ダウザーお嬢様は外さない
王都の一角にある寂れた事務所には、今日も閑古鳥が鳴いていた。
依頼客など訪れるわけもないと高を括っているのか、来客用のソファには黒髪の男が一人、横になって鼾をかいている。
男の名はクロウといい、この事務所の唯一の従業員だ。鍛え上げられた長身は筋骨隆々で、幾多の実戦を潜り抜けて絞り込まれた鋼の如き筋肉の鎧である。ただし現在のラフな装いはいかにもな室内着で、間違っても来客に備えた用意ではない。
尤も、来客用のソファを占有して爆睡している時点でそれ以前の問題であると言わざるを得ないのだが。
寂れた事務所は午後の微睡には非常に優しい静かな時間が流れていたが、にわかに静寂をぶち壊す無粋な騒音が聞こえ始める。具体的には、外の廊下を走る喧しい足音であった。いかに眠りが深かろうと他者の気配を感じれば意識が覚醒してしまうクロウは、アイマスク代わりに乗せていた雑誌を片手でどかしつつ、欠伸混じりの嘆息を零す。半開きの鋭い双眸は、熾火の如き紅い瞳であった。
ややあって、爆発のような勢いで事務所の扉が開け放たれる。
「クロウさん! お仕事の時間でしてよっ!」
足音通りの元気な声音でそう宣うのは、白銀のロングヘアを靡かせる端正な少女であった。大粒な碧い瞳はキラキラと輝いていて、白過ぎる肌は興奮のせいか健康的な桜に色付いている。整い過ぎた容貌はともすれば他者に冷たい印象を与えかねないほどであったが、少女の溌剌とした雰囲気が怜悧さと奇跡的なバランスを取っているような印象だ。
「おう。もうちっと扉に優しくしてやれや」
半目でぼやくクロウは、つい数日前に扉の蝶番を手ずから修理したところであった。何故壊れたのかは敢えて言うまい。
そんなクロウの小言を優雅に聞き流しつつ、意気揚々と室内に入ってきた少女の名はシャロン。この寂れた事務所の所長であり、クロウの雇用主だ。
ずぼらなクロウの風体とは打って変わって、シャロンは全身を隙無く整える垢抜けた人物であった。その身に纏うのは格式高いと評判の魔法学院の制服で、厳めしさすら感じるブレザーの意匠とは対照的に、短いプリーツスカートの裾から覗く健康的な白い脚には若さと艶やかさが同居した絶妙な色気があった。
しかしながら、シャロンという人物の外観で最も目を惹いて仕方がないのは、美しいかんばせでなく、格式高い制服でもなく、ましてや瑞々しい色気でもない。
両手に持った謎の棒、である。
直角に曲げられた金属製の棒をそれぞれの手に持っているのだ。棒の長手側を昆虫の触角の如く前方に突き出す構えは、所謂ダウジングロッドのそれであった。シャロンの容姿がなまじ垢抜けているせいで、大真面目にロッドを持つ姿が奇妙なコミカルさを醸し出しているとクロウは常々思っていた。
上機嫌な靴音を立てて歩いてきたシャロンは、まるで遠慮することなく当然のように、ソファに横たわったクロウの腹の上に小振りな尻を落とした。
「おい。なんで乗る」
「ソファは座るものと教わっておりますもの」
クロウの抗議にはシャロンの小さな皮肉が返された。そもそも来客用のソファに寝そべっているのがあるまじき行為だと言われたら返す言葉がないクロウは、分の悪さを悟って早々に諦めの溜息を吐いた。
「んで? 今度はその棒が何を引き当てたって?」
「棒ではなくロッドと呼んでくださいましっ」
「はいはい」
一応この事務所はシャロンが所長でクロウが若干一名の従業員という少数精鋭で便利屋を営んでいるのだが、外から依頼が持ち込まれたことは未だに一度もない。よって基本的にはシャロンが自慢のロッドを駆使してどこからともなく金になりそうな情報を掴んでくるのが常であった。
