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三章  雑談会議

 家に帰ってきたほのかは、母が夕食を作り終えたころに、ほのかは家を出て来た。夕食は食べていない。そのため、僅かではあるがほのかは空腹を感じた。

ほのかは近くのコンビニでサンドイッチとペットボトルに入ったお茶を買った。外に出て、はしたないとは思ったが開封をし、サンドイッチを食べる。中身はイチゴホイップで、頬張ると柔らかいクリームが口の中に広がった。

サンドイッチを食べ終え、ほのかは歩き出す。そのうち不安になってバッグの中を覗いた。水色の封筒がふたつ。何かが分かると思って、ほのかはひとつ目の封筒も持ってきていた。それを確認しても、不安にもならず安心もしない。何も変わらなかった。

「降参必至ィっ!」

 不思議な話だが、ほのかは元気でいられる元気がなかった。

 公園へと歩き出した頃には十九時半を超えており、流石に辺りは暗くなってくる。

 空は鮮やかなオレンジの夕焼けではなく、純度を削ぎ落としてでも青くあり続けていた。

 手紙の中の文章を想像しても効果は無い。ドッキリだとか自分の盗撮写真だとか、想像出来る限りの想像をしてみた。

 しかし、考えて分かるはずもないので、なるべく何も考えないように意識しつつ、公園へと向かった。

 そうして、目的の公園に到着した。誰もいない公園。本当に昼間は子供が遊んでいるのだろうかと、ほのかは疑問に思ったが。砂場にプラスティック製のくまで形のおもちゃを発見した。昨日には無かったので、どうやら誰かしらが公園に訪れたことは分かった。

 ベンチに座って待積が来るのを待った。そして、待積のように空を見上げ、見つめてみた。

 ゆっくりと、雲が流れていく。それを何も考えずに眺めていた。不思議と退屈はせず、携帯電話を弄ろうとは思わなかった。

 何もない時間を、ほのかは体験する。

 約十分もの時間が経過し、約束の時間を過ぎてしまった。その間も、ほのかは空を見続けていた。

何もない時間。それ故に、この時間に対する感想すらも、まるで無かった。

 不意に、ほのかの携帯電話が振動した。振動の種類により、メールではなく電話であることが分かった。

 ポケットから携帯電話を取り出す。サブディスプレイには、『片柄待積』の名前があった。ボタンを押し、通話を開始した。

「もしもし? 小石です」

「もしもし、片柄です」

「どうしたの?」

「申し訳ないけど、そっちに行けなくなったよ」あくまで形式的な謝罪だった。「だけどプレゼントを用意しておいた。もう少しでと思うから、待っててね」

「どういうこと?」

「そのまんまの意味さ。じゃ、がんばって」

 待積は一方的に電話を切った。

 言われた言葉の意味が分からない。

 プレゼントが公園に着くという謎が分からなかった。

 ――ほのかは寒気を感じた。

 漠然と嫌な予感が頭をよぎり、そのうちのどれかが実行される前に公園から逃げ出そうとした。

 ベンチから立ち上がり、小走りに公園の出口へと向かった。

しかし、出口にはひとつの人影があった。

 成熟を目前にした矮躯の少女。墨汁のみで描かれたような黒いワンピースが妙な雰囲気を醸し出していた。まるで闇に溶け込もうとしているかのような、消極的で朦朧とした黒さ。

