三話 何でこうなるの?
「次でやっと最後の授業だね!」
昼休みの次の授業が終わると田中くんの席に近寄った。後からすぐに鈴木くんもやってくる。
「よし、音楽室だ。レッツゴー!」
二人と一緒にガヤガヤとしている教室から廊下に出た。
「最後の授業が移動教室って本当に面倒だよな」
三階の音楽室に向かって階段を上ってる最中、田中くんがため息を吐いて言い出した。
そうかな?
「でも、音楽の授業、楽じゃない。ただ先生の話聞いてるだけの授業より時間早く過ぎるしさ。僕は好きだけどね!」
「まあ、そう言われればそうだけど。それより、さっきから何でそんなにテンション高いんだよ?」
「だって、次が終われば帰れるじゃない。学校なんてできるだけ行きたくないし、一刻も早く帰りたいでしょ。というか今すぐ帰りたい」
「帰りたいっていうのは俺もそうだけどさ。けど、なに? そんなに一刻を争って帰って何かやることあんの? 暇だろ?」
あら、そういうこという?
「暇じゃないよ。やりたいこといっぱいあるから。漫画読んだり、アニメ見たりさ」
「ふぅん。なるほどね。お前って家でそういうことしてるんだな」
「まあ、昔、十回ぐらい見たやつなんだけどさ」
「十って、それでまだ見るのかよ。やっぱり暇人じゃん!」
「いや、やりたいことやってるんだから暇じゃないでしょう。ところで田中くんは家で何かやりたいことやってるの?」
「俺? 俺は、特に何もやってないな」
「じゃあ、暇人は君じゃないの!」
「ぐっ。なんか、お前にそう言われるのは納得できねぇな」
「でも、反論はできないでしょ? ヒヒヒヒヒ」
逆にやり込めて、眉間にしわを寄せる田中くんを笑ってやる。いや気分だよ。ほら、僕は別に口下手ってわけじゃないんだ。
「げっ!」
せっかくそんないい気分だったのに、階段を上り終えて廊下に出ると嫌なものを見た。
「わっ、おい、なんだよ」
とっさにぐるりと田中くんと鈴木くんを盾にして隠れる。盾にした二人の向こう、少し遠くで壁にもたれかかって何か雑談してる風なのは……、
―――あ。あの人たち……。
そ、そうだよ、サムくんっ。あのプリント寄越しの茶髪三人だよ。うわぁ……出くわしちゃったよ。というか、三階にいるってことはやっぱり先輩だったってことじゃない。
じっと様子をうかがってると三人の大きな話し声がここまで聞こえてきた。
「というかさー、あいつほんっとムカつくわ」
「あいつって誰だよ?」
「昼のプリント渡したあいつのことだよ」
「ああ。お前、またその話かよ」
「だってよ、マジでムカつくだろ。俺らちゃんとプリント持ってくよう頼んだじゃん! それが職員室に返しにきたって、ハア? だろ! ハアッ? おかげで担任にまたキレられるしよ。チッ。あいつ今度会ったらマジでシメるわ」
茶髪の一人が拳を手の平で打ち鳴らす。いやぁ、すっごく苛立ってる声だね。
――おい……。貴様、案の定面倒なことになってるではないか! だからハラワタは煮えくり返るが頼みを果たしておけと言ったんだ!
いやいや、ミドルくん。それにしても理不尽過ぎでしょ、あれ! あの先生も何であの人たちに言っちゃうかなぁ? 僕のことも考えてほしいよ。
僕がジッと茶髪たちの様子をうかがってると盾にしてる鈴木くんが、「どうしたの?」と心配そうな声をかけてきた。
「いや、何でもないよ。早く音楽室に行こうか」
僕は茶髪たちに見られないようソーっと音楽室に向かう。背筋がソワソワする。茶髪たちのいる方と音楽室が反対方向なのはよかった。音楽室に入ると安堵のため息が出た。なんか、ドッと疲れた。
「あぁー、帰りたい。いや、深刻に」
………………
…………
……
気付くとぼくは椅子に座って音楽の授業を受けていた。腕はギターを抱えてる。周りの人たちが練習している音を聞きながら、ぼくは席を周って皆に指導をしてる女の先生に見咎められないようにプリントを見つめてるふりをしながら、でも頭の中で聞こえる声の方を気にした。
――それで、どうするんだ? 馬鹿どもに目をつけられたぞ。これからずっと先ほどのようにコソコソと過ごすつもりか? 冗談じゃない! いっそ本当に手を出してきたら何とでも陥れてやれるが、一度やられなければならんというのはそれはそれで癪な話だ。
――うーん……。まあ、でも、そんなにずーっとは今日のこと覚えてないでしょ、多分。それどころか明日にはもう忘れてますよきっと。ね? ね? だから今日はこの後、サッと帰ろう。それしかないでしょ?
