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Love 《感情》 (1)

 体が機械化してから一月と少しが経った頃でも、僕の関心事といえば体を動かすに変わりなかった。


 アイちゃんと分かれたから三日後、僕には外出許可が下された。外出、とは言っても、帝都大学の敷地内から出てはならない、という制約付きではあるのだけれど。


 それでも僕は、メイ先生から外出の許可がおりたとき、嬉しくてたまらなかった。全身に神経が通ったような気分で、僕は早く義肢を限界まで動かしてみてくなってたまらなくなった。


 そうしてその日の午後には、僕は大学構内にある運動場まで駆けていって、誰もいないトラックを何周もした。足が大地を蹴って、体をバネのように弾き飛ばしていく度、僕は風を感じて気持ちが良かった。あまりにも走り回りすぎて、何度も転けてしまったぐらいだ。


 それでも、僕は楽しかった。


 そして何より、祠堂博士が「君が義肢を限界まで動かすことで、機械義肢のサンプルデータもとれる。義肢技術向上にも繋がるんだ」と言ってくれたことが嬉しかった。その理由は、ただ一つだ。僕がこうしてサンプルを提供することで、アイちゃんのような子が自由に生活出来るようになるかもしれない。お節介だとは言われても、今の僕にとっての喜びと言えば、それだった。


 そうして僕は、毎日のように運動場に通い詰めた。体を動かすことが楽しくてたまらなかった。毎日が嬉しくてたまらなかった。


 だけど、それも長続きしないことを、僕は知ったのだ。


 あの日を境に、僕は人というモノへの見方が大きく変わったのだ。



     *



〈Memories :2083/05/24〉[Recorded by F]


 運動場のすぐ近くには更衣室がある。僕もやはり人間であるので、自らの局部を無花果イチジクで隠したいという願望はある。発汗機能は存在しないので、服を着替えたくなるという願望は無いけれど。それでも、動きやすい服装に着替えたいという気持ちぐらいは持ち合わせていた。だから、その更衣室はよく使っていた。


 僕は運動場に自由に出入りすることが出来た。もちろん、そこで毎日欠かさず練習をしている大学強化選手の邪魔をしてはならない、という制限はあるけども。それでもメイ先生からもらった許可証を見せれば、ほぼほぼ毎日利用することが出来た。僕は体を動かすことが好きであったから、毎日のように来ていたと思う。


 しかし、なにも運動場に来ることすべてが楽しかったわけではない。僕も人間だ。イヤなことの一つや二つぐらいはある。その一つが、更衣室だった。


 着替えるための密室は、男子と女子に分かれている。当然と言えば当然かもしれないけど、閉鎖された空間だ。しかしそのおかげで僕は更衣室が――いや、正確に言えば着替えが――イヤになった。


 それは僕が着替えをするときだ。だいたい更衣室には、二、三人ほどの利用者がいつもいるのだけど、彼らは常に僕の方へ目を寄越すのだ。僕が上着を脱いで、シャツを脱いで、青白い機械義肢を見せた途端、彼らは一斉に僕の方を向く。しかもその目つきは、アイちゃんのような純粋な興味関心のまなざしではなくて、言うなれば好奇のまなざしであるのだ。


 以来、僕は何度も更衣室を利用したけれど、一度として誰かが僕を見つめない日は無かった。その好奇のまなざしに晒されることが、僕にとってはたまらなく苦痛であり。であるからこそ、僕はその鬱憤を晴らすために走り回った。



 ある日のことだった。いつものように運動場に向かった僕は、まず更衣室へと向かった。楕円形に広がるトラックフィールド。その弧の部分の脇にある小屋が更衣室だ。僕は着替えと共にそこへ向かうと、一人黙々と着替え始めた。


 このころになると僕は、着替えの間に誰かと話すことを気にしなくなっていた。誰かがジロジロ見ていようが、僕には関係ない。僕は、彼らとは関係のない人間なのだ。そう思って、着替え続けた。腕や足に見える球体関節ボールジョイントが顔を覗かせるのがとても恥ずかしかったけれど、それでも、僕は体を動かしたかったのだ。