硝子細工のような繊細な美しさ。声をかけたら消えてしまいそうな儚さ。

 そんな存在感とは裏腹に、彼女の意志は明瞭としていた。

「こんばんは」

 少女はそう挨拶をした。毎日顔を合わせているかのように。

「こんばんは」

 ほのかも挨拶をした。挨拶を、そのまま返すしかなかった。

「どうしたのですか? 驚いたら素直に驚いていただいて構いませんのに。それとも、驚いた顔が醜いことを気にしていらっしゃるのでしょうか」

 彼女は愉悦に表情を歪ませた。

「あなたは、誰なの?」

「嫌ですわ、全く予想通りの応答ではありませんか。まるでひねりもない、王道的な質問。テンプレート人生まっしぐらですのね」

 回りくどい悪口を言われ続けても、ほのかは何も言い返せなかった。判断に困っているのだ。

「でも、あなたがのことを知らないのは不公平ですわね」彼女が言葉を発する度に周りが暗くなっているような錯覚をほのかは感じた。「私は片柄悠祈と申します」

「悠祈……ちゃん? あなたが片柄君の妹なの?」

「私も片柄ですわ。これから兄のことは名前か『ご主人様』と呼んでいただけます? 兄が『片柄君』と呼ばれるのが、私は何よりも嫌なのです」

 そう語り、悠祈は無表情になった。それはやはり兄妹が故なのか、無表情になると雰囲気がどことなく待積に似ている。

「兄から『プレゼントだ』と言われて来たものの、本当にプレゼントをいただけるなんて、喜ぶ以前に拍子抜けですわ」

 ほのかが悠祈の言葉に疑問を抱く前に、悠祈は動き出した。二メートルほどの距離を一瞬で詰め、素早く懐に入り込む。

「え?」と、ようやく悠祈の言葉への疑問を口にした時には――悠祈はほのかの鳩尾に、拳をめり込ませた。

「うっ!」

 回避行動も取れず、急所を突かれその場に崩れ落ちるほのか。苦しさに感覚を支配され、目に映るものを認識することが出来ない。

 苦しみが和らぎ、身体の神経が元に戻った。どうにかして逃げようと思い、立ち上がろうとしたが、どうしようもなく身体は動かない。

ほのかはビニールロープで両手両足を縛られていた。

「何なの……」

 約束の場所に来たら代理の妹で、なおかつ殴られ縛られている。展開が唐突に過ぎるせいで、理解が及ばない。

「肌がきれい……。血色がよろしくておいしそうですわ……。その血液、いただけます?」

 その言葉に、ほのかは生まれて初めて戦慄を体験した。

 なんなのだろう、その発言は。それじゃあまるで――吸血鬼のようではないか。

 それは雰囲気を出すための冗談だ。この世界に吸血鬼なんているはずがない。あれはフィクションだ。

恐怖を娯楽として扱った者達の幻想だ。

永遠の命に思いを馳せた者達の理想だ。

「何で……こんなことをするの?」

「仲間かどうか、見極めていますの」

「仲間? 皆、同じ星に住む仲間だよ」

「そういうことではありません。だってあなた――」

 どくん、と。ほのかの心臓の鼓動が、ひときわ大きくなった気がした。

 ――生きるのがつらいでしょう。

「そんなこと……ないよ」

「嘘はいけませんわ。嘘を吐くと存在が穢れていきますのよ」

「何を言ってるのか分からないよ」

「貴女のことは何とお呼びすればよろしいのでしょうか。偽者、偽善者、潔癖症?」悠祈はせせら笑う。「貴女は自分が無垢であるために、元気で明るいふりをしているのです。穢れたものに気付かないふりをして、子供っぽく振舞っているのですわ。でも、貴女の行動原理は打算的なもので、穢れたものには敏感に反応してしまう。清廉潔白純真無垢とは程遠い。別に美しい存在に憧れているとか、そういうことではない。ただの強迫観念でしかないのです。自分がわがままと思われたくない。他者からの目を気にする。人間の悪意に敏感で、自分の在り方を捏造する。貴女の心は綺麗ではない。だからといって、これは綺麗になるための努力とか、そういうことではありません。心は作った瞬間から偽りで、その行動は演技です。善人になろうと思った人間は、善人ではなく偽善者なのです。正義や良心からの行動ではなく、強迫からの行動。そこに優しい気持ちなど微塵も有りませんわ。在るのは自分からの強制のみ。どうですか。どこか間違いがあります?」

 ほのかは問われた。それでも、答えようとしない。地面をみつめたまま、何の反応も示さない。

「つまるところ潔癖症。細菌などの汚れを恐れているのではなく、欲望などの穢れを恐れている。と言っても、単純に潔癖症という名前を当てはめてしまっていいものか判断に困るのですけど」