なおシャロンは王都の魔法学院高等部に通っている現役女子高生であり、学院ではダウジングを専攻している。だがダウジングという技法が魔法界隈でポピュラーなのかと言えば全くそんなことはなく、普通にマイナーである。クロウを含む世間一般の認識においても精々が良く当たる占い程度の信憑性だ。シャロン曰く的中率は術者の力量次第らしいが。
「これはもう、今度こそ金鉱脈を引き当てたに違いありませんわぁ!」
「んなこと言って、また『ゴールドドラゴン』の棲み処だったりしねえだろうな?」
「んっ、あれはたまたま、調子が悪かっただけです」
記憶に新しい大惨事を引き合いに出してクロウが揶揄すると、シャロンは恥ずかしそうに頬を染めて唇を尖らせる。
「へぇ、その前はなんだったか? 貴重な薬草を採取しに出向いたら『ドリアード』の群生地だったこともあったな」
「んんっ、あれは、ちょっと。別に間違ってはいなかったでしょう?」
植物系の魔物であるドリアードの死骸から得られる素材は高価な薬品に使われるので、成程あながち間違いではない。
物は言いようだなとクロウが笑みを深めると、シャロンは咎めるように小さな拳で小突いてくる。ちなみにであるが、棲み処に踏み入られて激怒したゴールドドラゴンを死ぬ気で討伐したのはクロウだし、ドリアードの毒粉で死にかけていたシャロンを救出ついでに奴等を討伐したのもクロウだ。
「とにかくっ、今度こそ間違いないんです! ほら、行きますわよ!」
「あいよ」
シャロンは今しがた戻ってきたばかりだというのに、休憩もせずに前のめりに事務所を出ていった。
ああなった彼女を止めようとするだけ無駄だと経験則で理解しているクロウはソファから身を起こすと、近くの壁に立て掛けられていた己の剣を手に取って腰のウェポンラックに差し込み、上着を羽織ってシャロンの後を追うのだった。
◇◇◇
そうして二人が一路やってきたのは、とある田舎の山奥であった。
どうやらこの近辺の洞窟が今回の目的地で、シャロンはそこに金の気配を感じ取ったのだそうな。それダウジング関係あるのかとクロウは常々不思議に思っていたのだが、シャロンがあると言うのだから、あるのだろう。
「シャロンよぉ、こんなとこに財宝が埋まってるたあ、俺には思えねんだが」
「奇遇ですわね。私もそう思います。だけどロッドは嘘を吐かないのです。あるいは、意外な場所にこそお宝が眠っているかもしれないでしょう?」
「成程。夢があるな」
謎の自信に満ちているシャロンの両手には、当たり前のようにダウジングロッドが握られていて、その先端はなんだか若干不気味に微動していた。きっと何らかの何かを受信しているのだろう。
適当な会話を交わしつつ、獣道と評するには少々整備が行き届いている山道を歩く。おそらく近くに人の住む場所があるのだろう。それなりに人の手が入った道のりである。ただ、クロウにとってはなんてことない道程であるが、お嬢様育ちの現役お嬢様であるシャロンには少々辛かろう。
そもそも、その現役お嬢様が何故このようなトレジャーハントまがいの活動をしているのかというと、これが極めて個人的なくだらない理由であった。
クロウがシャロンから聞いた話によると、本物のお貴族様の家に生まれた令嬢であるシャロンには、年頃になって他家との婚約の話が出てきたそうだ。シャロンが会ったこともない相手との婚約ということで、平たく言えば政略結婚の類だった。
最近の社会情勢として平民階級にも有力な魔法使いが多く輩出されるようになってきて、少し前までは魔法を独占して支配階級としてブイブイ言わせていたお貴族連中も、立場を追われて窮地に陥っている家が少なくないと聞く。シャロンの実家もそんな家の一つであり、要するにシャロンの婚約は相手の家からの資金援助と引き換えなのだ。
ところがシャロンはあろうことか、政略結婚なんてまっぴらごめんだと突っ撥ねてお家を飛び出したのである。ただし家出をしているというわけではなくて、今も変わらずに学院に通っていたり、王都の一角に物件を借りて商売をしていることからもわかるが、普通に親公認の活動であった。
