表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

万年筆の変


 その日、朝からせわしなく鳴くミンミンゼミの声に目が覚める。部屋の時計の短針は6と7の間を差し、まだ登校には時間があるな、と今日も今日とてインスタントの黒い液体を飲み干した。

 ふと、嫌な予感が頭を過ぎった。

 「ひいぃいいぃいいなぁぁぁああたぁあああああああ―――――」

 私は頭を押さえて、努めて冷静に、極めて冷酷に、事を済ませようと部屋を出る。

 「うるっせぇ朝っぱらから泣き叫ぶんじゃねぇって何度言わせるこの野郎!」

 頬骨を穿つ、鈍い足蹴の音が寮の隅々まで行き届いた。

 「やれやれ……じゃの」



 ◇



 「それで今度は何の用だ?」

 「あれ? 分かっちゃう? 日向くんってば天才」

 手にした自動販売機で購入した缶コーヒーのスチール缶を片手で握りつぶす。理由はもちろん、無性に苛ついたが9割を占める。

 「あ、あのね。SR部の事なんだけどね」

 ああ、結局退部しそこなったあれか。と言っても、あれ以来ここ3日、学校そのものに行っていないのだが。日曜挟んでいたから、実質は2日の無断休校か。朝霧をあの危険人物たちの中に1人放置するのもダメだよな、と考えを改めて本日は朝から行く気であった。

 「石金さんが、僕に冷たいんだよねぇ……」

 それはもう今更どうしようもない事だと思うのだが。

 「朝霧はどうした?」

 「朝霧さん? さぁ。昨日だけ来たかと思ったら、なんかブツブツ呟いて帰っちゃったけど?」

 文化部だし、そこまで躍起になって活動すると言う質の物でもない。あの部屋の主もどちらかと言えば静寂を好む質である為に、そこまで訪問してもうざがられるだろう。

 「まさかとは思うが、天津とお前は毎日?」

 「うん、日曜も。あ、日向くんは土曜日に来たんだって?」

 どっちかって言うと個人的な用事で。しかしそれはいい加減彼女もうんざりしてるんじゃないか? だって、あの天津と神代が毎日押しかけてくるんだぞ? その相手をしなければとなれば、私ならノイローゼだな。うん。

 学校へと着くと、まだ始業には早い時間なので部室へと足を向ける。途中、先日までは見られなかった、階段の所に巨大な袋詰めのナニカがあったが、それは神代も知らないのそうだ。怪しげな儀式の道具じゃあるまいな。

 お化け屋敷の扉にもよく似た、蔦が生えていないのが不思議なSR部の扉を開く。中では天津のやつが高笑いをしていた。この部屋の主はと言えば、片耳を押さえて分厚い洋書にペーパーナイフを入れていた。その目は頻死の状態だ。

 「これはこれはマツリン。久しい出勤だな。それからトーヤ、おはよう」

 ここは私の職場か何かか?

 「日向くん!?」

 「あ、ああ……?」

 大事な大事な本を放る勢いで石金は私に迫ってくる。後ろの神代は完全無視の様だ。扱いが酷いと言う話はあながち気のせいとかその域の話ではなさそうだ。

 「もう、日曜から昨日までどこに行ってたの!? 貴方がいない間、あたしがどんな思いで過ごしていたか……!」

 ちょっとだけお察しします。だからとりあえず深呼吸して落ち着いて。

 「そ、そうね……」

 聞き入れてくれる。一度大きく息を吸うと、吐いた。

 「……日向くん、お嬢さん、お早う御座います」

 つくづく、視えるんだなぁこの人。石金は優雅な蝶の様に一礼する。常識人のルールとは違う、どこか格式ばった世界に生きる彼女はどこまでもフィクション的だ。どこの令嬢だ貴女は。

 「それでどうしたんだ?」

 「どうしたもこうしたも、坊やとミスター天津にこうも連日囲まれていたら、精神が参ってしまいます。朝霧さんも全然来てくれませんし……」

 ケルベロスの咆哮は平気だったのに、この2人はダメだと。それも3日で音を上げるレベルで。よっぽどだな。

 「分かった。放課後はなるべく来るようにする」

 「ありがとう!」

 そんな喜ぶ程にたった数日で追い詰められたのか? 相当だな……。まぁあいつらの奇行で精神崩壊を起こすやつがいない程度には監視しておくか。

 「石金さんて……僕の事嫌いなのかな?」

 「人間だれしも得手不得手があると言う物さ。落ち込むなトーヤ」

 「そうだよね!」

 そういう所がダメだって言ってるんだろうが。

 神代とがっちりと握手を交わした天津は、その後何かを思い出したのか私に寄ってくる。

 「そう言えば思い出したのだが、明日マツリンにプレゼントフォーユーがある」

 どういう風の吹き回しか。誕生日はまだ先だぞ。

 「そういうのではなくてだな、俺の研究成果だ」

 けん……。そんなものを送って来る事は何だ? とうとう私は死ぬのか? その前にこちらからナギやアララギを送り込むべきか? 怪しむ私とお嬢を見かねて、天津は両手を上げて首を振った。

 「警戒しないでくれたまえ。大丈夫、別に攻撃的な物ではない。第一この奥の悪魔をたった1人で狩ったのだろう? そんなマツリンに喧嘩を売るなど、俺には恐ろしくて出来んよ」

 ならいいが。その恐怖心をずっと持っていてくれ。そして私に平穏をくれ。もっと言うなら放って置いてくれ。私にもっとも必要かつ重要なのは自由である。

 「はっはっは! それは無理という物! 俺と知り合った者は例外なく怪奇に見舞われるのだ! …………何故か」

 あんたが巻き込んだ口ではないのだろうか。

 「……一応楽しみにしとくよ」

 「おう、期待に応えよう」

 予鈴がなる。億劫だが、では学業に励もうではないかと言う天津の一言で、解散となった。……ちなみに、石金はちゃんと授業を受けてるのか? 一応一緒に部屋を出たが……。



 毎回屋上や展望室と言うのも芸がないだろう。しかしどこへ行っても人、人、人。学校だからしょうがないと言っても限度がある

だろう。昼休みになって、私はお嬢を右後ろに校舎の中を彷徨う。ああ、そう言えば。

 「あそこなら誰も近寄りませんかね」

 「ふむ、じゃろうな」

 もちろん、別棟最上階のあそこである。

 向かう途中、階段最上へたどり着くと、そこに安置された巨大な袋の中を覗いてみる。モップ……? とりあえず怪しいホルマリン漬けとか臓器とかそういう物じゃないならいいや。元通りにして置いておく。

 まさか昼休みならば石金も居ないだろう……と、まったく折角のウォード錠がまったく意味ない扉を、そっと開く。

 「甘く見たか……」

 最初に会った時同様、部屋の中央に鎮座している大きな西洋風の机の席に石金は、大量の本に埋もれる様にいた。あの椅子がどうやら彼女の定位置の様である。しかし何やら様子がおかしい。

 「寝てるのか」

 開いた洋書にしな垂れかかり、規則正しい寝息を立てている。……普段もこうして黙っていればいいのにと、ちらりと思う。

 ……ふと部屋の隅を見れば。

 「……ケット?」

 こいつはここに住んでるのか?

 「なんじゃいつになく人間に親切じゃな」

 それを肩にそっとかけてやると、お嬢が冷やかす様に隣から言ってくる。

 「彼女って人間だったんですか?」

 「……すまん、少々間違えたやもしれん」

 間違いなく物凄く失礼な会話を私達はしている。起きていれば文句の嵐なのは想像に難くない。

 どうしてかは知らないが、彼女もまた私同様、事情は違うのかもしれないが、神様の世界に身を置くのだ。多少は仲間意識も芽生える。……一般人にしか見えない、神代よりは。

 それからしばらく、部屋の隅で昼食を取る。幸い日本語の本も見つかり、暇つぶしには事欠かない。しかし……。

 「おー、バリッバリの禁書じゃー。バリッバリじゃー」

 お嬢が周囲を飛び回って言う事が、たまに心臓に悪い。禁書目録庁とやらがここを発見したら、一体どうなるのか。いやまぁ、とっくに解散した組織だが。

 この本だって魔術書か何かの日本語訳だろう。西洋は日本よりもそういった技術と言うか知識は発達していたらしい。

 「ん? んー……寝てしまったか……」

 目覚めた石金は、作業の途中だったのか手元の万年筆を手に取った。

 「あら? ………あたしはケットを被っていたかしら?」

 「おーい」

 声を掛けると、石金はこちらを見て、そして停止した。

 「………………」

 「………………?」

 「いつからいるのかしら? 日向くん」

 「15分位前からだな」

 答えた瞬間だった。ほぼ反射的に、向かってくる弾丸の様な何かを避ける為に首を横にずらした。私の額のあった場所の本棚には、回転を止めていく万年筆。

 「あなた悪趣味よ。悪趣味」

 「……いや、悪い」

 「お嬢さんも引き留めてくれればいいのに……」

 自分の顔と髪の毛を整える様に撫でる石金。お嬢は悪びれもせず、悪かったのーと気のない返事をした。一体何が悪かったのだろうか。一から十まで自分の行動を思い出しても、非は見当たらない。

 「本気で分かってないのかしら……」

 「祀はそういうやつじゃぞ」

 女性2人だけが話を通じ合っている。

 「はぁ……まぁいいわ。日向くんは何の用かしら?」

 「特に用と言う程の物は……」

 人の居ない場所を求めて歩いてただけだしなぁ。主な用である食事はもう終わってしまったのでと、このまま去ると後々手痛い目に会いそうな気配がする。ここは適当に何かしら聞くべきだろう。

 「い、石金はずっとここにいるんだな。何してるんだ?」

 「あたし? 今は論文書いてるの」

 「論文……なんについての?」

 「呪い火について」

 呪い火――――とは、神様達の操ったりする、パッと見が火の何かの事。熱源ではなく熱くないが、これで神様は大きく損害を受ける。そして山に引火? したりすると、山火事に転じたり、一斉に枯れたりもする事がある。

 「あれについてはまだ全然分かってないのよ……。パイロキネシスは分子運動の加速とかで説明がつくのだけど」

 「そういう観点で見てる限り、絶対に解決しないと思うぞ」

 しかし私やお嬢に言わせれば、何を今更と言う問題。

 「何か知っているのかしら?」

 「逆だ。火はそこに大きなエネルギーがあって、人の目には輝いて見える。だけど呪い火はむしろ、何もないんだ」

 穢れという言葉をご存じだろうか。気が枯れた状態の事を差す、気枯れの事である。なんの思想かは知らないが、私にそれらを教えてくれた神様によれば、呪い火は神様の干渉で気の枯れた場所に、周囲の多くの気が流れ込んで、視える者にはあたかも火の様に視える(のではないか)と言う事だ。

 「『奪鬼』と言う剣が、陰陽師と対峙するときのみ炎に包まれていたのと同じ理由じゃの」

 奪鬼丸はお嬢が昔使役した式神の1人だ。その剣は陰陽道や仏道に詳しい者と対峙するときのみ、炎を放つと言う。これは視える者にしか視えないので当然だが、そのメカニズムは剣が常に周囲の『気』とやらを吸収するためだったと言う。もちろん歴史に名の残っていない品である。アララギの車輪もこれに包まれている。

 って言うか、そもそも『気』って何って疑問はそれこそ誰も解消していない。便宜上、神々の起こす謎の現象を解明するときに、そういった要素があるのではないかと仮定しての物だ。実際そんな変な物が空気中にある訳じゃない。エーテルエーテル。

 「な、なるほど……」

 「うん。まぁ、一部の理屈っぽい神様はそう結論付けてるよ」

 「……貴方の言う神様の世界って、とんでもない気がしてきたわ」

 そりゃ中国三千年の歴史どころではない。下手をすれば5千年の知識を持ってる奴さえいて、一部の連中は持て余した時間をずっと、そういう事考えて過ごしているのだから。たかだか数十年かそこらで次代に引き継がなければならない人間からすれば……。

 「唯一神だの選民だの、特定の神と格式や形式に拘り過ぎなのじゃよ、ぬし等は」

 かといって、物には全部神がいるーっていうアニミズムの考え方も投げやり過ぎる気がするが。

 「第一、こんな知を知ってどうすると言うのじゃ? 死後の長すぎる時を持て余した連中が、戯れに理由と理屈を繋げた理論に過ぎん。生きていく上でなんら必要ないと思うのじゃが」

 「お嬢さん、良くも悪くも人とは智を求める生き物なの。そこに未知があるのなら、飛び込みたくなる。その純粋な形が、多分科学者とあたし達なのよ」

 人に言わせれば、科学は発展し有益な富を与えるが、魔術だのなんだのは、空想の虚構の絵空事に過ぎない。全然違うと言うだろうか。しかし、私達から言わせればどちらも同じだ。いや、荒唐無稽である分、魔術の方が幾分マシなのかもしれない。錬金術は成功しないが故の美徳だ。それを核分裂核融合などと言う科学で実現出来てはならないのだ。

 過ぎたる富と過ぎたる智は、人を堕落させる。聖書はほとんどが物語にも似た話だが、一つだけいい事を言った。人はいかに魅力的に見えようとも、禁断の実に手を出してはいけないのだと。最初に書いた者はやはり、朝霧と同様に未来視が出来、知恵を身に着けた人間がどういう末路を辿ったのかを知っていたのかもしれない。だからこそ、愛を説く事でそれを遅らせようとした。

 全ては仮定の中の話だ。ただ科学と言う幻想を持った人間が、どういう世界を造っているのか。これだけはリアルだ。

 「ま、わらわはすでに死んでおるしの。この世の事はこの世の人間が考えれば良い。その中でこちらの知恵が必要ならば、そういう専門家を紹介してやっても良いがの」

 「折角だけれど、どこの業界も一緒でお偉いさん達は頭が固いのよ。貴方達や悪魔指定の神様の言う事なんて、認めるはずないわ。だけど個人的には凄く興味深いし……是非一度、話を聞かせて貰えないかしら?」

 「連中の気が向いたらの」

 しかしそういう神々は気まぐれだ。利害は絡まないが、その時々の気分で敵だったり、味方だったり、嘘だったり、真だったりと脈絡がない。気長にそういう世界で生きられる人には向いているだろうが、今の忙しなく動き回る人々には土台無理な話かもしれない。



 「はっはっはっはっはっは!」

 また来た……。終業の校歌が流れ始めると同時に聞こえて来る高笑いに、クラスの誰もが身構えた。あいつは6限目に何をしているのだろうか。あいつのよく訳分からん性格から考えて、再びあの通気口から現れる事はないだろう。かと言って、窓から現れるなど芸がなさ過ぎる。

 神代はあっちこっちを見てどこどこ、と探しているがそんな単純で古典的な方法で見つけられるはずがない。もっと頭を使え。そう、頭を……。黒板の隅が若干削れている。

 「どういう事なんですかね……」

 「なんじゃこの学校、カラクリ屋敷なのか?」

 みんなが騒然とする中、私は教室後ろの掃除ロッカーへ。あったよ、箒と言う名の天津打倒ミサイル。もっとも爆発はしないが。

 比較的静かな機械音と共に、回転を始める黒板。ほぼ全員の目が点になっているのは放って置いて、私はその中に向けて箒を投擲した。

 短い悲鳴と共に、それでも回転を止めない黒板が完全に裏返ると、そこには気絶した天津が居た。

 「失礼しましたー」

 私はそれを取り外して、黒板を正位置に戻すだろうスイッチを押して、再び回転を始めた緑の板を背に、天津を引きずりながら教室を出ていく。

 「待ってよー!」

 神代を引き連れて。

 「何やら、おぬしが保護者になってはおらんか?」

 「それは言わない約束です」

 何度捨てて行こうかと迷いながら、別棟への渡り廊下を目指す。すると。

 「待ちなさい朝霧さん、早まるのは止しなさい」

 「別に普通の事でしょ。サマナーだかなんだか知らないけど、身の回りの事一つ出来みたいだし」

 出不精で物臭な人々が多いのが、理系と彼らだ。こうして考えると、理論部分の科学者と魔術師は類似点が多い。

 「そ、それは……論文が忙しいだけで、時間が出来たらその……」

 「却下」

 まったく何を言い争っているのやら。意外な事に石金の方が劣勢だ。言い合いなら彼女に利がある様に思ったのだが……考えてみれば、部員がいないだなんだで天津と神代に言い負けてたか。

 「何を言い争ってるんだ?」

 私の姿を認めると、まず朝霧が争点であるだろう彼女の要求を言ってくる。

 「あの部室とその周辺、汚すぎ。だから掃除しようと思って」

 ……もしやモップを筆頭とした、様々な物を詰め込んだあの袋は朝霧が?