「ちが――」

 ほのかは何かを言いかけて――嘔吐した。先ほど食べたサンドイッチが、お茶や胃液と一緒に口から排出される。黄色と赤色の吐瀉物が地面に広がった。

「ゴホゴホっ!」ほのかは濃密な酸の味にむせ返ってしまう。

「ふふ、ご無事ですか?」わざとらしい悠祈の声。「この過剰反応。やはり仲間ですのね。私の場合は、生きることが理解できない方なのですけど。貴女とは友愛を育めそうですわ。白雪姫と小人さん達のように。それとも、小人さんは奴隷でしたっけ?」

「……仲間と言い張るのなら、束縛を解いてほしいのだけど」回復のしきらない喉をどうにか動かし、ようやく絞り出すように声を出した。

「それはいけませんわ。仲間であったとしても、仲良くしようとは思いませんの。友愛は育めるかではなく育むかですわ」

 悠祈はポケットから、いわゆる電工ナイフを取り出した。折りたたみ式のナイフ、それを広げてみせた。新品の――刃こぼれがなければ、研ぎ跡もない――鋭い刃が、月明かりを反射し、不穏な輝きをみせる。

「むしろ、これ以上苦しまないように殺してさしあげたいくらいですのよ。本当、何故人間って毎日が退屈で苦しいくせに、生きようとするのでしょう。理解が及びませんわ」

 呆れている、というより。呆れることに飽きたというような、そんな顔だった。

「痛いなら死ねばいい。苦しいなら死ねばいい。生きるのが辛いのなら死ねばいい。人生が飽き飽きするなら死ねばいい。そう思いません?」

 悠祈は月を見上げた。

「だけど、自殺を図ろうとする者はそうはいません。何故でしょう。それは生物的な死の恐怖があるからです。生物としての本能が死を恐れているのですわ。自分と言う人格が無になってしまうのを恐れているのは、生物という形に捕らわれている証拠なのです。他の原因といえば、家族でしょうか。はは、家族がいるから、なんてものは。大抵が死にたくない人の逃避先だと思いますけれど」

 悠祈は、ほのかに歩み寄った。左に旋回をして、ほのかの右側に立ち止まる。

「人の欲望にいちいち不快になってしまう貴女が、通常の人間と同じように生きていて苦しくないはずがありません。それでも死にたくない理由とはなんなのでしょうか。敢えて死を選ぶことをしない理由とは、なんなのでしょうか?」

「死を選ばないって、そんなこと普通は考えないよ?」

「! 『普通』なんて言葉。よく使えますわね。まぁ、いいですわ。今からゲームをしましょう。三十分さしあげますわ。その間にロープを解いて脱出してください。手段は問いませんわ。出来なければナイフを背中に突き刺します。そして私は貴女の温かい鮮血をいただきますのよ」

 恍惚とした表情を浮かべる悠祈。それは食事を前にするというよりも、夢への憧れに近い感情なのかもしれない。

「では、始めましょう」

「……待て」

 公園備え付けの公衆トイレから――片柄待積は姿を現した。

「待積君……」

「悠祈、それは一方的過ぎるだろ。一方通行は良くない」待積はほのかを一瞥し、悠祈と対峙する。「状況の説明が何もされていないじゃないか」

「あら、やはりそこにいらしたのですね。予想通りなので、喜ぶどころかつまらないですわ」

「だったらここまでするなよな……」

 待積は黒いジーンズに黒無地Tシャツ姿で、味気のなさが似合っている。

「待積君、どうして……」

「俺が全部明らかにしようじゃないか」

 待積はそうして解説を始めた。

「状況的に気付いているとは思うが、悠祈がこの事件の犯人だ」

「お兄さま? そんなにあっさりと犯人を明かしてしまっては、ミステリとしては成り立ちませんわ」

「……あれだけ何の痕跡も残さなかったくせに、ふざけた発言をするじゃないか」

 待積は悠祈を受け流した。

「俺が動き始めたのは、悠祈が水色の封筒に『小石ほのか様へ』という文字を書いていたからだ」

「え?」

「悠祈を問いただしても、何も答えないし。小石さんとコンタクトを図ろうとして、場所は悪いけど公園で待ち伏せをしていたのさ。まさか君の方から来てくれるとは思わなかったけど」

