この星に生まれて
眠れない。
深夜二時、布団の上でそう呟く度にタイミングよくかかってくる電話がある。
RRRRRRRRR
RRRRRRRRR
RRRRRRRRR
今日もきた、と思いながら、由布子は携帯に手を伸ばす。三時間前には充電器に立てかけられた携帯は、冷たい感触を掌に残す。
しかし彼女に特別な感慨はない。異質なイベントも、繰り返しとなった今では単なる作業に過ぎなかった。
「もしもし」
「ああ、どうも。今日ってそっちでは土曜日だよね。明日は日曜日だろ。いっぱい話していいかな。こっちでは今日大変だったんだよ本当に。朝から道が込んでるかと思ったらどうもおかしなことが起こってたらしくてさあ。といっても今までの比にはならないくらい大変なってわけでもないんだけど――」
携帯から溢れ続ける声に、うんとかふーんとか適当な相槌を打つのが少女の役目だった。
スピーカーから流れ出る声はまだ若い。少女は相手を声変わり前の男の子だろうと推測しているが、実際に会ったことが無い以上、それは推測でしかない。
「――で、ここからが大事な話なんだけど」
「うん」
少女がうつらうつらとしている間にも会話は続いている。彼の声を聞くと安心してしまうように条件づけられた少女にとって、この顔の見えない会合は楽しみでもあり我慢の対象でもあった。
「俺、もうあんたと話せなそうなんだ」
「えっ。なんで」
「さっきも言ったけど、この星はもう終わりみたいだから」
さてここでひとつ。どうやらこの少年の言う“星”とは、少女の住む星とは異なっているようなのだ。
夜中の間違い電話から始まったこの関係だが、相手が「アンドロイドと喧嘩した」とか「ペットが壊れたから修理した」とかいう段になって、少女はこれはどうやら普通の相手ではないらしいと気がついた。
本格的に頭のおかしい人間か、悪戯目的か、それとも何に少女をまきこもうという犯罪計画でもあるのか。
だが、少年の言う妙にリアリティーのある異質な世界と彼の声が少女の好むのもだったため、害にもならないこの会話は、今の今まで続けられていたのだ。少年は少年で少女のことを訝しんでいる様だったが、少女と同じように考えたのか、それとも本気で信じたのか、少女のことは「違う星の住人」ということで納得したらしかった。
「この星の技術力じゃ、対処できないやつらが侵略に来たんだ。実はもう、人なんて半分くらいしかいない」
「そんな……」
「本とは今に始まったことじゃないんだ。やつらが来たのは三日前だから。電話も当然無理かなって思ったけど、あんたとは何故か話せた。でも、もうおしまいだな。」
「そんなことないよ。だって」
「ああ、大変なわけでもないって言ったこと?だってやつらがやってきたときに比べたら今日のことなんて些細なことだし、それに――」
そんなことが言いたいんじゃない。少年の饒舌さに押し流されながら少女は思った。
彼女が言いたかったことは、事実そんなことではなかった。だって、の続きは――
「もうやめて」
少年の言葉を遮って少女は言った。
「私と話すのが嫌になったの。そうならそうって言ってよ。」
「どうしたんだよ。死を覚悟してからも話相手にあんたを選んでるって時点で、そんなわけないだろって思うんだけど?」
「だって、あなた本当は地球の人なんでしょ」
「……。」
今まで言葉を途絶えさせたことのない少年の口が、ぴたりと閉じた。ふたりの間には沈黙が流れる。
「私が使ってるのは市販の電話機で、特定の周波数しか拾えないし、通じる地域だって限定されてる。あなたが話してる言語は何不自由なく私に伝わる。あなたの言ってることが嘘なんだってことくらい、わかってたよ。」
少女の強めの口調に返事は返らない。不安になってスピーカーを耳に押し付ければ、遠くで何かが爆発したよな鈍い音と、人々の喧騒が聞こえた。
「もしもし」
「ああ、聞いてるよ」
不安になって問いかけた声に、今度は返事が返った。
「そうか、そんな風に思ってたのか。じゃあ、今まで俺が言ってたことは、全部嘘だと思ってたのか。」
気のせいか、少女の耳に届く彼の声は震えているようだった。
「そんな風に思ってたならなんで今まで言わなかったんだよ。やめなかったんだよ。」
馬鹿みたいだ、そう呟く声が耳に入った。
「俺の独り相撲だったのかな。ああ、今になってそんな風に言われるなんてなあ」
少年の声は、もうはっきりと泣いていた。また、遠くで聞こえていた爆発音が近づいてきたようにも感じられた。
「もういい。じゃあ、今から言うことだけは信じてくれないかな」
「俺はあんたが」
「好きだった」
一瞬遅れて、とてつもなく大きな音が携帯を震わせた。
驚いて携帯を手から滑らせた少女が再びそれを手にとったときには、ツー、ツーという呼び出し音が鳴るばかりだった。
掌に握られていた携帯は、未だ温かみを持っている。だが、受話器の向こう側には、もはやひんやりとした静けさが広がるばかりだった。
空が白け始め、彼女の星では今日も昨日と変わらぬ一日が始まろうとしていた。
そのうち少女は自らの膝を濡らす冷たいものに気がつくことになる。
だが、それが一体何によるものか、少女にはわからなかった。