表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

人魚姫は潔く身を引きます!〜記憶をなくした好敵手兼恋人が婚約するそうです

作者: 玻璃花 
掲載日:2025/12/02

ご都合主義でございます✾

『やっぱり、ルミの淹れたカモミールの紅茶以上に落ちつくものはないな』


 それは、ドSで打たれ弱いパルス侯爵シリル・カイ・パルスの精一杯であった。

 対してテーブルの向かいに座る翠玉の瞳をした珊瑚色の髪の少女―ルミシア・ルナンドはくすりと笑った。


 通う学園が同じでずっと互いがライバルだったルミシアとシリルが互いに対して特別な感情を抱いていると気づいたのは数年ほど前。


 周りに隠れてひっそりと同棲を始めて1年。

 朝は熱々のお茶がいいという彼に毎朝お茶を淹れていたルミシアは、たまにはハーブティーもいいんじゃない?とカモミールを出したのだった。



『俺が騎士団の遠征でいない日とか、ルミが海に仕事に行ってる日以外は毎日飲ませてくれないか』


 朝、今日の天気は快晴。

 ただのなんでもない1日になるはずだった。

 だけど、この青年の一言によってその日はルミシアにとって一生忘れられない日になるのだった。


『こんなときは『大好き』の一言でいいのよ。それだけで私は頑張れるの、ほんとに貴方はこんな時も芋令息ね』


 伝えたいことをすぐに口にできないのは相変わらずねと、自分の淹れた紅茶を見つめ左手でティーカップの柄を握ったルミシアは、顔を上げて微笑んだ。


「だから代わりに私が言ってあげる、『大好き』よ、シリル。ずっと一緒に、私の隣にいてね」


怖いくらい幸せだと思った。

2人の、精一杯の誓い、約束。


その日は、海洋学者であるルミシアの出発の日であった。


✵❅✵


 あの約束を交わした日、ルミシアは海洋学者として新たに発見された古代海域の調査に向かった。

 彼女は貴族ではない。

 しかしながら、平民ではあっても海洋学者という職種は珍しい。


 海洋学者見習いになるため、学園を卒業間近で離れ1年ほど実家を飛び出したのが15歳。

 1年の研修を経て、[海洋学の父]として有名なリカルド博士の助手になれたのが16歳。

 先輩のもとで学び続けた17歳、そしてやっと自分にも後輩ができ始めた18歳。

 ある程度の調査は1人でも向かえるようになった19歳。


 そしてあのシリルと付き合い始めたのは海洋学者の研修を終え女海洋学者として巷で話題に登るようになり、サラシス海溝で行われていた大きな研究が片付き一時故郷に帰ってきた18歳のことだった。


 実を言うと、嫌味を散々言い合ったライバルではあれど学園を途中退学した時もこのチャンスを逃したら後悔するぞと背中を押してくれたのは彼で、卒業後も文通をしたり、たまに予定が合えば食事に行く仲だったのだ。


 そして、―告白。

 と言っても何もロマンティックな告白をされたわけでは無い。好きだとか、付き合おうだとか言われたわけでもない。 


 その時は王立騎士団の副団長に就任し久々にあった彼を、寂しかった?、絶対そうでしょと散々煽っていると


『じゃあ、そばにいろ…』


 と予想と180度違う返答をされ困ったものだ。


『寂しかった、次から陸の方に帰ってきた時は毎回顔出せよ』


『シリル…貴方という人は…なんかもう可哀想になってきちゃった』


 まんまるおめめをうるうるさせてご主人様の帰りを待つ忠犬みたい、と言うと


『可哀想でも仕方ない、だから帰って来い!』


 とシリルは薄氷のような瞳を細め、自嘲気味に笑った。


 19歳の間は、ほとんど調査で海にいたけれどたまに陸に帰ってくるたびに会いに行った。

 

 付き合って1周年、シリルは初めてルミシアにプレゼントというものを渡した。


 それは、ルミシアの瞳のようなエメラルドが埋め込まれたピンキーリングであった。

 でもそれはルミシアの職業柄失くしてしまう危険があったため、今でも彼女はそれをネックレスにして毎日つけている。


20歳になってからは、陸近くの海域を拠点として活動することが正式に決まった。そして、それを機に実家を出て一人暮らしをすることになった。その報告をしに行くと、


『もう家は決まったのか』


 と言われ


『いまから不動産ね』


 と、さも当然のように返した。


『不動産屋な。…引っ越し、手伝ってやるよ』


『あら…何が目的? さては私に貸しをつくってあらぬ罪を擦りつけようと―』

『ストップ。仮にも騎士団副団長がかわいい恋人さんにそんなことできっかよ、それはいいから引っ越しの日にちが決まったら教えな』


 ……それも、そうね。


 そして、シリルはルミシアの家に週4は通うようになった。彼女も何も言わない。ただ居心地がいいと思った。


 泊まっていく日もあれば、深夜に帰っていくときもある。これを半同棲だと言うのだと、実家の隣に住むおねえさまに言われたのはいつだっけ。


そしてルミシアは海洋学者としてたまに海に戻り、任務を遂行して帰ってくる。


 ルミシアが長期間海に行き陸に帰ってきた日は、シリルはどれだけ忙しくても会いにきた。


 そんな生活が続いて1年ほど経ったある日、またルミシアは古代海域の調査に協力してほしいとリカルド博士から直々に要請を受けた。

 今回は少し長くなりそうだとも言われていた。もちろん、シリルにも伝えていた。


 出発の日の朝は、『毎朝熱々のお茶を飲みたい』と言う彼にたまにはいいだろうとカモミールハーブティーを出した。


 そして、彼のギリギリ精一杯のプロポーズを受けた。

 きっとシリルも、計画してこの言葉を伝えたわけでは無い。

 その証拠に、この場にはプロポーズに必須のはずの指輪も何もない。

 けれどルミシアには、迷いなんかなかった。嬉しくて、この長い任務もなんだって頑張れるとさえ思った。


『じゃぁ行ってくる。いつもと違ってシリルの方が家出るの後だから、ちゃんと鍵かけてから出てね』

『わかってる。…ルミ』


玄関の扉に手をかけた瞬間ふわっと抱き締められて、思わず体が硬直する。

そんなルミシアにシリルは少し笑うと、


『行ってこい。ルミが帰ってくるのを、俺がここで待っててやる!』


そう言って抱きしめる力を少し強めた。


『シリルは寂しいと死んじゃいそうだから、さっさと仕事終わらせて帰ってきてやるわよ』


 そう言って、口付けた。


 そう、この先に起こる困難なんて、誰にもわかるはずはなかったのだ。



✵❅✵



―シリルの記憶が、失くなったの。


 そう聞いたのは、ようやく長期間の調査を終え陸に帰ろうとシリルと同じく騎士団所属の親友であるニナに連絡を取った日のことだった。

 シリルに真っ先に連絡をしたのに繋がらず、ニナに連絡をしたのだ。


 ルミシアがあの日に陸を離れてから1年が過ぎていた。  

 彼女は21歳になっていた。


 陸に向かう大船の中でルミシアは、ひたすら先ほどニナに伝えられたその短い言葉を繰り返し思い出していた。


 シリルの記憶が失くなった…?


