第3章 ここで生きている
その少女は見たことのない鳴器を手に取ると、澄んだ音色を生み出した。
人を落ち着かせることができる。
そんなことを言っていた。
音色を聞いていると心穏やかな気持ちになる。
この感覚を以前感じたことがあった。
歌によって士気を高めたり癒したりできる、選ばれた者。歌姫――そんな存在がいた。
その少女が音色を奏でてしばらくすると、横になっている彼の体になにやら赤い気配がまとわりつく。
「……嘘だろ」
なぜそう感じるのかは分からない。だが、分かってしまった。この赤い気配は少女の音色によって生み出され、彼の心を治している。
歌姫であっても、こんなことはできないはずだ。
この少女は、歌姫という存在そのものを、軽々と踏み越えていた。
「……リナ、君は何者だ?」
「え……?」
その問いかけに、少女は困惑した様子だ。
「えっと……その……」
鳴器を持つ手の力を抜きながら少女は答える。
「普通の……学生、です?」
学生?
学舎に通う者ということか?
「……あ?……ここは……」
彼――カイルが目を覚ました。
あんなにも、うなされていたのに。
「……俺は……生きて、る……?」
カイルは自分の手を見つめ、次に胸に触れた。
息があることを確かめるように、何度か深く呼吸をする。
――戻ってきている。
「ああ。よく戻ってきたな」
寝台に近づき、そう声をかける。
なんてことだ。こんな奇跡を目の当たりにするなんて。
目の前で起きた衝撃的な出来事を前に、アマギは立ち尽くしてしまった。
それからしばらく、少女のことを紹介するなど、簡単なやり取りがあった。
少女は多くを語らなかった。
自分のことも、この力のことも、曖昧な言葉でしか説明できないようだった。
気付いた時には――少女の姿はそこになかった。
「……それで、あいつが自分の事を庇ってくれたんです。自分のミスのせいで……それなのに……」
カイルは倒れた時の事を語り出していた。後悔からか自分の手を眺めて唇を噛み締めていた。
「とりあえず休め。せっかく助かった命なんだ」
「そうですね。あの子がいなかったら自分も……、あの子はどこに?」
たしかに、しばらく姿を見ていない。
「えっと……少し前に、テントの外へ出て行きましたよ……」
「そうか。拠点の外に出ないよう、言っておかないとな」
天幕に近づいた、その時だった。
突然、カイルがベッドから跳ね起きる。
「どうした?」
「隊長! あの子が、危ないです!」
何を言っているのか理解できないまま立ち尽くすアマギであったが、カイルは立てかけてあった剣を掴み、テントを飛び出した。
* * *
目の前には緑色の生き物。
そいつがリナを目掛けて刃物を振り下ろす。
キーン
金属音が鳴り響く。
「姫、無事か!?」
誰かが助けてくれた。
覚えのない呼ばれ方。
「え!?」
ゆっくりと目をあけたリナは、その光景に思考が追いつかない。
腰と腕に包帯を巻いたままの兵士が、目の前に立っていた。
「なんで、あなたが……」
その声は、当の本人には届いていないようだ。
助けてくれた兵士は、剣をクルクルと回して再度構えた。
「さぁて、覚悟はできてるんだろうな」
緑色の生き物は理解してるのかしていないのか、再び近づいて刃物を振りかぶる。
「全然遅い」
剣の軌道なんて見えなかった。
それだけスピードが速かったということだろう。
緑色の生き物の持つ刃物が、手を離れて後方に飛んでいった。
その次の瞬間には、助けてくれた兵士の剣が生き物の胴体を真っ二つにしていた。
――助かった。
足に力が抜けてしまい、ヘナヘナと地面に座り込む。
「姫!」
兵士に身体を支えられて、なんとか倒れずに済んだ。
「怪我はないか?」
「だ……大丈夫です。ありがとうございました」
「無事か!」
アマギの声だ。
走ってきたからか、息が荒れている。
「隊長、大丈夫です。この子も無事です」
それがリナの聞こえた最後の言葉だった。
* * *
遠くで声がする。
「……戻してくれただけじゃないです。あれは、明らかに能力が……」
「……リナは歌姫のような力を使えるようだ。……歌姫の力とは比べ物にならないがな」
歌姫……?
「……しかも、感覚も鋭くなっていましたよ。ここから、姫がいた場所のゴブリンの気配が分かったんで……」
ゴブリン……?
「……カイル、しばらくリナの護衛をしてくれないか?」
護衛……?
「分かりました」
「……隠し通せるのも時間の問題かもしれないが、……」
「そうですね、このままだと最前線に送られてもおかしくないですね……」
ゆっくりと、まぶたが開いた。
最初に感じたのは、薬草の匂いだった。
それと、布が擦れる音。
天井は見慣れない。
けれど、目を動かそうとすると頭がふらつき、すぐにやめた。
「……起きたか」
低い声が、すぐ近くで聞こえた。
視線だけを向けると、鎧姿の男が椅子に腰掛けている。
どこかで見た顔だと思った。
――あ。
剣。
緑色の生き物。
あの、速すぎる一撃。
記憶がフラッシュバックのように浮かんでくる。
「あのっ……」
「昨日は大変だったな。色々疲れたんだろ」
昨日?