 そうしてそそくさと着替えた僕は、足早に更衣室から出ようとした。だがそのとき、ある男が僕の前に立ちふさがったのだ。


 男は僕よりも背の高い、筋肉質な肉体をしていた。もちろん機械義肢など付けていない。ここにいる彼らは、誰も彼も世界大会を目指すアスリートばかりだ。彼らの大会への出場資格の、まず第一条件として機械義肢の不使用があげられる。理由は簡単で、かつての世界とは違って、いまや義肢は人間の肉体を越える性能を持てるようになってしまったからだ。そうなってしまっては公平ではない。義肢を用いた運動競技もあるらしいけれど、それとこれとは別だ。そちらはあくまで機械義肢の性能を試す競技であって、運動競技ではない――と、祠堂博士が言っていた。


 だから僕にも分かっていた。彼らアスリートは、一般人に比べて機械義肢への差別意識が強い、と。それは、彼らが機械義肢から外れた閉鎖空間に生きているからだ。……と、これはメイ先生の言葉だ。


 僕の前に立ち尽くした男は、僕を見下したような様子で言った。


「おまえ、機械義肢サイバネ野郎だろ」


「……それがどうしたって言うんだ」


「目障りなんだ。おまえのそのタマみたいな関節や、女みたいな白い膚が」


「僕は、ちゃんと大学側の許可を貰ってここを使わせて貰っています。使用時間も守っているはず。文句を言われる筋合いはないですよ」


「いいや、あるね。その体がいけないんだよ。目障りだ」


「僕は何も悪いことはしていない」


「ここにいること自体が悪いんだ、サイバネ野郎。ここはおまえの居ていい場所じゃない。早くサーキットか病院に帰りな」


 僕は、思わず目を怒らせた。


 サーキット。それは、機械義肢競技を行う場所の蔑称だ。しょせん機械義肢使いなんてものは、操られる側の道具に過ぎない。そういう意味合いが込められている。……と、祠堂博士がいっていた。だから僕はこのとき分かった。彼らは、僕を蔑んでいるのだ、と。


 僕は黙って男の横を通って言った。



「早く帰りな、サイバネ野郎」


 そう男は僕を罵ったけれど、僕は毛頭帰るつもりなど無かった。


 あんな馬鹿は放っておけばいい。それよりも僕は、救わなくちゃいけない人がいる。貢献しなくちゃいけないことがある。


 クズには構ってられないのだ。



 それから更衣室を出ると、僕はある女性と待ち合わせた。その女性というのは、この閉鎖環境の中でも数少ない、機械義肢への理解のある人だった。


 楕円形に広がるトラックを十周ほどしたところで、僕は彼女と落ち合った。


 真島テルミ。陸上選手を目指しているという彼女は、引き締まったしなやかな体の持ち主だ。日に焼けた肌とショートカット、そして赤のランニングウェア姿の彼女。利発で優しい彼女は、この大学でも人気者らしかった。そして例に漏れず、僕も彼女のことが好きだった。


「や、フレディ。調子はどう?」


 と、彼女は更衣室から出てくるや、僕に声をかけてくれた。


「調子はいいよ。ただ……」


「ああ、いつものアレか」


 彼女は渋い表情をする。テルミも、僕の状況については嫌が応にも耳にしていたのだ。


「聞いてるよ、そのことは。マミのやつも言ってたし……。最近よく出入りしてる機械義肢の男が気に入らないって。何様だってさ。……あいつら、フレディのタイムが自分らより早いから気にくわないんだ」


「それは仕方ないよ。僕の体は、そう設計されてる……」


「だよね。君に挑むなんて、走ってバイクと競争するみたいなもんだもん。土俵が違うのに気に入らないってさ、あいつら本当にバカだよ」


 テルミは、そういって笑い飛ばしてくれた。


 僕は彼女の言葉がとても心強いと思ったし、差別を受けている僕にとって彼女のような存在が心の支えになっていたことは言うまでもない。


 テルミは、弟が機械義肢で助けられたのだ、と言っていた。事故で右足が動かなくなった弟。元々陸上一家だった真島家は、家族みんなでマラソンに出たりしていたという。もちろんその弟も一緒だ。それが右足を失えば出れなくなってしまう。でも、今はもう違う。機械義肢のおかげで、彼女の弟は元気に走り回れている、という。