「じゃあ……私が悲しそうにしてる、っていうのは?」

「言ってみただけさ。外れたからって罰を受ける訳じゃないしさ。それで語ってくれなければもう少し揺さぶってみる予定だったけど。意外とあっけなかったね。それに、会話している間に小石さんにのは気付いたから、それで彼氏はいるかなんて質問をしてみたのさ。正確な症状は分からなかったけど。他人と感性や考え方がずれている人っていうのは、同じくずれている人に敏感なのさ。個人差はあるのだろうけど」

「どうして、悠祈ちゃんが手紙を書いたからって、その人物に会おうと思ったの? 友達に手紙を書いているだけかもしれないのに」

「それが問題なのさ。悠祈に――俺の妹に、わざわざ手紙を送るような『友達なんていない』んだよ。まして、二つも年上の、なんて」

悠祈は、待積が話している間も微笑んでいた。待積の声を聞くのが愉しい、とでも言うように。

「友達がいない? そんなこと、実質不可能じゃない」

「それは、聴きたいならまた違う機会にしてくれ」待積は話を戻す。「念の為に手紙を確認したら、封筒と便箋に書かれていたのは、悠祈の文字だったよ。これで疑う余地が無くなった訳さ」

 つまりそれは。出会いから、話の進め方まで。待積の自作自演にも等しい。

「何か間違いが起きる前に、『俺の目の前』で君と悠祈を会わせようとしたんだけど、あの電話は丁度良かったね。待ち合わせの約束をして無理やり会わせたのさ。それで何か行動を起こしたら、悠祈も言い訳は出来ないし」待積は、そこで自分の話を打ち切った。「それで、小石ほのかさんをロープで結んで言い訳の出来なくなった『片柄悠祈』さんは、どうして小石さんに手紙を送ったのかな?」

 軽薄でわざとらしい口調は、妹に対しても変わらなかった。少なくとも、この場では。

「簡単ですわ。お兄さまも気付いているのでは?」

 悠祈はナイフを揺らめかせた。

「私は、ほのかさんとお話がしたかったのです」

 その肌は月明かりさえも透かしてしまそうな、希薄な色をしていた。

「男性から告白された後にトイレで吐いてしまう人なんて……そんな人物と接触しない手はありませんわ」

「…………」ほのかは反応さえ出来なかった。

「お友達になるために血も凍るようなシチュエーションを用意しようとしたのですけど。何故でしょう? 気が付けば、ほのかさんを殺してしまいそうではないですか? ふふ、それで死んでしまうようなら、それまでの縁なのでしょうけれど」

「妹を殺人犯にさせる訳にはいかないさ。友愛ならウィンドウショッピングなりで育んでくれ」

「言われなくとも。総ては遊んでいただけですのよ。じゃれ合いですわ」悠祈はナイフを折りたたみ、ポケットの中に仕舞った。「今日はもうやめます」

「素直で嬉しいね。間違って感動しちゃうかもしれないよ」待積は安堵のために息を吐いた。それが溜息に似ていたのは本人の癖なのかもしれない。「そういえば結局、どうやって小石家に入ったんだい?」

「単純なことですのよ。私は妹の深奈さんと同じクラスなので、こっそりと鍵を持ち出して合鍵を作りましたの。彼女が帰る時には基規さんかほのかさんが家にいらっしゃることは調べていましたので、鞄から鍵がなくなっていても数日は気が付きませんわ。確かに鍵を抜き取る時と戻す時は苦労しましたけど。体育が二日連続である火曜日と水曜日を選んで、首尾よくコピーに成功しましたのよ」

「驚きようもない必然だな……」

「『私に出来ないと思いまして?』などと言ってほのめかしてさしあげてもよかったのですけど」

「言うだけなら、俺にははったりだって分かるからな。せめてこのメーカーのこの鍵は不具合品が出回っていて、製造番号が何番から何番までは特定の振動を与えると開くとか。糸を引っ張ると鍵が閉まる仕掛けを作ったとか。そういうのが欲しかったよ」

