痕
「すみません、東さんはいらっしゃいますでしょうか」
幼い少年に鎖を首に着けた少女は訊いた。
「東様ですか?」
「はい」
少年はじっと少女を見た。
「申し訳ありませんが、お名前を訊いても宜しいでしょうか」
「蝶子と申します」
蝶子も少年をじっと見返す。
「・・・東様は、今別のお客様といらっしゃいます。今しばらくお待ちください」
「わかりました。ありがとうございます」
蝶子は礼儀正しく礼をし、傍にあった椅子に座った。
「東様、お客様です」
「お客様?誰?」
「蝶子様です」
「蝶子さんか・・・。わかった、今行く」
東はこの間蝶子から貰った薬と戦い終わった後だった。
腰の痛みは大分引き、重たすぎる着物を引きずりながら歩く。
「蝶子さん、お待たせ」
「いえ、大丈夫です」
相も変わらず礼儀正しい蝶子に東は苦笑する。
「最近よく来てくれるよね。心境の変化でもあったの?」
「いえ。旦那様が行ってやれと仰っていたので」
(そこは嘘でも頷くべきだと思うんだけど・・・)
さらに苦笑する東をじっと見つめる蝶子。
「・・・?どうかした?」
「東さん、首元に痕が」
「え?・・・ああ、さっきのか」
冷たい声色で言ってのける東。
「さっきしつこくされてさー。仕事だからしょうがないんだけど、痕つけられるのだけは嫌なんだよね。俺、一応商品なんだから、あんまキズモノになりたくないんだ」
「そうなんですか」
「うん」
興味の無さげな蝶子の声に少し笑う。
「蝶子さんはどう?痕つけられるの、嫌じゃない?」
「・・・私は、奴隷ですので、主人に何か言うことは許されません」
あくまで主人の意志を尊重し続けようとする蝶子に、東は少しむくれた。
「別に、俺には蝶子さんの意志を伝えてくれていいんだよ?」
「私にとって、東さんも旦那様と変わりません」
その言葉に、東は少しの苛立ちと、そしてある感情が押し寄せた。
「・・・蝶子さん、俺は旦那と同じじゃない。同じだとしたら・・・蝶子さん、君と同じだよ」
「私と・・・?」
「そう。俺を始め、ここにいる奴らは皆『世間に見放された』奴らなんだよ。前に蝶子さんも言ってたでしょ?失礼だとは思うけど、蝶子さんと俺たちは一緒」
ニッコリと微笑みながら言うと、蝶子は勢いよく頭を下げた。
「ちょ、蝶子さん?」
「すみません、東さん。・・・ありがとうございます」
頭を下げたまま蝶子は言葉を紡いだ。
「・・・そうですね、私には一応、大きな痕がありますので。それだけで十分ですね」
「大きな痕?」
「はい」
こくりと頷く蝶子。その眼には、それ以上触れてほしくないという意思があった。
「・・・あ、蝶子さんってさ、性欲ないの?」
「え」
(話を逸らそうとしたら変な話題振っちゃった!!)
内心汗だらだらながらも東は話を続ける。
「いや、結構前にさ、蝶子さんと一緒に寝た日あったでしょ?」
「ああ、はい」
思い出したような口ぶりで言う蝶子。
「あれってさ、俺的には蝶子さんを試してみたつもりだったんだよね」
「私を、試す?」
「うん、いや、蝶子さんも人並みに性欲があって、人並みに誘惑に弱いのかと思って・・・試してみようと思ったんだけど」
「思惑を大きく外してしまい申し訳ございません」
深々をお辞儀をする蝶子に慌てる東。
「いやっ、まあ思惑は大きく外れたんだけど・・・。でも、俺一応ここの一番人気の色子だしさ、蝶子さんも靡くかなーって思って」
その言葉を聴いた蝶子は不思議そうに首を傾げた。
「私が東さんの誘惑に負けたとして、東さんは私を如何する御積りだったんですか?」
「どうする、って・・・」
(確かに何かした後は蝶子さんに悪戯しようと思ったんだけど)
うーん、と首を傾げる
「まあ、ただ単に蝶子さんの驚く顔が見たかっただけだから、その後は少し悪戯してやろうぐらいしか考えてなかったよ」
「そうですか」
蝶子は徐に立ち上がった。
「どうかしたの?帰る?」
「いえ。少し厠へと思いまして」
「あ、そうなの?いってらっしゃい」
「失礼します」
そのまま襖の向こうへと消える蝶子。
それを見送った後、東は一気に脱力した。
「っは~~!」
そのまま胡坐をかく。
「やっぱ蝶子さんと会話すると緊張する・・・」
先刻蝶子に指摘された痕に触れる。その後ぶるっと震えた。
(気持悪・・・)
顔を思い切り顰めて、そのまま床に倒れこむ。
「・・・」
(蝶子さんも厠とか行くんだ・・・って、何を考えてんだ俺は!)
ぶんぶんと首を振り、ごろんと寝ころぶ。
「蝶子さんと一緒だと少し調子が狂う」
ボソッと呟く。
(でも、旦那以外でこんなに落ち着くなんて、蝶子さんくらいか)
思ってから、少し恥ずかしくなって、顔を赤くした。
「・・・うわあ」
「どうかしましたか?」
「うわあっ!?」
がばっと起き上ると、蝶子が同じ場所にちょこんと座っていた。
「いつから・・・」
「たった今です」
「そ、そう・・・」
東は座りなおすと、蝶子に少し近づいた。
そのまま頬に手を伸ばした。
「・・・私の顔に何かついていますか?」
蝶子の頬の感触を確かめるように手を滑らせた。
「白いし、荒れてないし、すべすべだし・・・蝶子さんの肌は綺麗だね」
「・・・」
訝しげな眼で見られたので、苦笑しながら続けた。
「ただ単に褒めてるだけだよ。別に口説いてないから」
「そういうわけではないのですが」
「じゃあ何?」
「東さんの肌もお綺麗ですよ?」
「まあ、一応こういう商売柄、身体は大事にしてるんだよね」
本当は穢れきってるんだけどね。
笑いながら言う東に蝶子は黙っていた。
その時、部屋の襖が開かれた。
「東様、お時間です」
「あ、もうそんな時間?――蝶子さん、ごめんね。次のお客さん、常連さんなんだよね」
「わかりました。では、失礼します」
「お送りします」
少年は蝶子を連れて消えて行った。
それを見送った東は、一気に脱力をした。
(なんであんな事言ったんだろ、俺・・・。馬鹿みたいだ)
ぐぐぐ、と伸びをしてから倒れこんだ。
(次のお客さんが嫌だなんて・・・こんなことなかったのになあ)
そう思いながら、湯浴みをしに立ち上がった。