石じじいの話・引用:北海道の腰抜けと熊殺し
じじいは、石探しのために北海道まで何度か遠征しました。
そのときに、いろいろな不思議なことを経験し、また話も聞いたそうです。
現地の友人もできて、北海道は彼に強烈な印象を残したようです。
自然環境が、戦前に訪れた満州に似ていたと言っていました。
初出:
海・山にまつわる怖い話・不思議な話 2
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535920044/
215 :本当にあった怖い名無し:2018/10/24(水) 11:50:01.47 ID:zY6XJy240.net
石じじいの話です。
戦後の早い時代に北海道への入植が奨励されたことがあります*。
外地からの引き揚げ者、復員兵、戦災者などの失業対策のためだったと言われます。
農業による食糧増産も必要でした。
じじいの村にも北海道で農業をしないか?という斡旋が来たそうです。
じじいは興味があったので、村の他の興味を持った人たちと一緒に見学に行きました。
汽車と船を乗り継いで片道三日かかったそうです。
結局、ものすごい自然に圧倒されて逃げるように帰ってきました。
誰も入植しなかったそうです。
「四国のもんは腰抜けじゃけいのうw」
216 :本当にあった怖い名無し:2018/10/24(水) 11:51:15.97 ID:zY6XJy240.net
そのときに、化石集めが趣味の北海道の人と知り合ったそうです。
その人は、樺太(現在のサハリン)からの引揚者でした。
じじいはその人のつてを頼って、何度か北海道へ石さがし遠征をすることになります。
北海道は特に、アンモナイトの化石がたくさんとれたそうです。
よく保存されたきれいな化石は内地の大学の偉い先生が買い取って、論文として発表してくれるのだ、ということでした**。
北海道の山は深く手付かずで、野生の動物の宝庫だったそうです。
しかし、山にはヒグマがたくさんいるのでかなり危険で、クマに襲われて食べられてしまった人も多いとか。
しかし、こんな例もあったそうです。
北海道の知り合いが、じじいに語った話です。
日本海側の漁村に住む中年女性が山菜をとりに山に入って帰らない***。
クマにやられたのではないか?ということで猟師も参加しての捜索隊が出ました。
人々は最悪の事態を覚悟したそうです。
捜索本隊からかなり離れて探していた猟師が、その女性を見つけました。
217 :本当にあった怖い名無し:2018/10/24(水) 11:52:19.67 ID:zY6XJy240.net
女性は沢の近くで、ヒグマの死体を貪り喰っていたそうです。
湯気がたっている、ぬらぬらとしたはらわたを美味しそうに食べていたそうです。
女性によって喰われているヒグマは死んですぐだったのでしょう。
見つけた猟師は女性に声をかけましたが、女性はなにごともなかったような態度だったそうです。
クマを喰うのは当然のように。
猟師は女性を連れて(彼女は歩けたのでしょう)捜索隊に合流しましたが、クマの死体のことについては黙っていました。
その猟師が、じじいの知り合いに話したところによると、
クマの肉を食らう女性の顔はものすごく、顔中についたクマの血を拭うときに、彼女の歯は犬のように尖って見えたということでした。
その女性は、その後は何事もなく生活していましたが、その遭難事件の数年後に失踪してしまったそうです。
男をつくって内地に逃げたということでしたが、真偽はわかりません。
「蝦夷地は、がいなことがあらいなあ。まあ、クマくらい喰うてもええわなあ、人食うよりはなあ」
しかし、人を食べた事件は北海道で起きています(映画化もされて有名ですね)。
「熊殺し」の空手家ウィリー・ウィリアムスや「牛殺し」の大山倍達のことを知ったときに、このじじいの話を思い出しました。
「北海道のおばちゃんのほうがすごいやん!」
改変点:まえがきとあとがきを追加した。
*北海道の開拓といえば屯田兵が有名ですが、戦後にも北海道への入植・開拓は行われました。
終戦で、旧満州やサハリンから引き揚げてきた人々が北海道に入植ました。
じじいが北海道を訪れた時、そのような人たちから満州やサハリンでの不思議な話を聞いたそうです。
これについては、いくつかの話を以前書いたことがあります。
それらの話を見つけることができたら紹介しましょう。
敗戦間際には緊急開拓事業が計画され、戦災集団疎開者として「拓北農兵隊」が都市部から北海道へ農民として送り込まれました。都市戦災者・疎開者の集団帰農です。
たとえば、敗戦間際の1945年7月に東京の杉並区の農業経験の無いいろいろな職歴の戦災被災者が疎開と食糧確保のため入植しました。
これは、日本国政府内務省が立案した計画でした。
しかし、敗戦により立案者である内務省が消滅し、その後の政府の不誠実な対応によって、彼らは辛苦をなめました。
戦争間際の混乱期の一種の棄民政策でした。
しかし、彼らの努力は、その後の北海道の発展に大きく貢献したのです。
敗戦後、北海道庁は「北海道戦後開拓実施要領」を策定し、海外からの引揚者や復員軍人対策としての入植;営農効率化をはかるための農家の次男・三男の入植が行われました。
じじいの故郷でおこなわれた北海道入植の勧めというのは、上記の最後の計画の一環だったのでしょう。
**じじいによると、アンモナイトを探して収集している現地人はたくさんいて、彼らは互いに収集物を競っていました。そして、自分の穴場を荒らされることを警戒していたそうです。
そのため、自分が発見して採集した化石の正確な産出地点を秘密にしておくことが常でした。
収集家としての栄誉を手に入れるために自分のコレクションを内地の大学の先生に研究材料として提供するとき、そのコレクションについての論文が発表されて発見地点を他の収集家に知られてしまうのを、彼らは恐れました。
そのため、大学の先生にも、提供する化石の発見地点を偽ることも多く、結果として研究論文の内容にも事実に反する情報があったとか。
***北海道の人たちは、山菜採りが非常に好きなようです。
まあ、内地にも好きな人も多いのですが。
山ブドウをとって自家製の酒をつくることもあったそうです。
これは、密造酒ですが。




