関ケ原に向けて 治長編
大野治長目線の、関ケ原へ向けての動きです。
太閤殿下の死後。
五大老の徳川殿と五奉行の石田殿の対立が激化しつつある。
前田殿が抑えてるが、最近は病み気味と聞く。
高台院様が従者を連れて、大坂城から去った。
そして、我らの活躍が始まった。
「治長。上様がお呼びです」
「わかりました、母上」
そう。我は秀頼様の側近を務めている。
淀殿からの信頼も厚く。
今は、我ら家族が仕切っているようなもの。
慶長三年(一五九八年)には、三……じゃなかった次男が生まれ。
まさに我の人生は順調に進んでいた。
「治長さま」
「なんじゃ?」
「妾は幸せです」
「そうか。我も幸せだ」
「秀頼もあなたに似て逞しく育つことでしょう」
「これこれ、誰か聞かれたらどうする」
「申し訳ありません」
翌年。
「報告! 前田殿がお亡くなりになられました」
「ご苦労」
これで次の段階へと進めるな。
「いかがなさいますか」
「我らが動くことはない」
「かしこまりました」
しかし、同年十月。予想外の事態が発生する。
「大野治長様。徳川様暗殺の嫌疑がかかっています」
「なに!?」
「至急。おいでくださいませ」
「…………」
これにより、我は流罪となってしまった。
しかし。
慶長五年(一六〇〇年)。我は戻ってきた。