ということは……。
「私、あのまま眠ってしまったんですか?」
「たっぷり半日くらいだな」
確かにこの世界に来て、ずっと気を張っていた気がする。
その反動で……なのだろう。
「すいません、ご迷惑をおかけしました」
「いや、こちらこそ。ちゃんと礼を言わせてくれ」
助けてくれたその兵士は改まって姿勢を整える。
「自分の名前はカイル、リナ姫のおかげでこうしてまた歩けております!」
調子の良さそうな事を笑顔で言って、カイルはそういう人なのだろう。
「私の方こそ、危ない所を助けていただいて、ありがとうございました。カイルさんのおかげで生きてます!」
なんでだろう、カイルの前だと自然体で話せている。
「"さん"なんて付けないでいいぞ。仲良いやつはみんな呼び捨てにしてるから、姫も呼び捨てでいいぞ」
絶対的な違和感はそれだ。
「そうそれ、姫ってのは何ですか?」
そんな呼び方された事ないし、恥ずかしすぎる。
「自分の命を救ってくれた、守るべき存在。……だから姫だ」
守る……、そういえばさっき。
「私の事を護衛するとかいってませんでした?」
「なんだ、聞いてたのか」
特に隠そうとしてる訳ではなさそうだ。表向きは護衛で、本当の意味では監視なんてこともあり得ると思っていた。
「また姫が危険な目に合わないようにって、アマギの隊長から言われたんだ」
親切にしてもらっているとは感じるけど、さすがに迷惑をかけすぎている気がする。
昨日はここで捨てられないように、役に立てる事を証明したかったのに、なんて身勝手な考えだろう。
「私は、ここを離れた方がいいと思うんです」
そう言ったリナの声は、どこか頼りなかった。
決意というより、考えを口に出しただけの響き。
カイルは一瞬だけ動きを止めたが、すぐに表情を崩すことはなかった。
「……どうして、そう思ったんだ?」
「あ、はい……その……」
言葉を探す間があった。
リナ自身も、何をどう説明すればいいのか分かっていない。
「昨日みたいなことが、またあったら……皆さんの邪魔になる気がして」
それだけ言って、視線を落とす。
「それで、近くの村か里かに向かおうかなぁ……なんて考えてました」
カイルは、腕を組んだまま少し考え込む。
「確かに、道中は危ない」
まず、事実だけを告げる。
「魔物もいるし、拠点を離れたら守りは薄くなる」
リナの肩が、わずかに強張った。
「……だから、今はおすすめしない」
否定はした。
だが、告げた理由はそれだけだった。
「……そう、ですよね」
納得したようで、どこか残念そうな声。
――魔物といえば。
意識がまだ遠い時の記憶。
「昨日の緑色の生き物、あれは……ゴブリン?」
「ああ、そうだ。ゴブリンと遭遇するのは初めてか?」
うんうん、と頷く。
そりゃあ、以前の世界にそんな生物いなかったので。
「あいつらは、知恵は浅いが、道具は使う。刃物も鈍器も、真似事程度には使うから注意しないとな」
「そう……なんですね」
昨日は叫ぶことも逃げることもできずに、身体が固まってしまった。
怖くて怖くて、今思い出しても身震いがする。
確かに、こんな状態で一人で拠点を離れるのは危険だろう。
カイルは、無理に話を続けなかった。
「なあ、リナ」
しばらくして、穏やかに声をかける。
「離れるかどうかは、急いで決めなくてもいいんじゃないか?」
そう言って、カイルは話を切るように立ち上がった。
「それより、起き上がれるか?」
「え?」
「お腹すいたんじゃないかって思って」
確かに、久しく食事をしていない。
それを感じないほど、色々な事がありすぎたという事かもしれない。
「ん」
体を動かすたび、まだどこか重たい。痛みというほどではないけれど、力がうまく入らない感覚が残っていた。
それでも……うん、元気と言えそうな感覚だ。
「……大丈夫そうだな」
そう言われて、小さく頷く。
視界が少し広がると、初めて周囲が目に入った。簡素な天幕の内側。木箱を並べただけの棚、そこにフルートが置かれていた。
そうか、この部屋は――。
「カイルさんは、もう大丈夫なんですか?」
「自分はもう、元気いっぱいよ。姫が癒してくれたからな!」
「私はフルート……鳴器を吹いただけですよ」
カイルは近くの台から器を持ってくる。
「口に合うかは分からないが……」
そう言われて覗き込む。
中に入っていたのは、薄黄色をした穀物を粥状にしたような物だった。
スプーンを入れると、思ったより重い感触が返ってくる。
水分は多いのに、腹に溜まりそうな感じがした。
少しだけ口に運ぶ。
――味は、薄い。
塩気がほんのりあるだけで、香りも強くない。
けれど、嫌な癖はなくて、ゆっくり噛むと穀物の甘みが広がった。
「……思ってたより、食べやすい」
ぽつりと零すと、カイルが肩をすくめる。
「怪我人用だからな。腹に優しい」
なるほど、と納得する。
知らない世界の知らない食べ物。
それなのに、椀を両手で持っていると、不思議と落ち着いた。
ここで、ちゃんと“生きている”感覚がした。
* * *
【次章予告】
小さな異変は、いつも静かに始まる。
拠点に届いた、ひとつの報せ。
それは、リナの居場所を、少しずつ揺らしていく。
* * *
はじめまして、襟須遥です。
この度は私の物語を読んで頂き、本当にありがとうございます。
第1章〜第3章でとりあえず一区切りつきました。
私自身が、ワクワクする物語を書いていけたらなと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
コメントも書いていただけると本当に励みになります。
少しでも良いと感じていただけたのなら、評価を頂けるととっても嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。