ミドルの怒った声とリングのなだめる声が聞こえる。
……でも、そもそも原因を作ったのはぼくなんだよね。あのとき、ぼくがちゃんと断ることさえできれば……。
「はあ……」
やっぱりこんなぼくじゃ恋愛なんて無理かな。好かれるわけないよね。
じくじくと胸が嫌な気持ちにうずく。なんとなく、試しにギターを一度弾いてみるとかすれた音しか出なかった。
ギターも弾き方がよくわからないんだよなぁ……。
放課後になった。特に何か用事があるわけじゃない。
――さあ、サムくん。万が一あの人たちに出くわす前に早く帰ろう! スーパーダッシュでね。
でも、リングが言う通り、今日は早く学校から出ないといけない。田中くんと鈴木くんにちょっと声をかけて教室を出た。
それにしても、先輩たち、今度会ったらシメるなんて言ってたけど本当にやるつもりかな?
出くわしちゃいけないと思うと、廊下にいるだけで周りが気になって落ち着かない気持ちになる。
ぼくは下駄箱まで急いだ。最後の授業が移動教室で帰りのホームルームが遅れたから玄関にはもう色々な学年の人たちがいた。ざわざわと騒がしい玄関に先輩たちがいないことをおそるおそる確認して、靴を履き替えると外に出る。早足で学校の端にある駐輪所に近づくにつれて、自転車通学の人はのんびりしてるのか、みんな部活があるのか人が少なくなっていって、木や藪が生えてるだけの静かで寂しい道には周りを見渡してもぼく一人になった。
誰もいないし、ここまで来たら大丈夫かなと思ってぼくは歩きを緩めた。あとは自転車に乗ったら正門じゃなくて裏門から出ればそれで多分出くわさずに済むと思う。
――いいね! サムくん。いやぁ、とにかく今日はこのまま何事もなく済みそうだ。
――明日は知れんがな。
――大丈夫だって。忘れてるよ。
「あーっ!」
でもそのとき、突然大声が上がってぼくの肩と心臓がぎくりと跳ね上がった。
――な、なになに? まさか。
慌てて辺りを見回すけど、誰もいない。進もうとしてた道には校舎でできた曲がり角があって、そこを覗き込むと二人のギャルっぽい女子がいた。
「最悪。ゴミ袋破けたじゃん!」
二人のうちの一人が持つゴミ袋は大きく裂けて、足元には袋の中のほとんどのゴミが散らばっている。きっと建物に沿って植えてある低木にひっかけたんだと思う。
――なんだ。そんなことか。そういえば、この道の先はゴミ捨て場だったっけ? そうと分かれば行こう。サムくん。
二人はゴミを拾い集めるのが嫌だと騒いでるけど、ぼくも長居できないし、悪いけどここは自分たちで片付けてもらおう。
「あ! そこの子、ちょっといい?」
そう思って通り過ぎようとしたとたんに、そう声が上がった。え? ぼく? と思って止まったけど、またそのすぐ後に、
「え? あ、はい! なんでしょうか?」
とよく通る明るい女の子の声が響いた。
見てみると、ゴミ捨て場の方から子どもっぽい顔をした小柄な女の子が一人で歩いてきてた。女の子は散らばってるゴミを見ると、「わっ! どうしたんですか? これ」と二人の方へ近寄った。
「ちょっとやっちゃってさぁ。あなた一年生でしょ? それで悪いんだけどお願いがあるんだよね。今から職員室に行ってゴミ袋取ってきてさ。このゴミをゴミ袋に入れてここ片付けといてくれない? あ、もちろんその後ゴミはゴミ置き場に持って行ってね」
「え? わ、わたしがですか? けど、それじゃあ先輩たちは?」
「ああー……。あたしらさ、これからちょっと急ぎの用があるのよ。だからあなたにお願いしなきゃなんないの」
「ええっ、わたし一人でっ?」
あの二人は嫌な仕事をあの一年生の子に押し付けようとしてるみたいだ。
――フンっ。どこかで見たような話だな。
さすがに関係ない女の子にゴミの片づけを一人で任せるのはひどい、と思ったとき、
「おい。何やってんの? ゴミ捨て終わった? 早くカラオケ行こうぜ」
と三人の側にある扉が突然開きながら、そんな声が聞こえた。そこから出てきた三人の男子は、ドキッとすることにあの先輩たちだった。
――げっ! ちょっとちょっと! なんであんな変なとこから出てくるんですか、あの三人。永久歯か?