彼女の親は、婚約の話を見直す代わりに、とシャロンに交換条件を設けたのである。即ち、そもそも資金難が解決出来ればシャロンを望まぬ嫁に出す必要もないわけで、だから婚約が嫌ならば相手の家からの資金援助分の金額を自力で稼いで来い、ということだ。
なお余談であるが、最初は何でも屋を開いて王都の住民の問題解決をして、口コミで評判を高めてがっぽりですわ!というわりと手堅いプランだったのだが、肝心の客が来ないので現在こういうことになっている。
「おーいシャロンこけんなよ。ホラそこ根っこ」
「わかってますっ、馬鹿にしないでくださいまし!」
山道に四苦八苦しながら登るシャロンの尻を眺めてヤジを飛ばしつつ、クロウは思いを馳せる。
何度思い返しても苦労がしのばれる限りだ。
シャロンの、ではなく彼女の両親の。
おそらくだが彼女の両親が愛娘に突き付けた交換条件は、シャロンを諦めさせるための無理難題だったはずなのだ。温室育ちのお嬢様がいきなり外の世界で金稼ぎなんぞ出来るわけもない。そんな技能もなければ度胸もないだろうと。シャロンの両親に誤算があったとすればそれは一つ。
シャロンの並々ならぬダウジング信仰である。
正直、なにが彼女にそこまでロッドを信じさせるのかクロウにもわからないが、ともかくシャロンはロッドの導くままに『これで稼いでみせますわオラァ!』というノリだけで実家を飛び出してしまったのである。
「むむむ! ご覧になってクロウさん、近くでしてよ!」
くねくね動くロッドを見せ付けて、喜びをあらわに燥ぐシャロンの姿は年相応で非常に可愛らしい。これで両手に持っている謎の棒がなければ完璧だったのに、とクロウは遺憾に思った。本当に容姿だけならば完全無欠の美少女なのだ。趣味嗜好が奇抜過ぎるだけであって。
彼女の事情はそんなところなのだが、ではクロウが何故彼女の元で従業員などやっているのかというと、これまたくだらない理由に端を発する。クロウは元々はフリーランスの傭兵として冒険者界隈で活動していた男だ。戦力が不足している冒険者のパーティーに臨時で参加することを生業にしていたのだ。
そして、とあるパーティーに参加したことが転機となった。
今現在もクロウが装備している愛用の剣は、元々は彼の父親が戦場にて振るっていたもので、平たく言えば形見の品であった。強力な武器であり、相応の値が付くこともあって、クロウはパーティーのメンバーに嵌められて剣を騙し取られ、一度は売り払われてしまったことがあるのだ。父親の形見であり、商売道具でもある剣を取り戻さないという選択肢はクロウにはなく、彼は騙した者達への報復もそこそこに、剣を買い戻すための資金繰りに奔走する羽目になった。
そんな折、狙い澄ましたように声を掛けてきたのがシャロンであった。
彼女は彼女で、ダウジングで目標の場所がわかれども、確保のための実働戦力が欠けている。
クロウはクロウで、手が出るうちに剣を買い戻すためには手っ取り早く稼ぐネタが欲しい。
つまるところが、金の亡者と化した二人が出会うべくしてタッグを組んだ、ということなのだ。
◇◇◇
シャロンのロッドに導かれて首尾よく目的の洞窟を発見した二人はそのまま内部へと踏み込んだ。これまで登ってきた道のりを、今度は下る方向に伸びていく暗い窟内を、シャロンが魔法で燈した明かりを頼りに進んでいく。そうして幾許もしないうちに、二人は明らかな異変を感じて足を止めることになる。
具体的には、窟の奥から漂う凄まじい異臭だ。
「おいシャロン、これはアレだぞ」
耐えかねて自身の鼻をつまんだクロウが声を掛けると、シャロンはハンカチで口元を覆って涙目になっていた。
