第十話:別の商会は、匂いで動く
街道の朝は早い。
まだ露が残る石畳を、
馬車が一本、通り過ぎていく。
荷は軽そうだ。
だが、急いでいる。
「……変だな」
帳簿係が、
俺の横で呟いた。
「最近、この時間帯にああいうのが増えました」
「商会?」
「ええ。見慣れない印です」
印――
それは、商会の匂いだ。
旗。
封蝋。
馬具の刻印。
どれも、
所属を誇るためのもの。
俺は、
その馬車が消えた方向を見る。
「うちとは?」
「違います」
即答だった。
「別の商会です。規模は……中くらい」
中くらい、というのは、
一番動きが軽い。
大商会ほど慎重で、
小商会ほど無理が利かない。
中規模は、
嗅ぎつけたら早い。
昼前、
倉庫に人が来た。
商会の使いだという男は、
丁寧すぎるほど丁寧だった。
「少し、お話を伺えますか」
声は低く、
角がない。
名は名乗らない。
だが、
服の仕立てが良い。
「時間は?」
「短く」
それも、
よく分かっている言い方だ。
倉庫の隅で、
簡単な椅子を用意する。
男は、
周囲を一度見回した。
「ここ、落ち着きますね」
褒め言葉だ。
だが、
評価ではない。
「商会の方ですか」
「ええ」
それ以上は言わない。
「最近、街道の流れが妙に安定している」
切り出しは、
そこだった。
「特定の場所で…」
不思議そうな顔をしながら。
「止まらない」
「滞らない」
「揉めない」
三つ並べる。
「数字を見れば、大きな利益は出ていない」
「それなのに、損が出ない」
男は、
少し笑った。
「珍しい」
「そうですか」
「ええ」
男は頷く。
「商会は、“増えた”より“減らない”に敏感です」
商会の言葉だ。
「それで?」
促す。
男は、
一瞬だけ、
言葉を選ぶ。
「うちでも、同じことができないかと」
予想通りだ。
「条件は?」
「今の商会より、良くできます」
即答。
「利益配分。契約の明確さ。評価の付与」
評価。
その言葉を、
あえて出してきた。
「名前も?」
「もちろん」
誇らしげでも、
卑屈でもない。
普通の誘いだ。
「考えます」
即答はしない。
男は、
それを想定していたようで、
小さく頷いた。
「期限は設けません」
「ただ」
視線が、
帳簿に向く。
「長く続くものは、早めに囲っておきたい」
囲う。
それも、
商会の言葉だ。
男は立ち上がる。
「連絡は?」
「こちらから」
そう答えると、
男は何も言わず、
名刺代わりの印だけ置いていった。
倉庫が、
元の静けさを取り戻す。
帳簿係が、
小さく息を吐く。
「……どうします?」
「同じだ」
答えは、
変わらない。
帳簿を開く。
――商会A:試験運用
――商会B:接触
――条件差:大
評価欄は、
まだ空白だ。
「匂いが、外に漏れたな」
独り言のように言う。
静かな炉は、
煙を出さない。
だが、
熱は伝わる。
誰かが、
その温度差に気づく。
それだけだ。
俺は今日も、
火を強めない。
ただ、
どの風が吹いているのかを、
静かに読む。
まだ、始まったばかりだ。