 だからテルミは、僕のことも理解してくれた。機械義肢でも、純粋に体を動かすことが楽しければいいじゃないか。そんな単純で、短絡的な考えだけれど、僕らはそんな簡単なことでつながりあうことが出来た。だからこそ、彼らのような差別主義者の言うことが理解できないのだ。どうしてそんな単純なことも分からないのか、と聞きたくなる。


「まあでも、つらかったら言ってよ、フレディ。あなたが悲しむのは見たく無いからさ」


「ありがとう。……テルミは、僕の心の支えだよ」


 それは、僕の心からの言葉だった。


 心。衛星軌道上に存在する量子コンピュータ、アマテラスによって演算される数式。その上で成り立つ、僕という意識。


 一瞬、この感情もまやかしだろうか、と思った。だけど、やはりテルミに僕は感謝しているし、彼女はメイ先生やアイちゃんと同様、僕にとってかけがえの無い存在なのだ。


 すると、テルミは急に顔を紅潮させた。


「そ、そう!?」と声を裏返らせて彼女。「そ、それならさ、愚痴ぐらい聞くよ、フレディ。だから今日さ、このあと開いてる……?」


「このあと……。メイ先生の診察までに戻れば大丈夫だけど」


「じゃあ、ちょっと行きたい場所があるんだけど。付き合ってくれる?」


「構わないよ」


 僕はそういって、彼女の顔を見た。


 日に焼けた褐色の膚は、いつも以上に赤茶けた色をしているように思えた。



     *



 それから僕とテルミは、二人で大学構内にあるカフェテリアに行くことにした。僕の外出は相変わらず大学の敷地内と決められていたので、テルミがそれに配慮してくれたのだ。まったく彼女には頭が下がるばかりだった。


 大学構内には二、三軒ほどカフェがあった。一つは有名なチェーン店で、常に学生でにぎわっている場所だ。よくそこで勉強をしている者も多いので、ただの被験者に過ぎない僕は、そこに行く度少々気後れする。しかも混んでいるから、あまり落ち着ける場所とは言えない。それに、テルミとしても人気の多い場所は避けたいはずだった。僕のような全身義肢の男と仲良くしているところを見られたら、それこそ彼女の株は下がるに違いない。僕がアスリート連中から見下されるのは大いに結構だ。でも、彼女を巻き込みたくはない。


 そういうわけで、僕らは比較的人気のない、奥まった場所にあるカフェで軽食をとることにした。テルミは紅茶とケーキを注文し、僕はただ黙って彼女が食べるのを見ていた。僕は、人間の食べ物を消化することは出来ない。全身義肢の人間であるから。


「ごめんね、ご飯食べれないなんて知らなくって」


 と、テルミは申し訳なさそうに言った。


 彼女の中で、機械義肢の印象と言えば、たぶんもっとも身近な存在である弟なのだろう。僕は彼女の弟とは違う。全身が、機械だ。脳も、感情も、何もかも。結局人と機械の手が加えられている。


「いや、いいよ。僕、こんな風に誰かに誘われること自体初めてで。嬉しいよ」


 言って、僕はテーブルからあたりを見回した。


 シックなダークブラウンを基調とした店内は、古風なコーヒーハウスを思わせる。西洋風の調度品に、装飾の施された美しいティーカップ。チェーン店とは違い、昔から構内にあったというこの喫茶店は、どちらかと言えば学生よりも講師陣に気に入られているようだった。むしろ僕とテルミのような者が来る方が珍しい。僕らの隣の席では、頭に白いものが目立つ老紳士が新聞を読みふけっていた。机上にはブラックコーヒーと携帯端末。それから古めかしい書類の資料が並べられている。そもそも、新聞などという古式のメディアを使っている時点で、この老人は相当懐古趣味であると窺えた。


「それで、今日はあいつらにどんな仕打ちを受けたの?」


 キョロキョロと落ち着きのない僕に、テルミは言った。


「仕打ちって?」


「だから……あのバカどもに何かされたんでしょ? 言ってごらんなさいよ」


「いや、大したことじゃないよ。ただ機械義肢サイバネ野郎はお呼びじゃないって、そう言われただけだ。僕は、『使用許可も使用時間も守っているから、君たちに文句を言われる筋合いはない』って言い返したのね」