「お兄さまは相も変わらず小説がお好きですのね。虚構主義にも困ったものですわ」

「悠祈だって、あの手紙は明らかに俺の持っている本を参考にした文章だろう。どうこう言われる筋合いはない」

「あら、少ないお小遣いとバイト代でよくあれだけの書物が買えると感心していただけですのに」

「そんな風には聞こえないな……」

 と、その時。

「ははははは!」

「――っ!」

「なっ!」

公園に木霊する高らかな哄笑。

いつしか兄妹同士の会話をして和んでいた待積と悠祈は、その笑い声に驚きを隠せなかった。

 二人はいつまでも這いつくばっているほのかを見た。そういえば、しばらく何も話していなかった。

 しかし。悠祈が兄から視線を移動させ、ほのかに気を向けようとしたその時には。

 ――もう既に、ほのかは悠祈に跳びついていた。

 ほとんど抱き付くように身体ごと跳びかかり、そのまま一緒に地面へと倒れこむ。

 何が起きたのか悠祈が判断する前に、ほのかはその身を起こして間合いを広げた。

「三〇分どころか、五分もかからなかったけど。これでおあいこ、って感じかしら。悠祈さん?」

「小石さん、どうしたの?」待積が露骨に訝しげな表情を浮かべる。

「あら片柄君? 私はあなたを『待積君』と、甘ったるーく呼んであげてるんだから、あなたも私を『ほのかちゃん』と、かわいらしく呼びなさい。一人だけ恥ずかしいじゃない。もっとも、片柄君と呼ばないで、という指摘を受け入れる義理はないんだけど。他人を不用意に怒らせるのもそれはそれで嫌なのよ」



 そうして私の時間がやってきた。

 久しぶりに外での活動だけど、それはいつも私が行なっていることだから、問題はないだろう。『私』は私なのだから。

「驚いた。縄抜けの術が使えるのかい?」

 待積君はそう言ってのけた。驚いたと口で言っているだけで、驚いた様子は一切見せていない。

「違うわ。ただ後ろポケットからカッターを取り出して、地味にロープを切っただけよ」かなり苦労したけど。自分に刺さったら大変だし。

「なんだ、こっちもトリックは無しか。それで、ほのかさん。雰囲気が変わったけど何か替わったのかな? 本性、別人格、それともヤン化?」

「さぁ、自分では分からないわ。好きな風に解釈すれば? 私は私だし」

 それにしても、さっきの潔癖症は面白い解釈だった。私にぴったりじゃないか。だとすると。今の私は、心が綺麗になれなかった醜い本性。とでも表すべきなのかしら。真実とは違う気もするのだけど。

「でも、悠祈さんが封筒に私の名前を書いていたのなら。まわりくどいことしないで直接教えてくれてもいいと思うんだけど」

「本当に妹が手紙を送ったのかどうかも、そして内容さえ分からずにかい? ろくに会話をしたことのない君に。なんだいそれは、新手のナンパかい?」

「……センスの無いナンパだね」

 確かに。妹が手紙を書いたのを危険かもしれないというだけで調査をした待積君は、その程度のスタンスでも充分働いたと言ってもいいだろう。

不発だったとしても支障のない程度の動き。たとえ、危険を見逃してしまっても。それは彼の責任ではない。

「それで悠祈さん、これからどうするの? ナイフを駆使して戦う? それとも上目使いで頬を染めて『友達になってください』と告白する?」

 私が犯人を自分で探したかったのは、犯人に自分の裏を知られていると思ったからだ。少なくとも手紙からそう読み取った。

 この精神の汚れに対する嫌悪感。それをどうやって知ったのか、どんな人があんな自己主張をしたのか。

しかし、理由を知ってしまえば大したことはなかった。全てがあっけなかった。あらかた、『偶然にも痛々しい告白シーンをみつけてしまった悠祈さんが、その後の私を追いかけたら……』ということなのだろう。何故、私のりんごだと分かったのかという答えも、深奈ちゃんから私がりんご好きだと聞いていたと解釈出来る。人畜無害とは言えないが、特別有害でもない。りんごは惜しいけど憎んではいないし。後は、彼女の意向次第だ。

