蒼穹
白霧朦朧蓋眾人
喧騷藉藉鬧清晨
青天處處應無異
尋覓蒼穹但得塵
白霧 朦朧として眾人を蓋ふ
喧騷 藉藉として清晨を鬧がす
青天 處處應に異なる無かるべきに
蒼穹を尋ね覓むるも但だ塵を得るのみ
朝がくる。
カーテンを開けた瞬間に視界に入った光景に、僕は顔を顰めた。
今日は「はずれ」だ。空気が白い。
白に近い灰色の靄のようなものが、窓の外を満たしている。道行く人の視界もさぞ悪いことだろう。
靄の中にできたぼんやりとした影が人の姿になり、また溶けるように消えていくまで、数秒もかからない。ここは特に視界を遮るようなものの無い、比較的見通しのよい場所だったはずなのだけれど。
突如、耳を劈くようなクラクションの音がした。続いて、何やら怒声のようなもの。僕は肩を揺らすようなことも無く、眉一つ動かさず、コップに注いだミネラルウォーターに口を付ける。
このくらいの騒音は日常茶飯事だ。いちいち驚いていたら身が保たない。夜中だって、工事の騒音が酷い街なのだ。来たばかりの頃は眠れたものじゃなかった。今ではもはや気にもかけずにぐっすり眠れるけれど。それでいて、電話がかかってきた時にはちゃんと起きられるのだから、僕の耳は睡眠中でもちゃんと音を聞き分けているらしい。無駄に便利な技術が身に付いたものだ。慣れって怖い。
徐々に増えてゆく騒音を右から左へ聞き流しながら、僕は窓を開けた。途端に流れ込む白っぽい空気とそれに紛れる異臭にも、だいぶ慣れてきた。正直あまり慣れたくはなかったのだけれど、慣れなければストレスがたまる一方なので仕方が無い。世の中妥協が欠かせない時もある。
僕は地上の喧噪を無視して空を見上げた。
世界中どこへ行ったって、空は繋がっている。たとえ地球の裏側だって、青空だけは変わらない。僕の見上げている空は、故郷で誰かが、そして遠く離れた場所であの人が見ている空と同じなんだ。
その、はずなんだ。
僕は目を細め、空を探した。
今日の天気は晴れだ。故郷と変わらない、あの青が、見えるはず。
その、はずなのに。
見上げた上空には、ただ白く薄ぼんやりとした色が見えているだけだった。
霧か、靄か、薄雲か。
僕は思わず舌打ちした。
違う。そんな綺麗なものじゃない。
わかってはいたんだ。だって、僕の足下にだってあれは来ている。
僕は黙って窓を閉めると、鞄を肩にかけた。少しだけ考えて、マスクをポケットにねじ込む。
故郷を離れて、この街に来た。情熱があったわけじゃない。ただ、ほんの少しの好奇心と向上心、そして成り行きに押されてだ。昔、遠く故国を離れて異国の文化を学びに海を渡った僕らの先人は、月を見て故郷を偲んだという。
僕は、青空が見たい。
溜息を吐いて、ドアを開ける。相変わらず、青空は見えない。時々、空気が綺麗な日には見えることもあるけれど、今日は全く駄目だ。
だから、今日は「はずれ」。青空が見えないから。
次の「あたり」は、明日か、はたまた三日後か、一週間後か。
僕は憂鬱な気分を誤摩化すように早足で、バス停へと向かった。
それは白い霧のよう
或いは薄い雲のよう
わずかに灰色を帯びて
人々の影を包む
眠り破る警笛も
誰かの叫び声も
その灰白の腕にくるまれて
この街を形づくる
青空はどこまでも
高く
清く
遥かに
遠く離れた僕らの頭上にも
同じ青き絨毯を広げるのでしょう
嗚呼なのに
この街の空は
あの霧に
雲に
塵に
遮られて
その青を
見せてくれないのです
蒼穹を尋ね覓むるも但だ塵を得るのみ
但だ塵を得るのみ
この物語はフィクションです。念のため。