十一話 不気味な後輩
「先輩。一緒に帰りましょー」
放課後。教室から廊下に出た途端、声をかけられた。窓側の壁に寄りかかって待っていたのは蔵園こころだった。
彼女を見ると、フフ……と笑いたくなるような気分がこみ上げてくる。こいつ……いくらなんでもやって来すぎだ! この調子で今後も来られては自由に動けんぞ。こいつの行動を牽制しておくか。
彼女へ頷いて廊下を歩き出す。彼女も隣についてくる。
「今日も一日終わりましたね。今日は体育があったから疲れました。先輩は今日は何の授業があったんですか? 二年生の勉強って難しいですか?」
疲れてるというわりにはやかましいな。
「今日は基本教科ばかりだよ。あと、勉強は難しくない。少なくとも俺にとってはね。でも、しっかりと学習していれば誰にとっても難しくないはずだと思うよ。ところでこころさん、君、俺と帰っていいのかい?」
「え?」
「思い違いをしないで欲しいんだけど、俺としては君と帰るのは問題じゃないよ。俺は自転車通学だけど、君が歩きなら途中まで自転車を押して帰ってもいい。今言ってることは君の人間関係のことさ。クラスの友達と帰らなくてもいいのかな?」
「うーん……先輩の言う通りクラスの子と一緒にいるのも大切ですけど、その子たちとは教室で話したりできますから。それに、先輩と話すの楽しいですし!」
こころが華やかな笑みを向けてくる。
「いやいや、君はまだ入学したばかりだろう。友達を作って仲良くなっていくにはこの初めの時期が肝心。今は俺より友達を優先したほうがいいよ。先輩としてのアドバイスさ」
「アドバイスですか。そうですよねぇ……。わたしのことは置いておいて、先輩も友達付き合いがありますもんね……。お昼、わたしが押しかけちゃったせいで先輩は友達とご飯食べられなかったわけですし」
ほお。言おうとは思っていたが俺から言えば当てこすりになるなと考えていたことを自分から言ってくれたな。そういう気のつくところは嫌いじゃないぞ、蔵園こころ。
「まあね。それに君も昼は友達と食べたほうがいい。俺と食べてばかりいて君がクラスで孤立しないか心配なんだよ。こっちは」
――つくづく、上手く自分の思い通りにしようと口が回るもんだな。
だが、実際に蔵園こころのためになるアドバイスだ、インデックス。蔵園こころが我々に執着し構い過ぎるなどという双方得にならん事態になるのは俺は我慢ならんのでな。蔵園こころは我々から離れ、場合によって新しい恋を見つける。我々は蔵園こころが離れ、自分の目的に集中することができる。これが最大多数の最大幸福というものだろう。
――ああ、なんか聞いたことあるわ。
「心配してくれてありがとうございます、先輩。はあ……。難しいですね……。本当は今日のお昼休み、わたしの友達と先輩の友達も一緒にみんなでご飯食べられたらいいなって思ってたんです。でも加奈ちゃんは今日は誘っても断られちゃったし、先輩の友達の人たちも気を利かせてくれましたし、なかなか思い通りにいきませんね……」
「うーん」蔵園こころはため息こそ吐かないが、それらしく髪をかき乱した。
加奈、というと今日出会った、人瀬美咲の部活の後輩の足軽加奈だろう。
――こころ、意外にそういうことを考えてたんだな。そもそもフラれても諦めずに行動してるって点でオレはこころを見習わなきゃならねぇわけだ。……まずいな。こころを見習う限り行動は早いほうがいいってのに、今日は美咲に会えなかったぞ。遅れると芽が潰れてく。
インデックスが実に結構なことを呟く。そう考えると、蔵園こころに構われて行動を制限されるのもあながち悪いことばかりではないな。下駄箱に着いた。
「靴を履き替えたら校門で待っててくれるかな? 自転車を取りに行ってくるから」
学年の違う蔵園こころと別れて、それぞれ自分の靴箱がある列に入る。
「あ」
「……」
口を開けてこちらを見る、背の高いポニーテ―ルの女生徒。鞄を肩に靴箱の戸を開けていたのは人瀬美咲だった。
――運がいいのか、悪いのか。オレが表に出てないときに会っちまうとはな。
フンッ、俺にとっても不運だ。このまま出くわさずに自然と関係が消滅してくれるのが俺にとっては最善だったのだが、会ってしまうとはな。
「や、やあ! 一樹くん。今帰り?」
困ったような苦笑で声をかけてくる。
「うん。そうだよ」
「そっか……」と呟いたきり、人瀬美咲は目線を上げてあらぬ方向を見た。何かを考えているかのように。微妙な、無言の空白の時間が流れ始めた。
「あー……」
と思いきや、人瀬美咲は突然後頭部をかき乱した。そして再び俺に引き締めた目を向けてくる。
「一樹くん。昨日のことは結局どう――」
「先輩? 靴履けましたか? あ」
「あ」
こちらの列にやってきた蔵園こころと、声に振り向いた人瀬美咲が顔を合わせた。二人は固まっている。
――おいおい……これって修羅場ってやつになるのか?
