Job 《仕事》 (1)
〈F: Remember the precept from Sin.〉
シンとイヴは、ある意味で僕の人生にとってもっとも大切なことを教えてくれたかも知れない。彼らといた時間が、僕にとって一番幸せな時間だとは思えないけれど、有意義な時間だったとは思う。シンは僕にとっての先生であり、師匠だった。
〈F : Memoriable〉
シンは僕に生きる術を教えてくれた。この混沌とした街の中で生きていく術を。
僕は今まで、ぬるま湯の中で過ごしていたのだと、彼らと過ごし始めてからわかった。いま、この世界は戦争の状態にある。地球はコロニーのテロリストとの戦闘状態にあり、長期間に渡る膠着状態は、民衆にも甚大な被害を及ぼした。メイ先生が言っていたところの『しっぺ返し』だ。
戦線の維持にはそれだけの兵力を必要とし、そのために大量の無人兵器、そして兵士が動員された。無人兵器の動員によって戦死者はかつての戦争よりもぐっと減ったが、一方で無人機同士の果てない戦争が続くようになった。人々は無人の殺戮兵器を作るよう工場に駆り出されるようになり、すべては兵器を作るということを念頭に回っていくようになった。社会も、経済も、何もかもだ。アイちゃんが心臓移植が出来ず、機械心臓の被験者になったのも、その弊害の一つといえた。
そして最大の害悪は、スラム街に潜んでいる。戦争経済と無人機の導入によって職をあぶられた元軍人や技術者。その掃き溜め。戦争経済は特需を生み出したが、それは産業用ロボットの動員数を増やしただけに過ぎず、結局は富裕層に金がいくだけのシステムが完成した。使い倒された兵士や工員は、もはや行く宛もなく、スラムで強盗と略奪をしあう日々が続いたのだ。奪われたら、奪い返す。それが続く……。
シンとイヴは、そんな街で便利屋まがいの探偵をしていた。探偵としての仕事は芳しくないらしいが、しかしもう一方の仕事は儲かるとのことだった。
もう一方の仕事。それはつまり、ヤクザやマフィアに関わる裏の仕事である。元軍人であるというシンは、その手の組織に知り合いが多く、優先して仕事を回してもらえていた。その仕事の内容は多岐にわたり、例えば輸送トレーラーのドライバーであるとか、金の取り立てであるとか。もっと汚いところでは、麻薬の売買に携わったりもした。こういうどうしようもない世の中では、誰もが何かしらの希望にすがる。希望とは、かつては宗教であったり神話であったり、酒であったりクスリであったりした。今もそれに変わりはない。
僕はそういう汚い仕事をして、生計を立てた。罪の意識は常に僕に付きまとってきた。だが、それでも誰も僕のことを気にしやしなかった。僕が人殺しだろうが何であろうが、誰も気にしない。みんなが見るのは、その人が何をしているかではない。その人が自分に何をしてくれたかだ。みんな自分のことしか見ないのだ。
だから僕は、この街で生きていくことが出来た。誰も自分のことしか気にしない。我が儘で独りよがりな街。それだからこそ……。
*
僕に与えられた仕事というのは、往々にして運び屋と決まっていた。シン曰く、運び屋という仕事に関しては常に人手が足りないらしい。
半自動運転のトレーラーに不法移民の違法就労者を乗せて、組織が運営する兵器工場まで運ぶ。しかしそれは言うまでもなく違法行為であり、ひとたび政府に見つかれば、すべてが終わる。
ハイウェイを降りてゲートを通る度に、クルマはその用途を確認される。いったいどこの事業主が、何のために走らせているのか。あるいは、どこの家庭がどこへ観光に行くために走らせているのか……。自動運転装置の着いた車両には、あらかじめそのような仕事内容を示すマイクロチップが仕込まれている。もちろん僕が運転するトラックにも偽装チップは埋め込まれてあるのだが、それでも不備が無いことはない。だから人間の搭乗が要求されるし、さらにドライバーをサポートするハッカーも必要にになってくる。
そもそもいまの時代、車というものは半分コンピュータが動かすものだ。衛星軌道上にある量子コンピュータ、アリス。それが現在の地球上で行われるありとあらゆる交通情報を管理、運営している。どの車両がどこを走るべきか、アリスがすべてを判断しているわけだ。
しかし、機械にも必ず不足の事態は起こりうる。事実、アリスの管理システムを持ってしても、年に五千件近く交通事故は発生する。そして、それらの事故の原因というのは、たいがい、アリスの死角で起きるものなのだ。