詳しいことは帰ってきてからきちんと話すから、とりあえず落ち着いて無事に帰ってきて!と言われたが、どうしても落ち着かない。

 落ち着くはずがない。


結局ルミシアは、船の中で一睡もできなかった。


 馴染みの港に着くと懐かしむ間も無く、ニナに連れられ馬車で騎士団に向かった。

 ニナはどこか焦っているようでルミシアもヒヤヒヤしたものだ。


「シリルが記憶喪失ってどうして?」


「騎士団に着く前に簡単に話しておくわね。シリルが、副団長が記憶をなくしたのはだいたい2ヶ月前くらいよ。」


 ニナの話は、こうだ。

 その日は大捕物があって、シリルはその最前線にいた。いつものことだ。

 だが相手の様子がおかしいと感じた彼は部下に撤退を命じ自分はその場に残った。


 大体の敵を片付けた時、1人の男が震えながら立ち上がった。その手には爆弾。つまりは自爆しようと試みたわけだ。咄嗟に距離を取ったおかげで爆発には巻き込まれなかったが、爆風に煽られて頭部を強打した。


打ち所が悪く6日間の昏睡状態の後、目がさめると事件の前後どころか自分の存在までさっぱり忘れていたという。


「相手が爆弾を持ってるなんてのも珍しい話じゃないわ。実際に爆発の被害はそこまで出なかったの。副団長が部下を逃したおかげで部下は全員助かった。あの場に全員が残っていたら、死者も出てたかもしれないわ」


「シリルはそういうやつよ、すぐ格好つけようとする」


「何らかの組織が持ち込んだ薬が原因なら、解毒剤みたいなのでさっさと元に戻れたかもしれないけれど…今回は頭を強く打ったことが原因。自然に記憶が回復するのを待つしかないとお医者様にも言われたわよ」


 ニナは申し訳なさそうに俯き、


「ルミシアに伝えなかったのは、伝えたら任務どころじゃなくなると思ったからなの。悪かったわ、ごめんなさい」


「ニナが謝る事じゃない…」


 確かに、船の中で一睡もできないほど動揺したのだ。もしこれを任務中に聞いていたら…。

 ニナの心遣いはさすが親友であり幼馴染と言うべきか、ルミシアのことをよく知っているからこその判断であった。


「着いたわ。…記憶はまだ戻ってない。あれから騎士団のこともある程度教えて、今は一応副団長として働いているけれど…あんまり、彼を刺激するようなことを言うのはやめてたほうが良いわよ」


「うん。とりあえず、私とあいつが付き合ってることも伏せておく」


 ニナは私がシリルと付き合っていることを知る数少ない人物だ。

 騎士団の白い廊下をまっすぐ、奥から2番目の部屋を目指す。

 シリルの部屋の扉閉まっていた。

 中には人の気配がする。


 懐かしい。ルミシアは、ふと思った。

 何度この扉を開けただろうか。何度待ち合わせの時間を過ぎても書類を書いてる彼を呼びに来ただろうか。


1度目を閉じ、自分を落ち着けてからドアノブに手を掛けルミシアは勢いよく扉を開けた。


「嫌味ッたらシリル!!元気?」


 そこにいたのは、最後に見た時よりもまた少し大人になった彼。


「海洋学者リカルドの弟子の[海洋学会の人魚姫]が来ると聞いてたが…まさか本当に『人魚物語』の人魚そのままの色彩を持つ女性が来るとはね。中身はじゃじゃ馬姫のようだけど…」


