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東の蝶  作者: 明夢 優深
奴隷と色子
23/33

紅色の病

蝶子が『蝶子』でない前。それ以外の名前を付けられていたずっと前。彼女の本当の名前は『桜』だった。

桜は近所では、明るく聡明な女の子として有名だった。父親と二人三脚で一緒に薬屋を盛り上げるべく奮闘していた。

「ねえ、お父さん。今日小清水さんの弟君が熱を出しちゃったんだって」

「そうか、じゃあ、熱を早く引かせる薬を作らないとな」

父親はとても優しく、桜の話を嬉しそうに聞いていた。収入は僅かだったが、日々の生活が苦しいほどではなく、それなりに楽しく過ごしていた。

そんなある日。二人は買い物をしに街へ出かけた。料理は桜の仕事だ。桜は真剣なまなざしで目利きをしたり、値踏みをしたりと大忙しだった。父はそんな桜を優しげな眼で見つめていた。

いつも通りの事をしていると、何処かで騒ぐ声がした。

「逃げたぞ!追え!」

数名の男たちが、豪華な着物を着た女性を追いかけている。

「やめっ、放して!」

その悲痛な叫びを聞いた父は、桜にここに居るようにと言った後、その騒ぎの中に飛び込んでいった。

「嫌がってるじゃないですか。放してあげたらどうです?」

父は二人の間に割り込み、女性を庇う。

「そいつはウチの商売道具だ!連れ戻さないと大損なんだよ!」

「嫌だ!僕はあんな所で働きたくない!」

と、女性は叫んだ。父は驚いて彼女を見る。化粧で美しく飾られている顔を良く見てみると、その人は男だった。

「な、な…!?」

女の恰好をしている男に戸惑いつつも、美しさに目が離せない。

深紅色に染められた唇を、ただぼうと見つめていた。

「何を言ってるんだ、いいから戻れ」

ぐいぐいと引っ張られ、男は叫びをあげながら大きな館へと吸い込まれていった。

「…綺麗な人だったな」

「お父さん、買い物終わったよー」

桜は混乱に気も留めず、良い買い物をしたと言わんばかりに胸を張った。

「…桜は良いお嫁さんになるなあ」

「えへへー」

頭を撫でると、嬉しそうに笑う。父はその間も、先程の男の事を思わずにはいられなかった。


ある日、父は夜遅くに帰ってきた。

「ただいま」

「お帰り…遅かったね、お仕事大変だったの?」

眠気眼を擦りながら問いかける桜。だが父は何も答えない。

「…お父さん?」

そこでようやく父の顔を見た桜は、驚きで眼を見開いだ。

「ああ、大変だったよ…」

恍惚とした表情。口元は緩み切り、頬は紅潮していた。ふらふらと、畳の上に座り込む。

「ど、どうしたの?風邪貰ってきたの?」

様子がおかしい父に、桜は動揺する。いつも見ていた父ではない、と。父は急に立ち上がると、そのまま寝床へ行ってしまった。

「お父さん……?」

その日から、父の様子がおかしくなってしまった。


「おはよう、桜」

目を覚ますと、父がすでに仕事の準備をしていた。桜も挨拶を返すと、こう付け加えた。

「珍しいね、お父さんが先に起きるの」

「まあね、心境の変化ってやつかな」

言いながら桜の頭を撫でた。

「顔を洗って来なさい。今日は少し大きな仕事があるんだ。店番を頼むよ」

「うん!」

いつも通りの父に安心しきった桜は大きく頷くと井戸へと駆けた。その父の表情が、劣情に歪んでいるとも知らずに。


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