「あら、服が汚れてしまいましたわ。私、これしか外で着る衣服を所持しておりませんのに」

 何事もなかったように立ち上がり、悠祈さんは微笑んだ。土が付いたスカートをはたく動作は、たおやかな百合の花を愛でるようでもあった。

「私から手を出しておいてこのようなことを言うのも異なことですけど、私もこれ以上何をするつもりはありませんわ。『貴女』にも会えたことですし。せっかく盛り上げた空気も、お兄さまに下げられてしまいましたので」

「これで何もすることはないな。後は……」待積君は私の吐瀉物を見た。「これを処理するだけだな」

「ちょっと見ないでよ。恥ずかしいじゃない」

 この人にはデリカシーってないのかしら。

「砂でもかけておけばいいか」

 待積君は無視して砂場から砂を運び、吐瀉物の上にかけた。

「うーん、逆にトラップとなってしまったか。見えないけど、踏んだらぐしゃってね」

「だからやめてって」

 恥ずかしいじゃない。

「じゃあ、帰ろう」

「待ちなさい」私は慌てて待積君を制した。言い出すタイミングを逃してしまっていたが、まだすることがある。「まだ手紙を見ていないわ」

「そういえば今日送られてきたのを読んでいなかったね」

 一度目の手紙からすると、ペナルティというのは私の写真なり過去の出来事なりを送ってくるものだと、私は推測していた。だから慌てなくてもヒントはまだ来ると踏んでいた、ということなのだけど。

「何を仰っていますの? 手紙は一枚しか出していませんわ」

「え?」

 その、私は書いてないみたいな反応は、何なのだろう。

かばんの中から手紙を取り出した。

 水色の封筒とハートマークのシール。それは一回目の手紙と同じ物だった。

「どういうことですの?」

 封を開けると中には当たり障りのない便箋。

 そこには、何も書かれていなかった。

「あーー」待積君はあごを上げて空を見た。「駄目だ、分からん。降参」

「確かに、同じ物ですわね」悠祈さんは腰をかがめてまじまじと手紙を見つめた。「この計画は誰にも申していませんのに。誰が介入したというのでしょう」

「既に俺が介入してるけどな」待積君はそのまま地面に座り込む。何をしているのかしら。「なんだい? まとめると、俺が今日二人を遭わせたのは手紙のせいで、その手紙は誰か別の人物からのもの。手紙がなければ犯人は分からないままだったってことか」

「そうなるよね」

「誰か、今までで不自然な行動をしていなかったか。この数日間で。何か、心当たりは」

 とは言われても、そんなの待積君との出会いくらいだ。

「分からないわ」

「……いや、俺が忘れてた。関係あるのか分からないけど」

「何かあったの?」

「俺は悠祈の机の上に盗聴器が置かれているのを見ているんだ。そして、盗聴器は君が手紙を置かれた日にはなくなっていたんだよ」

 だから待積君は急に盗聴器と言い出したのか。確実に妹が犯人だと分かった時に。

「なんですの。盗聴器を外したのはほのかさんではないのですか?」

「私じゃないわ」

 本当に仕掛けられていたのか。犯人が悠祈さんのような女子だからまだ良かったけど。

「設置されていたのは確認したとして、外したのは誰なのかな」

「……単純に考えて、家族の中の誰かだろう。悠祈が嘘を吐いている可能性もなくはないけど、そうしたら後でどうにかするさ」

「とすると、誰かしら」

「慌てるな。事実を整理しよう。君がこの事件のことを言った相手は?」

「兄と妹だけ」

 両親には言ってない。言う必要もなかったし。

「基規さんか……。あー、あの人だろうな」

「何で分かるの?」

 深奈ちゃんの性格からすると、確かにそんな粋なことをするとは思えない。まず盗聴器の存在に気付かないだろう。だとすれば兄さんが“犯人”の可能性は高いけど、待積君はどうして断定出来るのだろう。