 『人魚物語』それは著名な詩人ヴァーリが書いた人魚の悲しい恋の物語だ。

 ちなみに人魚の容姿は髪が珊瑚色で目が緑だ。

 まあ、私と似た色彩である。


「本当に記憶がないみたい」


「この通りさっぱりだよ。君とも交流があったんだろうが…」


「交流もなにも、私とあんたは同級生でライバル、ただの好敵手よ。学園ではあんたが万年1位、私は万年2位だったのよ」


 本当に、私のことも覚えていないんだ。


 ルミシアの胸に広がったのは、絶望でも悲しみでもない、喪失感であった。


『ただの好敵手』


 自分の口から出た言葉なのに、その言葉にこんなにも傷つけられるなんて思っていなかった。

 本当は付き合ってたけど。

 そんな言葉は言えぬまま、その日は彼の部屋を後にした。


 それからもルミシアは、研究結果の報告のためなどと理由を述べつつ自分の家と騎士団を行き来した。

 会えば変わらず軽い口喧嘩には発展した。

 だけどシリルは記憶がないため、それ以上の喧嘩には発展させようとしない。


 前なら、それだけですむはず無かったのよ…。


 港に行けば今日も新鮮な海産物がわんさかと並び、おぉいつものねえちゃんじゃないかコレ持ってきなと、サッパ(うお)を鮮魚店のおじちゃんにサービスしてもらった。


 フィレット図書館にいけばいつもお世話になっている司書のハリーさんが黙々と本の仕分けをしていた。


 変わらない。誰も月日が経っても全然変わっていない。

 なのに、彼が。


―彼だけが、違う。


 学生時代試験勉強のためによく訪れたもう何度来たかわからない図書館の自習室に足を向ける。


 そこにはやはり、シリルが一番ぽかぽかな日差しを浴びれる端の席で居眠りをしていた。


 初めて会った時もここでこうして寝ていた彼を私が悪戯で起こそうとして喧嘩になったのだ。


 いつもなら喧嘩を仕掛けに行くルミシアだが、

 なぜかその日はそんな気分になれなかった。


「君は」


「…誰かと思えば、じゃじゃ馬人魚さんか。何の用?、副団長は忙しいんだ」


「居眠りしていたのによく言うわね。それにその格好どう見ても休日じゃない。まだ記憶が戻らないの?」


 シリルは騎士団の黒い制服ではなく質素だが上等そうな生地の普段着を着ていた。


「そうだね…戻る気配すらないね」


「戻したいと思う?」


「それは思うだろ、想像してみろ頭の中に大っきな穴が空いてる気分だぞ」


「じゃぁ、」


 ルミシアは、シリルの顎を両手で掴みをぐっと上にあげた。

 シリルの綺麗な蒼玉の瞳が顔を出す。


「私があんたの記憶を戻してやったら、何をしてくれるの?」


 シリルは一瞬驚いたように目を見開くと、その後すぐに小馬鹿にしたような視線を寄越した。


「ヘェ…そんなことが海洋学者さんにできるの?まぁもし本当に記憶を戻してくれたら…なんでも言うこと聞いてやるよ」

「言ったわね、男に二言はないわよ」


 そう言ってルミシアはカツカツとヒールで音を立てながら図書館を飛び出すと、海洋学者協会に連絡を取った。


✵❅✵


 ルミシアは何も口から出まかせであんなことを言ったのではなかった。

 これまでの調査でいろんな海域を回っていた時、とある海獣の話を聞いたことがあった。


 なんでもその海獣は、凶暴で群を成して生息する。一体一体はそれほど大きくなく、猿ほどの大きさである。


 それほど多くの海域に繁殖しているわけではないため駆除要請は多くはないが群れを成す海獣だ。町に出現すれば大変厄介である。


 なぜルミシアがこの話を思い出したのか。

 それは、この海獣の棲む島にあった。


 この海獣は、必ず真珠草の花畑のある島に巣を作るという。

 真珠草―その花は、滅多にお目にかかれるようなものではなくとても貴重な透きとおるような色の花。

 そしてその花からできる薬こそが、ルミシアの狙いであった。


 この花からできる薬には脳に作用するものがあり、記憶回復や洗脳の解除などに効果的である。

 しかし一歩使い方を間違えれば危険な薬物になるようなものだ。


 そう。ルミシアは、この花を探し出し、薬を作ってもらおうと考えたのだ。


 花畑の存在自体がレアであることと、その薬は製作して1週間以内に使用せねば効果がなくなってしまうと言うことが重なりこの薬は一般には出回ることはない。

 つまり、この薬をシリルに投与するためには、ルミシア自身が真珠草を探し出すしか方法はなかった。


 また、2人で幸せな毎日が築けるなら。


その想いだけを頼りに、ルミシアはその次の日、また陸を離れた。


 ニナとその恋人でありシリルの上司である顔馴染みの騎士団長フェリクス様にだけは、事情を伝えた。


 ふたりは終始心配そうな顔をしていたが、ルミシアが港に着き船に乗り込む時には笑顔で送り出してくれた。


必ず、見つけてみせる。


 その言葉を残してルミシアは、船に乗り込んだのだった。



 それから船で南に行きの海洋学者協会の本部があるキュラナド島に着いた時、研修中マンツーマンで指導をしてくれた先輩に会った。

 いまでは彼女は幹部をしているそうだ。

久しぶりに会ったその先輩は、何やら書類を手にしていた。


「ルミシアちゃん、久しぶり。時間がないから用件だけ伝えるけど、貴女が探してた海獣の生息地が割れたみたいよ」


「本当ですか!!」


「でもここからすごく遠いわ。それに、1人で行くのはあまりにも無謀よ」


先輩はその書類をルミシアに手渡した。

そこに記されていた海域は、確かにここからは遠い。

けれど。


「無謀でも行くしかないんです。どうしても、この海獣の巣の近くにある真珠草が必要なんです!」


「どうしてそこまで…」


「どうしても記憶を取り戻させたい人が…いて」


「……私の、兄」


「え?」


「私の兄がリーダーの、海洋騎士団のチームが来月その海獣討伐に向かうと言っていたわ。そのチームに入れてもらえないか、掛け合ってみる」


「えっ?海洋騎士団? でもそれは…」


「私の兄はこれでもなかなかに影響力があるから心配しないで。

でも、約束して欲しい。無茶はしない。この海獣は群を成して生息しているよ。量が多い。非常に危険な任務になるわ」


 そう言って先輩は、お兄さんに連絡を取ってくれた。

 そのあと、その先輩のお兄さんと会って無事チームに入れてもらえることになった。

 上層部は、あまりいい顔をしなかったようだが、どうにか彼が黙らせたようだ…一体彼は何者なんだ?

 

 まあ、一回聞いてみたらただのシスコンだと言われたが。


 そしてその翌月、ルミシアの参加したチームは例の海獣討伐のために大海原に船を出した。


✵❅✵



 呼吸が乱れる。体が思うように動かない。

 それもそのはず、ルミシアの右足はすでに血だらけであった。



「ルミシア!しっかり!!」

「はい!!まだ走れるます!!」


 予想以上だった。

 海獣討伐にここまで時間がかかるとも思っていなかったが何より数が多すぎる。それに、ルミシアのゴールは海獣討伐ではない。

 花畑を見つけなければならないのだ。ルミシアは正直、焦っていた。


「…あっ、」


ガクン、と右足の力が抜けた。出血が多すぎる。どうして、いま動かない。どうして、こんな1番走りたい時に、私は動けない。


 ルミシアに迫ってきた海獣をチームのリーダーが一撃で仕留め、ルミシアを抱えて建物の裏の日陰に回った。


「出血が多すぎる。ここで待ってて」


「リーダー…」


「僕たちに任せて。もう随分と数は減らしたし、あとは…」


「私にも!」


「でもルミシアさん、あなたは…」


「動ける…ううん、動かないといけないんです。じゃなきゃ私、ここにきた意味が、なくなっちゃう」


「その右足で、どうやって動くつもり?」


「私は、大丈夫です」


 私は肩にかけていた鞄から小瓶を取り出してワインのごとく一息で飲み干した。

 これは治癒薬だ。


「5分、5分だけ時間をください。そしたら、もう少しは動けるようになります!」


 必死だった。

 ルミシアの目的は花畑。だが、このチームに入れてもらった以上、海獣討伐にも貢献したかった。完全に足手まといになることはわかっていた。私も、チームのみんなも。

 だけどみんな私の気持ちを汲んで、チームに入れてくれた。


 チームからしてみれば、ルミシアを迎え入れることは負担を増やすだけだったはずだ。なのにみんな、好意的な言葉をかけてくれた。

 そんなみんなにあとを任せっきりにするなんて、出来なかった。少しでも、みんなと戦いたい。少しでも役に立ちたい。


 その後ルミシアは、本当に5分で戦場に戻った。

 短剣なら多少使える。

 ルミシアは仲間の心配そうな視線を跳ね除けるように動き、海獣を討伐していった。


 気が付けば、周りに動く海獣はいなかった。討伐が完了したようだ。みんなヘトヘトでその場に座り込む。


 しかしルミシアには、そんな暇はなかった。

 一刻も早く、花畑を見つけなければ。

 ルミシアは、今回あらかじめ後処理には加わらなくていいと言われていた。後処理などはいいから、花畑を探せと。


 真珠草の周りを囲うように島に棲む海獣。つまり巣は島の中央にあるのではないだろうか。

 先輩から受け取った書類にもそう書いてあった。


 必死に巣を探した。きっと、きっとここからはそう遠くないところに巣はあるはずだ。

 しかしルミシアも負傷した身。思うように動くことができない。

 何度も心が折れそうになった。でも決まって浮かぶのはあのムカつく、けれど誰よりも愛おしいあの金髪碧眼の人物。


 後処理を大方終えたチームの人々が捜索を手伝ってくれた。

 みんなで手分けして捜索をした。そんな時、リーダーから連絡が入る。


『ルミシア。本部から連絡が入った。6時間後に船を出さなければいけない。リミットは、あと6時間だ』


6時間。それまでに見つけなければ、シリルは。


「わかった。絶対、見つけてみせるから」



 それは偶然以外の何者でもなかった。

その辺一帯だけ地面が煌めいているのを不審に思ったルミシアは、近くに歩み寄った。


すると、―大ぶりな白く丸い玉をつけた植物が風に揺れていた。


「これは…」


 あれ?