 「あれは……一昨日から学校中の予備からかき集めた掃除用具」

 ご苦労様。あの負の館を綺麗にしようなんて一大決心だけで頭が上がらないよ。なるほど、その準備でこの数日間は朝霧も姿を見せなかったのか。……それで、対論の石金は。

 「あ、あの部屋には人類の叡智とも言える書物や論文が詰まっているのよ? 日向くんからもあれらの重要性や希少性を、この無知蒙昧な女に説明してあげて?」

 その辺の需要とか、私にはちょっと分かりかねる。どちらかと言うと天津の方が詳しいんじゃないだろうか。伸びているが。

 「Mr天津では正しく一般人に伝えるなんて出来得るはずがないではないですか!」

 その意見には同意するが、だからと言って私に説明を要求するのも大いに間違っている気がする。

 「ちょっと待ちなさい、誰が無知蒙昧なの?」

 「貴女に決まっているでしょう。未来視だけの分際で、神様も満足に視えないくせに強がらないで貰えないかしら?」

 「視える事で色々言われた事はあったけど、この言われ方は初めてかも……」

 感覚が違うんだろうな。

 「何をぶつくさと……。ああそれとも、諦めて貰えたのかしら」

 「それとこれとは話がまったくっ、別!」

 ああもうすっかり打ち解けて。SR部の未来は明るいだろうな。……口に出せば絶対否定するだろうが。ところでこの部、具体的にどんな活動をするのだろうか。

 「神代、頼む」

 「ええ!? 僕!?」

 「ほら、ここでうまく2人の同意が得られれば、ちょっとは見直してもらえるぞ」

 「そっか、なるほど」

 乗せやすい奴だ。だが予想し得た結果だが、間に入ろうとした神代は簡単にはじき出された。

 私は大きくため息を吐く。ここに来て、いよいよ自分という存在に疑問が生じてきたのだ。なんだ、調停役なのか? 緩衝剤なのか? ……私が? そんな組織……末期だ……。



 話が平行線になりそうだったので折衷案。

 「うぅ……どうしてこんな目に会うのかしら……」

 自分の仕事場でもある古めかしいデザインの机の上に、書類やら本やらの山を作り上げる。半端な数ではないので文字通り、紙製の高層ピラミッドが完成していた。その頂上で大事そうにそれらのバランスを支える石金。失敗は許されない。何故かと言えば、その机を落ちたら最後、床を満たす、何年分の埃だよ、と言いたくなるほど濁った水の餌食となるからである。

 「石金さんが、この部屋を清潔にしていれば防げた事よ」

 彼女の泣き言には一切取り合わない朝霧。

 「まったく澪くん、出不精の魔術師など昔の話なのだよ?」

 「Mr天津、あんたの研究論文は焼却処分に回しました」

 「なに……」

 ああ、さっきの紙の束……。ざっと5百枚は下らない枚数だったが、そうか、あれか。今更青ざめてももう焼却炉。完全に手遅れだろう。自分で運んでご愁傷様。

 手ぬぐいで口を覆った朝霧が、走りにも近い勢いでモップ片手に横切った。私はデッキブラシでちまちまと、床の木目に入り込んだ汚れを落としている。

 「どうせ、僕なんか……僕なんか……」

 「負のオーラが激しいの」

 神代は空になった本棚を雑巾がけしていく。が、たまに生まれてきて済みませんとか、ずいぶんネガティブなセリフが聞こえて来る。さっき一体、石金と朝霧の2人に何を言われたのか。

 「ほら、神代! 口より手を動かす! その黒縁メガネ割るわよ!?」

 「はいぃ!」

 彼のトレードマークを割ってやるなよ。あれがなくなったら、神代はただのちょっと幽霊の視える変人になってしまう。そして仕事モードの朝霧はどこまでも合理的かつ優秀で、道理で生徒会の手伝いを頼まれる訳だと勝手に納得。生徒会にエリートイメージを持っているのだが、間違いは……ないよな?

 折衷案は見た通り、石金の本や書類などを一ヵ所にまとめた後、他の場所のみを掃除すると言う物。私としてはもう少し広いスペースを取るつもりだったのだが、あの口調の朝霧の前で文句を言えるのなら言ってみて欲しい。まぁ全部捨てる気だった最初に比べれば、かなりマシな方だろう。

 「日向くん、終わった?」

 「ああ。バケツの水変えて来る」

 「うん、お願い」

 「僕はやっぱり要らない子なんだ……。朝霧さん、僕と日向くんで全然態度が違う……」

 再び、気弱な事を言う神代に対して怒号の声が響き渡った。自分の事ではないのに、少しだけ怖い。お嬢に手招きして、早々に部屋を出る。

 朝霧<天津<神代<石金

 と言う構造が、なぜか暗黙に出来上がっていた。その多くの理由は、性格の得手不得手だろう。石金は苦手な奴が多すぎる。

 洗面場で汚れた水を、トタンのバケツから流す。そして蛇口をひねり、新しい澄んだ水で満たしていく。ふと、排水口に何かが居る事に気づいた。

 「ふぅ~、やれやれ、ようやくあの部屋から抜け出せたわい」

 身の丈およそ50cmの爺さんは、よっこらせと立ち上がる。私はその禿げた頭を鷲掴みにした。どうやら捨てた水の中に潜んでいたらしい。

 その大きな頭を、目の前まで持ってきてしげしげと眺める。不細工で小汚いなぁ。

 「ぬぉ!? こ、これ人の子! 離さぬか!」

 「あんた、何の神様だ?」

 私を人の子とか言う辺り、人間の神様ではないだろう。もっともあの部屋にあるのは古本ばかりなので、恐らくその辺だろうがな。

 「ゴブリンかの?」

 「お嬢、失礼ですよ。名のある書物の神様かもしれないですよ」

 「違う! わしは万年筆の神じゃ! ついぞ最近……って待て待て待て!」

 「下水に流しときましょう」

 「妥当じゃな」

 アアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……………!

 声が小さくなっていく。最近ってのは最近神様になったばっかりって意味らしい。神様なら浮けるから大丈夫だと思ったのだが。神様が取りついた万年筆なんて、まともな字が書けない。彼も自由を望んでたみたいだし、これがお互いの為だ。

 さてと、どやされない内にバケツを運びますか。



 綺麗になった本棚に、一冊一冊、力の抜けた覇気のない顔で本を納めていく石金。私はその手伝いをして、脚立の上で古書を入れていく。朝霧隊長と隊員2名は、ここの弊害を受けた廊下へ遠征。当該地の浄化作戦中だ。……海兵かって。

 夕の日が、清潔となった西洋の館然とした室内を照らす頃、デスクの巨大ピラミッドも、とうとう終わりかと言うぐらいの時。

 「あー、すっきりしたー!」

 鬼兵長の顔はどこへやら。清々しいまでの満面の笑みを浮かべて、掃除用具の入った大袋を背負って朝霧が現れる。後ろからは対極的に、精も魂も尽き果てた様子の部下が現れた。

 「お勤め、お疲れ様でっす!」

 「……え?」

 私は敬礼。そして殉職おめでとう。崩れ落ちる天津と神代。……朝霧は分からなくていい。

 「あー、終わったわ―……」

 石金は定位置に座り込むと、パイプを取り出してブレザーのポケットから紙片を取り出して詰め、火をつけて口に。

 「石金、それなんだ?」

 恍惚とした表情を浮かべる彼女を見ていて、聞かずにはいられない。

 「これ? あたしの発破剤とでも言っておこうかしら。これがないとやってられないのよ。危ない薬とかタバコじゃないわよ?」

 「石金さんなんて、本を支えて戻しただけじゃない。それで限界かぁ。サマナーって、たかが知れてるのね」

 喧嘩は終わりにしてくれよ、朝霧。第2ラウンドのゴングが鳴るのを、私は確かに聞いた。

 「あら、あたしは文明人だからかしら。未開の蛮人の体力にはついて行けないの」

 石金、文明人なら蛮族の言った事なんて笑って聞き流してくれよ。2人はまた、ダウン中の男性陣は放って置き、それこそ野蛮な口論を開始する。はぁ……。

 「日向……くん……。僕さ、幸せだったよ……」

 「いいから寝とけ」

 腹を踏むと、カエルの様なうめき声を上げて、それっきり神代は動かなくなった。

 「ふむ、マツリン」

 もうなんでもいいが、復活早いのな。

 「君はここのメンバーを未だに苗字で呼んでいるのか?」

 ……そうだな。

 「それは何とも他人行儀ではないか? お嬢殿の事はお嬢と呼んでいるのに」

 だって他人だろ。お嬢とお前を比べられる訳ないだろう。

 「フッ……俺は分かっているぞ、マツリン。それほどまでに俺が大事な友なのだろう?」

 たかだか1ヶ月にも満たない関係で何を言い出すのか。

 「言ってみるならば、これからは俺たちは同じSR部と言う部隊に所属する運命共同体だ」

 ツッコムの疲れたから放棄していい? お嬢の許可を頂き放置を決定。

 「という訳で、各々ユニークなニックネームをつける事を提案する」

 せめて普通に名前じゃダメなのかよ。あ……。

 「さてそこでだ。澪くんは澪くんで、既に変えようがないので決定だ」

 本人聞いてないぞー。

 「トーヤはトーヤで良いだろう。それから朝霧くんは……タマちゃん?」

 ネコか。そして朝霧も聞いてない。

 「さぁ、呼んでみると良い!」

 ……、まぁこいつの言い分は一理……あるのかなぁ。しかしいいか。名前とは、人に呼んでもらうためにある訳であって――。

 「ミオー、ツバキー、トーヤー、もうすぐ下校時刻だ、帰るぞー」

 「「「あ、はーい」」」

 飼い主じゃ、と呟くお嬢の声は聞こえなかった事にしておく。各々帰りの支度を始める姿に思う。お前らいいのかそんなんで。

 ……天津がニコニコと気持ちの悪いうすら笑いを受べながら、自分を指差して私に何かをアピールしている。

 「俺の事を呼んでいないぞ?」

 そういやそうだ。と、私は呼ばないと離れそうにないそいつを、面倒だなと思いつつもこいつの名前を思い出してみる。――が。

 「お前、下の名前なんだっけ?」

 天津が逆さに卒倒した。

 「許さん……許さんぞ……」

 これは……天津の声じゃないな。どこからともなく、しわがれた声が聞こえて来る。はて、近い過去にどこかで聞いた様な……。

 頭を捻っていると、生まれ変わった西洋風の扉がわずかに開いた。そしてそこから、弾丸の様に私に接近する影。

 「万年キィィィィック」

 黙って垂直チョップ。

 「アベシッ!」

 床に向かってすっ飛んで行き、突き抜けてどこかへ行った。ああ、あの万年筆の爺さんか。

 「年上に向かってなんたる扱いじゃ!」

 「ああ、飛べるのと抜けられるのに気づいたのか」

 シャドウボクシングで私の掌にスパークリングをする万年さん。正直痛くも痒くもないのが微笑まし過ぎる。

 「マツリ? その汚いのはなにかしら?」

 自然に私の名を呼んだが、お嬢ではない。石金改め、ミオだ。多分お前の万年筆だと思ったんだが。逃げられない様に禿げ頭をホールドする。

 「あたしの?」

 「おぉ……ミオ様……」

 感動に満ちた目で、私の手を振り払い、ミオに向かってダイブする万年さん。やっぱりそうではないだろうか。ミオは避ける気配はなく、冷静にこんな事を聞いた。

 「貴方のペン先は?」

 「J!」

 「じゃあ違うわね」

 言いながら取り出したのは、分厚いローマ字の古典。勢いそのまま衝突し、ベチャリと潰れる神様。ほう、法典。しかも年代物だ。ありゃ鈍器ってのを抜きにしても痛そうだ。

 「くっ……知られたからには致し方あるまい……」

 めげない万年さん。一体何をしようと言うのか。私は期待に胸を膨らませる。すると、腕の一部をバラにして。

 「一目惚れじゃ……ミオ様。わしの使い手となってくだされ……」

 「間に合ってるわ」

 そもそも見当たらないが本体はどこだ。

 あ、バラが枯れた。

 「気分と連動しておるのか。面白いのー」

 お嬢が灰色になった彼をつつく。体色も変わるのか。確かに面白い。

 「着物のお嬢さん、慰めないでくれ……。この爺は、一世一代の告白に振られた……」

 「安心せい、慰める気など毛頭ないわ」

 こういう時、お嬢は結構さらり爽やかに残虐だ。無邪気に痛烈に、相手の心を平然と抉る。しかしそもそも、神様成り立てで何が一世一代だ。

 「ふ……元の持ち主の下で過酷に扱われ、神となり彷徨う事数日。わしは、ようやくこの理想郷を見つけたのじゃ。そこで運命的にミオ様と……」

 「迷い込んだだけだろ」

 やっと部屋を出られたと言ってたじゃないか。

 「ミオ様、使い手ではダメと言うならば、どうかわしの伴侶に……!」

 枯れたバラを、今度は指輪に変えた。変化を使い放題だな。まぁ成り立ての時はどいつも一緒かな? 対するミオの返答はと。

 「ごめんなさい。あたし、婚約者がいるの」

 ……そう。別にいいけどさ。

 石化していく万年さん。目からインクの涙が溢れ出す。床は透けて行くから大丈夫か。しかし、あともう一押しで帰るな。

 それはミオも同じ事を考えたのか、トドメを刺そうと次の言葉を言う。しかしそれは、私の想像を遥かに超えた物だった。

 「ねぇ? マツリ……さん?」

 「は?」「ふむ」「……え?」「ふーん……」「……………(返事がない)」

 今、何て仰ったのかな?