「へえ、フレディって結構紳士的なのね。私だったら殴り返しちゃう」


「殴り返すだなんて。そんな暴力が物事を解決するわけ無いじゃないか。……誰かを傷つけたところで、何かが起きる訳じゃないんだ」


 そう言ったとき、僕の脳裏にアイちゃんの顔がよぎった。


 そうだ、誰かを傷つけて何になる。相手を傷つけたその瞬間は、きっとその征服感に酔いしれるかもしれない。だけど、そのあとに残されるのはきっと、何とも言えない寂寥感だけだ。傷ついた相手の顔を見て、何を思う? 初めは心地よいかもしれない。でも、それは初めだけだ。


「そうね。確かに、私もね、弟と喧嘩したあと、ちょっと変な気分になったりした。むかしのことだけどね」


「変な気分って?」


「やられたらやりかえして、それを繰り返して。結局二人とも意地張って、部屋から出てこなくなったのよ。そのあと一週間ぐらい口も利かなくってさ。……でも、そうしたら寂しくなったのよ。口を利いてくれない弟も嫌だし、弟には口を利いてやらないって意固地になってる自分にも疲れた。だから、仲直りしたの。……そうだよね、あんなふうに誰かを傷つけても、気分悪くなるだけなのに」


 彼女はそういうと、再び紅茶に口を付けた。


 店はとても静かだった。だから沈黙が訪れると、余計に恥ずかしくなった。いつも快活で自分から話しかけてくれるテルミも、このときばかりは黙りを決め込んでいた。かといって、僕から何かを話す気にもなれない。次に何か言葉を口にしたら、また彼女に重たい話題を振りそうでイヤだった。


 そうしてしばらく沈黙が続いた。


 店内に響くのは、サーキュレーターの回る音と、テルミが紅茶を啜る音。老紳士がページを繰り、そしてマスターがカップを洗う音だけだった。


 僕は何か言わなければ、と頭の中を走査して回った。しかし結局、僕よりも彼女が話を切り出す方が早かったのだ。


「ねえ、フレディ」とテルミ。


「な、なに?」


「一つ聞きたいんだけどさ……フレディは、好きな人とかいるの?」


「好きな人?」


「そう、す、好きな人……」


 彼女の赤茶けた頬が、いっそう赤く染まる。


「好きな人って、つまりどういう意味?」


「ええ? だからそれは……大切な人って意味」


「そういうことか。それなら、いるよ」


「いるの?」


「うん。僕を育ててくれた先生だよ。皐月メイ先生。先生にはすごく感謝してる。僕の一番大事な人だよ」


「あー……うん、そういうことか」


「そういうことって、どういうことだい?」


「いや、それは別によくってさ。……そうか、付属病院の先生か」


「そう。僕がこの体に乗り換えた時から、先生がずっと僕を育ててくれた。本当に感謝しているよ。感謝しても、しきれないぐらい。あの人がいなければ、きっと僕はいまこうして、ここにはいなかっただろうから」


「そっか……じゃあさ、先生に贈り物とかしてみたらどう?」


「え?」


「プレゼントよ、プレゼント!」


 さっきまでの重たい雰囲気を打ち壊すように、テルミは机から身を乗り出して言った。


 そうだ。こういう彼女こそ、本当の彼女だ。僕はそう思った。


「プレゼント……いいかもね。先生への日頃のお礼に。でも、何がいいかな?」


「お花とかどう? 私、良い店知ってるんだ」


「でも僕は、大学構内からは出られないよ」


「それなら私が買ってあげるよ」


「そんな。悪いよ」


「いいからいいから。私からのプレゼントだと思ってさ!」


 テルミはそういうと、座席の背もたれに深くもたれ掛かった。


 彼女は天井を見上げた。サーキュレーターが回転を続けている。それは見えない。もうすぐ夕暮れ時だ。


 テルミは少しため息をついた。まるで彼女は、あらゆる鬱憤を晴らしきって、せいせいしたみたいだった。


「なんか、久々に楽しいって思えた気がする。ありがとう、フレディ」


「僕は何もしていないけど。どういたしまして」


 背もたれから体を離し、起きあがる彼女。


 その活発な姿は、やはりいつもの真島テルミだった。僕は彼女の笑顔も好きだ。先生の笑顔は大好きだけど、テルミの笑顔も見ていて飽きなかった。


 そうして僕らは、もう三十分ぐらい喫茶店で話し続けた。結局、検診には遅れてしまい、メイ先生には大目玉を食らってしまったけれど。


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