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東の蝶  作者: 明夢 優深
奴隷と色子
18/33

切迫した葛藤

東江春館に通い始めてからどれほどの月日が経っただろうか。数えてはいないけれど、季節が一周しそうなほどにはなった。自分の心情も大分変ったと思う。それも、全部東のお蔭なんだろう。

「いらっしゃいませ」

この前東が化粧をしたと言っていたと言う少年が、礼儀正しく蝶子を迎え入れた。今日は少し薄めの化粧をしているが、元が良いのか、とても美しかった。

「こんにちは、東さんはいらっしゃいますか?」

「今は別のお客様のお相手をしております。少々お待ちください。」

「わかりました。ありがとうございます。」

礼をして、傍に会った椅子に座った。

ふと、遠くから話し声がする。東の声だ。そちらの方に顔を向ける。と、

「……!!?」

東と共に楽しげに話していた男。その顔を見た瞬間、全身に緊張が走る。一気に水分が奪われる気がした。ぱくぱくと口を開くが、声が出ない。東は男に大分気を許しているらしく、その様子は自分との対応と違って、とても女性的で、甘えているようだった。

「じゃあ、またね。東君」

「うん、また!」

頭を撫でられ、嬉しそうに笑う東。その光景を見たくなかった。蝶子は俯いて、横切る男が通り過ぎるのを待った。

「…あれ、蝶子さん」

「あっ…」

ようやく声がでたが、掠れた声だった。崩れ落ちるように椅子から降りると、そのまま走って東の両手を握った。

「今の男は…!?」

「え?ああ、常連さんの斉藤吉兵衛(さいとうきちべえ)さん。この前話した、草団子の人だよ」

のんびりと言う東に対して、蝶子は必至な顔で言う。

「…いますぐ、ここから逃げましょう。危険です」

「え?何言ってるの?」

「東さん!」

「……とりあえず、部屋行こ?」

状況を呑み込めない東を急かすように部屋へ行く。蝶子の焦りようは誰がどう見ても異変だった。

部屋に着くなり、蝶子は溜めていたものを吐き出すように言った。

「…さっきの男は、東さんの常連の方なんですよね?」

「う、うん」

「もう会うのは止めてください。金輪際です。お願いします」

「ど、どうしたの、急に…。蝶子さん、斉藤さんと知り合いなの?」

その言葉に蝶子は止まった。そのあと、東から瞳を逸らして、

「…わかるんです。私、今までいろんな人と出会ったから。あの男は危険です。東さんの命が危ないです」

「斉藤さん、蝶子さんが来る前からの常連さんなんだけど、とっても優しくて、良い人だよ?」

「お願いです、東さん」

「…蝶子さん、どうしたの?」

蝶子の真っ直ぐな目を見て、東は少し怯む。今までにないような切迫した顔だった。

「…あのね、この店ってね、暴力への対処だけは凄く厳しいんだ。暴力は絶対にしちゃ駄目なんだ。仮に斉藤さんが暴力的な人だったら、もう店には入れてないよ。

楽観的に振る舞う東に、蝶子は叫び出したい気分だった。

「……っ」

「だ、大丈夫?」

蝶子は苦しそうに顔を歪めた。東は心配そうに見つめる。


斉藤吉兵衛は、蝶子の前の主人だった。

終生に引き取られるまでの数年間、蝶子は斉藤の暴力を一身に受け止めていた。罵られ、存在を否定されながら苦痛に耐える日々を思い出すと、今でも震えあがってしまう。蝶子は、東に自分と同じ思いをして欲しくなかった。その反面、自分の過去を知られたくなかった。醜く、歪んでいて、あまりにも痛ましい彼女の過去を。


「蝶子さん…?」

東に名前を呼んで、我に返る。小さく大丈夫だと告げ、顔を上げる。

「…でも、気を付けてください。いつ何をされるか、わからないですから…」

「絶対ないと思うけど…。まあ、注意はしておくね」

どこまでも軽く考える東に、蝶子は胃が痛む感覚がした。


自分の過去を明かすことは、出来ないでいた。


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