良薬は苦し
「痛い・・・腰」
うう、と呻き声を上げながら東は湯浴みをする。
正確に言えば、水浴びだが。
「あんのオヤジ、まさかあんな絶倫だとは・・・」
くそっ、と舌打ちを一つした。
「東様、お客様で御座います」
幼い少年の声が向こうで聞こえた。
「本当?誰?」
「蝶子様です」
「蝶子さん?わかった、今いく」
蝶子と言う名前を聞いた途端、眉間に皺が寄るのが分かった。
初めて会ったあの日から、蝶子は時々東の元へ来るようになったのだが。
(終始無言。俺が一方的に話してるだけ・・・。あれじゃあ何時まで経っても旦那たちとは話せないよねー)
そんなことを思いながら水浴びを止め、重たい着物を着こんだ。
「蝶子さん、お待たせ」
「いえ、大丈夫です」
いつものように襖を開けると、真っ直ぐに東の方見上げる蝶子。
正座姿で、襖の方をじっと見ている。
(忠犬みたいだな)
そんな事を思いながら、蝶子の前に座った。
「・・・東さん」
「何?」
「これをどうぞ」
そう言って蝶子が差し出したのは塗り薬だった。
「何、これ?」
「塗り薬です。腰に塗ると痛みがひきます」
蝶子のその一言で、東は一瞬止まってしまった。
(珍しく話しかけてきたと思ったら、腰に効く薬?なんで!?)
「・・・なんで、そんな物くれるの?」
「先日からずっと腰を抑える動作をしていたので。それに、先程、話し声が聞こえたんです」
「話し声?」
「はい。『流石東江春館の看板色子だ。具合も良いし愛想も良い。何回出しても文句ひとつ言わない。最高だな』と仰っていました。なので、もしかしたら腰を痛めているかと思ったので」
(あの絶倫男、何言ってくれてんだ!!)
内心憤りを感じつつ、東は平静を装った。
「へえ、そんな事言ってたんだ」
「はい」
淡々という蝶子に、東は少し辟易した。
「・・・ねえ、蝶子さんはさ、そのお客さんみたいに、俺に手出さないの?」
少し意地悪な口調で訊いてみた。彼女が此処に来る理由は他の客とは違うのに。
「私は、使われる側なので」
なのに、彼女はまた淡々と、ハッキリと口にした。
「使われる・・・側」
「はい。こう言えば失礼ですが、東さんと同じです」
本当に失礼だな。なんて思ってみた。
「別に、俺も自覚してるから大丈夫だけど。他の奴らにそれ言っちゃ駄目だよ?」
「わかりました」
「・・・。ねえ蝶子さん」
「なんですか」
「蝶子さんはさ、なんで此処に来るの?」
素朴な疑問だった。いくら柊生の命令でも、来たくもないところに通い詰められるのか。
「・・・旦那様の御命令だからです」
「それだけ?」
「はい。今は」
(今は?)
「どういうこと?」
詳しく聞こうとしたが、蝶子はそれをかわすように、
「今日は、東さんにもうひとつ渡したいものがあるんです」
と言った。
(上手くはぐらかしたな)
「何?」
と、蝶子は袖口から小包を取り出した。
「なにこれ?」
「お団子です。作ってきました。お口に合うかはわかりませんが」
小包を開放すると、そこにあったのは白玉団子だった。
「見た目はこの様な物ですが、ちゃんと味はしますので」
「わあ、すごい!ありがとう。食べてもいい?」
「どうぞ」
ありきたりな感想を言って、団子を一つ摘まんだ。
「・・・美味しい」
予想外の美味しさだった。
「ありがとうございます」
礼儀正しく蝶子は一礼すると、東が団子を次々と食べていくのを見ていた。
「んぐ・・・あれ、蝶子さんは食べないの?」
「東さんに作ってきたものですので」
「ふーん・・・。あ、蝶子さん」
「?」
東は団子を一つ摘まんで、蝶子の口の前に差し出した。
「はい、口開けて」
「・・・はい」
東の指が蝶子の口の中へ入って行って、団子を置いて離れていった。
「どう?美味しい?」
「・・・・・・はい」
蝶子の言葉にニッコリと笑う東。
(さっきまでの嫌気がどっかに行ったみたいだ)
ニコニコとした笑顔を崩さずに東は密かにそう思った。
そしてもう一つ、蝶子がくれた塗り薬に目を遣った。
「・・・そうだ、蝶子さん」
「なんでしょうか」
「この薬、今俺に塗ってくれない?」
「私が、ですか?」
「うん、お願い」
言うが早いか、東はその重たい着物を上半身だけ脱いだ。
蝶子はそれを見てひとつ息をつくと、自分が持ってきた塗り薬を片手に東に近づいた。
「失礼します」
東の白い腰を、また白い指でなぞっていく。
「いッ!」
ある一点を掠めると、痛そうに顔を顰めた。
「ここですね」
蝶子はそこを凝視しながら、指に薬をつけ、それを東の腰に塗っていく。
「くっ・・・痛っ!ちょ、これ凄い痛いんだけど!!」
「申し訳ございません。ですが、良薬口に苦し、と言う言葉もありますので」
「それは例えであって実際は違う意味・・・痛い!」
「では、良薬は苦い、ということで」
無表情を貫きながらそんな事を言う蝶子に少しぞっとした。そして拳を強く握って痛みに耐えた。
「はい、終わりました」
「ありがと・・・」
ぐったりしながら礼を言う。
「そんなに痛かったのですか?」
「そりゃあ、もう」
「・・・」
東の少し汗を掻いた顔を見て、何を思ったのか、蝶子はその腕に薬を塗った。
「え、蝶子さん!?」
「これは確かに痛いですね。ひりひりします」
赤くなった腕を見ながら言う。無表情だが、うっすらと汗が滲んでいた。
「わかりました。では次はもう少し痛くない痛みどめにしてきます」
そう言いながら袖口に薬をしまった。
「あ、蝶子さん」
「なんでしょう」
「ごめんね、痛かったけど、結構効くっぽい、この薬。もう腰痛くないよ」
「そうですか」
「うん。だから、別に改良とかしなくていいよ。それ、頂戴?」
手をだして首を少し傾ける東の掌をじっと見て、また袖口から薬を取り出した。
「・・・どうぞ」
「ありがとう」
受け取って微笑むと、蝶子さんは何も言わずに立ち上がった。
「どうかした?」
「すみません、今日はもう帰ります」
「あ、そうなの?じゃあ見送・・」
「いえ、大丈夫です。それに東さんは次のお客さんがいらっしゃると思いますので」
見送るよ、と言おうと思ったのに遮られてそんな事を言われてしまった。
「・・・うん、わかった。じゃあここで」
「はい、ではまた」
「またね、蝶子さん」
軽く手を振ると律儀に礼をした。
蝶子が出て行った襖をしばらく見つめた後、東はその場に寝転がった。
「・・・疲れた」
(ではまた、ねえ・・・)
次会うのは何時だろう。
そんな事を思いながら眼を瞑るのだった。