 周囲の反応に興味がないのか聞こえてないのか、ミオは後ずさる私の腕を取り、自分の腕に絡める。勘弁してくれよ。

 「またしてもお主か……」

 報復の意志に色を取り戻していく万年さん。その対象が自分だと考えると、もはや笑えない。

 「……おい」

 「焚き付けてしまったかしら?」

 確信犯じゃないのか?

 「どうかしらね」

 燃える万年さんは、自分の腕を今度は万年筆のペン先に変えた。凶器にならん事はないが、それでは……。しかし武器を構える相手を見て、つい。

 ――――いつもの、癖が出た。

 神無をすぐに手元へと抜き身で取れる様に反射的に構える。しかし、お嬢に。

 「この程度の相手に何を本気になっておる?」

 言われて我に返る。すると自分はすでに殺気か何かを飛ばしていたらしく、冷や汗を流して及び腰の万年さんがいた。

 「覚えておれ。わしは必ず帰って来るぞ!」

 彼は床の下に消えていく。

 「……本気にしちゃいましたかね」

 「最後の祀の反応で、完全にアウトじゃな」

 しつこそうだなぁ、あいつ。何もしてこなけりゃいいけど。ミオを引き剥がして、何があったのかまったく視えていなかったトーヤとツバキは、事情説明と事実確認を迫って来るので、有りのままを伝える。って言うか、ミオの言い出した事を何信じてるんだお前ら。

 「今度こそ帰るぞ」

 頭を掻きながら言うと、思い出す。ああそうだ。このずっと眠ってた馬鹿は、シノブって名前だったか。天津の足を捕まえ、引きずって廊下に出た。

 そして高校に入って初の、人生ではかなり久方ぶりに、誰かと一緒に帰路に着いた。



 ◇



 朝。全身にだるさが襲ってきた。出来ればもっと寝ていたい。

 ……鍵を閉めていないこの部屋のドアが、ギィと開く音がした。トーヤ……じゃないな。学習能力のないあいつは、静かに来るなんて事はしない。かといってシノブ……でもないな。あいつは生きる騒音だ。

 「あーるじっ様?」

 「なんだ天草か……」

 その少女の声に安堵する。呼んではいないが、勝手に来たのだろう。珍しい事だがない訳じゃない。すまないが構ってる余裕はない。もう少しだけ眠らせてくれ。着物がうちの学校の制服に代わっているのは、人間にどこか憧れる彼女ならばあり得ない話じゃない。……刀はどうしたのだろうか。

 「やん、主様? 天草なんて他人行儀ですよ。ナギと呼んでくださいです」

 寝返りを打って彼女の声を遮断する。すると、癪に障ったのか天草改めてナギのやつは、実力行使に撃って出て来た。薄い掛布団に包まる私に、抱きついて来たのだ。その体温は真夏の朝とはいえ、蒸す様な暑さが身を襲う。

 「暑苦しい」

 その締め付けを抜け、立ち上がるとぴしゃりと頭を、枕もとの扇子で軽く叩く。

 ………ん?

 そこで違和感に気づいた。この扇子、魂はない……よな? そして何より……暑苦しい?

 「ナギ、ちょっといいか?」

 「はい?」

 キョトと首を傾げたナギの頬をつねってみた。

 「あふひはは、いはいへふほ?」

 何を言っているのか分からないが。とりあえず体温が、ある。あってはならない物が、ある。そ、そうだ。神様の中には念発火を使える者もいて、その周りは温度が上昇すると言う話を聞いた事がある。いわゆる人魂現象だが。……水害の化身である彼女が、果たして対極の火など身に着けられるのだろうか。

 「……お前、どうしたんだ?」

 「どうしたとは? 万事問題なしですよ?」

 「いや、何というか……。身体が……あるのか?」

 しかも神様の人間の時と同じ容姿で。何かに取り憑いたとは考え辛い。

 「お嬢!」

 「うん……? どうしたぁ?」

 寝ぼけ眼でドアを透けて来たお嬢。そう言えばドアが開く事自体がおかしな事だったか。しかしその彼女も、ナギの姿を視た瞬間に凍り付いた。

 「な……天草!? 一体どうしたのじゃ!?」

 「お嬢様! おはようございますです」

 「何を暢気に……」

 混乱する頭をなんとかまとめていくと、ふと、私は昨日のシノブとのやりとりを思い出す。……いや、でもまさか、人の手でこんな奇跡が起こり得るものなのか? しかし思い当る節はそれしかない。

 ……あいつはどうやら、学校の内部とも通じているらしいから、天草が制服を着ている説明も付く。ならば連れて行ってもなんら問題はないだろう。悪趣味なあいつの事だ。今寮を訪ねるよりもあそこで待っていた方が効率的なのは考えるまでもない。

 「行きましょう、お嬢」

 「う、うむ」

 「あのー、ナギはどうしますです?」

 「お前も一緒に来るんだよ」

 すると、どういう事態か、どういう意味なのか本当に把握しているのか。単純に嬉しそうに飛びついて来る。神様の時は何ともなかったが、やはり2ケタのキロ数は……。彼女の体格柄、そこまで重くはないが。それに慕われるのは嫌な事ではない。

 「自分で歩けよ」

 「ハァイです」



 すっかり綺麗になり、こうなると高貴な洋館の一室への扉にすら見えてくるSR部の入り口。私はそれを勢いよく開き、件の首謀者だろうやつの名を呼んだ。

 「シノブはいるか?」

 「おぉマツリン! 俺のプレゼントは喜んでもらえたかな?」

 ミオの定席に座って居たので、歩み寄ってとりあえず回し蹴りを一撃、横っ面に入れてやる。首だけを傾け、何事も無かった様に笑うシノブ。膝元にいたペルシャ猫は逃げた。珍しい事に主の奴はいない。

 「ナーイスキック」

 「これは本当にお前の仕業なのか?」

 人の手を放そうとしないナギを指を差す。悪びれもせず大きく頷くただの生粋バカと、どういう事態なのか把握していない剣術バカのド天然は首を傾げている。

 「はっはっは! その様子だと――――」

 「人の式神に何してくれてんだよ!」

 「お冠だね!」

 「当たり前だ!」

 で、これがどういう事なのかを説明してもらう事に。この部屋にそんな物があったのか、スクリーンを教員の使う引っかけ棒で下ろし、シノブ自前のノートパソコンをプロジェクターにつなぐと画面がスクリーンに映る。そして何やら黄色の四角い物に、矢印を合わせたり、白い長方形の何かに矢印を合わせたりすると。……パソコンなんて知るかっ! 仕方ないだろ!

 『天津獅献様の天津獅献様による天津獅献様のための神様リヴァイヴァル大作戦』

 と言う文字列が、でかでかと映された。

 動画らしく、そのまま次へと移行する。

 しかし内容は、人体の構造や人工臓器や脳内細胞がうんたらかんたらと一片も理解できない。

 「で、これは何が言いたかったんだ?」

 FINという黒地に白で書かれた単語を見ながら、私はシノブに聞く。

 「つまりだね、神様を魂として、この人造の器に入れ、再び生命を与えようと言う試みなのだよ」

 「ナギを実験に使ったのか?」

 もちろん返答次第によっては、この場で斬り捨てるつもりだ。

 「い、いやいやいや実験などとは!? 偶然そこの森の中で捕獲した神様が、まさか君の式神だとは露とも思わずに、試験段階の技術を用いてしまったなんて事は断じてないからね!?」

 ……森の中で捕獲……ケルベロスを退治してその後いなくなった時か。まさか捕まっていたとは……。

 「なんで抵抗しなかった」

 「いつでも逃げられましたですし、主様の命なしに人間さんに危害を加えるのは、5対2で反対だったのですよ」

 ナギの、いつでも逃げられる。その言葉に少し腑に落ちない顔をするシノブ。どうやって捕まえたのかは知らないが、本気でナギを捕まえたければ相応の怪物を用意するしかない。

 「次からは連れ去られそうになってもちゃんと帰って来い。いいな」

 「ですが……主様に迷惑が被るやもしれませんと、7対0で言っておりますです」

 バカな子ほど可愛いと言うが、私も大概その魔力に囚われつつある。ナギは残念な事に、4体の式神の中で一番バカだ。一番バカだが一番強く、そして一番可愛らしい性格をしている。敬語がおかしな事になっているのも、正しい言葉を知らないからだろう。あえて正そうとは思わない。

 「私の事はいいんだ。ナギが居なくなる方が困るからな」

 「はい! 8対0で了解しましたですよ!」

 ……そう言えば、脳内民主主義はそのままなんだな。

 っていうか、生きてしまったら食事とか住む場所とかその他諸々はどうする気なんだ? それと日常生活。ナギは絶対に私を離れようとしないぞ。

 「し、心配は無用だ。居住の場所は寮で、全て俺たちの費用から出そう。そして普段なんだが……本当に離れてくれないのか? 一応そのための編入手続きは終わらせたのだが」

 準備の良い事で。

 「主様から護身刀であるナギが離れる事などあり得ません! これは断じてです!」

 「わ、分かった。善処しよう」

 はぁ……これから一体どうなるんだろうか。そして天草叢雲薙が抜けたとなると、こちらの式神は大きく戦力減……。いやまぁ、残った3人も十分強い上に、最近でそこまでの化け物に襲われる事自体稀なんだが。



 ◇



 「天叢雲剣と申しますです!」

 ……そうか、その問題があったか。忌み名と実名の使い分けはそりゃ出来るだろうが、如何せん彼女の実名は剣の名前だ。

 教室で案の定やつの裏工作の成果なのか、本日付でうちのクラスに突然の転入などと言う訳の分からん事態がまかり通っていた。そして黒板前でのあいつの自己紹介だ。

 そしてその名に唖然とする一同。

 「祀が何かしらせんと、収集は付かんと思うぞ」

 私もそんな気がします。どうせこれから無関係を気取るなど、不可能な話。もうどうにでもなれと、私はナギの下へ。

 「なんですか主様?」

 「いいか、お前はこれから『天草あまくさ なぎ』と名乗れ」

 「ふぇ? な、なんででしょう?」

 「お前は今人間の姿だ。人間の姿なのに、剣の名前はおかしいだろう?」

 「おぉ、なるほどそうですね」

 よしよし。一連のヒソヒソ話を終えると、ナギの頭を撫でる。物分りがよろしくて結構。

 私は風の様に自分の席に舞い戻る。改めて名乗るナギに、クラスの皆さんは納得してくれたらしい。OKOK。

 で、当然だがその質問が飛んだ。

 「天草さんは……日向くんとどういうご関係……?」

 ……あれ? どうして私の名前がそんなサラッと出て来るんだろうか。今まで忘れていた方の1人……だよな。

 まぁそれはいいとして、問題はやはり、ナギの受け答えだ。露ほどにも疑問も何も抱かずに、こう答えた。

 「祀様は主様ですよ。つまり、主従の関係って事です」

 クラス内の全員がこちらを見た。もう、どうにでもなってくれ……(投げ槍)。全ての価値観を彼女に伝授し、物事全ての受け答えを正していたら、一朝一夕どころか十年あっても足りないよ……。

 「これがまあ白銀や摩天ならば、多少は融通してくれたやもしれんがの。天草に求めるだけ無駄という物じゃ」

 ですね、ですよね。

 「趣味とかってなんですか」

 それを聞く意味があるのか貴様。男子生徒の背をにらみつける。こちらはもうさっさと、塗り固めてもいないのでボロがボロボロと崩れ落ちる前にさっさと終わってくれと願うばかりだ。

 「それはもちろん剣道なのですよ!」

 当たり前だが人間が敵うはずもない使い手なので、剣道部入部は断じて阻止決定。この際、SR部に囲う。……しかしそれは神様の時か。あの身体ではどうなのだろう。練度の具合に依るだろうか。



 事件その1

 幸いにも、朝のホームルームはあっさりした感じに終わった。しかし真の悪夢はこれからだった。

 「主様主様」

 「どうした」

 「ナギにどこかに来て欲しいと言う人が来たのですけど」

 女生徒と男子生徒が数名。胡散臭そうにこちらを見ていた。何て言ったのかなんて考えるまでもない。主様の許可を取ってくると言ったのだろう。

 「好きにしろよ……」

 「君が日向祀君か!」

 私の言うと同時、一団の中の眉毛の太い、一際、横にも縦にも体の大きい暑苦しい男が私の下に来た。

 「……だったら?」

 「君は、こんな幼気な女の子に主様ーなんて呼ばれて嬉しいのか!? 日本男児の風上にも置けんな!」

 「私が強要してる訳じゃない……」

 それこそナギが勝手に言ってる事だ。確かに私は式神と使役者と言う上で主になるだろうが、そんな関係結ぶ気はないと最初、全員に言ったはずだ。だからこそ、皆が皆私を好き勝手に呼ぶ訳だが。

 そんな事はどうでもいい。疲れてるんだ、精神的に。鬱陶しいから顔を寄せるな。

 「時に、彼女は剣道有段者なのか?」

 ああ、お前ら剣道部……。話の早い事で結構結構。

 「段位なんか持ってないよ」

 「持ってる訳がなかろう。ついぞ先週まで神じゃぞ?」

 お嬢、貴女の声は彼には聞こえませんて。

 「なぜだ! 剣道に興味があるのだろう!? まさか、貴様が妨げているのではないだろうな!?」

 どうしてそんな面倒な発想にたどり着くんだろう。脳みそ筋肉はこれだから…………格の差を教えた方がいいのだろうか。

 「ナギ」

 「はいです」

 「こちらの剣道部の方々を、1人残らず叩きのめしてやれ。ただし命は奪うな、骨折もダメだ。足腰立てないぐらいで許してやれ」

 「4対3で了解しましたですよ!」

 ……ん? 3? 否定? またなんで?

 「3人は、戦いとは神聖だから、命のやり取りが絡む物と言っていますです」

 「絶対にダメだぞ? いいか?」

 「は、はいです……よ?」

 その日の昼休み、私の命通りに竹刀で剣道部部員を、1人残らず完膚なきまでに叩きのめすナギ。主将以下、上階生のメンバーが残らず辞表(退部届)をこの日の放課後に提出し、本日末日で剣道部は潰れる事になる。

 ちなみに怪我人と絶命者は0だった。



 事件その2

 「主様主様」

 「……なんだ?」

 3限目が終わり、あと1時間も耐えれば自由時間だ。と言う時に、不吉の足音が聞こえて来た。

 「ヒトメボレってなんですか?」

 「米」

 即答した私を、憐れむ物でも見るかのようなお嬢の視線がやって来る。な、なんですか?