 でも、これは透明じゃない。


 そういって花畑に近づいた瞬間

 あ!足元がビキビキとひび割れ始め、ルミシアは割れ目に飲み込まれた。



「いった…」


 落ちた先は、なんとも幻想的な場であった。

 地下の湖、という表現がぴったりかもしれない。ルミシアは湖のような、水たまりのような場所に落ちたのだった。いまだに水は吹き出している。


 上を見上げると、ルミシアの落ちた穴から光が差し込んでなんとも綺麗だ。

 そして彼女は、目を見開いた。


 その湖のほとりに、探し求めていた透明の花畑があったからだ。


「あった…!」


 薬を作るために必要な量よりも少しだけ多く花を摘み、最後の力を振り絞って地上へ上がり先ほどのダミーの花畑が視界の端に映った。

 

 騎士団の仲間が駆け寄ってくるのが見えた。

 ルミシアはそこで、意識を手放した。



 目を覚ますと、すでにそこは船の中であった。

 体には真っ白な包帯やガーゼがいたるところに巻かれている。

 船内のロビーに行くと、リーダーが呆れた顔をして近づいてきた。


「無茶はするなと、そう言ったのに…。ただでさえ騎士でも難易度の高い海獣を相手にして、その上花畑の捜索なんて無茶やらかしたもんだよ。でも…よく、頑張った」


そう言って頭に手をポンと乗せられる。

思わずルミシアは泣きそうになった。


「…そう、花!花は、どうなりましたか…!」

「本部に戻る前に枯れないように特別な液体につけてある。大丈夫、ちゃんと薬は作れる量、君はは持ってきてたよ」

「本当に…!」


 周りを見ると、チームのみんながルミシアを見て笑っていた。


「みなさん…本当にありがとうございます!」


✵❅✵


 本部に戻るとルミシアは、すぐに本部の研究室に真珠草を持っていった。

 あらかじめ話を通してあったおかげですぐに薬の作成に入れるように準備をしてくれていたようで、数人の研究者がすぐに研究室に入っていった。


 その研究室のトップのおじいちゃん博士には、


「よく見つけたね…わしも長年ここで研究者をやっとるが自力で花畑を見つけて真珠草を持ってきたやつは本当に数人しか知らんよ」


と褒めてくれた。


「博士、一つ伺ってもいいですか?」


「なんじゃ?」


「記憶って、そんなに簡単に消えてしまうものなんですか?」


「脳は繊細じゃからなぁ…。でも、あんまりにも長いこと忘れてることなんかは、もしかしたら本人が無意識に思い出したくないことなのかもしれんのう」


「昔の大失敗とかの記憶に蓋をしたい!みたいなものですか?」


「そうそう、みんなの前で盛大にやらかしちゃった〜なんていうアレじゃよ」


「私はそんな経験あまりないですが。彼はかなりしっかりしているようにみえて阿呆だから。私なんかよりもずーっと脳の容量が少ないに決まってます」


 そんな憎まれ口を叩きつつ、早くこの薬をシリルに届けたい。

 ルミシアの頭の中には、それしかなかった。



 それから数週間後、ルミシアは朝完成したばかりの半透明の液体を持って騎士団へと向かった。


 3ヶ月ぶりだった。

 ニナたちにも何も伝えずに帰った。


 ルミシアは胸が踊るのを抑えられなかった。

 もうすぐ、シリルの記憶が戻る…!

 そう考えると、にやけずにはいられなかった。


 騎士団に到着して中に入った時、中から話し声が聞こえた。町でよく見かける見回りの騎士だ。

 何やら深刻そうな顔をしていたので、そっと気配を消して様子を伺う。


「あれ、副団長は何処に行かれたんだ?稽古場にもいらしていないが?」


「お前聞いてなかったのか今日副団長は文部大臣カルロス公爵家のお嬢さんに婚約の挨拶だとよ」


「よりによってこのタイミングで副団長が見合いとはな…いくら記憶が戻ったとはいえ」


「副団長、団長の面子が保たれるならいくらでも見合いするって完全に受け入れ状態でしたよ。誰と結婚しても同じだから、1番上に重ねられてた見合い写真の人と見合いするらしいですね」


は…?見合い?記憶が戻った…?


