Love 《感情》 (2)
計画は一週間後に実行ということになった。何の計画かと言えば、先生に贈り物をしようというアレだ。
テルミとそのことを話してから七日後のこと。土曜の朝の検診を終えると、僕はまたあの喫茶店に向かった。テルミとはそこで落ち合うことになっていて、そして彼女はそこで僕に花束をくれたのだ。先生にプレゼントするための。
それはとても綺麗な花束だった。花と言ってももっと小さなものかと思っていたのだけど、テルミが持ってきたのは、まるでプロポーズのときに渡すような巨大な花束だったのだ。
僕は、
「これ、すごい高かったんじゃないの?」
と、彼女におそるおそる言った。
僕はなけなしのお金から――実験の被験者である僕には、一応の生活保護金が支給されているその大半は入院費に消えてしまうのだけど――花束を買う金を漁ろうとした。薄っぺらい、財布とも言えない小さなポーチ。そこからいくらか貯めたお札を出そうとする。
しかし、テルミはそんな僕を止めたのだ。
「いいよ、お金は。私が好きでやったことなんだから。それより、その先生にプレゼントしてあげなよ。きっと喜ぶよ」
「いいのかい? ……本当にありがとう、テルミ」
僕は一言、彼女に言って頭を下げた。
ありがとう、という言葉。
それは所詮、コンピュータがはじき出したプログラムコードに従って、僕という機械の塊が動いているだけなのかもしれない。でもこのときは、僕はこの感謝の念というのは心の底からのものだと分かった。……いや、そう思いたかっただけなのかもしれない。
でもこれだけは言える。僕にとって彼女は、僕の人生の中でもかけがえのない大切な人――彼女の言うところの『好きな人』――の一人なのだ。
それから僕はテルミと分かれた。花束を持って大学構内を歩くのは恥ずかしかったけれど、それでも僕は晴れ晴れとした気分でいられた。メイ先生が嬉しがる姿を思うと、あの人の微笑みが見れると思っただけで、僕は嬉しかったのだ。
花束を持った男が一人、病院の待合室を抜けていく。第一病棟を抜けて、メイ先生が待つ第三病棟へ。もし僕が持っている花が菊だったりしたら、きっとみんなは僕のことをさぞかし憐れんだような目で見たに違いない。しかしテルミが僕にくれたのは、色とりどりのバラやガーベラといった美しい花の数々だ。それこそ僕は、プロポーズに行く男性に見えたに違いない。僕は、安っぽいスウェット姿で、ぜんぜん格好付かなかったけれど。
しかし、メイ先生にプロポーズ、ということを思いついた途端、僕は余計に緊張した。
緊張――それもアマテラスが演算した結果だ。僕の脳が『緊張せよ』という指令を出したがために、アマテラスが緊張を実行するための方程式を解いて、それを機械義肢に実行させた。それだけのこと。
そう考えると途端に冷めた気持ちになってしまったけれど、それでも僕は嬉し恥ずかし、緊張していたことに違いない。
そうして僕は病室に戻り、メイ先生がやってくるのをまった。先生が来たら、僕は花束を差し出して言うのだ。
「いつもありがとう、先生」
と。
準備は万端。
僕は病室に戻ると、壁に向かって何度もその練習をした。
*
問題が起きたのは、花束を渡す練習をしている最中のことだった。
「先生、いつもありがとう。これは僕からのプレゼントです!」
ガチガチに固まった僕は、そういうと花束を壁に突き出す。
するとそのときだ。病室と廊下をつなぐ自動ドアが開いて、メイ先生がやってきたの。先生は、キョトンとした様子で僕を見ていた。
僕もまた、突然のことで身動ぎして、その場で硬直していたと思う。
「あら、フレディ。その花束どうしたの? 誰かにプロポーズでもするつもりだった?」
先生は苦笑しながら言って、病室に入ってきた。
僕はあわてて花束を背中に隠す。だけどもう意味がないと分かって、すぐに前へ戻した。
「い、いやぁ、違いますって。この花束はですね……」
「この花束はどうしたの? ああ、例の真島って子にあげるのね?」
「いえ、そうじゃなくって……」
十回ぐらい練習をしたのに、いざ本番と言うときになって、僕は台詞をそっくりそのまま忘れてしまった。いったい何と言って先生に花を渡せばいいのやら。言葉が頭からも出てこないし、もちろん喉からも出ようとしないものだから、口から出てくるはずもない。
不器用な僕は、結局不器用な方法に出た。つっけんどうにも、花束をそのままメイ先生の方に差し出したのだ。
「え、もしかして私に?」
「はっ、はい!」
と、思わず声がひっくり返る僕。
「素敵なプレゼントありがとう、フレディ。高かったんじゃない、これ?」
「ええ、まあ……」
とてもじゃないが、テルミに買って貰ったなんて言えなかった。