 「なるほど……。あそこの人が、いきなりお米の事を言って来たのですがどう致しましょう?」

 …………。何か、廊下の方にこちらを見る男子生徒が1人。内容を具体的に聞いてもいいだろうか。

 ナギの言ったのはたった一言だった。ヒトメボレです、付き合って下さい。来たの今日だぞ今日。早すぎないかおい。

 「こういうのは短歌のやり取りからじゃな……。そもそも直接いきなり会いに来る男があるか! なんと無礼な」

 そしてお嬢の考え方は古い。時代が違いますよ、時代が。

 「ナギ、一言一句間違えるな。こう言え」

 「「生理的に無理!」」

 お嬢と同時に言う。そしてナギは了解しましたですよと、彼の下に駆け寄ると、多分同じ事を言ったのだろう。何も言わずに駆け出していく青年。

 その直後、自殺未遂が屋上で起こった。あれ、これってもしかして私が悪いのか?



 事件その3

 「天草さん、全然日向くんの傍を離れないね」

 「でもよ、あいつって目立たないけど、しょっちゅう遅刻したり、あの天津とか神代とかと付き合ってる危ない奴だぜ?」

 「しかも主様、だって。もしかしてヤクザか何か?」

 「もしや日向がどこかの財閥とか?」

 「まさか」

 陰口って、私の聞こえない所で言うから陰が付くんじゃないだろうか。気にするだけもうバカバカしいのは、昔から知っているので無視。放置。

 ナギはと言えば、猫でもここまで懐かんだろうと言う位に懐く。

 「天草、ぬしは今生きておるのじゃぞ? あんまり祀にベタベタするな」

 「お嬢さん、嫉妬ですか?」

 言うようになったじゃないか、ナギも。もともと、ナギは確かお嬢の言う事はまったく聞かない式神だったので、彼女にとってお嬢は主にはならないらしい。有体に言えば仲が悪かった。こうして和やかな会話をする様になったのも、ナギが私に忠誠を誓ってからだそうだ。

 「なっ……何を言う! そんなではない! 祀の迷惑も考えよと言う意味じゃ!」

 「迷惑ですか? 主様」

 彼女の感性はやはりどこか刀だ。主従とは言え、主の肌身を離れたくないと言う願望までは人間では生まれまい。

 昔の人は、刀を下手をすれば寝る場所にだって持ち込む。そして普段は常に腰に差す。それこそ肌身離さずと言う表現を用いるだろう。そこから来ているのか、ナギは神様の時も、呼べばやたらに擦り寄って来た。そりゃ神様の時はいいが。視えないんだから。

 だからと言って、迷惑かと言われれば決して迷惑では……。うーん……。

 「……人間の節度ってやつを覚えて弁えろよ」

 「はいですよ!」

 「わらわはどうなっても知らんぞ……」

 お嬢、すみません。

 「おい、日向」

 どちら様? とは思っても決して口には出さない。

 「なんだ」

 「お前さ、親が裏でマフィアと繋がってるって本当か?」

 「親とは絶縁状態だ。知らないな。もしかすれば、私が家を出た後に繋がってる可能性は無きにしもあらずだ」

 絶縁ってよりも、親は私と言う息子が居た事を覚えていない。記憶喪失なんて言うつまらない話なんかじゃない。誰一人病んでなんておらず、壮健だろう。問題があるのは、欠陥品である私の方だ。

 「じゃあなんで天草に、主なんて呼ばれてるんだ?」

 「さぁなんでだろうな。私にも、なんでナギほどのやつが、私に忠誠を誓ってくれるのかは知らないよ」

 「なぁ、天草。俺の事も主様って呼んでくれよ」

 その言葉に、今まで私の肩にくっついていたナギの表情が変わる。お嬢と私は命知らずな一言に戦慄した。

 「誰が貴様が如き輩を、主様と比べるのですか!? 侮辱も大概にして欲しいのですよ!」

 お嬢と一緒に、顔を押さえて、頭を振った。静止の間もなく、ナギはその男子生徒の腕を取ると、鮮やかに背負い投げ。剣がなくともその戦闘能力は健在だ。

 手加減なしの一投で背中の打ち所が悪かったらしく、彼はそのまま保健室に直行した。

 「愚かな男め……」

 それはもっともだが、ナギにも人間社会の、私でさえ身に着けている最低限の常識を教えておかねばなるまい……。



 ◇



 「さっそく色々やらかしてるみたいね、ナギちゃん」

 やらかしてるなんてもんじゃない。今日一日だけでどっと疲れたよ。

 ……ミオも一枚噛んでたりしないよな?

 「まさか。あたしは割と日和見な『理論派』。あれをやってるのは過激な『革命派』。どちらも統括する天津さんも、かなり予想外だったみたいよ?」

 一枚岩じゃないのか、その組織。そりゃよほど大規模な連中なんだね。

 「異端派のくせにの」

 そういやそうだったっけか。天津家率いるえー……錬金科学者だっけ? 神様サイドを科学とか工学で解明して、それを応用した技術をもたらそうとしてるんだっけ? ご苦労な事で。

 「だからこの世の文明に技術革命をもたらそうとしてるのが『革命派』よ。あたしは、説明して終わりの『理論派』」

 「ややこしいの」

 その辺はこの際もうどうでもいい。やってしまったもんはしょうがない。しばらくは様子見をするしかあるまい。

 増設した椅子に座り、中央に移動させた大きな洋風の机にうな垂れる。横目で天上を見れば、前は魔女の館だったが、今はすっかり図書館と言っても大丈夫な内装だ。……蔵書は中々に問題あるが。

 「ところで、そのナギちゃんはどうしたのかしら?」

 「寮の部屋に謹慎」

 今頃天津プレゼンツ、神様入り人造人間特設会場に招待されているだろう。心配ではあるが、どうせ器が壊れても中身は大丈夫だろうから、そこまででもなかったり。

 「あら可愛そう。いっそSR部に入れてしまえばいいのに」

 人が困るのがそんなに楽しいのだろうか。

 「私を過労死させる気か……絶対にやめてくれ……」

 「お疲れ様」

 口元に手をやり、微笑みながらミオは労いの言葉をかけてくる。

 「紅茶飲む?」

 「あ、あぁ……」

 この部屋にそれはチグハグじゃないか? っていうか、散らかってた時は気づかなかったが、冷蔵庫だのレンジだのポットだの御物棚だのと、本当にここに住んでるのか?

 「たまにほら、泊まるから……」

 寮の点呼とかはどうしているのだろうか……。ティーセットに紅茶を注ぎながら、心ここに非ずでミオは答える。

 「あ、そう言えば、ツバキと坊やはどうしているのかしらね?」

 露骨に話を逸らした。いいけどな。

 そういえば放課後なのに2人の姿が見えない。いくらまともな部ではないとはいえ、結成時と昨日の掃除しか全員集まっていないなど、少しはいただけない。

 「その前に、この部は一体何をするんだ?」

 「何をするんでしょうね?」

 ……………。

 「部長はお前だよな?」

 「ええ、そうね。だけど場所と部の名目は上が決めた事だから……」

 それって大丈夫なのか、色々と。人が集まらなかった理由の大半もそこにあるのではないだろうか。

 そこへツバキが早足で、挨拶もなしに部屋に入ってくる。昨日のためかミオは彼女に大変苦手意識を持っているらしい。ガタガタと音がしたので何かと思えば、ミオは自分の椅子を盾に隠れていた。

 「慌ててどうした?」

 「ちょっと厄介な事になってて……。生徒会の連中が、なんでかここに目を付けたのよ。ちょっとあんた部長でしょ? 活動報告とかしてないの?」

 どうしてそんな今更急に。今までだって部員1人のほぼ休部状態だったんだろう。当然部長会議とかだって出てないだろうから、部費だって出てないだろうし。強いて言うなら、大教室を1ヵ所占拠して改造しているだけだ。

 ……結構問題かもしれない。

 「バタバタと忙しい事じゃな。なんじゃ今度は」

 「それが生きると言う事ですよ。どうやらさっそく、この部が潰されそうらしいです」

 「ふむ。それで祀はどうするのじゃ?」

 「適当に潰されない様にやってみようかと」

 「そうか、まぁ適当にやっておけ。失敗してもぬしには神様業界がある」

 両極論でステキ過ぎて泣けるね。神様業界の先生や連中と、そういえばしばらく会っていない。

 そしてツバキ、あんまりミオを責めてやるなよ。

 「過去の事は仕方ないか。今トウヤを人身御供に立ててるけど、時間の問題……」

 「言うに事欠いて生贄かよ」

 「偶然近くに居たから、捕まえてけしかけただけだけど」

 更に哀れだ。明日辺り泣き叫びながら人の部屋に押しかけてきそうだな。……いや、これは別にいいんだが、ツバキはずいぶん最初と印象が変わったような気が……。

 「これが本当の私よ。自分を押さえていたあの頃が懐かしいわー」

 不敵な笑みをもらす。いい傾向じゃないか。

 ところで君が持っているのは指叉さすまたと言う立派な武器だけれども、一体どうする気だい?

 「実力行使に決まってるでしょう?」

 ……話し合いの後な。

 邪悪な笑みを浮かべて素振りをするツバキは、どう見ても好戦的かつ邪悪な人その物だ。人間変われば変わるもんだ。

 「えぇー」

 「えぇー、じゃない」

 変わり過ぎだ……。

 指叉を取り上げていると、今度は勢いよく明らかな敵意を込められ扉が開け放たれた。

 「SR部覚悟!」

 入って来たのは男女混成の5名の一団。戸を開けた2人の生徒の間で、堂々と腕をかざして現れる。話に聞いていた生徒会ならば、恐らく彼が会長だろう。中々にハンサムな顔立ちの七三分けだ。自分の式神の誰かを思い出す。……白銀だが。

 「時にミオ。あいつらは学校と?」

 「何の関係もない一般人の集まりよ。だからこそ、あたしにも平然と言って来るのだけれど」

 じゃあメンツとかその他諸々叩きのめしても問題ない訳か。

 「……で、なんか御用?」

 生徒会長を除く連中は呆気に取られながら内装を眺めている。そりゃこの書物の数はちょっとした物だが、そこは今更と言う事でスルーして貰おう。

 「部長を出して貰おう」

 ……うん? その凛々しい会長の肩に何か乗っている。

 「クックックック……思い知ったか小僧めが」

 「祀。今、あの時消しとけば良かったと思わなかったか?」

 「奇遇ですねお嬢。私は心底そう思ってますよ」

 あの万年筆爺……。

 「会長、あんた霊感ある?」

 「霊感? なんだ貴様。よく分からない話で誤魔化そうと言うのか?」

 なるほどなるほど。

 私は頷きながら会長の傍に近づき、爺の禿げ頭を掴む。暴れるそいつをお嬢にパスすると、お嬢は自慢の硬質扇子で引っぱたいてホームランを叩きだした。

 アアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ………!

 「たぁまやぁ~~~~~……」

 かぁぎやぁ~~~~~……。

 私は言えないので心の中で復唱し、共に壁を突き抜けて飛んで行った奴を見送る様に天上を仰ぎ見る。

 ……さて。

 「それじゃ話を聞こうか」

 「……? ああ……」

 とりあえず、どういう経緯でここに考えが及んだのかを。



 よく分かる解説ー。

 新しい部の創設を希望する、有志団体があったそうな。しかしもうこの学校、よく分からん部が乱立して、たくさんあった部室棟の部屋がもうないのだそうだ。頭を悩ませた生徒会長は、その時ふと、頭を過ぎった部の名前があったのだと言う。もちろんそれはSR部であり、その原因はあのクソ爺だ。分かります? 大半の神様の影響力何てそんなもんですよ? 無暗に皆さん、ホラー番組を信じない事。本当にあったとか言ってもあれは嘘だ。

 しかし机の上を片づけて思ったが、これずいぶんと会談とか会議を行うのにぴったりだ。椅子をどこかからちょっぱって来てくれたツバキに感謝感謝。

 「ところで、眼鏡の少年を知らないか?」

 「……もしかしてあいつの事か? ここに来る途中、いきなりクレームをつけて来た……。興奮して気絶して頭を打ってくれたお陰で、保健室まで運ばなければならなかった。とんだ時間のロスだったよ」

 グッジョブ、トーヤ。私とツバキとミオは親指を突き上げて見せ合う。

 「知り合いか?」

 「……忘れてくれ。あいつも草葉の陰でそれを望んでる」

 「い、いや、死んだ訳では……」

 会長は逸れた話を戻すために、一度咳払いをする。

 「それはそれとしてだ、まともな活動も行っていない部に部室を与えていてもしょうがない。この際、取り上げようと言う事で話が決定した」

 「それってどこでだ? 生徒会か?」

 ミオが人数分の紅茶を用意し、運んでくる。本来なら交渉の場に立たなくてはならないのは彼女だが、見る限り彼も苦手なのだろう。ますます自分の立場に疑問が湧く。さて、自分のカップに角砂糖を1つ2つと。

 「ああ。それが何か? ……結構」

 上に問い合わせて見ろよ。例えば学長とか。

 「どうして学内の部活動の事に、学長が出て来るんだ?」

 世の中には知らない方が良い事の1つや2つ、必ずあるんだよ。

 「……そして今更だが、君は誰だ? この部はそこの部長1人のはずだろう。……朝霧まで」

 知り合いか? 私はツバキの方を見る。すると彼女は彼に手を向ける。

 「私の幼馴染の……」

 ああ、未来視でも気にしない人か。でもこの様子だと、特殊な能力者に理解がある訳じゃなく、純粋にそんなのある訳ないだろうの方の人だろうな。お名前は私の耳がフィルターになってジャミングした。不必要な情報は意識的にシャットアウトしなければ、膨大な情報量に脳がパンクする。私にとって音は相当な情報源なのだ。

 今度は会長の方を向いて、私に手を向けると、名前などのプロフィールを暴露してくれる。

 「2年C組25番、学業成績は中の上。得意科目は数学。苦手科目は日本史。去年の出席日数は進級できるギリギリで、今年も今のところ一月に半分ぐらい休んでる。遅刻はもちろん無断早退に無断欠席の常習犯。時々虚空に話しかける癖あり。交友関係は極めて希薄。クラス内部では孤立……」

 「おい」

 「身長と体重と体脂肪率もあるけど?」

 どうやって……そしてなぜ調べた。

 「情報って戦いの基本でしょ? あ、これから日常生活編に入ろうと思ってるんだ」

 私はヤバい何かを彼女の中で目覚めさせてしまったのだろうか……。

 余談だが、私が日本史苦手なのは本当だ。何故かと言えば、教科書に書いてある歴史は、嘘っぱちだらけなのだ。お嬢や神様業界の古株を通じて、その時のリアルを生きた人々や物の話を聞いている私には、どうしてもその内容が腑に落ちない。国や天皇や政治家に都合よく編集されているのだから。

 「変わっていないな君は。その清々しいまでの完璧主義」

 「ありがと」

 中学時代孤立したってのは、本当に未来視だけの話か? したり顔で分厚い付箋だらけのシステム手帳をしまう。

 「だからこそ不思議なんだが朝霧、先日のあれはなんだ?」

 全部辞めて来たってやつだろう。そりゃ経緯も分からず、いきなりブチ切れて(?)手伝いを辞めるとか言われれば、不思議にも思うだろう。それも彼の中では、ツバキは完璧主義らしいのだ。

 「だって私手伝いだし。いつまでも役員でもないのに居座っちゃおかしいでしょ?」

 「それでは納得がいかない。具体的な訳を教えてくれ」

 ……どうでもいいんだけど、そろそろ制服、夏服にならないかなぁ。ここは空調利いてるからいいけど、外出ると暑くてしょうがないんだこれが。……え? 本当にどうでもいい?