 衝撃の事実が一気に押し寄せてきて、ルミシアは思わず膝を落してしまった。


 ズルっと音がする。きっと彼らにも聞こえたはずだ。

 ルミシアはとっさにポケットの中にある薬が割れていないことを確認して一息ついた。


 今の音を聞きつけた騎士たちが廊下に出てくる。そして、ルミシアの姿を見つけて目を見開いた。


「貴女は…!この前、副団長といた方ですね」

「…今の話聞いていました?」

「もしかして恋人…」


「見合いって何の話ですか…シリルの記憶が戻ったって、本当ですか?」


 彼らは苦い顔を見合わせてルミシアを招き入れた。


 彼らに連れられ廊下を歩いていると、団長が駆け寄ってきた。色々と言いたげな団長は立ち話もアレだとルミシアを部屋に通した。



「ルミシアさん…君はやっぱりシリルの記憶が戻ったことは知らなかったんだな」


 やはり彼は悲しそうな顔をした。


「何にも知らない。どういうことです、いつ戻ったんですか?」


「ルミシアさんが知らなかったのも無理はない。シリルの記憶が戻ったのはだいたい2ヶ月前くらいの話だ。自分自身のことも、騎士団のことも…町のことも、思い出した」


「なんで、教えてくれなかっ―」


「ニナも知ってる。知ってて、あえて教えなかった…いや、教えられなかったんだろ。いいか、気を落とさないで聞いてくれ。シリルは―」



 ルミシアさんの記憶だけ、戻ってないようなんだ。



 それは、死刑宣告にも等しいものだった。

 記憶が戻った。そういう割には、みんな苦い顔をしていると思った。

 もっと喜ぶべきことじゃないのか。

 そう思っていた矢先に聞いた事実だった。


「私のことだけ、わからないってことですか?」


「ああ…」

 団長は苦しそうに頷いた。


 そうか。戻ったのか。よかった。

 自分のことだけ忘れていたとしても、他のことを思い出せたのなら。

 また、私と出会う前のあいつには戻れたのならば。


 ルミシアとの記憶がないと知った今、シリルが見合いの話を受けたのも頷けた。

 だって、ルミシアとの記憶がないのだから。

 一緒に過ごした日々も、あの約束も、彼の中には無いのだから。


その時、ふと博士との会話がフラッシュバックした。


───脳は繊細じゃからなぁ…。でも、あんまりにも長いこと忘れてることなんかは、もしかしたら本人が無意識に思い出したくないことなのかもしれんのう


無意識に思い出したくないこと。

それが、自分の存在かもしれないと。


「私は誰も何も悪くないと思います。記憶が戻ってよかった。私のことを忘れてたところで、彼の人生にはなんにも支障はないですから」


 自嘲気味に笑う。

 だって、ただ喧嘩してただけの関係なんだから。


 その言葉は、ルミシアによって静かに落とされた。



 騎士団の者も薄々シリルがルミシアと付き合っていたことは知っていた。

 だから、喧嘩してただけの関係なんかじゃない事くらい知っている。

 だが、その場にいる誰も言葉を発することは出来なかった。


 何故ならば、ルミシアが、あまりにも綺麗に…そして、切なそうに笑うからだ。


 そのあとルミシアは、シリルに会うことなく騎士団を後にした。

 必死に思いで手にした薬を、出すことなく。


✵❅✵


 騎士団を出たその足でルミシアは実家に向かった。


「お母さん、ただいま〜〜」

「えっ、ルミシアちゃん?!ちょっとお父さん!

ルミシアちゃんが帰ってきたわ!!」

「…は?ルミシアァ?あいつはいま海に…って、は?」


 お父さんはいきなり帰ってきた娘に驚いたのか湯呑みを落としそうになった。


「ルミシア、お前今日帰ってくるなんて…」

「ただいま!…ごめん、花畑、見つけられなかった」

「…そうか。お前が無事で良かった、それでいいんだ。ほら、入れよ。おかえり」


 あらかじめ任務について両親に話していたがふたりの温かさに涙が出そうになった。


 付き合っていたことは知らないはずだか両親も、シリルの記憶が戻ったことは知っている。


 そして、ルミシアに関する記憶だけないことも知っている。それでいてなお、それを顔に出すことなく微笑んでくれる。


「…海獣は討伐したんだけど、花畑はどうしても見つからなかったの。船が出発する時間が早かったから、それで…」


 嘘をついた。

 花畑は見つからなかったと。

 だって、薬をちゃんと持ち帰ったなんて言ったら間違い無く、早く飲ませてこいと言われる。

 ルミシアには、シリルに薬を飲ませることなんて出来なかった。

 だったら、見つからなかったことにして仕舞えば飲ませてこいだなんて言われないし、仕方ないなで済む。それでいい。それでいいのだ。


「ルミシア、もうわかったから。お前も疲れただろ。そんなこと思い出してたら余計疲れるに決まってんだろ?ほら、母ちゃんが茶ァ入れてる間に楽な格好に着替えてこいよ」


 察しが良い父は、きっと、すべてお見通しなのだろうけれど。


 その日の夜は、久しぶりの実家だというのに眠れなかった。目を閉じると浮かぶのは今日の騎士団での光景で、それを打ち消すように何度も寝返りを打った。


 その時、部屋の扉が開いた。


「お父さん…?」


「眠れねぇなら、無理して押入れに籠る必要ねぇよ。出てこい、ホットミルクくらいなら作ってやるよ」


 父はホットミルクを作ってルミシアに差し出した。

 父のカップからは、コーヒーの匂いがする。


「色々あったんだろ?泣きたい事とかも、あったんだろ。理由は聞かねぇから、思いっきり泣いたらいい。溜め込むと肌に悪ぃぞ」

 

 肌荒れは乙女の大敵だぞと、これまた父がいうと少しゾワッとするようなことまで言われたルミシアは、向かいのソファに座る父の顔を見つめた。

 その表情はまさに、…慈愛に満ちた顔をしていた。


 ボロボロッとルミシアの大きな瞳から自然と大粒の涙が溢れた。

 父の淹れてくれたホットミルクの温もりが、やけに悲しかった。



 ひとしきり泣いた後、ルミシアはある決心をした。

 その決断は、唐突と言われればそうかもしれない。だが、ルミシアに迷いはなかった。


「お父さん…私、拠点をなくそうと思うの」


「…もう戻って来ねぇってことか」


「ううん、どんなに遠くに出たって私の故郷はここ。里帰りはちゃんとする…でも」


「拠点を移す無くすってことは、フリーで海洋学者をするってことだろ」


「うん…拠点を定めてなければ、どんな海域にだって調査に向かえる。今までより里帰りは圧倒的に少なくなると思うけど…3年に1回くらいは、帰ってくる」


「お前はそれでいいんだな」


「…うん」


 父は、はぁっと短いため息をついてルミシアに言った。


「ルミシア、お前が信じた道を行け。お前が後悔しないなら俺はいつでも大賛成だ。ただ…」


「ただ?」


「必ず、里帰りしろよ。お前の家はここだろ」


 本当は、いつまでもここを拠点に暮らしたいけど。

 昔夢見たように、生まれ育ったをこの場所を拠点にしたままシリルと籍を入れて、温かい家庭を作って、自分は立派な海洋学者で…たまに家は留守にはするけれど、帰ってきたら毎日お茶を淹れて…。

そんな日々を送れたら、どれだけ幸せだったことか。


 シリルがルミシアの記憶だけ戻らない理由。

 それはきっと、彼が無意識に思い出さないようにしているからだと思った。

 一緒に過ごしていた日々は、きっとシリルにとっても幸せだったはずだ。あの彼の幸せそうな顔を、偽りだとはどうしても思えなかった。


 だけど、もしもシリルが少しでも違う生活を望んでいたとしたら…?