メイ先生は、本当に嬉しそうに花束を受け取ってくれた。前にも言ったけれど、彼女は感情が顔に出やすい。嘘をつけないタイプの人間だ。だからきっとこのときも、心の底から嬉しがってくれたものだと思う。
「ありがとう、やっぱりあなたは私の最高傑作よ」
「いえ、そんなんじゃ……」
「本当に、最高傑作よ」
そのとき、メイ先生のポニーテールがふわりと揺れた。彼女の手から、花束がハラリと落ちる。サイドテーブルに落ちたそれは、部屋中に花の香りをまき散らした。
先生の膚が、一瞬ですぐそばまで近づいた。血の通った、生きた膚。先生の体は、もちろん機械義肢ではない。
気付けばメイ先生は、僕を抱きしめていたのだ。腕を僕の首に回して、僕の胸に顔を埋める。
「あなたは私の最高傑作。だから……だから、誰の手にも渡さないからね」
首に回された先生の手が、ぎゅっときつくなった。同時、僕は動力回路をきつく縛り上げられるような痛みを覚えたのである。
僕はどうしていいか分からず、ただメイ先生の体を支えた。細く折れてしまいそうな彼女の体を。
*
〈Activity Diary : 2083/05/31〉[Recorded by Dr. May]
まさか彼からプレゼントをもらえるとは、夢にも思ってなかった。だから正直、私も少し舞い上がってしまったのかもしれない。患者で、しかもサイボーグだからといっても、自分から男の人に抱きついていくなんてことは初めてだ。
私自身、彼=フレディのことを愛していたのかもしれない。愛といってもそれは、男女の関係としての愛ではなく、保護者としての母性愛といった方が近い気がするのだけれど。
私は気分良くオフィスに戻ってくると、適当なガラス瓶を見繕って、そこへ花束を挿した。ピンクや白、黄色といった色とりどりの花を見ていると、普段白い壁しか目にしない私の心も満たされていくような気がした。
そうして私はまた仕事に戻った。だがその仕事は、いまの私の気分を害するようなものだった。
軍へ提出する為の、フレディの実験レポート。現在の実験の進捗状況を、軍へと提出する。それはつまり、統合軍はフレディのデータを欲している、ということだった。私はそれを食い止めたかったけれども、もうどうしようもないことは分かっていた。どうにかしたいとは思っていたけれど。
私は、時折花を見つめながら、書類の作成を始めた。作りたくもない書類を。
それからいったいどれぐらい端末に向かっていたことだろうか。中空に描き出されるファイルを眺めながら、私はいまのフレディのことをぼんやりと考えた。
現在、彼の感情解析は八〇パーセントが終了している。先ほど新たな方程式も分かったころだ。だが、まだ八〇パーセントだ。残りの二〇パーセントが解き明かせるという保証はないし、仮に分かったところで、それが人工知能に適応可能だという確証もない。いまのところ、フレディから解析した感情の方程式の多くは人工知能に適応可能だ、というところだが、これから先どうなるかは分からないし、まだ実験の段階に過ぎない。それを軍事目的に使うことは、むしろ危険だと私は思う。
……と、私は最後に自分の所感を入れて、報告書を締めた。
すると、ちょうど私が仕事を終えたのと時を同じくして、オフィスに来訪者が現れたのだ。
「いまいいかい、メイ先生?」
と、ノックも無しに祠堂博士が入ってきた。
私は椅子から腰を上げて、彼の方へ振り返る。
「いいですが……何かありましたか?」
「ええ。急な話なんですが、統合軍の方がフレディとの面会を求めていましてね」
「報告書は出すから、面会の必要はないですよ。心配はいらないです」
「いや、そうじゃないんですよ、先生」
「そうじゃない……?」
「ええ」と、祠堂博士は言葉を口に含ませるように、「実はだね、軍の連中、少し方針が変えたみたいんなんですよ」
「どういうことですか、方針が変えたって」
「ですから、つまりですね……それは……」
祠堂博士がオフィスの中を歩き回る。落ち着きがないみたいに。何か気を紛らわせるために常に体を動かし続けているようだった。
彼はサイドテーブルまで来て、フレディの花を見つめた。
「この花は誰が?」
「フレディがくれたのよ。……それで、どういうことですか、博士」
「ああ……」
と、またも含んだような物言いで。
彼は窓から外を見つめた。私のオフィスからは、ちょうど運動場がある方角が見えた。フレディがいつも通っていた運動場。並木道と巨大なトラックフィールドが見える。
「実はだね、メイ先生。いま軍がほしがっているのは、フレディのデータじゃなくて、フレディそのものらしいんだ。フレディを陸軍技術開発本部で預かりたい、と。そして、そのために彼らは、今日の午後、この帝都大付属病院に来ると言っている」