七話 告白
――ああ……本当に行っちゃうのかぁ……。
とサムが言った。別にお前が告白するわけじゃないんだからいいじゃねぇか。
ダッシュを終えて肩で息してる人瀬に近寄っていくと、土を歩く音が聞こえたのか人瀬は声をかける前にオレの方を見た。別に運動部でもない制服着たオレが自分のとこに来たからか息を荒らしながら首をひねって不思議そうな顔をした。
――なるほどね……。人瀬さん。たしかに言ってた通りかわいいですよ、インディくん。でもサバサバしてるっていうんですか? 姐さんタイプっていうんですか? 絶対気丈ですよこの子。優しそうな顔してるけど絶対怒らせたりしたら怖いって。ねえ、本当にやるんすか?
――正気ではない……。
やるって言ったろ。ここまで来たら二言はない。そういうわけでお前ら、静かにしてろよ。
「どうした? あたしに何か用があるの?」
連中の話を聞いてるうちに人瀬の方から二っと笑って声をかけられた。
「オッス。オレは二のAの後藤一樹。ちょっと話があるんだ。聞いてくれるか?」
とそこまで言っといて、のどが詰まって流れるようには次の言葉が出てこなかった。
……いや、さすがに段々緊張してきやがった。胸の動悸がうるせぇ。昨日の喧嘩のときは全く平気だったのに背筋が冷たくなるのを感じる。鳥の声も風の音も止んでる。知らないうちに奥歯を噛みしめてたことに気付いた。
「なに?」
人瀬は気を悪くしたふうもなくそう言ってこっちの動きを待ってくれてる。オレはそれに促されるように気合を入れて口を開いた。
「人瀬……さん。あなたのことが好きです。どうかオレと付き合っちゃくれませんか? ……」
言った。さほど堂々ともしてねぇがオレはたしかに口にした。頭を下げるのを忘れたことにいま気付いたが、それならいっそ人瀬の目から目を意地でも外さないことを決めた。
人瀬は……目を丸くして驚いた表情をしてる。すると今度は腕を組みだして、眉を寄せたいかにも悩んでるってふうな難しい顔をし始めた。人瀬は、何も言わない。
人瀬の次の動きを待って、オレの心臓はさらに動悸し始めた気がする。あんまり激しく動くからか、なんだか吐き気までしてきやがった。
そのとき、人瀬が頭を下げてきた。
「ごめん」
「……」
「あたしのことどういうふうに知ってくれたのかはわかんないけど、気持ちは嬉しいよ。ありがとう。でも、その告白は断るよ。後藤くんが嫌とかそういうことじゃなくて……あたしはまだ、陸上に集中したいからさ。だから、ごめん。ありがとう」
「………………。ふっ」自然と笑いが出た。「そうか。そういうことならわかった。話を聞いてくれてありがとよ。陸上、がんばって」
オレは振り返って歩いた。
ま、こうなっちまったからには仕方がねぇ。
………………
…………
……
「一ついいかな? 人瀬さん」
足を止め、踵を返して人瀬美咲に向き直る。
「な、なに?」
目を落としていた彼女がこちらを見た。俺はその彼女に笑いを作って言う。
「一つ提案があるんだけど、聞いてもらえるかな? これから俺と徒競走で勝負をしないか?」
「徒競走? 急になんで?」
「いやね、俺も初対面の人にいきなり告白したのは急ぎ過ぎたと思ってね。人瀬さんは俺のことを何も知らないでしょう。俺の告白はもう断られたけど、人瀬さんの気が変わってのちのち万が一ということがある。そのために一つ人瀬さんの得意な陸上で俺をアピールしておこうと思ってね。もちろんこれで勝ったから負けたから俺と付き合ってもらうとかそういうおかしなことは絶対に言わないよ」
――おい、どういうつもりだ……?
――あれ? いま表に出てるのってインディくんじゃないの? えっ、じゃあミドルくん? アピールとかいうから僕はてっきり……。というより! どうしたの? ミドルくん。君らしくもない。君が自分に何の得にもならないことを言い出すなんて。君の目的の邪魔が一つ取り除かれて、このまま終わりってなるところだったんだよ?
