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Grow 《成長》 (1)

 リンゴを握りつぶした翌日には、僕は意識を集中さえすれば歩けるようになっていた。まだ何も無いところでさえ転けてしまいそうになるので、歩行器が必要だったけれど。


 それでもメイ先生は、目覚ましい成長だと僕のことを誉めてくれた。先生は僕のことを「最高傑作だ」とさえ言ってくれたぐらいだ。それもそのはず。僕は全身の75%を焼失した。死んでいたかも知れない状態だった。それが三週間後には歩いているのだから、驚くのも当然だろう。


 僕は体を動かすことが楽しかった。義肢は初め『意識』しなければ動かせなかった。だけど動かしていく内に段々と『義肢』が本物の自分の『血肉』となり始めているのが、僕にはよく分かった。意識せずとも体を自由に動かせるようになってくると、さらに楽しくなってきた。そしてメイ先生は、それをまるで自分のことのように喜んでくれた。僕は先生が喜んで笑う姿が好きだったし、僕のおかげで先生が笑顔になっていると思うと、なおさら嬉しくなった。


 それでも、まだ昔のことは思い出せない。全身を焼失した火事のときのこと。当然と言えば当然かもしれないけど……。でも、それでも僕は思う。こうして新しい体になれて良かった、と。



 歩行器は必要だけど、それでも三日もすると僕は一人で病院内を歩き回れるようになった。さすがに階段を上がったり下がったりは出来ないけど、それでもエレベーターと歩行器さえあれば、どこへでも行くことが出来た。


 病院の外へ出てはならない。


 メイ先生と祠堂博士は、僕にそう言った。だけど、それでも僕にとっては進歩だった。狭苦しい病室を出て、自由に病院の中を歩き回れたからだ。


 この帝都大学付属病院には、広い中庭がある。四角形に広がる病院の中央にある、憩いの空間だ。僕は朝の検診が終わると、いつもそこへ向かった。外の空気と太陽の光を浴びると、とても心地が良かったからだ。


 広々とした中庭には、いくつもの木が植えられている。青々と茂るその葉は、風に揺られて音を立てている。いったいどんな種類の木なのか僕には分からない。ただ、その光景が僕の心を癒していることに変わりは無かった。その癒しさえも、コンピュータによって計算された数式なのかもしれないけれど。


 僕にはいつも特等席があった。僕がいる第三病棟の一階まで降りて、栄養科のすぐそばを通って中庭に出る。栄養科で病院食を作っているおばさんたちに挨拶して、煉瓦敷きの中庭へ。外へ出るとすぐにベンチがある。ちょうど木陰になっているそこは、庭の角に位置する場所だ。病棟の陰になって少し暗い雰囲気もあるけど、それでも庭を一望することが出来る。ときおり葉と葉の合間から木漏れ日は差し込んでくるし、決して薄暗い場所という訳でもない。なのにあまり人が来ないから、僕はいつもここに座る。座って、ぼんやりと青空を眺めるのだ。


 ある日、僕はいつもと同じようにベンチに座って、空を仰ぎ見た。その日は白い綿雲が綺麗な青空だった。


 あまりに吸い込まれそうな青空なので、僕はひなたぼっこをしながら、じっと空だけを見続けることにした。もちろんその間もリハビリは続いている。ここまで散歩しに来るにも神経を使ったし、いまも体を動かし続けることに意識を集中している。


 ごろん、と背もたれに体重を預ける。首を大きく後ろに向けて、空を見上げた。これが楽しかった。


 誰もいないこの場所では、鳥のさえずりだけが聞こえてくる。僕はその歌声を聞きながら、うとうとするのが好きだった。


 だけどその日、このベンチに座りに来たのは、僕だけでは無かったのだ。


 ギシィッ、とベンチが音を鳴らしたところで、僕は来訪者に気がついた。姿勢を戻して見てみると、隣には何やら四角い物体を持った女の子が座っていた。見かけ十歳ぐらいの彼女は、せわしくその物体を操作している。