シャロンのダウジングに頼ってここに来たという時点で、クロウは経験則で薄々こうなる気はしていたのだが、案の定といったところだ。傭兵家業で多くの魔物と戦ってきたクロウにとっては、非常に覚えのある嫌な臭いであった。シャロンのほうも臭いの原因は察しているようだが、彼女は口元を覆ったまま、鼓舞するように声を上げる。
「私、気付いてしまいました!」
「なに?」
「おそらく、奴等が溜め込んだ財宝にロッドが反応したのですっ」
もう帰りたいクロウとは対照的に、謎理論で確信を深めたシャロンのテンションは急上昇だ。彼女が片手の人差し指を魔法使いの杖に見立ててくるりと振ると、碧い魔力が湧き上がって二人の嗅覚を保護してくれた。呪文もなしに難なく魔法を行使してみせるところが、シャロンという少女の類稀なる才覚を示している。
「ふぅ。……さて、そうと決まれば行きますわよ、クロウさん!」
山道の疲労がどこかに消えてしまったように、軽やかな足取りで洞窟の奥へと進んでいくシャロンに、クロウはなんとも言えない溜息を吐く。ロッドの導きを疑うことを知らないお嬢様は、奥に乗り込んで洞窟の住人をボコしてお宝をぶん獲る気満々のようだが、そう上手くはいかないだろうなというのがクロウの所感である。というのも、そもそもの話、
「ゴブリン共が、お宝溜め込んでるとは思えねえがなぁ……」
この異臭はゴブリンの棲み処が近くにある証拠なのだ。
◇◇◇
狭い洞窟を降りきると、奥に開けた空間があった。そこに蠢く無数の小さな影は、下級の魔物であるゴブリンだ。外見は、体毛のない猿といった感じ。口さがない者は、小さなおっさんと表現することもある。要するに、中々に奇妙な外見をしているということだ。
「おいおい……普通に討伐依頼が出る規模だぞこりゃあ」
その数であるが、クロウの想像より一桁多い。見える範囲でも数十体規模だ。クロウの経験的にも通説的にも、ゴブリンの群れは大抵十体前後であるとされるので、おそらくこの場には複数の群れが集まっているのだ。となると十中八九、複数の群れをさらに統率する上位個体が存在しているはずだ。
「どうする? シャロン」
「クロウさん、やっておしまいなさいっ!」
「だよな……」
仮に上位個体が居たとしても、そもそもが低級なゴブリンなので多少強くなろうがたかが知れている。最上級の魔物であるゴールドドラゴンすら屠ったクロウの実力を以てすれば、ゴブリンの軍勢が押し寄せてきたところで大した脅威ではない。強いて問題をあげるとすれば、ここが奴等のホームグランドであるという点と、背後には実戦経験に乏しいお嬢様を庇いながら戦わなくてはならないということだ。夜目がきくゴブリンは棲み処に照明を必要としないので、シャロンが燈している魔法の灯りがなければ視界を確保出来ない。異臭の問題もあることだし、クロウがここで戦うためにはシャロンのサポートが必要不可欠だった。
「シャロン、降りてきた道のほうに居ろ。後ろから来る奴が居ないかだけ気を付けてくれ」
「わかりました」
狭い道にシャロンを押し込み、その出入り口にクロウが陣取る。これでもしもの場合にはシャロンだけは上に逃がすことが出来る。クロウは愛用の剣を抜き、紅い魔力を纏って好戦的な笑みを浮かべた。クロウはシャロンのように魔法が上手いわけではないので、魔力の使い方は大雑把に過ぎるところがあるが、幾多の戦場を越えて磨き抜かれた武技は魔剣技と評しても過言ではないレベルに昇華されている。
ゴブリンという魔物は雑食で、食えるものはなんでも食べる。食料の備蓄や、家畜、ときには人間をも襲うことがある。低俗な魔物で、数だけは多く、見た目に不快で、殆ど害獣と同じ扱いである。ついでに言えば襲うことと食うことしか考えていないので、奴等に財宝を貯め込むような知恵はない。上位個体が居ればワンチャンといったところだ。クロウ達の存在に気付いたゴブリン共には、既にこちらが美味そうな餌にしか見えていないのだろう。よだれを垂らしながら大挙して押し寄せる小さいおっさんの群れは中々に醜悪な光景である。