いや、さすがに修羅場というほどの事態にはならんだろう。そもそも人瀬美咲の我々への想いはまだよくわからないところがある。だが、どちらかが相手に少し突っかかるぐらいのことはあるかもしれん。そうなれば面白い。人瀬美咲の考えを透けて見ることができるかもしれん。
――そうなっちまうと胸糞わりぃな。おい、そうなったら止めろよ?
止めるさ。さあ、どうなるか。
「こ、こんにちは人瀬先輩」
蔵園こころがぎこちない笑みで言った。
「ああ、うん、こんにちは。そういえば、加奈の友達ってこころちゃんなんだって?」
「あ、はい。そうです。人瀬先輩も、今から部活ですか?」
「あー……ううん。今日はちょっと用事があるから、もう帰る」
「そうですか。あの……わたし、向こうで待ってますね! 先輩たち、お話があるでしょうし邪魔してごめんなさい。それじゃあ」
蔵園こころが小走りに玄関を出ていく。若干早口でぎこちなくはあったが、特に揉め事もなく会話は終わってしまった。まあ、双方そんな性格でもないか。
人瀬美咲がゆっくりとこちらへ振り返る。「結局、あの後あの子と付き合うことにしたんだ。そっかそっか」彼女は薄ぼんやりとした淡い笑みを向けてきた。
「いいや。告白は断ったよ」
「えっ! でも、一緒にいたじゃないか!」
人瀬美咲が一歩詰め寄ってきた。
「告白が実らなかったからって必ずしもそれでお終いというわけじゃない。友達としての関係が続くこともある、ということだよ」
「なんか、随分大人っぽいこと言うねぇ……」
嘘を吐いても仕方がないから本当のことを言った。人瀬美咲と結ばれることを防ぐために嘘を吐けば蔵園こころとの関係が恋人だと認識されてしまう。だが、蔵園こころの告白を断ったと真実を言うことはつまり……。
「じゃあ、あたしに告白してくれたときの気持ちがまだ一樹くんにあるって、考えてもいいのかな……?」
つまり、当然こういうことになる。人瀬美咲は一目見てあからさまに喜んでいるとわかるような笑顔を浮かべているわけではないが、若干照れたような、はにかんだような、少なくとも悪く思ってるようには見えない表情をしている。まったく、あちらを立てなきゃこちらが立つ、だな。
いっそのこと、このままデートにでも誘うか。
――なに? どういうつもりだ?
人間は関係が近くなるほどその相手を嫌いやすくもなるからな。ここは困難に立ち向かい、肉を切らせて骨を立つ。要するにあえてデートをしてそこで堂々と嫌われるというのも手だなと思ったのだ。
――そういうことかよ!