 自分のような、すぐに海に行くような人ではなく。もっと家庭的な、いつも家で待っていてくれるような…誰もが羨む、おしとやかで素敵な彼女を、奥さんを望んでいたとしたら。


 自分はここを拠点にしているとはいえ、任務が入れば旅行の約束をしていても遠くに行かなければならない。それは彼も同じだ。呼び出しがかかればどこにいても駆けつけなければならない。


 だけどそんな彼だからこそ、パートナーにはそばにいて欲しいと思うはずだ。

 それにシリルは、幼くして両親を亡くして爵位を継いでいる。実は誰よりも“ごく普通の家族”に憧れているはずだ。

 そんなシリルだからこそ、ありふれた家庭の温かさを誰よりも望んでいるはずだ。


 自分じゃ、ごく普通の家族はあげられない。なにせ、自分自身が普通の奥さんにはなれないからだ。


 そう思ってしまっては、シリルに薬を飲ませて元の生活に…自分がそばにいる生活に戻すわけにはいかなかった。

 自分がまた彼の目に映れば、もしかしたら何かの拍子に記憶が戻るかもしれない。だったら、自分は極力ここから離れたほうがいい。


 そう思っての決断だった。

 シリルのための決断のように見せかけて、本当は自分のための決断だった。

 シリルが他の女性と添い遂げればそれが1番シリルにとっての幸せかもしれないと思うのも事実。

 しかしそんな彼を、間近で見るのは辛すぎる。


 見たくない。知りたくない。

 彼が、未来のお嫁さんにどんな顔で微笑むかなんて。

だったら、見なければいい。



 ルミシアは、泣き疲れてそのままソファで眠ってしまった。

 朝起きると、毛布がかけられていた。

 机には置き手紙があった。


《今日は朝からお父さんとお母さんは仕事があるの、久しぶりに帰って来てくれたのにひとりにしてごめんね 母より》


 優しい母の字。

 時計を見ると、もう直ぐ10時にさしかかる時間。


 本部に拠点を無くすという旨の連絡を入れると、直ぐにでも受けて欲しい依頼があると言われた。


 思ったよりも早くにここを出ることになり、ルミシアは毎朝飲むお茶の調達をしに街へ出た。


 各種類のお茶を必要な分だけ買い込み、大きな袋を抱えて帰っていると初めて見る文房具屋を見つけた。


 なんとなく気になり、中に入ってみると、


「綺麗…」


 人魚姫のシルエットが描かれた、素敵な海色の便箋を見つけた。


 海色の―碧眼の男とは付き合ってからも喧嘩をしたことも何度もあったし、一緒に海にも何度も行った。

 そんな思い出が急に蘇ってきて、ルミシアは思わずその便箋を手に取りレジへと向かっていた。


 そのまま不動産屋に行って、一人暮らししていた家を月末で解約する旨を伝える。

 もともともう随分と帰ってなかった家だ。

 フリーで活動するなら必要ない。

まだ契約が数ヶ月残ると言われたので、その分は支払うことにした。


 そして、その日の夜。

 両親が寝静まったリビングでルミシアは、あの便箋でシリルに手紙を書いた。


 そして昨日の夜から押入れに隠してあった半透明の薬の入った小瓶を取り出した。

 博士、ごめんなさい。

 心の中であの博士に謝って、ルミシアは小瓶を珊瑚色のハンカチで包む。

 このハンカチも彼がくれたものだ。

 でも、この薬もハンカチも、もう必要なくなっちゃった。

 

 ルミシアはそれを、ゴミ箱に捨てた。



 次の日の朝、いつものように送り出してくれようとする父と寂しそうに笑う母にしばしの別れを告げルミシアは家を出た。


 港に行く途中、郵便局のポストに昨日書いた手紙を投函する。

 これで、終わりだ。

 手紙には精一杯の別れの言葉と、最後の頼みを書いた。これが読まれるかは、わからないけれど。


 ルミシアは、泣きそうになるのを抑えて船に乗り込んだ。



✵❅✵


 ルミシアが実家を出発してしばらく経った頃。


 本を手に持ってはいるものの一向にページをめくる気配のない夫を横目に、妻は掃除機をかけていた。


「貴方、寂しいのはわかるけど…ボーッとするか本を読むか、どっちかにしてくださいよ」


「…あいつ、結局会わなかったんだな。シリルくんに」


「…やはり、会っていないのね。でも、あのことをルミシアちゃんは知らないほうがいいに決まって…」


「多分全部知ってる。あいつの笑顔、何か隠したそうだったからなァ」


「えっ…知ってたの、どうして…」


 そう言って妻は掃除機を置くと、ゴミをまとめようとゴミ箱にセットしてあった袋を持ち上げた。


「あらっ、重たい…ちょっとお父さん、ちゃんと分別してくださいな!って、これは―」


「ちゃんと分別してます…って、ゴミちょっとしか入ってないじゃないか。重いわけ…あれ本当だ、重いな」


「…これって」


 妻がゴミ袋の中から取り出したのは、昨日の夜娘が―ルミシアが包んで捨てた小瓶だった。


「お父さん、これって」


「やっぱ持ってやがったかあいつ。そんなこったろうと思った」


「まさか、ルミシアちゃんが探してた薬…?」


「ちゃんと調べてみないとわかんないけどな。

…っとに手間のかかる娘、…あ、もしもし?騎士団の方ですか?」




その2日後、ルミシアの両親は騎士団に来てにいた。騎士団長に呼び出されたからだ。


「お待たせしました。先日いただいた半透明の液体は分析の結果―」


「記憶を回復させる薬」


「…ご存知でしたか」


「娘が3ヶ月前探しに行った薬だ。やっぱり見つけてたんだなあいつ」


「仰っしゃるとおり、この薬は記憶を回復させる効果のある薬です…が、一般には出回ってないものです。

少数の島にしか咲かない特殊な花から作った薬で、効果は作成してから1週間。この薬の状態から見て、今日は5日目だそうです」


「ルミシアちゃん、娘はシリルさんの記憶がまだ全然戻ってなかった時にこの薬の原料の花を探しに行ったんです。でも、この前急に帰って来て花は見つからなかったって…」


「娘さんにシリルのことを話したのはわたしです。彼女の記憶だけないことも…。わたしが完全に心を折ってしまったようです…申し訳ありません」


「いや、これに関しては娘に伝えきれなかった俺が悪い」


 父として、失格だと肩を落とした。


「にしても、ルミシアちゃんどうしてシリルさんに飲ませなかったのかしら…自分の記憶だけがないなら、なおさら飲ませて早く思い出して欲しいと思いません?」


「あいつも一個思うと他の考えが見えなくなるタイプだからなあ…まーた変なことでも考えたんじゃないか」


 コンコン。

そのとき、部屋のドアがノックされ控えめに開いた。

 


「団長、お話の途中失礼します。これ…」


 そう言って騎士が控えめに差し出したのは、


「これは…」


 ルミシアがシリル宛に出した手紙だった。


「これ、副団長に渡してもいいですか。俺的には、渡してあげたいんですけど…あんまり刺激を与えるなとも、医者に言われてるもんで」


「…渡してやれ。それで思い出せなけりゃ、踏ん切りつけるしかあるまい。彼らも、…僕たちも」


 そうして団長は、副団長を呼んだ。

 シリルが部屋に入ってくる。


「突然の呼び出し、何か用ですか?」


「…ルミシアからだ」


そう言って団長がシリルに便箋を手渡すと、一瞬だけ目を見開いたシリルは素直に受け取り封を切った。




_______________________________



拝啓、シリル様



まず、はじめに貴方の頭は大丈夫ですか?

