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十話 寄せてくる後輩

 また晴れやかな朝が来てしまった。そして学校の駐輪場に着いてしまった。自転車を止めることですら、止めてただ校舎に向かって歩くのですら体がものっすごいダルい。いや、来たよ? もう学校には来ましたけど……うっひょー、行きたくねー!


 ――毎朝毎朝飽きもせず表に出りゃ毎度それ言うな、お前。ま、学校がかったるいってのはオレも同じだが。といってもお前の場合元気そうじゃねぇか。


 まあ、元気っちゃ元気だよインディくん。元気に行きたくないんだよ。なんかこう、学校から飛び出して他のどこかに行きたい衝動がしてたまらないんだな。青春っぽくさ。若者っぽくさ。


 ――青春ね。学校出てどこ行きたいんだよ? 街のほうか? 高原とかか?


 家に帰ってゲームしたい。


 ――結局それかよ。


「あ! 来た! 先輩!」


 そんな声が聞こえた。僕の横に誰かが並んだのを感じる。見ると、例のこころさんだった。


「おはようございます先輩!」


 肩にかけたカバンをかけ直しながらにっこり笑いかけてくる。


「おはよう。早速会ったねぇ」


 ちょっとびっくりしたよ。


「実は先輩が来ないかなと思って自転車置き場の方を見てちょっと待ってたんです。もう行こうかなって思ってたところだったんですけど。いやー、今日はラッキーな一日みたいですね!」


 この子が僕たちのこと好きだって? いやぁ……はっはっはっは、なんか心の中で笑いが出てくる。この状況が恥ずかしい。体がむずむずする。さすがにドギマギしちゃうね。


「しっかし、朝から元気だね、こころさん。若いなぁー。この学校の嫌な所を一つ一つ教えてあげようか?」

「なんでやねん! ……えへへ」


 ほんとに元気だね、君。


「言っちゃいますけど、まあ……先輩と会えたからです。今こころって呼んでくれましたし……。そういうことですよ、先輩! ……わかります?」


 こころさんがうかがうようにチラチラとこっちを見上げてきた。


「ああ……僕も元気が」

「え? 先輩も元気出ましたかっ?」

「元気が、吸い取られる……」

「もぉー! なんでですかー」



「わっ、先輩だ! こんなところで偶然会うなんて、やっぱり今日はラッキーですね」

「蔵園さん。あはは……。そうだね。また偶然だね」


 二時間目の授業が終わった休み時間に廊下でまた前から歩いてきた蔵園さんと出会った。体操服を着て少し汗をかいてる。横にはもう一人やっぱり体操服を着た髪を二つ結びにした女の子がいる。友達なんだと思う一年生のはずだけど、そのわりに蔵園さんと比べても背が高くてスラリとしてる。蔵園さんが笑顔でこっちに小走りに寄ってきて、隣の子もよくわからない顔をして一応っていうふうにそれについてきた。


「先輩。こんなところで何してるんですか?」

「自販機に飲み物を買いに行こうと思ってて、その途中だよ」


 でも、この後ろの子、どこかで見たことある。と思ったら、そうだ、人瀬さんと徒競走をした後に呼びに来た子じゃなかったかな?


 ――あぁ。そういえばこんな顔だったな。名前は思い出せねぇが。


 たぶん、加奈って呼ばれてたと思う。


 ――ああ、そうだったか?

 ――君が覚えてなくてどうするんすかインディくん。


「わたしたち、さっきまで体育だったんですよ。先輩は体育得意ですか?」

「え? いや、あんまり好きじゃないかな」

「えっ? そうなんですか? ……またまたー。だって先輩、わたしあのときの拳に世界を見ましたよ?」

「世界? あはは……いや、それは言い過ぎでしょ」


 それにぼくが運動が苦手なのは本当だし。


 ――サムくん。体育が終わりごろになると時計見て、あと十分か、みたいなこと考えては六百、五九九、五九八……って心の中で終わりまでの時間を数え始めるもんね。

 ――嫌がり過ぎだろ。


「でも先輩、この加奈ちゃんもすごく足が速いんですよ。こちら足軽加奈ちゃん。わたしの友達です」


 手持無沙汰っていう感じに立っていた足軽さんが蔵園さんに振り向かれると「……どうも」と目を伏せるぐらいにちょっとだけ頭を下げてきた。ぼくも頭を下げて「よろしくね」と付け加えておく。そういえば、この子はぼくのこと覚えてるのかな?


「こころ。この人は?」

「この人は後藤一樹先輩! 二年生だよ」

「へえ……」


 足軽さんはこっちを眺め下して、上げてくる。なんだか観察されてるみたいで少しそわそわしてくる。


 ――そもそも蔵園こころは我々の名前を知っていたのか。この後輩に名乗った覚えはないが、覚え違いか……?


