Sympathy 《憐憫》
その感情は、果たしてアマテラスに理解できているものなのだろうか。いや、理解できていなかったら、今の僕の心というのは形成されていないはずだから、つまりこの怒りさえも計算出来るものなのだろう。
すなわち、復讐心と呼べるものを。
帝大工学部キャンパスを出てからというものの、シンは気を使ってか一言も喋らなかった。黙って運転する彼は遠回りをしたのだろう、件のガス抜きの現場を迂回してクルマをアパートまで走らせた。
僕もまた、黙りを決め込んでいた。アパートに帰ってくると、四方八方を立体映像に囲まれたイヴが「おかえり」とつぶやいたけども、僕は答えなかった。シンはいつも通り「おう、ただいま」と答えたけれど。
僕はそのまま自分の部屋に入った。自分の部屋、といってもかつては倉庫だった場所を改装した部屋だ。ベッドがあるだけ、という簡素な部屋。僕はそこでベッドに横たわると、天井の灰色を穴が開くぐらい見つめた。というよりも、何でもいいから見ているものが必要だったのだと思う。僕は、余計な考えをしたくなかった。他のことを考えたかった。
でも、それでもアレは付きまとって離れなかった。
統合陸軍第八機甲師団長、神田カレン少佐。彼女が僕の大切な人を二度に渡って殺したのは、言うまでもない。それを思い出す度、僕の中で怒りの火が沸々と煮えたくってくる。しかし、同時に理性的な僕――それはまるでメイ先生のようだ――が現れて言うのだ。それをやっていいのか? と。
統合陸軍は、確かに悪行を重ねている。それは、僕の記憶の片隅からも容易に判断出来ることだった。だが、彼らこそが地球とコロニーの最終防衛ラインなのだ。彼らがいかに非人道的な手段を講じているとしても、しかし僕らはそのおかげでコロニーのテロリストから直接攻撃を受けずに済んでいる。戦争状態は一年以上続いているが、しかしなお地球本土に対する直接攻撃がないのは、ひとえに統合軍の奮戦による。それでもしも統合軍の将校が死んだら、だ。それこそコロニー支持層による暴動が起きるかもしれない。それを押さえつける恐怖が存在しないのだから……。
悔しいが、いまのこの世界が歪ながらもバランスを保てているのは、彼女――神田カレン、ひいては統合陸軍が存在するからなのだ。
僕は寝返りを打って、灰の壁から目線を外した。まぶたを閉じて、暗闇を見る。目覚める前のときのような、あの暗闇を。
自分のしたこと、あるいはこれからしようとしていることが罪なのはわかっている。だが、それでも僕は――
翌日のこと、僕は起き抜けにシンに呼び出された。
彼にはきっと、僕の考えていることはお見通しだったのだろう。彼は、自分の部屋に案内してくれた。シンの部屋だ。
彼は、自分の部屋だけは秘密にする男だった。僕もプライヴァシーとかそういう観点から黙っていたのだけれど、だからこそ招き入れられるのは意外だった。
しかし、いざ入ってみれば、僕にも彼が人の出入りを拒んでいた理由が分かったのだ。
彼の部屋。そこにあったのは、たくさんの銃火器と、蜘蛛の巣の如く糸とピンが張り巡らされた地図だった。
壁には巨大な地図。どうやらこのスラム街一帯の地図らしい。あてに出来るかどうかは分からないが、動画印刷された地図は、常にその姿を変え続けている。
「動画印刷されたこの紙切れには、この街の姿が描き出されている。測量用量子コンピュータ・デメテルが衛星より取得した情報をこっちに出力してるわけだ。いま映し出されているそれは、リアルタイムで変化し続けているこの街の地図さ」
「どうしてそんなものを? この糸は何です?」
「そうさな」
彼は少し間をおいて、地図に近づいてから、
「俺もな、一年前の事件で友人を亡くした。俺が軍にいたころの戦友さ。元は同じ軍属だったのにな。俺たちはクビにされて、残った連中のガス抜きに使われる……報われねえよ。だから俺も追ってたんだ。あの事件の裏を。その糸やピンは、事件に関係したものを表したものだ。まあ、いまやいらないものになっちまったがな」
「じゃあ、どうして調べていたんです?」
「お前と同じだよ、フレディ。……どこへもあてられない感情を、どうにかして晴らしていたんだ」
そう言われたとき、僕はハッとした。
彼が、僕が感じているところのそれを、まさに言葉にしたからだ。
「……お前さん、やるつもりなんだろ?」
シンが問うた。
僕は黙っていた。
「まあいいさ。俺も手伝ってやりたいとこなんだがな。どうにもそれは出来そうにない。だから、これがせめてもの餞別だ。ここにある武器とクルマは、お前にくれてやる」
シンは近くの引き出しを開けた。ただの衣装箪笥だと思われていたが、開くと銃が出てきた。どれも古めかしい火薬式のもの。自動拳銃が二つ。さらには機関銃が一つ。巨大なドラムマガジンが付いたそれには、バイポッドも取り付けられている。
「これはどれも組織から受け取ったものだ。俺が殺しの仕事を請け負った時に使っていた。まあ、マシンガンなんかはろくに使うことはないんだがな。……だが、どれも組織のもの。すべてロンダリングされたもんだ。お前の素性がバレることはない」
「素性がバレても、僕は構いませんよ」
「……言うと思ったよ。お前が死ぬ気なのは分かってるさ。……だが、これは一応渡しておくぞ」