 僕は彼女に声をかけてみた。


「こんにちは」と。


 すると彼女は僕に眼を合わせようともせず、四角い物体を見つめながら応えた。


「こんにちは。おにいさんも病院にお泊まりしてるの?」


「ああ……お泊まり、ねえ。うん、そんなところかな」


 おにいさん。


 確かに、今の風貌はそうなのかもしれない。僕の年齢はよく分からないが、彼女からしたら少なくともオジサン、ではないのだろう。それだけマシだ。


「あたしはね、心臓がわるいんだって。おにんさんはどこがわるいの?」


「そうだね。僕は全部が悪いらしいんだ」


「ぜんぶ!?」


 と、彼女がとたんに驚いた様子で言った。


 そのとき初めて彼女は、手に持った『何か』から手を離して、僕の方を向いてくれた。


 黒い髪の綺麗な女の子だった。子供特有の大きなクリクリとした瞳。ふっくらとした頬は、しかし病気だという印象を感じさせない。


「そう。僕はね、ぜんぶが悪いんだ。だから、体じゅう全部、交換したんだよ」


 僕はそういって、彼女に腕を見せた。右腕に刻まれたバーコード。その先の間接を見て、彼女は驚いていた。


 最新の人工義肢。そうは言っても、見かけすべてが人間のように完璧という訳ではない。青白い人工皮膚によってカバーされた下には、球体関節ボールジョイントがうっすらと見えていた。この僕の膚の下にあるのは、すべて機械だ。いまはもう受け入れてしまった――いや、それでも完全には受け止められてない――けれど、それでも他人からすれば奇異に見えるだろう。


 しかし、少女は僕を気持ちがるふうもなく、ただ興味を持った様子でのぞき込んできた。


「うわー、すごい!」と彼女。「じゃあ、あたしも同じだ!」


「同じって?」


「あたしね、心臓がわるいから、機械にするんだ! でね、今日はママが会いに来るの。お仕事がおやすみになったから」


「へえ。……ねえ、名前はなんて言うんだい?」


「アイ!」


 彼女はそういって、また四角い物体に目を落とした。


 それはどうやら、携帯端末のようだった。小型のコンピュータだ。映像は光線として使用者の目に投影する、個人用の超小型携行機……たしか、先生も同じ物を使っていた。病院からの連絡ようの端末にちょうどいい、と言って。


 きっとこの少女、アイちゃんは、お母さんと連絡を取り合っているんだろう、と思った。


 僕は彼女が愛らしく見えた。せっせと端末を操作する様子は、まるで小動物のような可憐さがある。


 僕は彼女の手術の成功を心から願った。そして、歩行器を手に取り、立ち上がった。


「じゃあね、アイちゃん。僕はこれからリハビリがあるんだ」


「よくなるといいね! じゃあね、おにいさん……あっ、おにいさんの名前は?」


「フレディだ」


「変な名前」


「僕もそう思う」


 ほんと、変な名前だ。


 変な名前に、変な体。


 僕は自分の状況をまだ理解できていない。だけど、いま見た少女の笑みだけで、それすらどうでもよく思えてきた。この世界の一瞬一瞬が、とでも輝いているように思えたのだ。



     *



 歩行器を使って病室まで戻ると、ちょうどリハビリの時間だった。僕は何とかベッドまでたどり着くと、その上に寝ころんで体を休めた。決して疲れを感じない体ではあるのだけど、しかしそれでも疲労に似た何かを感じないわけではない。義肢に設けられた各部モーターが悲鳴を上げれば、きっとそれは『疲れ』として僕の脳に報告される。いや、そういうように解釈される、と言った方がいいのだろうか。空の上のコンピュータは、そう解釈する手伝いをして、結果僕の意識の上では「なんだかよく分からないけどダルい」という感覚が生まれる。


 そうして病床に倒れ臥せていると、まもなくメイ先生が来た。彼女はアイが持っていたような携帯端末片手に診察にやってくる。


「具合はどう、フレディ?」と彼女。


 僕はすぐに跳ね起きて、


「はい、好調です!」と応えた。


「そう、なら良かった。じゃあ、経過観察を含めてリハビリといきましょうか」


 メイ先生はそういうと、いつもの微笑みと共に僕の元へ近づく。


 彼女の笑顔はいつ見ても良かった。美人だし、何より聖母のような優しさが滲み出たような、裏表の無い笑顔なのだ。


 彼女はとても表情に感情が出る人だ。僕はそう思う。医者だけれど、彼女は嘘をつけないタイプであろうと僕は思っている。


 そうしてメイ先生は、僕の義肢の各部の点検をした。僕は立ったり座ったり、歩いたり走ったりを繰り返した。それぐらいはもうお手の物で、あとの問題はどれだけ集中力を持続させられるか。あるいは、義肢を意識せずとも自然に動かせるようになるか、ということになっていた。


「目覚ましい進歩ね。まさしく私にとっての最高傑作かも」


 と、メイ先生はひとしきり動いた僕に言った。


 僕は誉められて嬉しかったけども、そのときは違うことが頭にあった。そう、アイのことだ。午前中、中庭で出会った少女。急に僕の横にちょこんと座って来たあの子。僕の青白く、機械と化した全身を見ても「気持ち悪い」とすら言わなかった。