「いや、まだ。ゴミ袋破っちゃってさ。この子に片づけをお願いしてるとこ」
それに「はあ?」と言った茶髪の先輩たちが一年生の子を見ると、「おっ!」と声を上げてあの子に近づいた。
「かわいいじゃん! 一年生? 俺たちこれからカラオケ行くんだけどさ。君も一緒にどう?」
「え、わ、わたしですかっ?」
「ちょっと! あたしたちと行くんじゃなかったの?」
「いや、お前らも後から来ればいいじゃん。というかお前らさぁ、こんな後輩に嫌なことを押し付けるってどうかと思うよ、俺は。なあ? 後輩ちゃん」
――チッ。あの馬鹿め。どの面下げてあんなことを言うんだっ?
――でも、ああいうこと言えるからモテるんじゃないっすか? どうせ。
先輩たちは一年生の子を口説き始めた。なんだかこの数十秒の間にとんでもない状況になっちゃった。一年生の子に言い寄ってる先輩たちと、腕を組んで多分あの子を睨んでるんだろうギャルの人たち二人。あの人たちに囲まれてるあの子は、とても困った表情をしてる。
そして、それをいつの間にか建物の陰に隠れて見てるぼく。それに気付くと、何かが心を締め付けてくるように息苦しくなって、自然と足が前に出た。
――やめておけ。
途端にミドルの冷静な声が響いた。
――あそこにいるのは我々を恨んでる馬鹿どもだぞ。お前が繰り出せばあの場がさらにこじれるのは明らかだ。加えて、放っておいても常識的に考えればさすがのやつらもあの女生徒に対して取り返しのつかないような大事を起こすとは思えない。さらに我々にあの女生徒を助ける義理もメリットもない。その上、出て行って、いったいどうする?
ぼくの足はその声を聞いて止まった。そうだとぼくも思った。ぼくが出て行ってあの状況を解決できる想像がつかない。
……けど、そう思うとそれはそれでやっぱり胸の締め付けられる感じがした。
「あ、あのぉ! ざんねん! とぉーってもざんねんなんですが、わたし、これから用事があるのでちょっと遊びには行けないんです。すみません! えへへ……」
「ええー、それ明日に回したりできないの? ちょっと考えてみてよ」
「というか、このゴミ。結局あたしらが片付けるわけ?」
あの子は明らかに困ってる。それを見ながらぼくは助ける気が起きないでいる。ミドルの言ったようなメリットとかそういうことじゃなくて勇気が。
やっぱり、ぼくは……ダメなやつ……。
……けど、ここでとにかく出て行けばそれも変われるんじゃないかっていう期待も胸に膨らんで仕方がなかった。
どうしよう。どうしよう、どうしよう。体は強張って、固い。
「あはははは……」
これまでいろいろ言い訳していた一年生の子がもう何も言えずにただ愛想笑いをするようになっちゃった。すると先輩たちの誘い方がさっきより強めになる。
「あの……何をやってるんですか? どうかしましたか?」
気付けばぼくはそう声をかけながら微妙に右手を上げて一歩踏み出していた。
「はあ? なに?」
みんなが一斉にこっちを向いて、ぼくののどがウっと詰まるのがわかる。
――馬鹿! 出て行くならせめて堂々と威圧する態度で出て行け!
ミドルが叫ぶとそのすぐ後に、「あっ! お前!」と先輩の一人がそれより大きな声を上げてこっちに走り寄ってきた。
そして先輩はぼくの肩に腕を回してきた。すごい力で、ぼくは「わっ」と声を上げて前のめりになる。
「お前、ちょっとこっち来いな」
笑ってるような声で言うと、先輩はぼくをみんながいる方にぐいぐいと引っ張っていく。ぼくは地面を見ながら物凄く不安になってきた。
――いやぁ、見事に不穏な展開だね。
――軽く言ってる場合かっ。この下種めっ、俺の体に手荒な真似をっ!