「死にたい奴から、っとと!」
見栄を切る暇も与えてくれず、遮二無二飛び掛かってきたゴブリンの最初の五匹が、クロウが迎え撃った横薙ぎの斬撃に呑まれて消し飛んだ。紅い魔力が迸る斬撃は、ただその一振りで恐るべき威力を発揮する。相手がいかにザコとはいえ、多勢に無勢の状況を剣一本で乗り切るなど普通は不可能なことだ。しかし、クロウにはそれが出来る。何故ならば、卓越した魔剣士である彼の斬撃は、その一撃一撃が必殺の威力を秘める範囲攻撃と化しているからである。
「よっ……っと。一体だんだけ居やがるんだコイツ等」
そういうわけでクロウとしてはゴブリンの新手が尽きるまで剣を振り続けても構わないのだが、それにしても量が尋常ではなかった。消せども消せども途切れる気配がない。こうなってくると、どれだけ現状が優勢でも徐々に不安が過ってくるのが人情だった。経験豊富で修羅場慣れしているクロウはともかくとして、後ろのお嬢様は悠然と構えては居られなかったのだ。
「ええいまどろっこしいですわぁ! 私も援護致しますっ!」
「え?」
背後からの叫びに思わず振り返りかけたクロウは、その隙を狙ってきたゴブリンを慌てて斬り飛ばす。
そのせいでシャロンを止め損ねたのが痛恨だった。
「『爆ぜよ! プロミネンス――
ちょ、おま。クロウは叫びそうになった。
背後から迸る碧い魔力のスパーク。そして尋常ならざる火の脈動。極め付けは、涼やかな声音が告げる妙なる韻律。あろうことか後ろのお嬢様は、高火力の範囲殲滅魔法で以てゴブリンの群れを一網打尽にしようとお考え遊ばされたのである。シャロンにはそれを為すだけの実力がある。実戦経験には乏しくとも、固定砲台としての火力だけならば折り紙付きだ。クロウとてそれはよく知っている。では何故最初からそれをしなかったのか。
ここが洞窟という閉塞空間だからである。
「シャロン、ストッ――」
制止の声も虚しく、シャロンの魔法は恙無く完成し、次の瞬間。
「ほ?」
という間の抜けた声を最後に、爆轟した碧い火焔が窟内を席巻し、一切合切全てを飲み込んだのだった。
◇◇◇
数分後。
もうもうと黒煙を吐き出す洞窟の出口から、崩落した岩塊を押し退けて這い出るクロウの姿があった。
「けほっ……うへ……死ぬかと思ったぜ」
全体的に黒く煤けてしまっている彼の片手には愛用の剣。もう片方の手にはシャロンの身体を抱えている。彼女は完全に目を回して伸びていた。爆裂の瞬間、クロウは咄嗟に剣に魔力を籠めて爆炎を斬っていた。そうして作り出した僅かな空間に自身とシャロンの身体を捻じ込んで衝撃の大部分をやり過ごし、あとは火に巻かれる前に一心不乱に出口を目指して走ってきたのだ。クロウの技量と強力な剣が揃って初めて出来たことであり、どちらか一方でも欠けていれば、今頃シャロンと二人揃って、なんならゴブリン達と一緒にこんがり焼けた肉片に成り果てていたことだろう。
間一髪で難を逃れたとはいえ流石に無傷とはいかず、衣服の所々が焼けたり破れたりしてしまっているシャロンは色々と見えてはいけないものがチラ見えする有様であったが、生憎と煤塗れの酷い顔では色気もクソもない。気絶したシャロンを守るために腕の中に抱え込んでいたクロウはというと、当然のように更に酷い有様だった。
とりあえず、襤褸になってしまった上着をその辺に敷いて、シャロンを横たえて休ませていると、慌ただしい足音が近付いてきた。剣に片手を掛けてクロウが振り向くと、そこには地元の人間と思しき二人組の中年男性の姿があった。
「あ、アンタ達、ここで一体……?」