「ありがとうございます。でも、これから先は僕一人の戦いです」
「一人じゃねえ。お前は、その先生のためにやるんだろ?」
「いえ、違います。結局は、僕の独りよがりな感情ゆえです。誰のためでもない。僕だけのためです」
「……そうか。まあ、それでもいいさ」
そう言って、シンはため息をつく。
それから彼は何を思ったのだろうか。彼のトレードマークでもクリーム色のトレンチコートを脱ぎ出すと、それを僕に差し出したのだ。
「こいつも餞別だ。くれてやる。……それとも、いらないか?」
「いえ、ありがとうございます」
僕はそのコートを受け取ると、試しに羽織ってみた。コートは妙な暖かさを持っていた。
拳銃を腰に仕込むと、僕はマシンガン片手にクルマへと向かった。シンからもらったキーでドアを開けると、助手席にマシンガンを置いた。そして僕は、エンジンをスタートさせたのだ。
そうして僕は出発しようとしたのだ。これから先の修羅の道へと。
しかしそのとき、クルマに仕込まれていた通信端末が鳴った。応答すると、イヴが出た。
「……フレディ、もう出かけるのね」と彼女。
「ああ、これでお別れになるかもしれない」
「……そう……駐屯地に行くんでしょう。話は全部盗聴してたから、分かる……。セキュリティゲートなら私が開けてあげる……」
「いいのかい?」
「私に出来るのは、それだけだから……」
「ありがとう、イヴ。……でも、その前に少し寄っていきたい場所があるんだ」
シートベルトを締める。
ギアを一速へ。アクセルペダルをゆっくりと踏みつけながら、僕はクルマを出した。出かける前に、一人だけ挨拶をしたい人がいた。
僕は少し寄り道をしてから、ある場所へとクルマを走らせた。
いま、僕の運転するセダンの助手席には、機関銃と一緒に花束が置かれている。それはかつて、メイ先生にあげた花束とまったく同じものだった。赤やピンク、黄色や白と言った色とりどりの花たち。僕はそれを手に、ある場所へと向かった。どこであるかは、もはや言うまでもない。帝都大学医学部付属病院。僕が二度目の誕生を経験した場所であり、二人目の好きな人を見つけだした場所でもある。
僕は病院の駐車場にクルマを止めると、花束を持って院内へ向かった。
そのときの僕の格好と言えば、組織の人たちに仕立ててもらったスーツ姿だった。黒のジャケットにスラックス。ネクタイも黒。それが彼らの正装だったらしい。さらに僕は、その上にシンが着ていたコートを羽織っていた。
僕はプロポーズにでも行くような格好で、しかし喪に服すような姿で、病院のある一室へと向かった。巨大な花束を持った男の姿に、みんなが僕の方を振り返った。だけれど僕は、ある一点しか見つめて無かった。
階段を上がって三階へ。僕は、目的の部屋の前で足を止め、深呼吸をした。その場所へと続く扉には、『Dr.May Satsuki』と書かれていた。
誰もいないと分かっていたのに、僕は扉をノックした。僕が観測するまでは、そこにはメイ先生がいるのかもしれない。そう思ったからだ。だから僕はノックをあえてして、それから入った。
もちろん部屋の中は閑散としていた。メイ先生が亡くなってから、もう三ヶ月以上が経過している。部屋がこうして残っていること事態おかしいぐらいだ。
だが、僕はこうして彼女の部屋が残されていることを知っている。彼女の使っていたもの。端末や書類、カルテの数々。それが手つかずのまま、まるで持ち主だけが忽然と神隠しにでもあってしまったかのような状況。それはすべて、軍のせいなのだ。
僕はあのあと、メイ先生について少し調べた。彼女の事件については、すぐに情報が出てきた。警察の資料に関しては、実に簡潔に記されていた。
『皐月メイ:統合政府への反逆者として処理』
すなわち先生は、濡れ衣を着せられ、さも殺されたことが当然のように処理されたのだ。
だから、反逆者のものなど触れたくないと、誰も彼女の遺品を整理しない。先生には婚約者も両親もいなかったから、遺族もいるはずがなかった。仮にいたとしても、反逆者の娘など勘当したはずだ。
その証拠に、殺された彼女の部屋には、花の一輪も手向けられていない。誰も彼女が死んだことを悲しんでいない。反逆者の死を憐れんではならないと、そういう空気が支配しているのだ。
僕は先生のデスクに花束を置いた。そしてしばらく目を伏せ、彼女のことを考えた。
「先生、これから僕のすることを、先生は決して許さないと思います。でも、僕は止めたりしません。……最期までやり遂げます」
先生に、最期の別れを告げる。
それから僕は目を上げた。そのとき、彼女のデスクに遺されたラジオを見つけた。この古めかしいトランジスタラジオは、僕が目覚めた時にサイドテーブルにあったものだ。先生が僕のために流してくれていた。
そしていま、僕は先生のためにラジオをつける。
するとラジオは、あのときと全く同じ曲を流し始めたのだ。囁きのような歌声から、ピアノソロへ。そして、曲が始まる。
「僕は哀れな少年。憐れみはいらない」
歌詞をつぶやき、僕は部屋を後にする。
僕はここにいてはいけない。もう先生とはいられない。
さよなら、先生。僕はもう行かなくちゃいけないんだ。