「美咲さん。実は――」
「あ! ご、ごめん一樹くん。あたしもう行くから」
人瀬美咲は突然そう言うと、足早に玄関を出ていった。俺は一人残されてしまった。
「……なんだ?」
せっかく俺が誘おうと思っていたのに。話を聞かんとは。ええい、やつめ、つくづくこちらの思い通りにならんな。
腹は立つが、仕方がない。自転車を取り、校門に行くと蔵園こころが門の近くに佇んで待っていた。
「あ、先輩。行きましょうか」
……ん? あのやかましさが若干落ち着いているな。同じく下校する生徒たちに混ざって二人並んで校門から出る。……。道が分かれて人の行き先が分散して、俺たちの近くに誰もいなくなる。それでも、これまでやたらと話しかけてきた蔵園こころは歩くばかりで珍しく黙ったままでいる。
「こころさん。道はこっちでいいのかな? 家は学校から近いの?」
「あ、はい。徒歩通学なのでけっこう近いです」
そして、蔵園こころは話を続けることはなかった。また黙った。
「先輩。聞いてもいいですか?」
と、ややあって彼女がいつもより硬い声で言い出した。
「先輩、人瀬先輩のこと、好きですか?」
「……」
彼女の見上げてきた瞳は切々と真剣な色をしている。
……薄々思っていたが、蔵園こころはインデックスが人瀬美咲に告白したことを知っているのではないか? それが運動場で直接現場を見ていたのか、はたまたあのとき現場にやってきて何かに勘付いた足軽加奈を通じて知ったのかは定かではないが、その可能性は高い。そう考えると、蔵園こころが我々に告白したこと――あんな廊下でいきなり告白したことを含めてあのときの彼女の様々な行動につじつまが合う。
――要するに、こころは後藤一樹が美咲に告白したことを知って慌てて自分も告白してきたってことか……?
そう考えるのが自然だな。そして、その事実に彼女は今こうして向き合おうとしている。我々のことを好きだというなら向き合わざるをえないことだ。なるほど……この揺れる目。湖のように美しいとはこのことだ。いじらしいじゃないか。さしもの俺も心動くものがあるぞ。
「美咲さんに告白したことは事実かな。断られたけどね」俺はふっと軽くため息を吐く。
「そうですか……」蔵園こころは目を伏せた。
――それでもそうは言うんだな。
ここで嘘を吐く方が不義理だろう。加えて、そもそも蔵園こころは我々に告白を断られていることを承知しているのだからな。ここから身を退いて諦めるか、それでもなおやはり諦めんとするかは彼女次第だ。
――ま、そりゃそうだ。
さて、どちらを選ぶのか。非常に興味を引かれるところだな。
「先輩」伏せていた目を上げた。
「うん?」
「もしよかったら、先輩が人瀬先輩と仲良くなれるようにわたし、お手伝いしましょうか?」
彼女はニコ、と笑って言った。
は?
「えっと……それはどういうことかな?」
「それなら先輩が嬉しいかなって思いまして。そうなればわたしのこと好きになってくれるかな? って」
彼女はそのまま、あはは、とでもいうふうに笑っている。
なるほど……。フフ、そういうことか。
「蔵園こころ。貴様、どういうつもりだ?」
「え? ……ど、どうしちゃったんですか先輩? 急に怖い顔して……」
「貴様は我々のことを好きなのではなかったのか? いや、今言った貴様の拙い考えはわかる。だが、それは全く道理に合わない。間尺に合わない。意味がわからない」
のどに刺激を感じるほどに口をついて言葉が出てくる。改めて見ると、蔵園こころはいかにも動転した、怯えた表情と目をしている。そして、そうするだけで何も言わない。
「わけがわからん奴だ。おぞましい。俺はもう行く。帰るのはここまでだ」
俺は自転車に乗ってペダルを漕いだ。流れるように進み出す。速度からいって蔵園こころとすでに数十メートルは離れたという目算は浮かぶ。特に声がかけられることはなかった。
早く家に帰りつきたい気分だ。
――何もキレることはねぇだろう。
馬鹿な。怒ってなどいない。俺は不気味な奴が嫌いなだけだ。




