第四話 人間
スライム達の巣穴。その中で、一際大きな身体の魔王スライムを他のスライムが取り囲んでいた。スライム達は「ぷぎー!」と声を上げながら、魔王スライムを中心にぴょんぴょんと円を描くように跳ねている。新入りが一日でこんな大きさになってくることなど、前代未聞だった。
そんな中で、先ほど魔王スライムに狩りを教えたスライムが質問をする。
『お前、あれからどれだけ狩りをしたんだ?』
『ホーンラビットを七匹。最初のうちは時間がかかってな、本当は十匹ぐらい倒したかったのだがここらで引き揚げた』
『おい! 本当か!!』
スライム達は口々に歓声を上げると、もともと丸い目をさらに丸くした。普通、スライムは一度の狩りでホーンラビットを二匹も倒せれば上等である。三匹も倒せば、数カ月単位で話題になるほどだ。
それを七匹。まさに信じがたいとはこのことである。こんなこと、ここにいる最年長のスライムでも経験のないことだ。いや、スライム史上始まって以来かもしれない。とにかく、スライム達はこの優秀すぎる新入りに賛辞を贈る。
『すげえ! お前なら進化できるかもな!』
『あいつも凄かったけど、お前はもっとすげえや!』
『頑張れよ、新入り!』
魔王スライムは、そんな賛辞を聞き流しつつ部屋の奥へと移動した。誉められて悪い気はしないが、スライムと積極的にかかわるつもりはない。彼は必要最低限の反応だけをすると、また昨日と同じように部屋の端で丸くなった。角に収まりきらない蒼い身体が、彼の成長を物語る。しかし、まだまだ足りない。
感覚的に進化に必要な生命力の量が、なんとなく魔王スライムにはわかっていた。それによると、あと最低でもホーンラビット二十匹分以上の生命力が必要だ。最低条件の進化をするために、だ。もっと良い条件で進化をしようと思えば、さらに生命力をためねばならないだろう。
先はまだ長い。魔王スライムはそう認識すると、目を閉じた。明日もまた、ホーンラビットを狩らねば――。
翌日、魔王スライムは昨日と同じようにホーンラビットを狩っていた。ただし、昨日に比べて身体が大きくなったため、顔面ではなくホーンラビットの上半身全てを覆うように若干変化をしているが。
また一匹。ホーンラビットが倒れた。
魔王スライムは残ったライフクリスタルを回収すると、その身に取り込む。瞬間、沸き立つような快感が魔王スライムの全身を満たした。しかし、昨日に比べるといささか刺激が劣る。どうやら、生命力を取り込む効率が徐々に悪くなっているようだ。身体の大きくなる割合も、初期のころと比べるとどんどん落ちている。飲んでいるうちに身体が薬に慣れてしまうように、生命力に身体が慣れてしまっているようだった。
『まずいな。そろそろ別の獲物を捜さねばならないか……』
進化にはホーンラビット二十匹分の生命力が必要と昨日は予測したが、とてもそれでは足らなさそうだった。このままでは、進化するのがどれだけ先になるかわからない。やや焦った魔王スライムは、少し足を延ばしてダンジョンの別の方面へと向かってみることにする。そろりそろり。他の魔物を惹きつけないよう慎重に、かつスピードは速く。魔王スライムは身体を横に大きく延ばすと、滑らかな石畳を滑るように進んでいく。
そうしていくうちに、周囲の様子が変わってきた。それまで魔王スライムの居た階層の隅の方に比べて、なにやらいろいろと騒々しい。魔王スライムは薄く広がると、気づかれないように壁に張り付き、通路の先の様子を伺った。すると、向こうからどんどんと足音が近づいてくる。ゴブリンではない。そのコツコツとした硬い足音は、裸足のゴブリンではありえない音だった。
何が出る――緊張を深める魔王スライム。すると彼の視界に、見慣れた生き物の姿が飛び込んできた。
『人間か』
それは紛れもなく人間だった。まだ新しく見える革の鎧を着込み、磨きの甘い短剣を片手にゆっくりとダンジョンを進んでいる。身長はあまり高くなく、顔立ちもまだ幼さが残っていた。見たところ、冒険者になりたての少年と言ったところだろうか。年齢は十代前半に見えて、キョロキョロとなれない様子で顔を動かしているところを見ると、経験もなさそうである。勇者を見慣れた魔王スライムからしてみれば、ひよっこもいいところだ。
――しめた、これはいい。
魔王スライムは少年の後を気付かれないようにゆっくりと追いかけていった。彼は薄く延ばした身体を、はがれおちないように注意しながら、天井へと移動させる。そしてそのまま、しばらく人間の後について行った。すると角を曲がったところで、少年はゴブリンと遭遇する。
「キキー!!」
いきなり襲いかかってきた棍棒。それを、少年は若干戸惑ったもののかわした。彼は身体をひねらせると、手にした短剣をゴブリンに繰り出す。しかし、狙いの甘かった短剣はゴブリンの急所を逸れ、腹に突き刺さった。激しく流れる血液。少年の顔にかかる、熱い飛沫。しかし、ゴブリンはそれをもろともせずに棍棒を繰りだす。短剣を引き抜こうとしていた少年は反応が遅れ、肩に棍棒の一撃をくらった。
「うッ!」
思わず肩を押さえる少年。棍棒の一撃は予想以上に重かった。ゴブリンはそんな彼の隙を逃さず、もう一発棍棒をお見舞いする。大きくよろめく少年。しかし、すぐさま閃いた彼の短剣がゴブリンの喉元を穿った。ゴブリンは今度こそ悲鳴を上げる暇もなく死に、紅いクリスタルと棍棒が地面に落ちる。
「ふう……」
少年は大きく息をつくと、短剣をしまい、クリスタルと棍棒を回収するべく屈んだ。戦いを終えたばかりのせいか、やや気が緩んでいるように見える。するとその時――。
『ククッ!』
魔王スライムが天井で、邪悪な笑みを浮かべた。