「じゃあ聞くけど。彼の机にはいつもドライバーが置いてあるのかい?」

「そんなことはないと思う。と言ってもあまり兄さんの部屋に行くことなんてないけど。大抵は片付いてるから、机の上にある物としたらドクター・ペッパーとパソコンくらいのものよ」

「だとしたら、何故だろうね。君が訪れた時に、欲しいサイズの――欲しいプラスドライバーを机に置いてあった理由って」

「――あ」

「ドライバーと言われて、精密ドライバーではなく、唯一机の上にあったドライバーを渡して。しかもそれが偶然にも大きさが合う……ってことがあると思うか? 出来すぎだね」

「でも、兄さんは何故分かったの?」

「そこまでは分からないけどさ。基規さんを呼び出せば分かるさ。もう遅いけど、大好きな妹の迎えになら来てくれるだろ。電話を貸しなよ」

「……いいわよ、自分でするから」

 この状態の私を兄さんに見せると云うのか。週に三回くらいは見られてると思うから問題はないけど。

 携帯電話のボタンを押して、兄さんに電話をかけた。

「もしもし」

「もしもし、ほのかです」

「どうしたんだ?」

「暗くなっちゃったから、迎えに来てくれない?」

「迎え、か。どこにいるんだ?」

「昔、兄さんが深奈ちゃんにバレーボールを教えてた公園だよ」

「仕方ないな。あそこか、待ってろよ」

 電話が切れる。

 そして数分が経ち、兄さんはバイクに乗ってやってきた。

「待たせたな。って、片柄君もいるのか」

「こんばんは、こんな時間になってしまってすいません」待積君は謝罪をした。いかにも形式的に。「それで、基規さんはどうして盗聴器の存在を知ったんですか?」

「何だ、そういうことかよ。くだらない理由で俺を呼ぶな」

兄さんはバイクから降りて、ヘルメットを取った。会話は、すんなりと成立してしまう。

 またひとり、このくだらない雑談に参加者が増えてしまった。

「あんな痛々しい手紙が来たら、そのくらいは調べるだろ。ほのかの力量を測るためにわざわざ数日間放置しておいたけど、まさか気付かないとは思わなかった。それで、犯人はやっぱりお前か?」

 待積君の急激な話題転換にも、兄さんは淀みなく対応した。まるで、『何だ』と言いながらも、あらかじめ何を話すのかを予測していたかのように。

「いいえ、残念ながら俺の妹です」

「へー、それは気付かなかったな。それで、俺が水色の封筒をポストに入れた理由を知りたいんだろ?」

「話が早いですね。その通りです」

 何だろう、このお互いの腹を探り合っているような会話は。言葉のひとつひとつが、酷く、酷く打算に満ちた――不快な会話だ。

「それは物語を進めるためさ。お前は何か知っているようだったしな。ほのかは手紙が来ても『性格』上の問題で開封しない。俺はお前が犯人だと思っていたから、封筒を受け取ったと知ったら何かしらのボロを出すと予想していたのさ」

「つまり、偶然ですか?」

「それでも結果的には解決に繋がっただろ」

 あぁ、この物語はこんなにも不安定で脆弱なバランスで出来上がってしまったのか。

 必然性も何もあったものじゃない。

 その時その時の偶然が重なって、紡がれてしまった。

 少し行動が違えば結末は変わっていただろう。

 人生なんて大概がそんなものかもしれないけれど。

はあ、と。溜息を吐いて、悠祈さんに視線を向ける。

 悠祈さんは、兄さんと待積君を見ていた。観察しているのか、傍観しているのか。呆けているのか惚けているのか。その判別は不可能だが。

 何かを探っているのかもしれない。何かを感じているのかもしれない。

それだけで、何も言わなかった。

発言権の放棄は、何の主張にもならなかった。

 


これで私と待積君との、そして悠祈さんとの出会い編は終了した。

これ以上は公園で何も起きなかった。……いえ、公園では最初から何も起きていなかった。ただ雑談をしていただけのような気がする。身内同士のな雑談だと言っても、過言ではないのかも知れない。

結局、この五日間では何も起きていなかったのだ。

 そう、だからこれは『事件』とは呼べない。

 事件が起きたのは、もう少し後のことだった。

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