 だってしょうがないじゃない――――。

      ――――話し合い、飽きたんだもの。

                      まつり


 「それで日向さん」

 「え? あぁはいはい?」

 聞いていなかった。……心なしか、会長の目線がさっきよりも厳しい様な気がする。

 「えっと……怒ってます?」

 「いいや別に。それで、すぐにでもここを明け渡して貰えますか?」

 いやいや、この数の本を見てそう言うか。新たにどこに置くかも問題になるぞ。見た限り、論文は知らんが書物は稀覯本なんかも交じっている、ちょっとした財産だ。……一部、宗教的な禁書もあるが。こちらはこちらでその筋の好事家は欲しがるだろうし。

 「それにいつやったんだか、ここまで改造されてるけどこれでいいのか?」

 「本当に、いつの間にこれほどの改築を行う業者を呼び込んだんだ?」

 私と会長は初めて意見が一致する。そればかりは部長のミオしか分からないからだ。

 「あたしの……先達が当時の建設計画を弄って、この一角を造り変えたらしいのよ。だから上も同じ派のあたしに在学中の使用許可を出したのではないかしら?」

 つまり設立当初から違うのだと。……確かに途中からでは不可能な域の改築だろうが。

 しかしこの説明は多分、私に向けた物だ。他の人に理解できるはずがない。まず理解してもらうには学校に裏がある事から説明しなくてはならないし。錬金科学者なんて話、胡散臭すぎてまず信じないだろう。

 「改造の件は、この際どうでもいい。彼女らは軽音部だから、広い防音設備の場所を求めているだけだ」

 そういやこの教室は無駄に防音設備だ。もちろん、理論分野の召喚士が行うアブナイ儀式の音を外に漏らさないためだろう。

 「サクリファイスは趣味じゃないので、誤解しないでね?」

 「わ、分かった」

 ミオが私の考えを見抜いたのか、泣きそうな顔で迫ってくるので、若干引いて承諾。

 「まぁいいけどさ。軽音部なんてこの学校、確か3つぐらいもうあるよな?」

 「あ、ああ」

 ちらっと部室棟の見取り図を見た時、確か同じその名が各階にあったはずだ。

 「同じ内容の活動で別々の部って、それこそどうなんだ? 文化は他種に及んでた方がいいだろう?」

 「そ、それはまぁ……」

 「あと、本当に学長とかに言ってみてくれ。絶対に差し止められると思うから。それさえ確認してくれれば、うちはSR部として最低限の活動と報告を、朝霧を通してやっていこうと思います。以上」

 「私!?」

 だって事務仕事得意そうじゃない。って訳でお願いします。

 「もう、仕方ないわね。分かったわよ」

 なんだかんだ言いながら、面倒見の良さそうなツバキはきっとやってくれるだろう。一般人に目をつけられないに越した事はないからな。

 「……言い分は分かった」

 しかし声を落として会長は、まだ何かあるかの様に言う。

 「だが、日向祀! 貴様はこの俺がいずれ、絶対に叩きのめす! 覚悟しておけ!」

 どうしてそこで啖呵を切られるのか、訳が分からない。ま、まぁどうせ、明日になれば私の事なんて覚えて……と言って、何人の人が私を覚えていたのだろうか。どうしよう、こんな経験初めてだ。敵意であるのに、一般人から向けられた大きな感情に感動せざるを得ない。やっぱり、人間にとって最高に最低な感情とは、無関心だと思うのだ。

 「いつでも来い。私は逃げも隠れもしない」

 今回の停戦協定のための握手を交わす。彼の瞳には、私を倒そうという闘志が燃え盛っていた。こんなにも熱い漢が、まだこの学校に居たとは……。真面目な堅物と変人しかいないという認識、改めねばなるまい。

 「この俺の強敵となりそうな男に、とんだ場所で巡り合ったな。総員撤収!」

 会長は七三の髪を少しだけ直し、俯いて目を瞑る。自分のこれまでの完全な勝利の人生を思い返す様に……。そして肩で風切って、入って来た時同様、堂々とした態度で出て行った。最後、ドアの閉まり際に、どこかを見ながら片目を瞑った。

 「……なに、この展開」

 最後のやり取りにげんなりした様子のツバキ。自分でやっておいてなんだが、私にも少々理解範疇を超えた物が……。

 「何を言っているのかしら。会長に火をつけたのは、貴女が原因でしょう?」

 ミオは呆れた様に言う。

 「え……えぇ? 私?」

 ツバキが原因だったのか? ……ともすれば、もしかすればあの空白の数分間に何かヒントが。夏服だのなんだの考えるんじゃなかったな。



 ◇



 『来たれ『白陽八咫銀烏びゃくようやたぎんがらす』、我が呼びに応えよ』

 白銀は一鳴きすると、巨大な銀の翼をはためかせて、私とお嬢の頭上に現れる。

 「何用ですかな? お館様」

 風を纏いながら、人の姿へと変貌する彼は、相変わらずの女性物の着物を身に着けていた。背は高いが中性的な顔立ちで、似合わないかと問われれば似合う方。江戸時代位かな? 当時もう彼は神様のくせに、女形に感銘を受けてしまい、変わったそうだ。お嬢曰くは、それ以前は”まだ”まともだったらしい。しかし、女装するなら女性になればいいじゃんとか言うのは禁句だ。そして実際、感性とかは確かに男性の物。でもやっぱり、女装するなら女性になればいいと思う。なれるんだから。

 「あ、ああ。少し頼みたいことがあってな。この寮……屋敷の見回りを手伝ってくれ」

 「承知いたしました。しかして、そういった命は天草の方が適任では? そういえばここ数日、神様業界でも見ませぬが」

 それに関しては色々あったんだよ。そう……色々……。

 「心配か?」

 気づくのが割と早い気がする。

 「これは異な事を。ポケポケはしておりまするが、彼女はこの国きっての剣豪にして伝承の蛇。傷つけられる者がいるとするならば、それこそお館様とお嬢様ぐらいなものでしょう。……それに、たかだか数日です」

 彼らの時間軸は人間のそれとかけ離れている。数日いなくなった程度では、あれ? そういやいない? その内帰って来るでしょーと言う会話が交わされて終わる。最悪消えていても、10年後に気づいたなんてよくある話。

 「その御様子では、お館様とお嬢様は彼女の居場所をご存じの様子。ならば心配する必要もないと言う物」

 饒舌にすらすらと話すこいつは、通称を白銀しろがね。正式名を先の長い名前があるのだが、もちろん人間の神などでなく、落ちた太陽の一神である。

 八咫烏と言う神様を知っているだろうか。太陽に住むと言われる、3本足の巨大な金色の烏である。核融合を司るとの謂れもある、大層強く大層崇められた神様だ。それが、今神様業界にいる、白銀の弟である。なんで太陽に居ないかと言えば理屈は単純。八咫烏さんの気分次第で、太陽活動が変わったら大変と言う理由だ。

 まぁ八咫烏さんは今はいいとして。白銀はその昔、天にあった複数の太陽の落ちた方だ。その長兄に当たり、八咫烏に負けずとも劣らぬ力を誇る。中間はそれほど強くなく、落とされてすぐ消えてしまったらしい。もちろん太陽が複数あった事はなかったが、輝く球体が複数目撃された事はあったらしい。案外、今のユーフォ―騒ぎなんかも新しい彼らの眷属だったりするのかもしれない。

 それはそれとしてだ。

 どうして白銀を呼んで、寮の見回りをする事になったかを思い出す。正直ため息しか出ないが。



 ◇



 その日、いつも通りに目覚め、いつも通り珈琲を呑みほし、そして。

 「ひぃいいいぃいいいいなあぁぁあぁあああああああああたあぁあ―――――」

 いつも通り、あいつが来た―――――。

 一撃入れた事と登校は飛ばして飛ばして。ちなみに今日はジャーマンスープレックスに挑戦し、見事に成功した。私はレスラーではない。



 「天草さん、本当に日向くんのなんなの?」

 朝の人のまばらな教室で、しみじみとトーヤが聞いてきた。どうでもいいが、最近の彼は影が薄い。もはや私を寮から逃さないためにいると言っても過言ではない。

 「兄妹みたいなもんと思ってくれ」

 託児所と言う名の……逆か。シノブのやつの用意した、特別室とやらと言う名の託児所からナギを確保し、連れて来ないと後々が恐ろしく面倒だ。何とか寮で別々の部屋というのは納得させたが。……それも思い出したくない思い出だ。守り刀は主の枕元に常備するもの……ね。

 「主様、これは異な事を」

 白銀の真似やめろ。「これは異な事を」、は奴の口癖だ。

 「剣であるナギと、人間である主様が同胞であるはずないじゃないですか」

 そりゃそうだ。私は鉄で出来ている訳でも、鋭く尖っている訳でも……おいちょっとまて、誰だ性格はそのものだって言ったやつ。

 「あ、でも凄いナマクラかしら?」

 「なんだ、ミオか……。いや、なんでここにいるんだ?」

 いつもあの部屋に籠りきりだったのでは?

 「なんで、なんてご挨拶ね。あたしも一応この学校の生徒よ? 教室に居ても不思議はないでしょう? それに進級要件はちゃんと満たすようにしているし」

 それだと進級する以上に高校に価値がないと言っているみたいだ。重々、同感だが。

 「当たり前でしょう? 昔に終わった勉強をしていても退屈なだけだもの。……それにツバキがいる教室なんて息が詰まるわ」

 さいですか。そういやミオも特別進学クラスだったんですね。

 「あたしは無理やり入れられたけど……」

 すると蚊の鳴く様な声で、申し訳なさそうに、トーヤはミオに、前回のテストの点数を尋ねる。すると当然という言葉を付けて点数を言うと、トーヤは絶望に打ちひしがれた。しかし彼女も点数などに興味があって覚えていたわけではない。常に全教科満点なら、必然的な数字という訳だ。

 「ちなみにお前の五教科合計は?」

 「聞かないでよ……。そういう日向くんはどうなのさ?」

 「……あえて数えた事はないな」

 「各教科の点数ぐらい覚えていないのかしら?」

 「そりゃ、まぁ」

 順に、最後の記憶にある数字を並べてみる。国語85、数学98、化学……。途中、よくそんな覚えてるね、と呟いたトーヤはあえて聞えなかった事に。覚えてしまうもんじゃないのだろうか。赤字だし、目に入りやすいし、印象にも残る。

 全てを挙げ終ると、電卓も使っていないのにミオはすぐにその合計を提示した。

 「442かしら? まぁまぁね」

 そうかまぁまぁか……。机に顔面を強打したトーヤの眼鏡が割れた。

 「でも、その出席日数でまともに勉強していないのを加味すると、ずいぶん高いと思うわよ?」

 その辺は神様業界の先生や皆に、昔から仕込まれた知識もあるからな。勉強なんて出来てもなんの意味もないと思うが、社会的な一種の指標になるなら、それも武器ではあるか。

 あれ? トーヤはどこに?

 「今しがた、死のうと言いながらフラフラと出て行ったぞ?」

 お嬢が廊下を指差している。そんなに悪いのか、点数。

 「テストってなんですか?」

 ナギは首を傾げていた。多分、万年0点でも大丈夫だろう。

 そう、平和だった。学科の成績の話なんかを、気にもしない連中と話したりする位には。トーヤが何か厄介な問題を持ってくるのでもなければ、ツバキが何か提案を始めるでもなければ、シノブのやつの妙な研究成果を披露もないし、かといってミオがそちらの世界のトンでも話をし始めるでもない。……ナギの騒動も、それほど激化しなかったし。結局後々までに響いたのは剣道部が潰れた事ぐらいだ。

 その静寂が破られたのは、放課後。SR部のメンバー+ナギが顔を突合せた場での出来事だった。



 「くっくっくっくっく……。諦めん、諦めんぞわしは」

 しつこい。

 その肩に乗った爺を、私とお嬢は平たい目で見る。ついでのその人物を、この場のほとんどの者は冷たい目で見ていた。訳も分からないのは相変わらず、ナギ1人。

 「さっそく来たよ、日向祀」

 来なくていいのに会長。相変わらずのきっちりした七三の髪型を、右手で一度かき上げる。

 「冷たいな。君はこの僕が始めてライバルと認めた男なのだ。もっと覇気を持ってくれなければ困る」

 勝手にやめてくれ。あの時はノリでやってしまったが、よくよく考えなくても面倒くさい。第一、どこをどう取ってライバルなんだ。何が拮抗してるんだ。

 「しかし今回は君との勝負に来た訳ではない。決戦と言うのは、機と場所と状況、全てがお互いに万全となった時に行う物だからね」

 「御託はいいから、用件を言えよ」

 「……いいだろう。ある物はなんでも使おうと思ってな。SR部にあつらえ向きの問題があったから持ってきたのだよ」

 言って、会長は数枚の書類と思しき紙を置いて、この部屋を後にする。一体いつが決戦なのかは知らないが、とっとと下して終わらせようか。

 「あ、ちょっといい?」

 「? なんだ?」

 私は万年筆の爺さんの頭を掴む。暴れながら拘束を逃れようとするそれの処理をお嬢に任せる。今度は捕獲して、何かを彼の額に書いてから、扇子で見事なスイングで彼方へと飛ばした。星となりゆく万年筆の神様。

