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夜も更け、1人、2人と客も引き、かしましかった双子も席をはずし、アンリと公爵は公爵のプライベートな居間に移動して、ブランデーを飲んでいた。
「ディンとは昔からよく話をしていましたが、こうやってあなたとプライベートでお話しする機会は今までなかったのではないでしょうか」
公爵はそう言いながら人払いをした居間の、大きなソファーの前に足を投げて、にこやかに口を開いた。
「そうかもしれませんね」
アンリは慎重に答えた。
アングル公爵はディン派の中核をなす貴族だ。
非常に力があるが、表立って立ちまわることはない。だから、世間には娯楽地キャスの領主とだけ知られているが、実際は政界の黒幕とも言われている。コーエンさえのもうかつに動けない相手だ。
「あなたは、あなたの存在そのものが国を揺るがしているのをご存知ですか?」
公爵はブランデーを手酌でグラスに注ぎながら、軽い調子で言った。
使用人たちも下がり、屋敷は寝静まっている。
アンリと公爵と二人っきり。
アンリは、その言葉の意味を考え、公爵の出方をじっと待った。
「あなたはとても中途半端だ。 大陸一の魔力はあるのに制御できず、政治に強いわけでもない。 魔力は少なくとも野心のあるディン殿下のほうが、まだ見込みがある」
公爵はそう言って、手に持ったブランデーのグラスを口に運んだ。
見込みがある? 御しやすい、の間違いじゃないか。
とアンリは皮肉な気持ちで感情を表さない公爵の目を見つめた。
夜明け前のしんとした空気が漂うこの居間で、アンリは一人掛けのソファーに座り、目をつぶった。
どこもかしこも、権力争い、だな。
「私は立太子しないし、すでに王位継承権も破棄している身です。」
アンリはきっぱりと言うと、同じようにウイスキーを口にした。
「でも、あなたにその魔力がある限り、人々はあなたに王位継承権があると思うでしょう」
公爵は当然のように言う。
「そして、あなたが何を言おうともいつまでもくすぶり続ける。 あなたが消えない限り、ディンはモントロールをまとめ上げることはできないでしょう。 なのに、あなたのその魔力のおかげで誰もあなたを消すことさえもできない」
その物騒な言葉にアンリは、反対に小気味いい気分がした。
それほどはっきりとアンリに言う人間はコーエンとテランスぐらいしかいない。
「それでも、寿命が来たら私だって死ぬわけですから、私のことはほっておけばいい話じゃないですか。 あなたもご存じのように私には野心もないわけですし、ディンが王になることに異論もない」
アンリは笑うように言った。
「あなたになくても、周りに野心があれば、同じこと」
公爵はそういうと、立ちあがって窓辺に立った。
窓の外は真っ暗で、月も星も見えない。
厚い雲に覆われているのだろう、真っ暗闇が広がっていた。
「あなたは、あの律印を手にとってどう思いました?」
公爵はアンリのほうを振り向くと、いきなり話題を変え、ソファーにぞんざいにおかれている律印に目をやりながら言った。
「いい剣だと思いましたが?」
アンリは当たり障りなく答えた。
「律印は、魔力を吸収する力があります。もしかしたら、律印ならば、あなたを殺すこともできるかもしれないですね」
「!?」
考えてもみなかった言葉に、アンリは固まった。
「試してみたいのですが、いいですか?」
そう言って、伯爵はソファー脇のテーブルに置いてあった律印を手に取り、アンリに向けた。
素早い剣の動き。
その切っ先はアンリの文様が浮き出た腕をバッサリと切り裂いた。
血がどばっと流れる。
アンリは痛みが伴わないその傷をとっさに右手で抑えた。
「どうですか? あなたの魔力は剣を遮ることはできましたか?」
アンリはとっさに左腕を見た。
普通ならすぐさま傷がふさがっていくのに、律印で切られた傷はふさぐどころか、ますます血を吐きだしている。
アンリはその生温かい血が腕から垂れ、カーペットにしみこんでいく様をびっくりしてみつめた。
そのアンリを、喜ぶどころか、なぜか苦い顔で睨みつけたアングル公は、剣を再度握りしめアンリに向けた。
「やはり魔力の色が濃い…」
アングル公爵はアンリを見つめてつぶやいた。
彼の手の中の剣がゆれる。
「・・・・魔力を制御できなければやはり排するべきなのか・・・」
公爵は自問しながら剣をゆっくりとアンリのほうへ突きだした。
剣がアンリの脇腹にゆっくりと埋まっていく。
「・・・それとも・・・・」
アンリは刃先が自分の体に埋まり、ゆっくり切り裂かれていくのをみた。
血管から血が吹き出、どくどくという血の流れる音が聞こえるようだ。
アンリは自分に埋まっている剣が自分の血をまとい、魔力を吸い込んでいるのを感じた。
その時、アングル公の剣先は、アンリの体とともに消えた。