――そうだ。なんでお前がオレのためになるようなことをするんだ? お前らしくもない。それともまさか、お前、オレにチャンスを作ってくれようとしてるのか……?
――え、そうなの? インディくん。それならちょっと感動……。
……。……ククククク。
内心に笑いが漏れてくる。それを人瀬美咲に怪訝に思われないよう、顔はポーカーフェイスを意識して、俺は内心にほくそ笑んだ。
貴様ら、本気で俺がインデックスのためを思って徒競走するなんてことを言い出したと思ってるのか?
――どういう意味だ?
人間には、その人が自分を好きだと言ったから、あるいはそのような素振りをとっているから自分もその人を好きになる、という心理があるなぁ。真面目で実直な男より、すぐにかわいいだの好きだの口にする軽薄な男の方がモテるのはそういうわけからだろう。人間はどういうことにでも対価を求めるものらしい。そこからいくと、告白とはその理屈の最たるものといえる。人瀬美咲はこの告白によって後藤一樹を意識し始めるかもしれない。そしてその結果、今度は向こうから告白をしてくるかもしれない。人の心理はどう変化するかわからないが、わからないからこそその可能性の芽は残ったと考えられる。
……そこで、俺はその芽をここで潰しておくにした! 母性に薄い若い女は自分より劣る男を眼中に入れることはほとんどない。特に、たとえその男が他のことが得意であったとしても自分の興味のある分野で劣るならば好きになる可能性は限りなく低い。俺はこの勝負で人瀬美咲に後藤一樹が自分より劣ると感じさせる。
――感じさせるって、お前まさか。
そうだ。俺はこの勝負わざと負ける。これでインデックス、お前の恋路は完全に断たれるのだ。あははははは!
――ミドルくんの本領発揮キター! チャンスと見ればフラれて落ち込んでるはずの相手にも追い打ちをかける! これがッ! これがッ! これがミドルだッ!
――おいおい、ただのゲスじゃねぇか、この野郎……。
「それで受けてくれるかな?」
「うーん」と悩むような声を出した人瀬美咲は、「じゃあ、いいよ。やろっか。あたしも練習の締めをしたかったしさ」と微笑んだ。
よし、受けた。そうだ、それでいいんだ。フフフ。
「で、徒競走っていっても距離はどうする?」
「それは人瀬さんが決めてくれればいいよ」
「じゃあ、ここのトラック一周にしようか。先に一周したほうが勝ち」
頷いて了承する。俺は制服の上着を脱いで白シャツ姿になることにした。外面的には本気でやったと思われた方が都合がいい。鉄棒に上着をかける。シャツの袖をめくり上げながら小走りにこっちを見ている人瀬美咲のところへ行く。
「お待たせ。ここから一周ということでいいんだね?」
「そうだね。ところで、後藤くんの部活は何部?」
「俺は帰宅部だよ」
「えっ。そうなの? ……ふぅん」
「まあ、それでも全力でやらせてもらうよ。全力でね。フフフ。さあ、やろうか」
俺と人瀬美咲はそれぞれクラウチングスタートの体勢をとった。
「スターターがいないから後藤くんがスタートの合図を出していいよ」
ゆずられたため「よーい」と声を上げる。
隣の人瀬美咲も腰を上げたことを気配によって感じた。そして、黙る彼女が集中し、気迫を放ち始めたのがピリとした静寂の空気に乗って伝わってくる。
どうやら彼女はこの勝負、真剣に挑むようだな。しかし、俺に気負いはない。俺はこの勝負、確実に負けるのだからな!
――お前……ほんといいのかそれで。
インデックスは無視する。一度息を吸う。そして、
「どん!」
と声を上げると同時に俺は地を蹴った。
発進する体にわずかな軋みを感じる。顔に風を感じる。前には誰もいない。
俺がスタートの合図を出しただけにさすがに出だしは俺の方が速かった。よし、これでいい。少しの間このまま流して、あの中間地点辺りから徐々に速度を落として抜かせてやれば――
「なにっ!」
そのとき、右側から人影が走り抜け、俺の前に人瀬が躍り出た。予定外にもう抜かれた……!
しかも、追いつけん。俺はまだ手を抜いていないのに徐々に背が遠くなっていく。馬鹿な! いくら陸上部とはいえ、女生徒に本当に負けるのか?
