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フルートで戦うことになりました  作者: 襟須遥


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第1章 フルートと共に

 目を開けると、知らない場所に立っていた。

 自分がどこにいるのか分からなかった。


 ただ、手の中にある冷たい感触だけが、はっきりしている。

 私のフルートだ。

 思い出したのは、さっきまで部室でフルートの練習をしていたということだけ。


 無意識にそれを握り直し、息を整える。

 大きく吸って、ゆっくり吐く。


 音を出すと、胸の奥のざわつきが少しだけ静まった。


 周囲は少し開けた場所だった。

 葉の色も、光の差し方も、どこか違う。


 これは夢だろうか。

 それとも、なにか忘れてしまっているだけなのか。


 そう考えながら、何気なく空を見上げて――息を止めた。


 太陽が、二つあった。


 並んで浮かぶ天体が、同じ方向から光を落としている。


 頭の中が、急に静かになる。

 考えは、ひとつしか浮かばなかった。


 ……ああ、ここは。


 理解した瞬間、背中に冷たいものが走る。

 言葉にしなくても、体が察していた。


 少なくとも、知っている世界ではない。


 だからだろうか。

 私はもう一度フルートを構えた。


 音を出していないと、心が追いつかなかった。


 音が途切れると、静けさが戻ってきた。

 風に揺れる草の音だけが、やけに大きく聞こえる。


 現実から目を逸らしてしまえば、楽なのかもしれない。

 これは夢だと思い込んで、何も考えなければ――。


 けれど、フルートの感触はまだ手の中にあった。

 吐いた息も、足元の感触も、やけに生々しい。


 どうして、こんな世界に来てしまったのか。

 答えの出ない問いを、胸の奥に押し込める。


 一人で生きていけるほど、私は強くない。

 人と関わるのは、正直あまり得意じゃないけど、でも――このまま立ち尽くしているわけにはいかなかった。


 ここがどこであれ、人がいる場所がきっとあるはずだ。

 食べ物も、言葉も、助けを求める相手も。


 私は草を踏み分けて歩き出した。

 太陽が二つ並ぶ空の下、ただ人里を探すために。


 なだらかな起伏をいくつか越えるうちに、地面の様子が少しずつ変わっていった。

 踏みしめる草は短く、ところどころ踏み荒らされている。


 人が通った跡だ。

 そう思った瞬間、胸の奥がわずかに熱を持つ。


 丘の手前で、足を止める。

 息を整えてから、そっと登り――。


 向こう側に、布の塊が見えた。


 白に近い色の天幕が、いくつも並んでいる。

 風に揺れる布の隙間から、影が動いていた。


 人だ。


 間違いなく、人の気配だった。


 一気に近づく勇気は出なかった。

 草陰に身を低くして、様子をうかがう。


 担架が運ばれていく。

 血に染まった布。

 慌ただしく行き交う人影。


 そこが、ただの集落ではないことはすぐに分かった。


 怪我人を手当てしている場所だ。

 近くに戦場があるのだろうか。


 助けを求めたい。

 けれど、踏み出す足がすぐには動かない。


 ここは安全なのか。

 自分は受け入れられるのか。


 そのときだった。


 ――背中に、視線を感じた。


 心臓が跳ね上がる。

 どれだけ草陰に身を隠しても、完全ではなかったのだ。


「そこの君、動かないで」


 低くはっきりした声。

 命令に近い調子だった。


 踏み出そうとする足を、思わず止める。

 振り返ると、鎧姿の男が槍を手にこちらをまっすぐに見据えていた。

 その隣にも、もう一人、同じような鎧の兵士が立つ。


「ここは一般人が立ち入る場所じゃない」


 警戒に満ちた声で、槍の兵士がじっと見ている。

 隣の兵士も鋭い眼光を飛ばしてくる。


「すいません……道に、迷ってしまって……えっと、その……」


 声は震え、言葉は途切れ途切れだった。

 息を止め、じっと視線の先を見つめる。


「名前は」


 短く、命令のような問いだった。


「……リナ、です」


 声になったかどうか分からないような、小さな声しか出なかった。


 そのまま、時間がゆっくり流れるように感じられた。

 リナの胸は高鳴り、呼吸が浅くなる。