 「ああ、もういいよ。ご苦労さん」

 「………?」

 首を横に傾けながら、軽くなったろう肩を回しながら会長は去る。

 「お嬢、今何を書いたんですか?」

 「しばらくは動けまいな」

 その類の言霊だろうか。お嬢は陰陽師だから、その辺にも詳しい。私は神無がなければ神様と戦う事は出来ないが、お嬢はそうでもないのだ。

 さてとと、みんなが囲む机の方を見れば、さっそくツバキが書類を開いて中身を確認している。

 「ところでミオ、結局サイキックリサーチって何をするんだ?」

 「さぁ?」

 何度目か忘れた問題の問答。当然ながら結論は出ない。その間に何故か、トーヤが頭角を現してくる。

 「サイキックリサーチって言うのは、直訳で心霊研究。イギリスで最初に始まって、今も続いてる、心霊現象を実証的に解明しようとする立派な研究だよ」

 平たい胸板を逸らして、自信満々に、これでも心霊系に興味があるんだ。と言うトーヤ。お前たちの目の前には、掛け値なしの生粋のそっち系が4人もいるんだがな。1人なんか元神様じゃないか。

 シノブとミオは、完全に心霊サイドの研究をしているせいか、一般人側の心霊研究はノータッチらしい。超常現象の実証的検証なんて、神様サイドの力を科学的に実証と言う話とつながると思うんだがな。

 珍しく上機嫌に自分の知識を披露するトーヤを余所に、目を通し終わったのかツバキは机に書類を置く。

 「どういう話なんだ?」

 「うーん、単純に言うと、寮で起こってる心霊騒ぎの原因を解明しろって事ね」

 全員のモチベーションが一気に下がった。ところでさっきからナギが一切話に入ってこないのは、ずっとニコニコと私の首に引っ付いて離れないからだ。彼女は単純な切った張った以外にはかなり無頓着なのである。

 「よし、ではこうしよう!」

 前触れもなく、突然に、不吉の影がまるで足元に這い寄ってくるのは誰しもが気づけないが如く、シノブがやたらにやる気になって、勢いよく椅子から立ち上がる。目を皿の様に大きくして、驚いてるんだか喜んでるんだか、よく分からないトーヤ。それ以外はキョトとしているナギを除けば、ロクな事にはなるまいと予感。いや予言。

 「肝試しをしよう!」

 ……………。さて、どこから突っ込もうか。

 「いや、どうやってだ? この中の4人は常に視えてるんだが」

 「俺はコンタクトを外せば視えない!」

 わざわざ外して出向くのか? しかしミオはと思えば、彼女は無理らしい。同じ物で視えてる訳じゃないのか。

 しかしそれでも半数が視えてる。おまけに、私とナギはそれらを打ちのめす術すら持っている。……肝は試せないと思うんだが。

 そしてもっと言うなら、場所はいつもの居住拠点である寮だ。いくらなんでもそんな場所に強力な物がいれば、私がとっくに退治している。いたとして弱い連中なんか、一回はみんな視た事があるこのメンバーじゃ怖くも何とも――――。

 「果たしてそれはどうかな! 俺は怖いぞ!」

 ふんぞり返って言う事じゃない。

 「マツリン、君は普段から視える上に対抗手段を持つからかもしれないが、少しだけ視えると言うのが一般人は一番怖いのだ。なぁ、トーヤ?」

 「そそそそ……その通りだと思う……よ。……まさか寮にそんな怪物が居たなんて……」

 「この通りだ! たまーに、フッと視えて、しかも襲ってきたらと思うと……うわぁああぁあ!」

 襲われたって大した害はない。そもそも、視えない奴に襲ってくるような奴の方が少ない。自分で言った事に自分で震えるなよ。まったく行動の読めない。

 「それはどうもありがとう、マツリン」

 そして立ち直るのも早い。

 それにしても情けない男性陣である。まぁこの部の勇ましい女性陣はまったく……。

 「平気だよな?」

 「え、ええ! も、もちろん! 悲惨な未来を幾つも視たのよ? 今更幽霊の一匹や二匹」

 「まぁそうだよな」

 ……さっき全員と言ったが、そういやツバキって神様視えたのか? 私を覚えているからそうだと思ったのだが。

 しかし様子がおかしい気がする。ツバキは自分の力を誇示するなんて珍しい。

 「あたしはもちろん平気だけれど」

 「理論派のメイジとかって対抗手段持ってるだろ?」

 「……そ、それはどこから来た知識なのかしら?」

 自分の式神から来た知識だ。摩天は西洋生まれで、理論派の魔術師だ。彼女は言葉や文字の意味を用いる事で神様達と戦う。彼女曰く、神様界とは意味の世界。名の意味を総べれば百戦百勝は簡単だ、との事。西洋生まれなのに漢字の名前なのは、当時カタカナの文化がなかったのだろう。聞けば、ミリスと言う現世の名があるらしい。摩天とは恐らく、全てを灼いた彼女の扱う災火を、天の業火と勘違いした当時の神々によって名付けられたのだろうと、お嬢は言う。

 ちなみに、ナギと大変仲が悪い。炎と水で仲が悪いのは分かるが、摩天は蛇に何か恨みでもあるのか嫌っている。

 「つくづく侮れない人よね、マツリは。出来ないわよ普通。何その凄い人」

 「悪魔と人間の混血とか言ってたと思うが」

 「……本当、何なのかしらその人」

 さーな。そりゃ私も知らない。ただ恐ろしく……とにかく私は苦手だ。まぁその話はまた今度、彼女を呼んだ時にでもしようか。

 「……それで本当に決行するつもりなのか?」

 「無論だ」

 問答無用なんだ……。



 ◇



 そして話は戻り夜。呼び出した白銀を連れ、お嬢とナギと共に約束の1階フリースペ―スへ。入浴時間も終わり、消灯時間も過ぎたので、蛍光灯も最低限しかついていない。しかしそれも間もなくなくなるだろう。

 「とりあえず、管理の人には説明しておいたから」

 既に先に来ていたツバキが、近寄るとそんな事を言う。まさか肝試しとか言ったのでは……。

 「そんな訳ないでしょ。生徒会から頼まれたんだって事よ。だから、ちょっと電気つけといて貰おうと思って」

 なるほど。

 「安心してくださいです! 皆さんはこのナギが守って見せますですよ! 白銀の出番はないのですよ!」

 「フッ……肉体を持った貴女が一体どれだけの事が出来るんでしょうねぇ? お館様の懐刀の名、譲ってはいかがですか?」

 お前ら、喧嘩するなよ。

 「しかしなぜ白銀も呼んだのじゃ?」

 「私とお嬢とナギと白銀、4人いればあのバカが何をしても対応出来ると考えました」

 私の式神は、ナギ、荒羅祇、白銀、ミリスの順で武力が高く、逆の方ほど賢い。後はそれぞれ特殊な物があるのだが、白銀は元が鳥だけに素早い。そして広域かつ選択的な攻撃が得意な奴だ。複数人の護衛には適している。鳥目だがこの際関係はない。荒羅祇は広域だが、ほぼ無差別なのだ。

 「あのさ。ナギちゃんもマツリも誰と話してるの?」 

 「さっき呼んだ神様だ」

 「や、やっぱり凄いね」

 そうだろうか。私からすれば造物主の予定表が視える方が凄いと思うが。ツバキは何か肯いてから、自分を落ち着けているのか深呼吸をしている。

 「そうね。マツリが一緒に居れば、どんな幽霊が来ても平気だと思うわよ。ツバキは怖いなら怖いと言ってはどうかしら?」

 「ヒゥッ!」

 足音のないミオの気配には、ナギ達は先に気づいていたようだがそうした訓練を受けていないツバキは分からない。背後から声を掛けられてらしくもない声を上げて飛び上がった。怖かった……のか?

 「無様ね。こんな小さなナギちゃんだって平気なのに……」

 「あまり小さい言わないで欲しいのですよ……」

 約千歳超の武人である彼女は、小さいや可愛いと言った言葉を余り好まない。だったらむさい武者の姿になればいいのではとは、思っていても言わない。見た目暑苦しいのは苦手なので。いつまでもおバカなナギでいてくれよ。

 「だ、だって幽霊でしょ!? みんな怖くないの!? み、視えないんだよ? こっちから干渉出来ないんだよ!?」

 「「今更……」」

 泣きそうな顔のツバキに、無情な二重奏が襲った。相手が悪い。だってミオと怖いもの知らずのナギだ。

 「居ない、居ない、そんな非科学的な存在は居ない……」

 「ツバキちゃーん、何を言ってるのかしら? ここには元幽霊のナギちゃんに、マツリの幽霊が2人もいるのよ?」

 化学絶対主義者でもないし、ツバキ自身が非科学的存在だと思うのだがさて。ミオはこの間の掃除の仕返しとばかりに耳を塞ぐ彼女を追い詰める。

 この2人はなんだかんだで無害そうなので放置するとして、私は有害な連中の措置の準備にかかろう。

 「ナギ、なんかこう、長くて硬くて馬鹿を打ちのめす為に投げるのにちょうど良さそうな棒とかないか?」

 「木剣ならありますですよ」

 上等上等。私はナギの腰に差してあった木剣を受け取ると……後でこんな物を持ち歩くなと言い聞かせねば……リヴィングの排気口を見る。あそこじゃ、ないだろうな。

 「ナギ、そこの窓を開けてくれ」

 「了解なのですよ!」

 と、ナギが窓の鍵を外し、10cmほど窓を横にスライドしたその隙間に、私は木剣を投げつけた。すると短い悲鳴が一つ上がり、地面にどしゃりと重い何かが落ちる音。ナギは何ともなく、カラカラと窓を全開にする。

 すぐにもう一人も気づいたのか、壁越しにシノブーーーーー! という叫びが聞こえて来る。

 「お前さ、学習しろよ」

 地面で痙攣するそいつに言った。



 結局。寮はやはり全校生徒の住む場所で、結構広い。一塊で行動していたら埒が開かないと言う、らしくもない真っ当なシノブの考えにより、くじによる班分けが行われた。ちゃんと従えよ、ナギ。

 「一番無難な組み合わせだな」

 「そうね」

 お互い視えているので怖くもなんともない組み合わせとも言う。

 抽選結果、赤チームはシノブとツバキ、緑チームが私とミオ、青チームにナギとトーヤという、何とも奇怪な組み合わせが出来上がった。色は引いた割り箸の先に塗られていた色だ。とにもかくにも事態の悪化を拡大するタッグが組まれなかった事には、造物主様に感謝しよう。

 白銀のやつは、一番不安なシノブとツバキの2人について行かせた。お嬢はナギのフォローに。何かが居たとして、問題はこれであるまい。

 ……無言のままに並んで、私達に割り当てられた区画を歩いていく。時折何かの平和な小物はちらちらと見かけたが、件の連中ではないだろう。

 「そういえば、ミオはなんでいつも視えるんだ?」

 「え?」

 私は再三言うが、影がない。だからこそ神様がいつでも視える。だけど、ミオはそうでない。少なくとも同様に、影がない様には見えない。それでも普段から視えると言う事は、何かしらの理由があるのだろう。

 「そ、そうね……なんでかしら? 考えた事もなかったわ」

 「そうか」

 会話が途切れる。暗闇に2人の足音だけが遠ざかっていく。……参った。人と黙ったまま2人で一緒にいるのって、存外気まずいものなんだな……。

 頭を掻きながらどうしたものかと考えていると、不意にミオの方が口を開いた。

 「あ、あのさ。マツリは……」

 「うん?」

 ミオは何度も口籠りながら言葉を紡ぐ。言うべきか言わないべきかを迷っているのだろうか。

 「……マツリは……人工の臓器で造られた人間を……どう思う?」

 「ナギの事か?」

 確か今のナギの肉体は通常の人間の物とほとんど遜色はない、人造の臓器や皮膚、筋肉で稼働する、言ってみれば有機化合物のロボットなのだそうだ。しかしその内部は結構機械的らしい。だから長時間稼働は不可との話だ。この場合の稼働とは、連続の事ではないそうだ。つまり1年かそこらでナギはまた神様となるのだろう。

 慌てて肯定するミオ。

 どう思うと言われても、別段どうにも思わない。すげぇなぁとしか。

 「じゃ、じゃあそれで生きている人間……人形が居たとしたら?」

 「それってつまり、神様の仮の器じゃなくって事か?」

 「ええ」

 と言われてもな。それってつまりロボットって事じゃないのか?

 「別にそれはそれで凄いし、いいんじゃないのか? 魂が宿れば神様になるし、かと思えば人間だって魂はないやついる訳だし」

 極たまにだが。生き物は大半魂を持ってるんだが、人間はたまーに。あれを人と呼ぶかどうかは疑問だ。

 「き、気味が悪くはないの?」

 「全然」

 どっちかと言うと、魂がないくせに生きてる人間の方が私は気味が悪いと思う。例え器が人形でも、魂あって感情あれば、それはもう人よりも上等な生き物じゃないだろうか。ただでさえ、今の人間は犬や猫よりも下等だ。人形の性質にも依るが、文明の家畜風情がそのロボットを否定する権利はない。

 「だけどそれがどうした?」

 「ふふ……聞いてみただけよ。深い意味はないわ」

 調子を取り戻したのか、ミオは笑うと軽い足取りで私の前を行く。

 「早くこの下らない仕事を片付けましょう?」

 「そうだな」



 生徒会に寄せられた報告からすると。

 計32回の生徒会への要望。それもかなりつい最近になってから。最初の数回はバカバカしいと捨てておいたが、余りに回が重なるので、ちょうどSR部なんて怪しげな物があるから使おうとなった様だ。

 目撃場所は1階から最上階まで全域の至る場所。時間帯は消灯後から起床時間までかなりまばら。と言う事は、一定の場所に根付く性質の連中じゃないだろう。姿形もまばら。男だったり髪の長い女だったり、かとも思えば動物だったり。

 ……やっぱり酒盛りしてるだけじゃないだろうか。そんな気が沸々としてくる。

 「お館様」

 「あれ? 貴方は……」

 白銀が階下から頭を出した。

 「何かあったか?」

 「いえ、ですが少々お耳に入れたい事がありまして」

 「それはいいのだけれど、貴方はどうして女装を……?」

 そ、それを聞いてはいけない! しかし時はすでに遅し、カチンとスイッチの入った白銀は、ミオの姿を蔑む様に見る。

 「無様です」

 「え……えぇっ!?」

 「無様だと言っているのですそこの女ぁっ!」 

 白銀は女装癖はあるが、無類の女嫌いなのだ……。女性の姿にならないのは、女性が優雅でないと彼の持論に起因する。これからしばらく、こいつは私の言う事も聞かずに暴走をするだろう。

