しますが、出生率が上がり、国民が増加傾向にあると言う事ですね」
【効果2:出産率の上昇】
「馬場葉芭さん。それが夫婦に関係があると?」
「まず、現在成人は男女ともに一六歳からとなっておりますね」
「そうですね。センターは一五歳までで、一六歳からは外部での生活を一人またはグループで、たまに【産みの人】と暮らす方もいますよね」
「その【産みの人】という言葉ですが、結婚というシステムを使う国民が、ほぼ居ない事からできた言葉です」
「そうでした。遺産相続廃止もあって、【血を分けた親】という関係に関心が薄れたからでしたね」
「死去に伴う個人資産の国による回収と、それらのベーシックインカムへの転用が軌道に乗ると、親子・夫婦といった関係にこだわる事が少なくなりました」
「幼少期は、センターが。社会に出て、高齢になってから、もう一度センターに戻る。このサイクルですからね」
「そうですね。そして一昔前は、子供産むと言う事は、その生活費や育児環境を整える必要がありましたが、今はセンターがそれを担ってくれます」
「たしかに、子供を産むことに将来の不安は無いですから、そういったストレスがかかりませんよね」
「その為、夫婦にならず、同棲またはグループで生活し、子供が生まれたら別の相手を探すといった事が普通になりました」
「一説では、夫婦別姓がこれを後押しした。と、言われていますよね」
「そうかもしれません。実際、同じ男女間で二人目以上の子供をもうける事は、珍しくなっていますからね」
「”浮気”でしたか? よく分からない価値観ですよね?」
「以前は半永久的な関係が必要でした。そうしなければ、育児に必要なエネルギーを確保できなかったからです」
「必要なエネルギーとは、【生活金銭の獲得】と【育児保護の時間の獲得】と考えればよろしいでしょうか?」
「そうです。ただ、別にどちらかが専業となる。既に死語ですが、専業主夫や専業主婦といったことではなく、『労働の時間と育児の時間は兼業できないから、その時々の分担が必要』といった意味です」
「そして今は、それはセンターが担っている。というわけですね」
「昔は、『生活力も無いのに』『子供が子供を育てるなど』といった苦言あったそうですよ」
「当時は、ベーシックインカムは無かったですからね」
「まあ、あったとしても、育児をしなければなりません。専門家、専業職が行うのが当たり前な育児を成人したての若人がしようとしても土台無理な事は明白です」
「馬場葉芭さん。現在の出産をする女性は一六歳から二〇歳が多い事を考えると、当時では信じられない事なんでしょうね?」
「そうですね。だからこそ低迷していた人口が回復傾向になったとも言えますね」
□ □ □
「さて、数々の問題を解決している【児童育児集団管理法】ですが、悲しい事に問題が無いわけではありません」
【問題1:自ら命を絶つ事をする者の増加】
「まずあがるのは、自ら命を絶つ事をする若者が増えている事です」
「馬場葉芭さん。それは自殺という事でしょうか?」
「ある意味はそうですが、法に則った死を選ぶ。という事です」
「『法に則った』という事は、センターを出てから―― 一六歳を超えた若者が対象という事ですか?」
「センターは一六歳までしかいれません。当然それ以降の生活を独自で行う為の教育もセンターで教わります」
「そうですよね。私もセンターの卒業前に【生活の仕方】の単位をとりました」
「教育を受けて生活の仕方が分かっても、今まで何百、何千人単位で生活していた者が、いきなり一人で生きていくわけです」
「私の場合は、特に中の良かった姉妹八人と、一緒に生活を始めました」
「だいたいはそうみたいですね。あと【産みの人】と暮らす場合もあるようです」
「と、言う事は今あがらなかった。【いきなり一人暮らしを始めた人】に起きている?」
「それが起きているのは、実は複数人と同居していた人に多いんですよ」
「『していた人』ですか?」
「法に認められた死ぬ権利を申請しているのは、二〇歳を超えた頃の若者たちです」
「それは治療の施しようがない病ゆえでしょうか? でも、そんな深刻な病気の増加について思い当たりませんが」
「体ではなく思考の病気と言っていいでしょう」
「思考?」
「そうです。心というより思考とした方が合うと思います」
「それは、」
「センターの外での生活に意味を見いだせない。未来をデザイン出来ないという思考です」
「……」
「その際、法の下に認められた【死を選択する自由】の履行を求める若者が少なくない。という事です」
「それは何故でしょうか?」
「原因は未だ解明中です。同じ環境、同じ教育を受けています。ですから、そもそもの育児教育プログラムに何かしらの問題が内在しているとする学者もいますね。」
「……」
「ベーシックインカムで最低限の収入は保障されているわけですから、わざわざ死を選ぶ必要もないと思うんですけどね。まあ、ベーシックインカムの運用から、生きたくない人にその支給を無理に行う必要は無いという司法の判断も、死を選ぶ権利の履行をしやすくしているのかもしれません」
【問題2:殺人の増加】
「今日も、殺人事件が五件発生していますね。馬場葉芭さん」
「そうですね。これもセンター運営の影響だという人達がいます」
「どんな声を上げているのでしょうか?」
「『生きる苦労を知る事が無くなったことで、生命の尊厳や儚さに共感が出来なくなった』という事だそうです。私にはこじつけにしか聞こえません」
「苦労をしないで済むのなら、それに越した事はないですよね」
「私もそう思います」
「馬場葉芭さん。それでも、殺人が増えている現状は、看過できませんね」
「そうです。せっかく人口が増加傾向にあるのに、殺してしまっては、意味がありません。そして、加害者、被害者の関係を見ると、無視できない一面が見えてきます」
「一面ですか?」
「現在、地方の過疎化は進み――と言うか、必要な人材の効率の良い配置から、都市集中型の人口分布を進めました」
「昔は、住宅地から住宅地までの間を、住宅地が埋めていた。なんて言われていますね」
「そうですね。今では都市と都市の間は、大規模な農業・林業・養殖・酪農の土地として使われ、人はほとんど住んでいません」
「それで、加害者、被害者の関係というのは」
「それは、どちらも別都市のセンター出身者という事です」
「別都市ですか? 同地区の別センター出身者ではなく」
「そうです。現在の個性ある都市は、一つの国家のような状態であり、例えるなら連合国のような状況にあると言っても良いでしょう」
「何か戦国時代のようにも聞こえますが。馬場葉芭さん」
「それとはまったく別の状態だと私は考えています」
□ □ □
「ここで、速報です。本日もまた、センターへの不法に侵入しようとして、複数逮捕者が出ました。容疑者は『自分の子供を返せ!』等と叫んでいたとの事です」
「身を痛めて生んだ子ですから心情を察っしますが、一時の感情です」
「……」
「子が自我を持ち始めた時には、『こんなはずじゃなかった』という結果は明らかです。自身の育児技能不足を冷静に認識した行動をして欲しいものです」
「――もう限界だ! 馬場葉芭! こんな体制なんて私は認めない!」
「何を立ちあがって、突然。お、落ち着いて下さい」
「自分が産んだ子供に会う事も出来ないなんて、おかしいでしょ! 待っててね! 今からママが迎えに行くから! ――ちゃん!」
ピー
番組の途中ですが、不適正な行為を確認いたしました。
一旦番組の放送を中止いたします。
誠に申し訳ありません。