貴方の記憶が戻ったことはフェリクス様から聞きました。

騎士団の仲間のこと自身のことをしっかり思い出したんですね。

そして、私のことはまだ分からないことも聞きました。


でも、それでいいんです。

貴方は、嫌味な方だし脳の容量が少ないから、私のことを思い出して無駄に容量を消費する必要なんてみじん切りもこれっぽっちもありません。

貴方と私は今も昔も、喧嘩するだけの競い合うだけの関係です。

それ以上でも、それ以下でもありませんからご安心を。


さて、貴方もいつか、大切にしたいと思う人に出会うと思います。

そしてもしかすると、その子と結婚する日なんてのも来るかもしれません。

その時は、海洋学者としていっぱい稼いだ給料を気持ち程度貴方へのご祝儀として使ってあげますね。


最後に一つ、約束をしてください。

貴方の記憶が失くなるまえ、私たちはある約束をしていました。

でも、ごめんなさい。

私はそれを、守れそうにありません。

だから、新しい約束を結んでほしいと思います。

この約束だけは、何があっても、守ってください。


『必ず、幸せになること!』


貴方は騎士団の副団長で今まで沢山の命を散らせたでしょうね。

ですが、貴方は悪魔でも悪役でもありません。

幸せになる資格がないなんて言わせません。

貴方がいつどこで、誰と何をしていようと、

貴方の幸せをいつも願っている人がここに1人いることを、忘れないでください。


ルミシア・ルナンド


_____________________________




 芯のある黒ぐろとした字で記されたこの手紙。

 字は綺麗なのに左利きなのかインクが擦れてしまったような跡がある手紙。


 この手紙を、どうして自分はこんなにも懐かしく感じる?

 どうしてこんなにも、愛おしく感じるのだろう…?


 シリルは、手紙から顔を上げずにつぶやいた。


「団長」


「なんだシリル」


「俺とこの人、本当に、ただの好敵手だったんですか。そんな関係じゃなくて、もっとちゃんとした形のある関係じゃなかったんですか」


「どうしてそう思う」


「…そうだったらいいなっていう願望です。フェリクス団長、俺は…記憶は全部戻ったと思ってました。でも、まだ何か思い出してないことがある気がするんです。

このままそれを思い出さずに生きていけば、俺は記憶を無くさなければ守れたはずの誰かも、背負ったはずの責任も、取りこぼして生きていくことになりませんか。大切にしたかった何かを、失ったまま生きることになりませんか」


「シリル…」


 やっとの思いで言葉を紡ぐシリルをしばらく黙って見つめていたフェリクスは小瓶をシリルの前に差し出した。


「…?これは…」


「記憶を回復させる薬だ。ルミシアはこれを探しに3ヶ月前飛び出した。お前が記憶を取り戻した後、あいつを守る覚悟も…なにもかも背負う覚悟もあるんなら飲めばいい。飲むかどうかは、自分で決めな、シリル」


✵❅✵


 あの日、ルミシアがフリーになると決めてから1年半の月日が経った。


 シリルのことを思い出す暇を自分に与えないくらい仕事を詰め込んだ。

 がむしゃらに働いて、戦って、休みの日なんかほとんど取らなかった。

 周りは少し休めと言ったけれど。

 休むと、決まって思い出すのは彼のことで、その方が体を酷使するよりもよっぽどきつかったから。


 そんな日々を送って1年半。ルミシアには、近々故郷に戻る予定があった。

 母が、縁談を持ってきたからだ。


 涙目になりながら、


『無理して受ける必要はないのよ!嫌ならすぐに断るからね!ただ…ルミシアちゃんが、私みたいな母親になりたいと思っていたのも知ってるから。

私ら娘には幸せになってほしいもの』


 とわざわざ持ってきた縁談。

 自分でも、このままズルズル引きずるのはダメだとわかっていた。だから、受けることにした。

 きっとこちらが頷けばすぐに結婚は決まる。お互いのことを知らなくても、少しずつ知っていければ。少しでも前に進めるなら。


 その見合いは、故郷で行われるというのでルミシアは近々陸に戻らなければならなかった。

 ただ、ルミシアも忙しい身だ。

 両家顔合わせ、結納、そして衣装合わせや数々の打ち合わせ、そして挙式。

 そう何度も陸に帰る余裕はなかった。

 そのため相手からの提案で、両家顔合わせと衣装合わせ、結婚式のリハーサルを同日に行うこととなった。


 ルミシアにとっては、相手はもう誰でも良かった。

 ただ、自分を大切にしてくれる、自分も好きになれそうな相手なら誰でも。

 だからその提案に異議は申し立てなかった。

 両親は、リハーサルで初対面…?!と慌てていたけれど。

 それでいいから進めてくれと押し切ったのはルミシアだった。



 陸に帰る前日、ルミシアの元に一通の招待状が届いた。

 それはまさに、結婚式の招待状であった。


 震える手でなんとか二つ折りの招待状を開くと、そこには


『シリル・カイ・パルス』と。そう書いてあった。

 相手の名前は書いていない。だがそこには、何度か見たことのある彼の字でこう書かれていた。


『ルミシアとの約束通り幸せになることにした。ちゃんとご祝儀持って祝いに来い。相手はお前もよく知るあの人だから』


 シリルの結婚式の日程は、ルミシアの顔合わせの日と同日であった。


 自分が望んだ未来のはずだった。

 シリルが、自分ではない誰かと結婚をして、ごくごくありふれた幸せな家庭を築いてほしいと。

 本当は、隣にいるのは自分が良かった。だけど自分は、普通の家庭をあげられないから。

 それならばいっそ、その普通の幸せをあげられる誰かと添い遂げてほしいと。

 そう願ったのは他でもない彼女自身だったはずだ。

 なのにどうしてこんなにも胸が痛むのか。

 どうしてこんなにも、涙で前が見えなくなるのか。



 次の日、セイーレ港行きの船に乗り込んだルミシアは昨日届いたシリルからの招待状をもう一度見返していた。


 顔合わせとリハーサルの時間を考えると、彼に直接ご祝儀を渡しに行ける時間はなさそうだった。

 以前の自分なら、何が何でもシリルに会いに行ったかもしれない。

 だけど自分はその日。これから先添い遂げるかもしれない人と会うのだ。


 ご祝儀は父にでも預けよう。

 父は確か、その日休みだったはず。

そう思ってルミシアは、招待状を握りしめた。


✵❅✵


 両家顔合わせ、そしてリハーサル当日。

 セイーレ港に降り立ったルミシアはで母と合流し、その足で会場に向かった。

 係りの人に案内されて、採寸をされて。

 あらかじめ相手の人が決めておいてくれたドレスがぴったり入りそうだと言うので、そのまま着せてもらうことにした。


 レースと真珠があしらわれた可愛らしくそれでいてシンプルなAラインの清楚な純白のドレスであった。

 ルミシアの好みそうなドレスである。


 リハーサルとはいえ、両家顔合わせも控えているのならお化粧もバッチリしておきましょうね。

 髪型も、当日のリハーサルを兼ねてセットしてもよろしいでしょうか?