息が上がったからではなく、思わずギリと歯を噛みしめていた。
が、まあいい。結局は負けるつもりだったんだ。これで目的は果たされる。
………………
…………
……
「そうはいかねぇ!」
オレはスピードを上げた。人瀬の背にすぐに追いついた。で、そのまま抜き返した。
「はっはっは! オレに入れ替わった! この勝負オレが勝つぜ!」
――なにっ!
ミドルの動揺する声が聞こえる。ざまあねぇ。オレにもチャンスが回ってきやがった。しかもミドルの謀った策を利用してチャンスが。
オレは全力で走る。人瀬もたしかに速い。だが、オレの敵じゃない。トラックを半周過ぎてすぐに残り四分の一ぐらいのところまで来た。もうすぐゴールだ。人瀬はまだ後ろを走ってる。
これで勝てば人瀬はもしかしたらオレのことを意識するかもしれねぇ。まだ希望は繋がるかもしれねぇ。よし、勝った、もうゴールだ……!
「うわ。ゴホッ! ゴホッ! 体キッつい!」
僕に入れ替わっていた。急に入れ替わるものだから息が上がってるのも足が疲れてるのもすっごいつらい。僕は思わず足を止めて膝に手をついた。隣を風が駆け抜けていった。顔を上げるとゴールした人瀬さんだった。
――おぉい!
インディくんが叫んだ。
これは、あれだね。結果はつまり、負けちゃったみたいっすね。
――なんだそりゃ! 結局負けるんかい! ああ、ったくよぉ!
インディくんが発狂しだした。
ところで、見るとハアハアいってる人瀬さんがこっちにズンズンと早歩きで近づいてきていた。どうしたんだろう? と思った瞬間、僕の首はガクンと引っ張られた。気付けば人瀬さんに胸倉を掴まれていた。
「この野郎! どうしてゴールの手前で走るのをやめたりしたんだ! あたしを馬鹿にしてんのか!」
うおっ、びっくりした! 人瀬さんは息を乱しながら顔を真っ赤にして物凄く怖い顔をしている。
――フンッ、乱暴だな。本性見たりだ。こういう人間はいかん。
――お前しゃあしゃあと……。ミドル、お前が主犯なんだぜっ。それに人瀬からすりゃ怒るのも無理ないだろ……。
というかどうするんですか、この状況! 怖いとか苦しいというより、困る! 困るんですけど!
「先輩! まだやってるんですか! 早く着替えないともうすぐ最終下校になって部室閉まっちゃいますよ!」
そのとき、女の子の声が遠くから聞こえてきた。人瀬さんがハッとした顔をすると胸倉から手を放した。同時に声のした方を見てみると、そこには制服を着た髪を二つ結びにした女の子がこっちに向かって歩いてきてた。
「……どうしたんですか?」
近くに来るとその子は僕を誰これ? みたいな目で見ていった。
「……なんでもない。加奈、教えにきてくれてありがとうね。行こう」
人瀬さんは僕の方を見もしないで、背を向けて校舎の方に早足に歩き始めた。加奈って呼ばれた後輩も一度こっちを見ると、その後についていく。その背中を見送ってると、無意識にため息が出た。つ、疲れた……。
――本来は静かに失望させるつもりのはずがああして怒らせる結果になったのは完全な想定外だが、一応これはこれで目論み通りになったな。これで人瀬美咲が後藤一樹に好意を持つ可能性の芽は潰されただろう。だが一つ気にかかるのは、あれが今回の件について後藤一樹の悪評を流さないかどうかだ。そうなれば、俺はその火消しのために面倒を背負うことになってしまう。
そうミドルくんが淡々という。
――おい。と、インディくんが乾いた声でいった。
――オレはこんな結果を作った原因であるミドルに怒るべきなのか? それともチャンスを物にできなかった自分に怒るべきなのか?
――そもそも、関係を深めてもいないのに告白するなどという軽率な行動に出たあげく断られるという失敗をした貴様自身を恨むべきだな。つまるところそこが全ての出発点なのだから。
ミドルくんが返事をする。と、インディくんが、ハア……とため息をついた。
――それを言われちゃあ、なんとも言えなくなるだろうが、くそったれ……。