 「お館様、『男の娘』と言う言葉をご存じですか? こって子じゃないですよ! 娘ですよ!」

 知らん。知りたくもない。

 「情報に疎い、疎すぎますよお館様。中性的な男性が女装をしてあたかも女性であるかの様な姿になる事です」

 あ、そう。

 「ここでポイントなのは、あくまでその子は男だと言う点です! 女なんて言うフザケタ生き物ではないと言う点です!」

 お前は世の52%の人に喧嘩を売る気なのか。

 「嗚呼、初心で気弱な少年が、恥じらいながらフリルの付いたスカートや、着物に袖を通す……これぞ―――」

 これ以降、私の耳は潰れそうになったので、こいつの言葉は意図的にシャットアウトした。そんな下らん抗議が30分と言う時間を費やし語られていく。

 「――――と、いう訳です! そこの雌! 分かりましたか!?」

 「は……はい」

 もう何でもいいわよ、と言った風に、相当疲れた様子のミオ。これの話を真面目に聞くと心労で死ぬぞ。

 「……終わったのか?」

 「これは異な事を! ここからが僕の――――」

 「終・わ・ら・せ・ろ」

 「わ、分かりました……」

 ちょっと凄味を利かせてみた。こうでもしないと延々と続いて終わらない。気が抜けた瞬間を割り込むのがコツだ。ある意味荒羅祇よりも熱苦しいこの鳥に、私は改めて用件を尋ねる。すると両手を叩いて白銀は思い出す。鳥頭め。

 しかし白銀のもたらした情報に、私は気分を改める。

 この建物の上空を鬼門が通りがかっていると言うのだ。

 「確かか?」

 「はい、お嬢様にも尋ねてみたのですが、よろしくない気配が時々漏れておりまする。注意深く観測せねば気にならない程ですが、この数分で徐々に強くなっておりまする」

 「鬼門の規模は小さいのか?」

 「まだ中心部よりは遠いだけでしょう」

 そこで西洋専門のミオは、鬼門とは何かと尋ねてくる。確かに、私達の言う鬼門と、人間の中での鬼門は少々意味が違うので説明をしておこう。単に丑寅の方角の話ではない。

 鬼門とはまず、また『気』の話が出てくるのだが、呪い火にも通じる話。呪い火は一時的になんらかの干渉で気の空白地帯となった場所に、流れ込んだ気が起こす現象だ。エーテルエーテル。存在はしない。

 対して鬼門は全体として気が希薄になる地帯を差す。気象で言うと分かり易いか? 要は大きな低気圧の様なもんだ。台風と言ってもいい。気圧配置は移動するが、もちろん鬼門も移動する。そして突然消えたり現れたりもする。

 そして鬼門に位置する場所で起こりやすくなる現象が幾つかある。

 1、犯罪率が上昇する。

 2、自殺者が増える。

 3、マイナス思考の人が増える。

 4、神様が視え易くなる。

 5、呪い火は勢いを失くす。

 経験則なので詳しい理論をとか言われても少し困ってしまう。しかし、人間存在にわずかながらも悪影響を及ぼし、その存在を削ると言うのは確かだ。

 そして無論だが、神様達にも影響はある。しかしその良し悪しは神様の持つ性質によって異なる。恨みつらみでこの世に残っている者たちにはむしろ、これは過ごしやすい場所なのである。逆に普通の神様には嫌な場所だ。

 「厄介なのが引き寄せられなきゃいいけどな」

 わざわざ大きな鬼門を渡り歩く連中もいるくらいだ。負の感情でこの世に留まる連中は、約定の神様に比べ、はるかに消えやすいからだ。賢いと言えば賢いが……。

 「予測的にピークの時間と強さはどれ位か分かるか?」

 「見て参りましょう」

 白銀やお嬢位の強力な神様ならば、鬼門の影響は少ない。しかしその辺の普通の連中はそうにも行かない。白銀は鬼門の中心地に向けて、烏の姿になり飛び立つ。

 「だ、大丈夫なの?」

 「まぁそこまで心配する必要は生きている連中にはないな。別にそんな珍しい現象じゃないし、今までも平気だっただろ?」

 頻度は数年に1回ぐらい、地球を横断する感じだとお嬢や先生からは聞いているが。こういう時に各地で心霊ブームが起こったりするらしい。一昔前の赤マントや口裂け女だのが流行ったのは、かなり大きな鬼門の影響だった様だ。まぁしかし世界規模なので日本に来る確率なんてもっと低い。

 『来たれ『荒羅祇』、我が呼びに応えよ』

 「へい旦那ぁ、ってどうしたんですかい? ずいぶん、どんよりしたもんっすねぇ」

 晴れてるけど……と星空を見てミオは言う。そういう話ではない。

 「鬼門だ。だから一応、私の友人を護ってくれないか?」

 「うぃーっす」

 荒羅祇は頭だけをかくりと下げると、弱った呪い火を纏い私の指差した方、白銀が最初に来た方へと飛んでいった。

 白銀が帰ってくるまでの間、ボーっと突っ立っているのもなんなので、見回りを再開する。と言っても、鬼門が近づいているという性質上、幽霊騒ぎは一過性の物と見て片づけているが、それよりも少し気になる物がある。

 「ミオって携帯電話って持ってるか?」

 「必要ないものをわざわざ持っていると思う?」

 全然思わない。

 って訳で連絡の手段はすでに閉ざされた。その辺考えて分ければ良かったとも思うが、それも後の祭りである。摩天……ミリスを呼べば、天草とお嬢と荒羅祇と連絡はつくからいいんだが……。気難しい彼女がそんな連絡役を受けてくれるかどうかだ。

 「どっちかって言うと屋上だよなー……」

 そんな一時的にふと視えちゃう連中を気にするよりは。鬼門はあれ呼ぶんだよなー。正確には鬼門に乗って、北極南極の方の比較的気の薄い地方に居る神様が……あれは神様なのか……?

 「何が来る……の?」

 「植物みたいな連中。気の薄い場所に自生するんだけど、鬼門が出来ると勘違いして種が乗って来るんだ」

 「やっぱりそれって視えない人には……」

 「視えないな」

 あれが生えるとその周辺の気を吸った挙句、食虫植物みたいに弱い神様を食う。結果的に食われた神様は消滅するんだろうが、何かしらの養分を頂いているらしい。で、ひとしきりその地を荒らしたら環境が合わないので枯れて消滅する。まったくどうやって出来た神様なのやら。ただ、生きた者には危害を加えない。近くで死んだ人には残念だけど。

 「なら屋上行ってみるのはどうかしら?」

 興味津々の様子のミオ。

 「……結構気持ち悪いぞ」

 とりあえず、事前に予告だけはしておく。あーでも最近って家に魂があるのなんか珍しいけど、どうなんだろう。体積の大きな魂に癒着して生えるからなぁ。そもそも、屋上って立ち入り禁止では?



 彼女の知的探究心を侮った。

 「よし、鍵は開いたわ」

 壊したの間違いだろう。それにまだいるとは決まったわけじゃない。待ちきれない程にそわそわと落ち着かないミオは、ドアを開けて屋上に出て行ってしまう。やれやれ。

 しかしその屋上を見てみて、絶句した。巨大な陣が描かれているのだ。……承知のつもりだったが、この学校、本当に一体何の組織に関与しているんだ?

 ……いやちょっと待て、陣なんぞ描かれてたら、そこを温床に出来るんじゃないだろうか、連中。

 うろうろと陣を中心に歩き回るミオを腕を組んで、杞憂に終わればいいけどと眺めていると、遠くの空にそれでも分かる輝く巨大な鳥が見える。

 「主様ー!」

 「……ナギ?」

 ナギはなぜか、階段の方から浮いて来る。浮いてるって事は神様に戻って事だが?

 「あの身体は抜けるの簡単でしたけど、この天井はなぜか抜けられないのですよ」

 身体の方はどうなってるのだろうか。神様の意識がメインだったみたいだから、今頃気絶しているとすると、トーヤがパニックを起こしていそうだ。放置して……大丈夫だろうか。

 「でもなんで抜けて来たんだ」

 「これは異な事を主様。何か変な物が来ている気配があったので、あの青瓢箪を放って置いたら心配だと7対0で申しましてですね」

 お前の頭の中じゃ私の評価はどれだけ低いんだ。そしてだから、白銀の真似を止めろ。

 「いえいえいえ! ナギはもちろん主様はお強いと思っていますが、何分みんなは心配性なので」

 まぁ固い忠誠心と取って置こうか。

 「なんですか天草、それこそこれは異な事をではないか。冷酷無血の貴女らしくもない。お館様が心配でわざわざやって来た事など、お嬢様の時では一度もなかったではないか」

 白銀が降り立ちながらナギを冷やかす。どれだけお嬢とナギの仲が悪かったのかは話で聞いてはいるが、とても信じられない。しかもナギが冷血って……。

 「お館様、中心はおよそ一刻後に。規模はまぁ普通程度ですね。しかしナギの言う通り、鬼面樹を大量に引き連れておりまする」

 本当にやれやれだ。

 『来たれ『摩仙天女羽ませんてんじょう』、我が呼びに応えよ』

 そう呟くと、ゆったりとした黒いローブを身に纏った、純金の髪をなびかせる少女が現れる。

 「わたくしを呼ぶなんてどういう了見なのかしら」

 不機嫌そうにずれた帽子を正す摩天、いやミリスは、この通りの気難し屋なのだ。

 「あらナギ、貴女じゃ役者不足って事なのかしら? ねぇ祀?」

 「何おう! 主様! なぜこんな女を呼び出したのですか!?」

 いやだって、鬼面樹を一匹一匹倒してたら切りがないし。かといって荒羅祇は下に行かせてしまったし。ミリスに頼むのが一番てっとり早いのだ。

 「ナギには私達の護衛を頼みたいんだが」

 「は、はいですよ!」

 「……はっ、単純ねぇ」

 折角誤魔化せたのに、わざわざ蒸し返さないでくれよ。

 「なんですか!?」

 案の定だが怒ってミリスに掴みかかるナギ。やめろやめろと仲裁に入るのを、白銀は微笑ましそうに見ている。

 「ああ、お館様にはゴスロリが似合いそうです……」

 「そっちかよ! 勘弁しろよ! 2人は眼中に無しかお前!」

 「これは異な事をお館様。女が着飾った姿を想像して何が楽しいと言うのですか?」

 お前、男としてそれはどうなんだよ。いやまぁ私も楽しいとは思わないが、逆に男の女装は吐き気がするぞ。まったく物好きな連中だよ。って事で、うちの連中を納得していただけるとありがたい、そこの呆気に取られるミオさん。

 「……タンポポかしら?」

 自分の肩に落ちた、白い小さな何かを手に取るミオ。それ多分、人の目には視えない物です。その摘まんだ手を避け、正確無比のナギの一刀が種を斬る。

 何が起きたのかすらも認識していないミオは、その表情のまま両断される綿毛を見ている。

 「来ちゃったみたいね。地上に落ちてくる討ち漏らしは、白銀に任せられるかしら?」

 「任されよう。発芽した物は天草、頼みますよ」 

 「了解しましたですよ!」

 あれの駆除は正直面倒くさい。まず数が多い。そしてすぐに生える。それでもって放置すると大きくなる。別に放置しても構いやしないのだろうが、後々この辺に妙な連中が増えるのはそっちの方が億劫だ。

 ちなみに、種の形はマンドラゴラと言う空想上の植物に酷似している。人の形をしていて何とも不気味だ。

 「焼き払いなさい! これが天地を灼く魔人スルトの業炎です!」

 そしてミリスなのだが、若干子供臭い所があるのがせめての愛嬌だ。最近ではああいうのを何と言ったか。そうだ、中二病と言う言葉を聞いた事がある。中空に描いた文字から放つ紅の炎によって、宙をさまよう鬼面樹の種を一毛打尽に燃やし尽くす。呪い火ともまた違い、彼女は気に意味を持たせる事が出来るのだ。自分で新しい魂の精錬も可能である。つまり、神様協定と言う物がなければ、彼女は使いようによっては現実へも干渉が出来る恐ろしい神様である。

 土には自生できず、また発芽には何かしらの巨大な魂に宿る必要があるので、とりあえずここに落とさなければ周辺で生える事は……ないだろう。建物すくないし。いや本音を言うと、この屋上を破壊したい。

 それでも炎の脇から入り込む細々とした連中。それは白銀から放たれる無数の刃が切り裂いていく。彼の武器は、翼の羽だ。数千の白銀の羽を全て、鋼の刃と変え、自在に操り敵を葬る。

 そして私とナギはと言うと。

 「よいしょ」

 「せい!」

 数本だけ顔のある木が生えようとするのを、端から頭を両断して消し去る簡単なお仕事です。イメージは雑草抜き。悲鳴が少しウザいが、聞いても死ぬ訳でも石にある訳でもないので大丈夫。

 「あたしは何をすればいいのかしら……」

 「見ててくれれば」

 特に小難しい作業もないし、簡単な数だけの雑魚の駆除なので。



 一刻程して。

 「一通り終わったかしら? まぁわたくしの手にかかれば軽いわね」

 真上には鬼門の淀んだ気が今正に通り過ぎようとしている。大多数を笑いながら燃やし尽くしたミリスは、仕事の終わりとばかりに再び深いローブを身に纏い、深めの帽子の位置を正す。あの帽子は大きめのリボンが付いており、それがミリスの唯一とも言える服への拘りである。

 「白銀は中空でしばらく警戒、ナギは体に戻りたければ……いや、このままだとトーヤが狼狽えるから戻れ。ミリスは……」

 「「御意!」」

 さてあと何か仕事があっただろうか。お嬢とシノブとツバキには荒羅祇がいるし……。飛び立つ白銀と、戻るナギを視ながら考える。

 「帰っていいぞ」

 簡単な結論に至った。

 「……祀の分際でこのわたくしに帰る時まで定められるのかしら? 貴方一体何様のつもり?」

 「じゃあ自由に居ろ」

 何様も何も、お前の一応は主だ。束縛する気はないが、お前たちの地上に居る間くらいは主で居させろ。どれだけお前たちの為に式神使いになるのに苦労したと思ってる。恩を着せる気はないが、見下し過ぎではないだろうか。

 「それはそれでつれないじゃない……」

 じゃあどうしろと言うんだ、ミリスの要望を言え。ほらナギみたいに遠慮せず。あいつは私の迷惑考えずにくっ付いて来るぞ。

 「わたくしの下僕になりなさい」

 主従逆転させる気か。ヤだよ……。

 帽子を軽く叩いて、ミオを誘いあの両組の様子でも見に行く事にする。

 「むー……」

 後ろではむくれたミリスが、こちらを呪うかの様な視線をひたすらに送っていたが気にしない。

 「……クックック…………」

 「……?」

 小さく、何かが笑う様な声に、後ろを振り向いてみた。しかしそこにはこちらを凝視するミリスと、周辺を旋回飛行する白銀しかいない。気のせい……だろうか? ミオがどうしたのかと尋ねて来るが、なんでもないと返し、そのまま屋上を後にした。



 ◇



 その次の日の土曜日。休みの日である事を幸いに、私はほぼ一日中を寝込む気でいた。式神は呼び出すのも操作するのも、中々に疲れる。私の場合で言えば呼び出すだけだが、その疲労は神様の強さに応じても変わる。もちろん強い方が疲れる。

