エピローグ
最後の締めです。
死ぬときに人は走馬灯を見るという。
拙にも見えてきた。あれは、あの方と出会った頃だ。
「動きがなっておらんぞ。怜門」
「申し訳ありません」
忍びの子は忍びとして生きる。
そんな教えのために、拙は生まれて一年くらいから修業を始めた。
「長門守様。秘伝書のありかがわかりました」
「わかった。怜門。初仕事だ」
部下に聞きながら、父は片手で秘伝書のありかを地図に記す。その間も拙との組み手はやめていない。
「わかりました」
負けじと声を出すが、父の掌打を顎に食らってしまう。
拙は飛ばされ、川へと落ちた。
「仕事中に油断すれば死ぬぞ。さっさと準備をしろ」
習うより慣れろ。実戦で使えなくては意味がない。
父はいつもそういっていた。そして、拙は七つの時のそれが初仕事だった。
「行ってきます」
黒装束に着替え、必要な道具は持った。
「生きて戻ってこい」
父から地図を受け取って、拙の初仕事が始まった。
秘伝書を盗み出すところまでは成功した。でも、敵の追手が強すぎる。
残りの道具は煙玉一つだけ。
「見つけたぞ。さあ、秘伝書を返してもらおうか」
追いつかれた! 人数は六人。拙はとっさに煙玉を使った。
とにかく逃げようとして、足が止まる。
後ろは川だった。流れも速く、深さもありそうだ。入ったなら助からないだろう。
「くそっ。何も見えねぇ」
「後ろは川だ。逃げられねぇさ」
「間を開けるな。抜けられるぞ」
相手のほうが地理に敏い。煙が晴れるまで時間もない。どうしたら……
と、何かを蹴る音がした。
「ぐっ……」
腹部に小さな球がぶつかった。思わずよろけて倒れてしまう。
まともに水を飲んでしまい、息が出来ない。意識が遠くなっていく。
忍びは秘薬のおかげで長寿だなんて、嘘じゃないか。拙はもう、死んじゃうよ……。
「目が覚めた?」
目を開けると、見知らぬ少女が拙を見下ろしていた。年は拙より二つくらい上だろうか。
起き上がろうとして、全身に力が入らないことに気が付く。
「あ、動かないで」
少女に言われるまでもなく、体は動かなかった。
その時、おなかが鳴った。こんな時でもおなかはすくらしい。
「なんか食べ物もらってくるね」
少女は着物をはためかせて去っていった。
高そうな着物だった。きっといい身分の娘なのだろう。
自分とは違う彼女の姿に拙はあこがれた。その一方で仕事を果たさなければいけないと必死に体を動かそうともしていた。
だが、少女に看病をされているうちに、仕事のことを忘れる日が増えていった。
月日が流れていくうちに、少女の名を知った。身分を知った。彼女がよく親に隠れて拾ってきた猫を育てていることも知った。拙は猫か。まあ、猫かな。
猫なんてねずみを狩るだけの存在。忍びである拙もある意味同じなのかもしれない。
拙は猫か。いや、拙は猫になろう。
お市様のねずみを狩る猫になろう。
「拙はあなたの猫になります。ねずみを狩る力を手に入れてきます」
「ちゃんと、戻ってきてくれるのよね?」
「必ず」
少女が安心したような顔をする。この笑顔を守らなくてはならない。
拙はボロボロになった秘伝書をもって、父の元に戻った。
「生きておったか。怜門よ」
「はい。ですが、秘伝書は」
「他の者の手に渡らなければ十分だ。よくやった」
拙が秘伝書を出さなくても、父は状況を理解していた。
「父上、拙は強くなりたいです」
「……そうか。よし、なら次の仕事だ」
そういった父の目は、嬉しそうでも悲しそうでもあった。
走馬灯もこれで終わり。
人生六十二年。拙もそちらへ参ります。お市様、父上。
ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。