 僕は初めて自分――四肢欠損したサイボーグ――を見たとき、言いようのない気持ち悪さを覚えた。これが自分だとは思いたくなかった。やがて手足がつけられるようになった頃にはその気持ちも薄れたけれど、初めに抱いた感情を忘れることは出来ない。僕は、得体の知れない僕という存在を入れられた(インストール)された自分が怖かった。そして今も恐怖を抱いている。まだ、この世界と、自分とに不安を抱き続けている。


 そんなことを考えていると、僕もきっとメイ先生のように感情が顔に出ていたのだろう。


「どうしたの、今日は上の空ね」


 と、彼女は僕に問うてきた。


「ええ、ちょっと気になることがあって」


「というと?」


 先生は、病床の隣にある椅子に座る。そこで端末を操作しながら僕の話を聞くのが、いつもの彼女だった。


「アイって子、知ってますか?」


「ああ、あの子ね。心臓移植の」


「はい。その子と今日、中庭で会ったんです」


「そう。彼女、かわいい子でしょ。でもかわいそうな子でね。心臓に疾患が見つかって、移植か機械化を余儀なくされてる。しかも親がシングルマザーなものだから、お金がなくってね……。あの子も、フレディ、あなたと同じ先進医療実験の被験者なの。だから、ほぼ税金とウチの大学の補助金だけで手術が出来る。……それで彼女が幸せになるとは思えないけれど」


 そのとき、僕は先生の顔が険しくなるのを見逃さなかった。


 前にも言ったけど、先生は感情が顔に出やすい人だ。もし渋い顔をすれば、そのときは九分九厘何か悪い状況だと言える。そしてこのときも例に漏れずそうらしかった。


「なにかあるんですか?」


「何かあるって……簡単なことよ、フレディ。人工心臓技術って言うのは、まだ完璧な技術じゃない。だからこそ、アイちゃんは手術を受けられるわけなんだけど……。本来、彼女のような心疾患を持った、移植を余儀なくされた患者は、自分の細胞から作った人工心臓を移植するの。機械じゃなくって、細胞を分化させるのね。わかるかな……? つまり、当人の体から適当なサンプルを採取してね、それを心臓を作る物質に変えちゃうわけ。でも、これには結構なお金がかかる。昔はそうじゃなかったんだけど、いまはいろいろと大変な時期だから」


「大変な時期?」


「そうよ。フレディ、ニュースぐらいは見た方がいいわよ」


 メイ先生はそういうと、病室の壁に向かって「チャンネル3を」と言った。


 すると次の瞬間、真っ白い壁に映像が映りだしたのだ。白い壁は、青を背景としたニュースチャンネルに切り替わる。茶髪の、白いスーツを着た女性キャスターがニュース原稿を読み上げていた。

「さて、次のニュースです。先日より断続的に行われているコロニーの過激派組織に対抗し、地球統合軍は月への三度目の部隊派遣を開始しました。月面の霧島特派員、そちらの様子はいかがでしょうか」


 映像がニュースフロアから月面の様子へ。今度は黒髪の女性が、月の穴ぼこだらけの大地をバックに話し始めた。彼女の背には、荒れた月の大地だけではなく、何やら宇宙船や巨大な大砲のようなものまで見える。


「いま、スペースコロニーのテロリストと地球は戦争状態にあるのよ。コロニーの自治独立がどうとか言ってね。おかげで戦争特需ではあるのだけど、そのぶん戦争に使ったお金のしっぺ返しは地球上の人々に返ってくる。医療技術だって戦争に必要なはずなのに、兵器に転用しやすい機械義肢技術ばかりにお金が使われているのよ。いまの時代はね。


 おかげで、細胞分化した人工心臓さえも移植できない哀れな子が出てくる。そして、それだったらまだ不完全な機械式人工心臓を移植した方が補助金も出るし安上がりだって、アイちゃんみたいな選択をする子が出てくるのよ。それでもリスクは当然あるし、しかも仮に成功したとしても、彼女は人工心臓のエネルギー蓄積機を常に携行する必要があるのだけど……。


 フレディ、あなたは全身を機械化したけれど、彼女の場合は違うの。既に存在する生体部品を補填するために、機械を埋め込む必要がある。機械に生体部品を埋め込んでいるあなたと違ってね。人間はまだ自分たちの肉体の謎を完全に解き明かせてはいないの。だから……」


「じゃあ、彼女も僕みたいになれば――」


「少女の体が、全身の機械義肢化に耐えられるとは思えない。それに……あなたの機械化も、幸運としか言えないのよ。それは分かって。だからこそ、あなたのようなサンプルの情報が必要なの。それこそ、アイちゃんを救うためにね」


 一瞬だけ、またメイ先生の顔に笑顔が戻った。だが、もうまもなくして、消えた。


 このとき、僕の心の中に自分への不安よりも大きな心配事が生まれたことは、言うまでもない。

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