 スタッフさんの計らいで、パパっと当日と同じメイク、髪型、そして格好にしてもらった。

 母はルミシアを見てまた涙目になり、綺麗だと言った。


 …当日は、父も来てくれるだろうか。

 親友のニナも団長のフェリクス様も同僚の海洋学者であるリリーやイアン、それに最大の師リカルド博士も。



 会場の準備が整うまでしばらくお待ちください。

 そう言われてルミシアは1人控室にいた。

 母は先に会場に行っていると言って出て行ってしまった。

 ふと鏡を見ればそこにはまるで花嫁さん。

 こんな格好をする日がくるなんて思わなかった。


 しばらくしてスタッフさんがルミシアを呼びに来る。

 ルミシアは、あの日からずっと肌身離さずつけていたピンキーリングのネックレスを、そっと外して机の上に置いた。


 大きな扉が目の前にある。

 そう。チャペルへの入り口の扉だ。

 この扉を開ければその向こうには、未来の旦那さんになる人がいる。


 ここで初めてご対面だなんて、我ながらぶっ飛んだ結婚話だと思う。


 お見合い写真は、いらないと言った。

 写真を見てしまえば、決意が揺らいでしまうと思ったからだ。

 年上の貴族とだけ伝えられた。

 相手は海洋学に興味がある方らしい。

 このウエディングドレスからしてかなりの資産家だろう。


 見合いと言う名の政略結婚のようなものだった。

 だけど、それでもいいと。それでもいいからと見合いを受けたのは、ほかの誰でもない自分だ。


 扉に手をかける。

 目を閉じて、思い浮かぶ彼に最後の別れを告げる。


―サヨナラ、シリル。


 ルミシアは目を開き、扉を開けた。




 女の子なら誰もが憧れるチャペル。

 白を基調とした内装、そして一番の憧れであったバージンロード。


 その先に立つ男性は。



「ど、…して、」



 頭が理解を停止しようとする。

なんとかこの状況を理解しようと周りを見渡すとそこには。


リハーサルのはずだ。招待客なんか居るはずがない。

なのにどうして、馴染みの顔が並んでいるのだ。


どうしてみんな、心からの祝福の笑みで微笑んでいるのだろう。



ふと背後に気配を感じ振り返ると、


「お父さん…」


「ほら、腕持ってくれよルミシア」


 促されてかろうじて腕は掴んでいるものの、足が思うように動かない。

 いやその前にこの状況を理解していない。


 このバージンロードを歩くだけでどれだけの時間がかかっただろうか。

 みんなの横を通ると、泣いているのが見えた。

 ニナは今まで見たことのない優しい笑顔を浮かべている。



 ようやく階段の前まで来た。父の身体がそっと離れる。


 ルミシアは、登ることができなかった。


 どうして、彼がここに。

 そのことしか考えられなかった。

 自分は間違えてここに立っているのではないかとすら思った。


 ただ呆然と立ち尽くすルミシアの元に、相手の男性が階段を降りて来て―


 そっと、ルミシアの手を取った。


「お嬢さん。行きましょう」



 涙が止まらなくなった。


 ああ、せっかくスタッフさんが綺麗にお化粧してくれたのに。

 せっかく、花嫁さんの格好ができたのに、これじゃぐちゃぐちゃだ。


 神父が、病める時も健やかなる時も…とお決まりの言葉を言っている。

誓います、と落ち着いた声で言うのが聞こえる。

 そして神父が今度は、ルミシアに向けてそのお決まりの言葉を紡いだ。

しかしルミシアは、そんなことよりも聞かなければならないことがあった。


「待って…私じゃない。ここで誓うのは、私じゃないはずっ…よ」


「ルミ以外誰がいるんだよ」


「その呼び方!!

…私は、ちゃんと伝えたはずよ。必ず幸せになれって…なのにどうして。なんで約束を守ってくれないのよ」


「ルミ無しで、どうやって幸せになれって言うんだよ。

勝手に前の約束守れませんとか言って破棄しやがって。

前に交わした約束も、この前お前が一方的に伝えて来た約束も、同時に果たす方法を思いついた。それだけだ」


「シリルの記憶…。もしかして私のこと、も、思い出しちゃったの」


「ああ、お前が必死に探してくれた薬飲んだんだよ。

俺も心のどこかで、俺がお前を思い出さなければお前は俺を置いて次の幸せを掴めるって思ってた。

こんないつ死ぬかわからない騎士の、血に濡れた手の俺なんかじゃなくて…って。でも―」


 ルミシアの涙をシリルは指で拭う。

 ルミシアの涙は、次々と溢れ出てくるけれど。


「こんなじゃじゃ馬人魚姫にできる男も、こんな面倒臭い俺を相手できる女も…俺とお前以外に、いないだろ!」


「お見合いは…どうしたの」


「んなもん記憶が戻ってすぐに断ったに決まってんだろ」


そう言ってルミシアの頬をすっと撫でると



「誓ってくれませんか。俺と、幸せになってくれやせんか、人魚姫さん。

物語みたく悲恋になんてさせない、泡になって消えさせてたまるかよ」


 今まで見たこともないくらい真剣な瞳で、シリルが言うから。

 もう、この瞳からは逃げられないと悟った。

 初めから逃げられるはずなかったんだ。こんなに惚れているのに、そもそも忘れようとしたことが間違いだった。



「…シリル、言ったよね。私が記憶を戻してあげたら、なんでもするって。じゃぁ私を、幸せにして!

そして、私たちの物語をうんと、うーんと、幸せなハッピーエンドしてっ!」


「当たり前だ。喧嘩しても、何しても、今生の最期になるときまで幸せだったって言わせてみせる」


「なんで私が先に死ぬ前提なのよ…まぁいいわ、その話は後々。

仕方ない、誓ってやってもいいわ。病める時も健やかなる時も…」




 もう、叶わないと思っていた。

 チャペルに繋がる扉を開ける直前は、もう全て諦めていた。

 心から好きになった人と添い遂げることも、自分が彼を幸せにすることも。

 毎朝お茶を淹れてあげることも。



 これが夢でもいいと思った。

 それくらい幸せだと思った。


「これがもし夢でも…いい。こんな幸せな夢を見れたなら、一生これを糧に生きていける」



「何が夢だ。目を醒ましな」



 交わされた王子様からの誓いのキスで、微睡みの夢を見ていた人魚姫は―。



 ああこれは夢じゃないんだと、目を醒ました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