 「祀ー、暇じゃー」

 しきりに文句を垂れるお嬢には悪いが、久々に昨日総動員させたので動く気がまったく起きない。いつ入り込んだのか、やたらに太った猫の神様とじゃれ合いながら、暇じゃ暇じゃとしつこい。

 「グニャー」

 「お嬢、それ本当に猫ですか?」

 両手を取って、その神様を持ち上げるお嬢。一見、あくまで一見は、可憐で華奢なお嬢が、60㎏はありそうな猫を軽々持ち上げている。重さはないからだろうが、かなり異様な絵だ。

 お嬢は一度こちらを見ると、その猫を縦に揺らした。止めろと言いたいのか、暴れながらグニャーと猫らしからぬ鳴き声を上げる。

 まぁ無害そうだしいっか……と、寝直そうと布団を被ったその時だった。


 ピンポーン――――。


 この寮に入ってから一度も使われた例のないインターホンが来訪者を告げると言う仕事をした。それでも私は布団から微塵も動かない。その様子を見たお嬢は、ボソリと言った。

 「出ないのか?」

 「嫌です」

 どこの誰かは存じませんが、私の平穏を崩さないで下さい。

 「あ、開いてる。お邪魔しまーす」

 ガチャンと部屋の主に許可も取らず、玄関に上がる音。なんで入って来るのかなぁ。それでも私は布団から出ない。それだけ疲れているのだ。

 「うわっ、見事に何もない。っていうかまだ寝てる……」

 人の部屋に入るなり、そんな感想を漏らした突然の来訪者。一体誰だ。

 「祀、ツバキという娘が訪ねて来たぞ」

 私は布団にくるまりながら、彼女には視えていないだろうお嬢から誰だかを聞く。ツバキが? 一体何の用なのか……。出来ればそっとして置いて欲しい。

 「疲れてるのかな」

 不法侵入者はそう呟くと、すぐ傍の冷蔵庫を開けてやっぱり空だとか言っている。家探しが目的かよ。

 しかしまぁ見られて困る物も取られて困る物もない。知り合いだし大丈夫かと、安堵して私は眠りに落ちていく。



 幼い頃は眠りから目覚めるのを、毎日恐れていた。

 人の生き方がどこまでも定められた、この束縛しかない世の中に、影がなくともなぜそれでも生きねばならないのか。疑問だった。そして、苦痛だった。

 人生は99%が苦痛なのだと、高齢までを生きた神様は知ったかぶった様に言う。1%でも幸福が残されていたなら、それはどんなに幸せな事だろうと思った。結局、自分の尺度でしか考えられない人間の限界を、その年で知った。


 だけど、考え方は少しだけ変わった。


 お嬢と出会ったあの日から。

 しばらくは、生きてみてもいいかなと、思えた。神様の世界に行く前に。



 「……うん?」

 時刻は太陽の位置から考えて、おおよそ1時過ぎぐらい。

 「起きたか祀」

 「ええ、まぁ。……しかしこれ、どういう事ですか?」

 寝ぼけているのかと、一応目を擦ってみたが、見えている風景は変わらない。

 「さぁの」

 猫神様がガリガリとかじっているのは、蔓……いや、根っこ? 茶色の細長い、先端に行く程細くなる謎の物体が、部屋中に絡みついていた。壁の中からすり抜ける様に出て来ている。ならばこれ、自然の木ではないだろう。

 「一時程前から、この有様じゃぞ。何やら上からズルズルと来たかと思えば、ごっそりこの周辺の気を吸っておる」

 「討ち漏らしがありましたかね」

 今ここは昨日の鬼門状態に近い。それに誘われたのか、恐らくは近所の殺人事件や自殺の、この世への執着や怨念の強い人間霊や動物霊が、迷い込んで来ている。普段はその気持ちが強すぎて、自分の死んだ場所や死体周辺を彷徨ってると言うのに。

 「仕方ないでしょう、狩りますか」

 手を打つ。幸い今朝ほど怠い感じはない。鬼面樹自体はそんな強い物でもないし。

 「放って置いても明日には枯れると思うがの」

 「一晩明かすのは勘弁です」

 それにこいつらに影響を受けた連中が、暴力事件や殺人事件を起こしても面倒だ。人間ってすぐに騒ぎ立てるから。うるさい事この上ない。

 「君、俺が……視えるのか!?」

 今、首だけを部屋の壁から突き出している40代半ばのオジサンが、私に向けて詰め寄って来た。

 「助けてくれよ俺は殺されたんだよ! 君は視えるんだろ!? 霊能力―――――っ!」

 とりあえずウザいので、神無を取り出して、上から振りかぶって頭から両断。悲鳴を上げる事もなく、宙へと泣きながら透明の色へと変わっていく。

 「事情は知らんが、あんたはもう死んでる。現世への望みは捨てろ」

 一瞬、私を強く憎む様な感情を顔に浮かべたが、返す刃で横に、十字に切り裂くと、完全に消滅した。来世ってのあったなら、いいな。しかし今の騒ぎを聞きつけた、他の未練がましい連中が、私の部屋に向かって殺到する。

 『来たれ『荒羅祇』、我が呼びに応えよ』

 「あいよ旦那ぁ!」

 手にした薙刀で、横に大きく薙ぎ払う。放たれた呪炎は、木の根ごと数多の神様を飲み込み、そして焼き尽くしていく。

 「あれと根っこの駆除を頼む。私は上に行って来るから。ナギが来たら同じ事を伝えてくれ」

 「お気をつけて」

 荒羅祇が大立ち回りする部屋を背に、お嬢と私は玄関へ。その間も絶え間なく入り込んで来る輩の数体を裂きながら、歩いて行く。

 やれやれ……。視える人間と霊能力者をイコールで考えるのは、人間の悪い癖……か。部屋に来たのは、見れば全部人間だ。

 寮内を短刀片手に歩く事は危険だ。私は外に出ると鞘に納めて仕舞い、走って階段を目指す。

 「あれ? マツリ? 起きたの?」

 「ちょっと用事がある。何か用なら後にしてくれ」 

 途中でツバキとすれ違うが、私は一路最上階目指して階段に足を踏み入れる。ツバキが出て来たエレベーターは、袋小路となり危険なのだ。

 螺旋階段を登りながら、ふと遠くを見てみれば、これから雨でも降るのだろうか。青々とした空に、対極に黒い雲が、風上の空を覆っている。今日は風も強く、こちらに来るまでそこまで時間はかからないだろう。



 数分後、私とお嬢の姿は昨日の夜と同じ場所にあった。しかしそこには、昨日なかった存在が悠然とそこに立っている。

 「デカい……」

 以前に成長した鬼面樹を視た事はあったが、あんなの比じゃない。数倍の大きさはある。それはもはや、木と言うよりも巨大な塔である。鬼面樹は何かを呪う様な顔を幹に浮かべ、枝を、根を、ウネウネと伸ばしながら揺らしていた。まだ成長しているらしい。

 「この方陣がいかんのじゃろうな。これは明日に枯れるかも微妙じゃ」

 何かしらの力を込めて描かれた陣が、予想以上に彼らに適した培地となってしまったのだろう。またそういった儀式を行う場所は、事前に土地柄や方角を調べて選ぶ。つまりはこの地が、ああいう手合いの好む場所と言う事だ。

 『来たれ『白陽八咫銀烏』、我が呼びに応えよ』

 今、惹かれてやって来た動物の神様を、幹の顔の口に相当する部分が捕食する。実際に神様を食べる所は初めて見たが、やはり気色悪いな。

 「お館様……何やら……ずいぶん育ったものですね」

 さすがにあの大きさには息を飲む物があるのか、珍しく弱気な事を言っている。

 「怖気づいたか白銀よ」

 「これはこれは異な事を、お嬢様。この僕があれしきの雑魚に怖気づくなど」

 無駄話をしているのに、あちらも気付いた様だ。力量差は計れないのか、お嬢と白銀も取り込もうと蔓の様な枝をこちらに伸ばす。やつはどういう訳か生者に手出しはしないので、私は比較的安全だ。

 にわかに、強い雨が降ってくる。すでに空は先ほどまでの晴天など嘘かの様な曇天だ。

 「お嬢は下がっていて下さい。白銀、本体をやれ」

 「御意」

 「任せたぞ」

 その蔓を両方、私は連続に神無で先端を切り裂く。その構造上、先を斬ってしまえば成長は止まる。植物的な思考回路で、とっさに体の構造を変えるなんて芸当は奴には無理。なのでこれが厄介な枝には一番有効なのだ。続いて来る枝も、地面からしなる根も、次々裁いて行く。

 その間に白銀は高く飛び立つと、銀の翼を全て剣に変え、自らを中心に回転させる。

 「行きますよ! すぐに終わらせて御覧にいれますよ!」

 高らかに叫び、腕を振るうと一見無規則に、しかし確かに鬼面樹を護ろうとする枝や根の数々を切り裂き、避け、打ち砕きながら、千の刃は本体へと突進する。

 やがて一本が幹の隅に到達すると、それに続く様に剣は幹へと吸い込まれ、そして突き刺さっていく。一つが突き立つ度に、鬼面樹は大きく梢を揺らし、砕けた木片を弾けさせた。

 しかしさすがに巨木となっただけあり、その存在の核とも言える部分には到達しなかった様だ。鬼面樹は消滅しない。

 「おい白銀、相変わらず口だけじゃの」

 お嬢の辛口が飛ぶ。確かにすぐに終わらせると言った手前、自弾を撃ち尽くした白銀は反論出来ない。しかも回収しようとしても、刃が深く木を抉っているので抜けないらしい。

 しかしさすがに大きなダメージではあるらしく、枝や根の勢いは緩んでいる。

 「やれやれ」

 私は呟くと、茶の茨の奥にある、鬼面樹の鬼面目がけて突進した。さすがにそこまで近づくと、私の特異な性質に気づいたらしく、神様同様に排除しようと根で檻を造る様に動かす。

 「まったく無茶をしおる」

 お嬢の扇が宙を閃き、そして鬼面樹の額を貫いた。すると気が散ったのか鬼面樹の作成したバリケードは破れた。その間に身体を通し、一足で幹へと間合いを詰める。

 「せーの!」

 神無を逆手に持ち替え、そして打ち立てる様に、鬼面の左目を貫いた。そしてそのまま、引きちぎる様に右目へと刃を払う。そして、大きく天へと掲げて、目と目の間、鬼面樹の露出した神様本体へと、神無の刃を打ち立てた。

 種よりも、芽よりも一際大きな悲鳴を上げ、消滅していく鬼面樹。

 残ったのは、私と白銀とお嬢と、そして強く吹き付ける風と雨の音ばかりであった。

 「終わりましたか……」

 佇む様に、雨に打たれながら呟く。ひたすらに徒労感が身体に染みわたる。

 部屋に戻ろうと、その場に背を向けたその時、階段の方でちょこまかと動く神様を見つけた。

 「おいそこの万年爺!」

 名前を知らないのでそう呼ぶと、ギクリと傍から見ても分かる擬音を立てて、からくり人形のようにゆっくりとこちらに顔を向ける。私は足早にそこまで足を運ぶと、その禿げ頭を鷲掴み、自分の顔のすぐ前まで持ってくる。

 「まさかとは思うが、お前今の鬼面樹について何か知ってたりするか?」

 「シ、シランジョ?」

 声が裏返っている上に語尾がおかしい。

 「ほ、本当に何も知らんわい! 貴様らが退治しているの見て、仕返しにそんな危険な物を植え付けて置こうだなんてそんな……」

 「思ったんだよな? 実行したんだよな?」

 何も爺は答えない。すると納得する様に、白銀は言う。

 「僕はあの後、鬼門が通過するまで見ていましたので、今頃になっておかしいとは思ったのです」

 「あーあ、この一件でどれだけの神が影響を受けたかのう。祀、仏の顔も三度まで。この上で嘘つきなんぞは、消してやれ」

 ですね。私は爺を掴む手に力を込める。

 「まままっままま待ってくれ頼む! この老いぼれにどうか情けをぉぉおおぉ……」

 自分がやったって認めるか?

 「認める! 今回はほんに済まんかった!」

 じゃあもう、しないな?

 「誓って!」

 「……今回は許す。とっとと失せろ」

 爺を屋上の方へと放り投げる。そして私は、階段を下りていく。部屋に帰るまでの間、しきりにお嬢が甘い甘すぎると、胡乱な意識の私に怒っていた。

 白銀は一言挨拶を残し、恭しく一礼すると、遠い雨の彼方へと消えていった。あいつは結局役に……立ったよな。

 ……ん?

 今、大きな鳥が森に落ちた様な……。まぁいくらなんでも白銀じゃないよな。

 しかしこの辺は禁猟区では……? そう言えばイタチの話にも密猟者の話があったが、これはこれで懸案か。



 ◇



 部屋に戻り、まずはビショビショに濡れてしまったTシャツを脱ぐ。この時間では湯船は入れないだろうが、シャワーぐらいは使わせてくれるだろうと考えながら、洗濯物かごに放る。

 「旦那、お帰りなさいやせ」

 「主様ぁ! ご無事でしたかぁ!?」

 片膝立ちで、いかにも従者らしく礼をする荒羅祇と、対照的にすぐに駆け寄ってくるナギ。怪我がない事を伝えると、安堵したのか荒羅祇は帰り、ナギはそれでもあれこれ理由を付けて残った。さすがにシャワーに行く時は、お嬢と待っていろと固く約束させたが。

 もう外に出るつもりもないので、寝間着に着替えてバスタオルで頭を拭きながら部屋に戻ると、自分以外の人間の革靴が玄関に。

 「あ、お帰りなさい」

 ……平然と1人待っていたみたいな感じだが、そこには他にも約2名の神様が。お嬢は扇で煽いで優雅な物だが、ナギなんか威嚇してる様な唸り声を上げているのだが……。

 「た、ただいま……。どうした?」

 そしてその転がっている大量のビニール袋は? 中身はレンジで解凍する冷凍食品や菓子類や惣菜が。

 「私が先兵って言うか、偵察って言うか?」

 不吉な予感がひしひしとするのだが、あえて聞こう。どういう意味かな?

 「シノブがここで親睦会やるんだって。大丈夫、会費は全部あいつ持ち……って」

 私はそのまま、その場で卒倒する。誰だ私にこんな運命を定めたやつ。過労死させたいのだろうか。



 数時間後、疲労しきっている私の下に、続々とSR部のメンバーが。ナギも身体に戻り、部屋へと舞い戻ってくる。

 ため息ばかりを吐きながら、やたらに馴れ馴れしいシノブと、トーヤに囲まれ、ソフトドリンクをコップに無理やり注がれる。お嬢と共に旅ばかりをしていた時には、絶対に経験する事のなかった人と人との間で生ずる徒労。

 引きつった笑いを浮かべながら応対し、ゲームに無理やり参加させられ。

 それでもみんなの笑い声を聞いていると。


 少しだけ。

 ほんの少しだけ。


 こんな騒がしい日常も、愛おしいと思えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