幼子の約束
「母さま、母さま。僕はどこに行くのです?」
蜂蜜色の髪をした少年が、自分の手を引いて歩く女性に話しかける。
「貴方を、幸せにしてくれる場所よ」
女性は、微かに震えた声で答えた。少年は気づかずに声音を明るくさせた。
「僕を幸せにしてくれる場所とは、どのような場所ですか?」
「…それは、行ってからのお楽しみ。」
「ふふ、はい!」
暫く歩いた後、女性が足を止めた。
「……ここよ。」
「わあ…!!」
少年は感嘆の声を上げた。大きな、大きな屋敷。
その扉の上の大きな看板には、『東江春館』と書かれていた。
「……!!」
思い切り起き上がる。冷や汗が身体中を伝った。
「今のは…夢…か」
随分と懐かしい事を思いだした。もう、色褪せて消え失せたと思っていたのに。
「あー…もう…」
突然零れ出した涙を拭いながら、東は寝間着を脱いだ。
同じ時間帯に蝶子が来るようになってからしばらく経つ。東はその時間帯をそわそわと過ごすようになった。
「こんにちは。」
何時もと同じように深々と頭を下げる蝶子。東は笑って「いらっしゃい」と言う。見慣れた光景だ。
何気ない世間話に話を咲かせている途中、蝶子がふと東をみつめた。
(う…何か言いたい事があるのかな?蝶子さんがじっと見つめてくれるの、嬉しいけど凄く恥ずかしい…)
思いながらも、笑顔で話しかける。
「どうしたの?何かあった?」
「あ、いえ…。」
遠慮がちに頭を振る蝶子。東はニッコリと笑って無言の催促をした。蝶子はそれを察して、控えめに尋ねた。
「……その。東さんの髪色は、この国では見ないものなので、とても珍しいな、と…。まるで、外国の方の様だな、と思って…」
確かに、東の蜂蜜色の髪は、黒髪ばかりのこの国ではとても目立つ。良い意味でも、悪い意味でも。東は自分の髪を少し梳き、
「まあ、俺の半分は外国の血が混ざってるから。」と何気なく言った。
「えっ」
「え?」
東は蝶子の反応に目を丸くした。てっきり、「そうだったんですか…」で終わるかと思っていたからだ。蝶子も目を丸くしている。その後、遠慮がちに、しかしとても興味津々な様子で尋ねた。
「その…。どこの御国かは知ってらっしゃるのですか?」
「どこだっけ…。西洋って言うのは知ってるよ。でも、それ以外はからっきし。」
「そうですか…」蝶子の声は少し残念そうだった。東は少し笑った。
「俺さ、父さんが外国人なんだよね。でも、全く記憶がなくて。俺、三歳の時からここにいるから。」
「あ…。す、すみません。嫌なことを思い出させてしまって…」
「え、別にいいよ。過去の事だし。それに、俺は今楽しいしね」
「そうですか…。」蝶子は何やら神妙な面持ちだ。その表情に、東は苦笑した。
「……蝶子さん、あのね。俺、夢があるんだ。」
「夢?」「そう、夢。…俺ね、いつか、外の世界を見たいんだ。今は無理だろうけど、いつか絶対。色んな国へ行くことは叶わないかもしれないけど、少しでも多くの風景を、この眼で見てみたいんだ」
「……素敵な夢ですね。」
頬を少し染めて、楽しそうに話す東を、蝶子は柔らかく見つめていた。
「その夢のお手伝いを、少しでもできたらいいのに」ぽつりと零した言葉に、東は笑みを浮かべた。
「じゃあ、蝶子さんも一緒に、外の世界を見て回ろうよ!ね、いいでしょ?」
「…はい。是非」蝶子は少し口角を上げた。
「ふふ、じゃあ約束ね。はい、指切り!」
小指を差し出す。蝶子も、少し躊躇いながらも同じように差し出した。
小指が絡まる。
「指切った」の合図で、小指が離れた。幼子の約束のようだった。
「よし、これで絶対だからね。ね!」
東は無邪気に言う。蝶子も微笑んで、頷いた。




