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小説

小説家の憂鬱

作者: ガンベン

 広川浩司は、パソコンに打ちこんだ文章をデリートボタンで消して、また深い溜め息をついた。断片的に浮んでは消えていくアイデアを、どうしても文章に落とせない苦しみに襲われていた。試しに体を揺らしてみた。眼をつぶってありったけの想像をしてみる。そうすると、微かに少しずつ情景が見えてきた。


 相対する二人の人間が、立っている。片方の人間が、目の前にいるもう一人の人間に何やら喚き散らしている。なんと言っているのかは、音が小さくて聞こえない。ただ、すごい剣幕で叫んでいる。もう一人の人間は、ひどく狼狽した様子で、謝っているポーズをしている。こっちの声は僅かながら聞こえてきた。

「あれは仕方がなかったんだ。そうしないと俺も生きては行けなかった。悪いとは思っている。だから許してくれ」

 振り絞る声で、必死に震える身体を保たそうと堪えている姿が見えてきた。

 そうすると、怒っている様子だった人間が、戸惑ったように見えた。何やら手元に持っていた尖った鋭利な物を手離そうとしているようだった。しかし、やはり思い直した様に、首を何度も振り、何かを呟いた。

 狂ったように叫びながら、手に持つ凶器を、もう一人の人間の胸に突き刺した。溢れ出る鮮血。

 刺した人間は、刺してしまった驚きと血の生臭さに腰を抜かし、地面にへなへなと尻をついた。一方の刺された方は、胸を押さえて苦しみの表情を浮べながらも、どこか初めからこうなることは分っていたように、ふっとあきらめて、膝を地面に打ちつけ、なすがままに倒れた。地面に血がぽたぽたと垂れていた。

 バタン、と響く音がした。倒れた人間の大きさは分らないが、どれだけの大きさの音がしたのだろうか。しかしそれは深い海底まで沈み込む重さがあった。

 夜更けの静かな風の音に紛れて、暫くその音は響いていた。


 その音が聞こえた時、浩司はそっと椅子を立ち台所に向かった。インスタントコーヒーの粉をコップに適当に入れ、沸いているポットの湯を注いだ。湯気と共に放たれるコーヒーの匂いに浸りながら、

(あの二人はどうして、あんな場面に出くわさないと行けなかったのだろうか? )

 さっきの妄想を、少し冷静になり考えた。まだ熱いコーヒーを、すすりながら飲み始める。ふーっと大きなため息をした。

(何か理由がないとあの二人は会うこともなかった。そして、殺し殺される関係になることもなかった。そうだとすると、その過程があって当然なのだが、いつも決まってその過程は消えて、突如あの二人は僕の頭に現れる)

 浩司は頭の中で、彼らに話しかけたい衝動に駆られていた。

(あなた達はどうしてそんな所にたっているの?そしてどうして、そんな関係になってしまったの?)

 そんな問い掛けをしても勿論彼らは、浩司に振向きもせず、同じ光景を繰り広げるのだろう。そして悲しい結末を……。

 

 浩司は冷めたコーヒーを一口で飲み干すと、汚れたコップを、洗い始めた。蛇口から勢いよく出る水とコップの底がぶつかりあっている音がしばらく続いた。そのリアルな音に、浩司は心を奪われた。

 蛇口を締めて、自分の部屋に戻り、書きかけの原稿を保存しパソコンの電源を消した。そして、布団を敷いて静かに横たわり、眼を閉じた。

 

 眼の前が一瞬真っ暗になる。薄れゆく意識の中で今日の出来事を少しずつ現れてくる。そして、またあの二人が頭の中に現れ始めた。

 凶器を持っている人間が、何かを叫んでいる。浩司はその音に一生懸命に耳を欹てた。微かながら、小さく聞こえてきた。

「お前のせいで、俺の大事な子供が自殺に追い込まれたんだ。あの時お前があの子を、いじめっ子から守ってあげればあの子は、あんな苦しむこともなかったのに……」

 やり場のない怒声。その声で、それまで真っ暗だった二人の世界に、学校の教室が突然出現した。まだ小さい机と椅子。黒板消しとチョークと黒板。大きいと思っていた小さなモノたち。追い詰められて慄く担任先生の姿と自殺した子供の保護者の怒りの顔。

 浩司は寂しく切ない気持ちになりながら、布団を払いのけまたパソコンを立ち上げて、パソコンに文字をタイプし始めた。薄暗い灯。ただタイプの音だけが、深夜の静寂を打ち消していた。


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