 ミドルが言う。


「ねえ、こころ。この先輩、もしかしてこころの恋人、とかそういうことなの?」

「……」


 そんなことを足軽さんが急に言い出した。一瞬、息が詰まる。爆弾が近くで爆発したその後みたいな気分がした。


「いや……。あはは! 違うよ。実は昨日、先輩に告白したんだけど断られちゃったんだ」


 ……………………。

 ……いや、本当に爆弾が爆発した後みたいな気分になったのは今の方だった。ぼくたちの立つ合間にある空気が一気になくなったみたいに静かになった。いたたまれないぐらい気まずい……。


 ――そりゃそうでしょ……!


 リングの声だけが力強い。


「……あはは。でもね! それでもわたし、これから先輩に好きになってもらえるように色々やってみようと思ってるんだ! 諦めてはないんだよ? ……それじゃあ先輩! わたしたち次の授業が始まる前に着替えないといけないのでもう行きますね? あ、そうだ。お昼一緒に食べませんか? お昼休みになったら教室に行きますから、よければ待っててくださいね!」


 蔵園さんは静かな空気を打ち破るみたいに笑うと、トトト……、とぼくの横を小走りに走り抜けていった。後にはぼくと足軽さんだけが残される。


「……ふうん」追いかけていくかと思ったけど、足軽さんはぼくをじっと見てきた。眉を寄せて、首をひねった。


「フラれたけど色々やってみる……ね。そんなことをやるほどの人には見えないけど……」


 もしかしたら口の中だけでつぶやくだけで、ぼくに聞かせようと思った言葉じゃなかったかもしれない。けど、たしかに聞こえた。


 ――わお! 言うねぇ! 一応先輩ですよ? 僕ら。


 そして、興味を失ったみたいにぼくから目を離した足軽さんは横を通って蔵園さんを追いかけていった。


 ――足軽加奈か。最初見たときから小生意気そうな面してると思ったが、見た目通りみてぇだな。あれが美咲の部活の後輩ってことでいいんだよな?


 インデックスが言った。



「……お邪魔しまーす。あ、ここか。先輩! 来ましたよー!」


 やっと昼休みになって、鈴木田中の二人といつも通り飯を食おうと集まって座った矢先。見ると、教室の入り口にこころが笑顔を出していた。声を上げたこころは教室にいる奴ら皆から見られながら、オレの方を見つめてそそくさと机の間を抜けてこっちに来る。視線の針につつかれる子犬みたいだな。


「先輩。宣言通り来ました。お昼ご飯今からですよねっ? わたしも混ぜてください」

「お前、本当に来たのかよ。あれだけ言っといて、あれ? 何日経っても来ねぇな、ってなったら逆に面白かったんだけどな」

「もぉー! そんなことあるわけないじゃないですか。昨日わたしがどんな気持ちで言ったと思うんですか」


 あながちあり得ないことでもないと思うけどな。突然面倒になったり飽きたり。ま、来たってならしょうがない。


「わりぃけど今日は外で食わねぇか? 一緒に飯食うって話があったんだけど、教室だとこいつが食いにくいだろうから。ああ、あと、こいつも一緒でいいか?」


 鈴木田中の二人にそう言ってみる。こころにとっちゃ上級生の教室だし、おまけにざっと見ても教室から結構注目くらってるのがわかるからな。


 ――ちっ、後輩の女子がこうして昼食に誘いにくるところをこうして見られるとは……これでは後藤一樹に変なイメージが……!

 ――別にそれは構わんだろう。悪目立ちではない。後輩が昼食に誘いにきた程度でおかしく思うやつがいるものか。衆目は気にする必要はない。

 ――あ、ミドルくん、ここはいいんだ。


「それはひとまず置いといて後藤くん。どちら様……?」


 鈴木がこころをそっと見ながら聞いてきた。


「一年の蔵園こころ。ちょっと縁ができて最近知り合ったんだ」

「よろしくお願いします」


 こころが律儀に頭を下げる。と、鈴木田中もぎこちなく頭を下げ返した。何をちょっと緊張してんだこいつら。


「で、飯の話はどうする?」

「あー……おれたちはここで食べるからお前らは二人で食べてくれば?」


 オレが聞くと田中が言った。


「お前ら行かねぇのか?」

「行かねぇよ。その子は一樹と食べようって来たんだろ? なら二人のほうがいいじゃん。いってらっしゃい」

「あ……。すみません。ありがとうございます!」


 田中は礼を言ったこころに頷きながら手をひらひらと振るような動きをした。照れてんのか?