アリスの死角。それは、彼女のネットワーク上には存在し得ない車両。すなわち、アリスのコントロール下にはない手動操縦の自動車だ。半世紀前までに最盛期を終えた手動運転車両は、いまやスラム街での体のいい移動手段となり果てている。チンピラやゴロツキにとっては、いい武器にも足にもなるわけだ。
僕の仕事は、そんなスラム街を走り、ハイウェイを通り抜け、工場まで人を届けること。だからこそ、混沌とした街ではコンピュータの管理など行き届くはずもなく、人間の運転手が必要なのだ。
僕はシンに、運転のいろはを叩き込まれた。そしてその翌日には「働かざる者食うべからず」という彼の台詞のもと、仕事に出たのだ。僕がスラムに行き着いてから、三日目の夜のことだった。
僕はトレーラーを運転していた。後ろに巨大な荷台を乗せた車両は、古めかしい車に自動運転装置をねじ込んだだけのものだ。
手動運転でスラムを抜け、都市部へ。高速道路のゲートを抜けて、後は自動運転に任せる。アリスにコントロールを支配されたクルマ。それは、アマテラスに思考を奪われた僕と同じだった。
クルマは夜のハイウェイを駆けていく。ひとたび自動運転になれば、僕はもう何をする必要もない。特に長い一本道が続く高速道路は、事故の発生確率も低い。周りを走る車両の運転手も寝ているか、あるいはそもそも運転手など存在しない。
僕はその間に荷台へと向かった。荷台と運転席は小さな扉で繋がっていて、身を屈ませれば入れるような仕組みになっている。僕はぐっと腰を下ろして中に入った。
荷台の中は真っ暗だ。僕は小型のペンライトのスイッチを入れると、荷台の中をくまなく照らし出した。
中にあったのは、高く積み上げられた箱。縦横それぞれ一メートル以上の幅はありそうなそれは、僕に任された『積み荷』である。
「手を出して」
僕は、真っ暗闇の中で言った。
するとどうか、箱にある小さな穴から白く細い手が飛び出してきた。それも、何十本もだ。
僕に与えられた積み荷。それは、人間だった。人身売買だ。彼らの身元は種々様々だ。コロニーと地球との戦争で逃げてきた月の人間。戦争から逃げ出した兵士。遠く離れた火星から出稼ぎに来た不法就労者……。僕やシンを斡旋してくれた組織の仕事というのは、そういった仕事が欲しい貧乏人と、働き手の欲しい金持ちを引き合わせること。そして、僕もまたその逢い引きを手伝う人間の一人だった。
彼らは、この星に来るまでにも長く辛い旅をしてきた。特に火星や月から来た人間は、コロニーのテロリストがはびこる宇宙空間を抜け、はるばるやってきたのだ。彼らは疲弊し、もう死にかけている場合だってある。その証拠に、この荷台にある箱すべてに人間が押しこくられていたのだが、手を伸ばしてきているのは、その総数の三分の二ぐらいなものだった。手を出していない人間は、もう事切れてしまったのだろう。
僕はその人数を数えた。いま、手を伸ばすことの出来る人間。まだ工員として働くことの出来る人間の数を。
カウントをし終えると、僕は再び運転席に戻った。それから携帯端末で取引先に連絡する。生き残った人間は三十九人。あと五時間で到着する、と。
僕の初仕事は、そうして難なく終わった。高速道路を抜けて、工場の敷地へ。トレーラーがたどり着くと、そこの工場長が満面の笑みで僕を迎えてくれた。
僕はトレーラーを工場脇にあるガレージに停めた。そして荷台をあけようとすると、工場長が僕に話しかけてきた。
「待っていたよ。君が新しいドライバーだね」
「ええ、はい」
と、僕は少し罪悪感を感じながら答えた。というのも、僕にはそのとき二種類の顔が見えていたからだ。
新たな奴隷の到来に満面の笑みを浮かべる工場長。一方で、長旅で疲れてゲッソリとした貧乏人たち。おぼつかない足取りで荷台を降りていく彼らを見ると、僕は一瞬「これでいいのだろうか?」とためらってしまった。
「これからも期待しているよ。約束の報酬だ」
と、工場長は、僕の上着のポケットに紙の束を入れて寄越す。口止め料も含めた運賃だ。組織の紹介料を差し引いた金額だったが、それでも不法就労者の彼らが一ヶ月働いても手には入らないような金額だった。
「これからも期待しているよ。……ええっと、名前は……」
「フレディです」
「フレディ。そうだ、フレディ君。君は何でも軍用規格の機械義肢だと言うじゃないか。腕っ節の強い男は、我々にも必要でね。今後も頼むよ」
ぽん、と僕の肩を叩く工場長。白髪交じり髪をかき撫でながら、彼は不適な笑みを浮かべた。
僕は、
「今後ともよろしくお願いします」
と言ったけれど、それでも罪悪感というものはつきまとって離れなかった。
だが、それでも全身が泥に浸かってしまえば、足先に着いた泥のことなどどうでもよくなるのだ。この僕のように。




