二人の傷
傷だらけになった身体に、薬をつける。全身から痛みが走る。
「うう…」
あれから、東は度々斉藤から暴力を受けるようになった。でも、毎回じゃない。いつものように優しく振る舞う日もある。それが東を疑心暗鬼へ陥らせた。
蝶子にはしばらく会っていない。会わないようにしていたのだ。こんなところ、見せたくなかった。
薬を塗り終わると、白粉を体に着け、傷を隠す。傷ついた体で客の前に出るのは、許されなかった。それに、店の者には知られたくないという、自尊心のようなものもあった。
「一番人気の色子も落ちぶれたなあ…」
自嘲気味に笑う。と、襖を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
襖が開かれた。東の目の前には、蝶子がいた。
「蝶子さん…」
「こんにちは、東さん。」
何時ものように挨拶をし、深々と礼をする。そそくさと座敷に座ると、東の瞳を見つめた。その瞳には、前に会った時の怯えも怒りも動揺もなかった。
「…あの男に、何かされましたか」
声は冷え切っていた。東は笑って答える。
「何もないよ。いつも通り」
「そうですか…」
蝶子は俯き、そして顔を上げる。
「失礼します」
「えっ」
服を剥かれた。鮮やかな青から、東の白い体躯が現れた。
「…」
「…東さん、腰の所に青痣があります」
「えっ」
蝶子に指摘されたところを見る。言われた通り、青痣があった。
「どうしたんですか」
「えーっと…、そう!柱にぶつかっちゃってさ」
あははと笑う東の眼を見つめる蝶子。心配そうな表情だった。
「いつもは白粉を塗らないですよね。なんで塗っているんですか?」
「それは…」
答えに戸惑う。蝶子には知られたくなかった。まさか、自分が客に暴力を振るわれ、いいように弄ばれているなんて、絶対に言いたくなかった。
「東さん、私はわかってます。だから、本当の事を言ってください」
「…大丈夫だよ」
懇願する蝶子だが、東は頑なだった。無理に笑顔を作る。
「色子はさ、お客さんを満足させることが仕事なんだよ?別に、満足させてないお客さんなんていないし…。大丈夫だよ」
良くわからない理論を展開する東。大丈夫と言う声は、明らかに肯定できるような物ではなかった。
蝶子は唇を噛み締め、吐き出すようにため息を吐いた。
「…東さん、良く聴いて下さい」
「何?」
東の瞳を見つめる。強く、覚悟を決めたような瞳に、東は止まった。蝶子の口が動く。
「斉藤吉兵衛さん。…あの人は、私の前の主人なんです。もう三年前の事ですが、私はあの人に暴力を受け続けていました。用済みになり捨てられ、死にかけていたところを旦那様に助けていただいたんです。」
「そんな…」
信じられないという気持ちがすぐ襲ってきて、それから申し訳なさでいっぱいになった。
「ごめん。俺が蝶子さんの事をちゃんと信じなかったから…。蝶子さんは、大丈夫なの?」
労わるような声色に、蝶子はぴしゃりと言った。
「もう三年も前の事です。私の事を心配するなら、貴方の心配をしてください。…それに、私は奴隷なんです。こんな事はよくあることです。」
その言葉に東はむくれた。折角心配したのに、と思いながら、怒気を込めた声で言う。
「俺は色子だよ。お客様を満足させるのが俺の役目だ。…それに、俺は蝶子さんの事をただの奴隷だと思ってないよ」
「私だって、東さんの事をただの色子はだと思っていません」
怒り。蝶子の声にはそれが篭っていた。東も負けじと声を張り上げる。
「じゃあ、俺の事信じてるよね?だから、心配しないで」
「それとこれとは違います。東さんの命の危険があるんですよ?」
「店に言えばそれなりの対処はしてくれる。蝶子さんは関わらないで」
「どうしてですか?私を少しでも頼ってください」
真っ直ぐ見つめられ、戸惑う。視線を外し、言った。
「俺がもし斉藤さんに抵抗するようなことがあれば、蝶子さんにも危険が及ぶんだ。…だから、絶対に」
「ふざけないでください!!」
驚いて蝶子を見ると、彼女は両目に涙を溜め、顔を赤くしていた。東の両手をしっかり握ると、大声で言った。
「貴方に死なれたくないんです!お願いします、もうやめてください!!」
堪え切れなかったのか、涙が流れた。ボタボタと、雫が落ちる。
「ちょ、蝶子さん…」
おろおろと、両手を掴まれたまま左右を見まわす。蝶子は東の眼を見つめたまま、涙を流し続けた。
「お願いです、東さん。東さんがいなくなったら、私は、私は…!」
涙声で切なげに懇願する蝶子。東はその顔を見た後、少し肩をすくめた。
「…わかった。ごめんね、蝶子さん。ありがとう」
「本当、ですか」
「うん」
安心したのか、両手を放し、ふにゃりと笑う。その笑みに心臓が高鳴った。そして、何を思ったのか、蝶子の頭を撫でた。
「ありがとう、蝶子さん。」
「……はい」
ずびび、と鼻水を啜る音がした。
「なあ、斉藤さんよぉ。あんまウチのガキどもにちょっかいかけてんじゃねえぞ?」
柊生が笑う。感情は篭っていない。
「…なんだよ、松江さん。東君にお熱だったのかあ?」
ははは、と乾いた笑を漏らす斉藤。
「東だけじゃねえよ。蝶子にも手出そうとしてたんだろ?」
「蝶子…ああー、あの奴隷か。あれ、アンタのなのか?飼い犬に名前を付けるなんて、殊勝なこって」
「…俺さあ、今度の商談、無しにしようと思ってるんだよなあ」
ふと発せられた終生の言葉に、斉藤はバッと顔を上げた。
「ウソだろ?私情でどうにでもなるような話じゃねえだろ!?」
「はあ…。こんな最低な男と一緒に仕事したくねえし、な。それに断っても俺の方に不利益なわけじゃねえしな。な?」
ニヤニヤと笑いながら斉藤を見る。彼の顔は真っ青で、わなわなと震えていた。
「…何が望みだ」
「もう二度と、東江春館に行くな。蝶子にも、東にも会うな」
瞬間、睨み合う。先に折れたのは、斉藤の方だった。
「…ちっ。あーあ、折角良い感じの玩具を見つけられたのに。また探さないと駄目だなあ」
「その趣味、やめた方があんたの為だぞ」
「無理無理。こーんな小さい頃からだし。」
と、自分の腰当たりに手をやる斉藤。柊生は苦笑いをした。
「…絶対だぞ」
「わかったって。あーんな餓鬼よりも自分の商売の方が大事だっつうの」
けっ、と一つ漏らして、二人は話し合いを再開させた。
その後、斉藤吉兵衛は二度と、東江春館に来ることはなかった。




