いびつな家族
「奥様、何か手伝います」
「蝶子ちゃん。じゃあ、洗い物を取り込んでもらえないかしら?」
「わかりました」
雛菊は静かに去っていく蝶子を見送った。
「うーん…。」
少し唸りつつも、料理をする手は止まらない。
最近、蝶子ちゃんの様子がおかしいのよ。
「はあ?」
雛菊の一言に、一気に眉を顰める柊生。雛菊はその顔を気にも留めずに続ける。
「蝶子ちゃんがね、私の事をじっと見ている気がするの。私、何かしたかなあ…」
「さあ?皺でも増えたんじゃねえのかい?」
「もう!」
日常茶飯事なやり取りをしつつ、柊生は考えた。
(蝶子が雛菊を…?何かしたのかねえ…)
夕方になったころ、柊生は蝶子の部屋を訪ねた。
「お前、雛菊に何か用があんのか?」
「奥様に、ですか」
「ああ。アイツが最近お前の視線を感じんだと。雛菊が何かしたのか?」
柊生の言葉に、蝶子は激しく首を振った。
「そんなことはありません。むしろ私が何か粗相をしたのか…。そればかりです」
「そうか。…なあ、蝶子。雛菊は、お前と仲良くなりたいんだと」
柊生の言葉に、蝶子の瞳が揺らいだ。俯いて、紺色の着物の裾を強く握る。
「…」
柊生は蝶子の黒々とした髪を見つめた。そして待つ。自分が娘のように思っている少女が、自分を奴隷だと信じて疑わない少女が、自分に何かを言うのを。
「…旦那様。その言葉は、本当でしょうか」
暫くの沈黙が続いた後、か細い声で蝶子は言った。
「ああ、本当だ。俺が雛菊とお前に関して嘘を言ったことがあったか?」
「…いえ。」
蝶子は顔をあげて、凛として言った。
「例え嘘だとしても、旦那様の言葉を信じます」
柊生はその言葉に微笑んだ。
「んで?本当だったら、どうしたいんだ?」
柊生の言葉に、凛としたまま答える。
「奥様と…話がしたいんです」
その言葉は、何処までも真っ直ぐだった。
「奥様」
「あら、蝶子ちゃん。何か用?」
薄く微笑む雛菊に、蝶子は少し考えて言う。
「奥様が…。私と、その、仲良くしたいというのは…本当ですか」
「え…?」
思わぬ言葉を聞き、驚く雛菊。
「その、奥様が…宜しいのであれば…。私も、奥様ともっとお話がしたいのです」
驚きの言葉を紡ぎ続ける蝶子を、驚いた表情のまま、涙を流した。
「!?お、奥様…?」
雛菊が静かに涙を流すのを見て狼狽える蝶子。その光景は、珍しいという一言に尽きた。
「嬉しい…!蝶子ちゃんがそんな事を言ってくれるなんて…!」
泣きながらも笑顔になる雛菊に、蝶子は少し胸を撫で下ろした。
「…私も、きっと言う事はなかったと思います。」
「ふふ…。東君の、お蔭なのね」
「……はい。東さんと話をすると、胸が晴れやかになるんです」
「あーあ、悔しいわ。私の方が、蝶子ちゃんと一緒にいるのに」
「すみません…」
暗い表情で謝罪をする蝶子に、雛菊は咄嗟に言った。
「ううん。嬉しいのよ。私も、もっともっと蝶子ちゃんと仲良くしたいわ」
「…はい。ありがとうございます」
その一言と共に、蝶子は、微笑んだ。
数秒。時が止まった気がした。
「…あの、奥様…?」
「……蝶子ちゃん」
「はい」
少し怯える。雛菊の表情は、あまりにも暗かった。
昔を思い出す。笑顔を作る度、罵られ、暴力を振るわれ、嫌な顔をされる日々を。
「ご、ごめんなさ…」
「可愛い!!!」
蝶子が謝ろうとした瞬間、雛菊は蝶子に抱きついた。
「お、奥様…?」
「今、笑ったわよね?初めて見たわ!すっごく可愛い!」
「あ、あの…」
思ってもいない反応に、戸惑う蝶子。
「ね、蝶子ちゃん。折角綺麗な顔をしているんだから、もっと笑えばいいのよ。ねっ?」
「そ、それは…」
「おい雛菊。あんまり蝶子を困らせねえでくれよ」
柊生がどこからか現れ、二人を引きはがす。
「それにしても蝶子。お前、そんな顔も出来たんだな」
少し乱暴に蝶子の頭を撫でた。
「まあ、アイツに会わせて正解だった、ってことか」
蝶子の頭を撫でながらぼそりと呟く。
「旦那様」
「ん?」
「私は、笑っても、許されるのですか?」
柊生は蝶子を見つめた。その肩は少し震えていて、嬉しそうな、悲しそうな声をしていた。
「おう。…許すも何も、お前は笑うべき人間なんだよ」
「…」
二人が見つめあう。黒々とした瞳が、柊生を強く見つめる。
その瞳には、光りは宿っていない。
「蝶子ちゃん、あなた。今日は三人で料理を作りましょう!」
雛菊が、突然断ち切るように言った。
「料理い?なんでだよ」
「夢なのよ。家族揃って料理をするの。ね、ダメかしら?」
「わあったよ。…な、蝶子」
「……奥様の御命令であれば。」
「まーたそんな事言いやがって。もうちょい素直になれよなあ」
今度はもう少し強く蝶子の頭を撫でる。
「でも、今日はちょっと進展よ!次は一緒にお買いものに行きましょうね!」
雛菊の明るい声と、柊生の呆れ声。それから、
蝶子の、少し柔らかい声が、松江邸に響いていた。