「ま、それなら行くか」弁当を持って椅子から立ち上がる。

「はい!」

「きゃっ」

「え? あっ! ごめんなさい!」


 こころが動いた拍子に、誰かにぶつかったらしい。こころはすぐに倒れ込んだその誰かの側にしゃがみ込んだ。やっちまったな。


「お、っとぉ……」


 と思ってたら、オレの口から無意識にそう言葉が漏れてた。見ると、倒れ込んでたのはサムお目当ての親月だった。


「大丈夫ですかっ? ごめんなさい。ごめんなさい!」

「ええ。大丈夫よ。ありがとう」


 こころに手を引かれて助け起こされる親月は意外にも慌てるこころをいたわるような笑顔を向けながら起き上がった。だが、起き上がってオレの顔を見たと思ったら、すぐに妙に強張った顔をしてきやがった。


「よ、よお。悪かったな。ぶつかってやろうなんて悪気は当然なかったんだ。許してくれ……」


 オレがそう言っても親月は何も返してくる気配がない。難しい顔をしたまんまだった。


 ――まあ、親月さんにしたら僕たち、古本屋でどこの者とも知れないおっさんが売ったかもしれないすけべ本をあえて買って興奮してるようなやつだからね。


 この野郎、お前のせいだろうがリング! つーかよ、ミドルが前に悪評が立つうんぬん言ってたが、だったらこいつのその認識こそまずいんじゃねぇのかっ?


「なあ、親月。お前まだあのとき、オレがあんな話を聞かせたことを怒ったりしてんのか? いや、たしかに下らねぇ話聞かせたのはオレだが、お前にわざと聞かせようと思ってやったことじゃねぇし、ウケを狙ったしょうもねぇ話じゃねぇか。いい加減機嫌直さねぇか?」


 いつの間にかオレの横を通り過ぎようとしていた親月に振り向きながら言ってみる。親月は立ち止まって振り返った。そのままジッとこっちを見てくる。だが、その視線がオレじゃなくてこころに向いているのがすぐに読めた。


「あなたは、この人の本性を知ってるのかしら?」


 親月が冷めた、静かな声で言った。


「え? 本性ですか? え、ええっと……。あ! その、ああ、知らないです。えへへ……」


 想像だが、こころのやつ、自分が助けられたときにオレが喧嘩したことを思い出した気がする。あのときのことは秘密だってミドルと約束してたからな。


「そう……。ぶつかったのは事故だし、私も怪我とかはしてないから気にしないでね」


 親月はそう言いながらまた笑顔を浮かべると、結局オレの方は見もせずに背を向けて歩いていった。

 おい、サム。こういうのは何だけどよ。あれは無理じゃねぇか?

 口がため息を吐いた気がするけど、それもよくわからなかった。

 気を取り直して、こころと二人で教室を出ることにする。


「それで先輩。どこでご飯食べますか?」

「テラスだな。食うとしたらそこだ」

「テラスですか。いいですね! そういえばわたし、この学校に入って教室以外でお昼食べるの初めてですよっ」


 というわけで廊下を歩き始める。こころもオレの隣をついてくる。


「ところで、先輩。さっきの人のことですけど。あの人もわたしの上級生だってことでいいんですよね? わたしよりも背が低くてかわいい人でしたけど」


 あの人ってのは十中八九親月のことだろうな。


「先輩、あの人と何かあったんですか……? ケンカとか……」


 すぐにそう言いながらこころはこっちを見上げてきた。さっきのやり取りでなにか察したのかやけに心配そうな顔つきをしてる。


 ――あんまりそわそわしないで、理由はすけべ本だから! ってか? あっはっはっはっは!


 リングの野郎、開き直りやがったぞ。


 ――まあ、でもインディくん。こころさんに心配かけさせてるって思ったままなのも精神的にしんどいし、もういっそのことそう言ってみればいいんじゃない? というより、このこころさんがそのことを知ったらどういう反応をするのか好奇心が出てきたよ。


 それもそうだな。たしかにそれは面白そうだ。


 ――おい! なぜ自ら醜聞を広めるような真似をしなければならんのだ。


 と言ってもミドル。こころに愛想つかせたほうが都合がいいはずだろ?


 ――それはその通りだが、他にいくらでも方法があるだろう!


 ま、しかしよ。こころのことだからケラケラ笑い出すだけとか、そんな感じじゃねぇのか?


 ――まあ、短い付き合いだけどそんなイメージするね。


 ということで、ケンカっていうか、と前置きしてこころにいきさつを説明してみる。


「もぉー! せんぱーい!」聞くとこころは高い声を上げた。「そういう本を買うのはいいし、親月先輩に聞かれたのはわざとじゃないのでしょうがないですけど、そんな話女の子にしちゃ駄目でしょう。躊躇してくださいよ」


 そして意外と呆れた目で見られた。


 ――あ、こころさん、ここはダメなんだ。


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