月夜に想う
眠気眼を擦りながら水を求めて外へ出ると、黒い影が見えた。幽霊か、不審者か。注意しつつ近づいていくと、月明かりに照らされて、黒い人物の正体が見えた。
「…って、蝶子じゃねえか。どうした、こんな時間に?」
「旦那様。少し、眠れなくて」
「ほう、珍しいな」
言いながら、井戸から水を汲み、一気に飲み干す。
「何かあったのか?」
「……」
少し月を見上げる蝶子。その横顔は、あまりにも大人びていたが、次の瞬間、苦しそうな、困ったような風に眉根をそっと顰めた。
「…旦那様。私は、病気なのでしょうか」
「病気?別に、最近は全然そんな感じじゃないだろ。どっか痛えのか?」
「はい」
すぐに頷く蝶子。そして頷いたまま少し固まった。
「…東さんの事を考えると、おかしくなるんです。思考が停止したり、やけに鼓動が早まったり…。こんな事、今まで無かったんです。私、気づかないうちに、大病を患ってしまったのでしょうか」
その言葉を聞いた柊生は、一瞬呆けたように目を丸くした後、夜だという事も忘れて大声で笑った。犬がどこかで吠え、鳥たちがバサバサと慌てて何処かへ飛び立った音がした。
「…旦那様?」
「あっはっはっは!!おもしれえ!そうか、お前が…そっかそっか、それは良かった」
「?」
何が何だかわからないような風な蝶子に、柊生はにやりと笑って言った。
「蝶子、いいか。その病気はな、お前が自覚しようと治せるもんじゃねえんだ。だからと言って、俺や雛菊が教えてやるわけにはいかねえ。」
「では、どうすればよいのでしょうか」
「それはな」と、いったん区切ってから、最大限優しい声で、柊生は言った。
「お前が自分で気づくことだよ」
「私が…自分で」
「ああ。…まあ、まずは本人に今のお前の気持ちを何もかも言ってみるのもいいんじゃねえか?そうすりゃ、少しは近づけるだろ」
「…?わかりました。では、次に行ったときに言ってみます。」
「おー。じゃあ、おやすみ」
「お休みなさいませ」
深々と礼をすると、また月を静かに眺め始める蝶子を一瞥して、寝床へと戻った。
暗い空にある、真っ白な月が、蝶子を照らしていた。
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
「ううーん…」
唸ったような声を出し、考えるような素振りを見せるが、内心はずっとにやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「蝶子の様子がおかしい、ねえ…」
「うん、俺が蝶子さんに触ろうとすると凄く拒否されるし、目も合わせてくれないし、時々本当に何考えてるかわかんないし…どうしたんだろ」
「蝶子には言ったのか?どうかしたかって」
「訊いたよ。俺が何か悪い事したから嫌がってるのかなって。全然違うらしいけど」
「もう一回聞いてみりゃいいじゃねえか。次は何か答えてくれるかも知れねえだろ?」
「…ていうか、旦那は何か知らないの?」
「俺?俺―は、何も知らねえな」
「その顔は絶対知ってるって顔だ」東は可愛らしく頬を膨らませて拗ねた。
「あはは。まあ、そういうのは本人に訊くのが一番だろ」
「まあ、そうだね」
東はそういうと、脇に置いてある団子を手に取った。
「旦那も食べる?蝶子さんのと比べたらまだまだだけど。」
「有難く頂戴する」
「はい」
団子を受け取った柊生は、少しだけそれを指で弄んでから口に放り投げた。
「…この団子、昨日の月に似てんな」
「ああ、昨日の月は、白くて丸かったね」
「おう。…綺麗な月だったな」
もう一つ口に入れながら昨日の蝶子を思い出す。少し思いつめているような、辛そうな表情。あんな顔を見せるとは、全然思わなかった。
「それもこれも、全部お前のお蔭だな」
「え?何が?」
「いいや、別に。これ、全部食ってもいいか?」
「いいけど、雛菊さんの料理が食べられなくなっても知らないよ?」
「それは困るな。まあ、ほどほどに食うよ」
「あはは」
終生はその団子を見つめながら、静かに微笑んだ。