 もし攻撃されたら――そんな想像が、頭をよぎる。


「上に報告する。判断を仰ぐ」


 小声で最初の槍の兵士が言うと、隣いた兵士は短くうなずき、テントの方に走っていった。


「動くな」


 槍先が、わずかにこちらへ向けられる。

 その動きより先に、兵士の視線が彼女の手元に落ちた。


「それは何だ」


 問われて、リナは自分が何を握っているのか、ようやく意識した。

 慌てて力を緩めるが、すぐに命令が飛ぶ。


「地面に置け」


 言われるがまま、そっと草の上に置いた。


 兵士は一歩近づき、置かれた銀色の物体を拾う。


「武器か?」


「ち、違います。えっと……フルート……音を出すもので……」


「音?」


 兵士は短く繰り返す。


「これは、鳴器(めいき)なのか?」


「……めい、き……?」


 知らない言葉だ。

 兵士もリナも、互いに理解が追いついていない様子だ。


「これで、何かを叩くのか?」


「叩きません。叩かないでください!」


 思わず声が強くなった。

 兵士は少しだけ眉をひそめ、指先で金属の管を転がすように眺める。


「叩かない鳴器(めいき)、だと?」


「めいき、というのは分からないですけど、これは……吹くんです。息で」


「息?」


 兵士は一瞬、言葉を失ったようだった。

 

「……角笛の類か?」


 角笛。

 その単語だけは、なぜか分かった。

 頭の中にあったイメージ――戦場で鳴らされる、低く遠くまで届く音。


「息で鳴らすという意味では同じだと思います。……でも、このフルートは角笛みたいに大きな音は出ません。目の前の人に癒しを届けるんです」


「癒し……か」


そのとき、足音が近づいてきた。


 草を踏む、速い歩調。

 振り返らなくても分かる。さっき、報告に行った兵士だ。


 リナは思わず肩を強張らせた。


 兵士は息を切らしながら戻ってきて、仲間の横に立つ。

 短く視線を交わし、低い声で何かを伝えた。


「……指示は?」


 槍を持った兵士が尋ねる。

 帰ってきた兵士は小さい声で耳打ちしている。


「……ついてこい」


 いきなり殺されるなんて事はないようで安堵したが、依然として緊迫した場面であることに変わりはない。


兵士に挟まれる形で、歩き出す。


 歩調は速くも遅くもなく、逃げも逆らいも許さない、ちょうどいい速さだった。

 強引さは感じないものの、槍の気配が背後から離れない。


 拠点に入り、天幕の列の間を進むにつれ、空気が変わっていく。


 薬草の匂い。

 血の生臭さ。

 重たい空気。


 呻き声がいくつか聞こえた。

 抑えきれない痛みを漏らす声もあれば、声を出す力すら残っていないものもある。


 リナは、無意識に拳を握っていた。


 ――演奏会、なんて雰囲気じゃない。


 のんきな考えが、すぐに浮かんで、すぐに消える。


 この世界で楽器による演奏は通じないかもしれない。

 そもそも、相手にしてくれるかどうかも分からない。


 それでも。


 音なら。

 言葉がうまく通じなくても、伝わるものがあるかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、足が止まった。


「ここだ」


 短く告げられ、布が持ち上げられる。


 案内されたのは、いくつも通り過ぎてきた物とは違う、少ししっかりとしたテントだった。

 中には大きな台と、腰掛がいくつか置かれている。

 だが、今は誰もいない。

 

「ここで待て」


 背中を押されるようにして、天幕の中へ入る。


 布が下ろされても、外の気配は完全には消えなかった。

 人の影が、すぐ外にある。

 見張りがついているのは、分かりきっていた。


 リナはその場に立ち尽くす。

 深く息を吸って吐いて、考えを整理する。


 敵ではないと思ってもらうこと。

 そして――役に立つかもしれない、と思ってもらうこと。


 演奏、という言い方は通じないだろう。

 癒す、と言って無責任ではないだろうか。


 ただ、音を使って、人を落ち着かせることができる。

 それくらいなら、伝えられるだろうか。


 布の向こうで、誰かの足音が止まる。


 リナは、背筋を伸ばした。


 ――次に来るのは、判断を下す人に違いない。


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