困惑する男達から事情を訊くに、彼等はやはり近くの村落で生活している猟師であるらしく、先程近隣の山を揺るがすような地響きを感じたそうだ。すわ何事かと見回せば、とある場所からもうもうと立ち昇る黒煙が目に入り、えらいこっちゃと大慌てで確認しに来たということらしい。それは確かにえらいことだな、とクロウは他人事のように思う。山火事だったら目も当てられないので、彼等の慌てぶりもわかるし、普通に申し訳ない。
目を回しているシャロンの代わりに詫びつつ、クロウが事の次第を説明すると、男達は別種の驚愕を浮かべた。
「ゴブリン? アンタここがゴブリン共の巣だって言ったか?」
「ああ。やべえ数だったが、この近くに被害とかは出てねえのか?」
「出てたさ! 全部倒してくれたのか!? 本当に!?」
確認はしていないが、おそらく全滅しているだろうとクロウは思う。自惚れになるが、クロウですら命からがら生還したような窮状で、ゴブリン如きが生き残れるとは到底思えない。巣の規模から考えて、もしかするとクロウ達が使った以外の出入り口があったかもしれないが、近くでここ以外のどこからも黒煙が上がっていないということは、まあそういうことだろう。
そのようなことをクロウが伝えると、男達は大喜びで快哉を上げ始めた。どうやら、あのゴブリン共にだいぶ苦しめられてきたようだ。すぐにでも村に帰って知らせなければと逸る男達からは『お礼をしたい』と同行を求められて、クロウは傍を見遣った。意見を仰ごうにも小憎らしい所長は気絶から睡眠に移行したのかすやすやと安らかな寝息を立てている始末。
「あー……とりあえず、風呂と着替えを用意してもらえるか?」
頭を掻きながらクロウが言うと、男達は「お安い御用だ」と頷いた。
◇◇◇
その夜、宴ムードの村人達に囲まれてしこたま酒を呑まされたクロウが、酔い醒ましに涼んでいると、隣にやってきたシャロンがぽすんと腰を落とした。村の女衆から衣服を借りたのか、クロウが見慣れた制服姿ではなく素朴なワンピースに身を包んだ姿は新鮮味がある。クロウが何も言わずにいると、むくむくと頬を膨らませたシャロンがぼそりと呟いた。
「財宝は?」
「ねえよ」
「ちゃんと探しましたの?」
「もう埋まっちまったよ」
あの後、村の男衆が改めてゴブリンの巣穴を確認しに行ったようだが、どうやら洞窟の半ばほどで崩落して完全に埋まってしまっていたらしい。そのせいで山の地形が一部変わったとか。クロウから事情を聞いたシャロンは、暫く現実を受け入れ難いという表情でぷるぷる震えていたが、最終的にがっくりと項垂れて溜息を吐いた。
「また外れでしたのね……」
「そうかもな」
落ち込むシャロンを慰めるでもなく、クロウは曖昧に応じて眼前の光景に目を向けた。悩みの種であったゴブリンの脅威から唐突に解放された村人達はそれはもう喜んだ。近隣の村々も巻き込んで祝いの宴を催し、シャロンとクロウを英雄と持て囃して大歓迎するくらいの燥ぎようだ。クロウはあのゴブリンの群れを『討伐依頼が出るほどだ』と評したが、それは全く以て正しく、この近辺の村々でも連名で騎士団の派遣を要請しようとしていたところだったとか。
彼等のような力無い人々が魔物の脅威に対抗しようと思えば他所から戦力を雇うしかないのだが、選択肢は大別して騎士団か冒険者ギルドだ。騎士団は無償だが腰が重い。冒険者はフットワークこそ軽いが報酬が必要で、派遣されてくる人間が犯罪者まがいの荒くれということも稀にある。ここらの村々では金銭的な事情から騎士団の派遣を求めたようだが、すると騎士団からは派遣する戦力を決定するために脅威の規模を教えてくれというお決まりの定型文が返ってくる。要するにゴブリンの群れの規模を調べてから依頼してくれということだが、ただの村人達にそれを調査しろというのは酷だろう。命懸けの調査になるし、そもそもゴブリンの巣穴を見付けることすら難しかろう。変な棒で当然のように見付けてしまうどこかのお嬢様のほうがおかしいのである。別に騎士団側も嫌がらせで言っているわけではなく、過剰に戦力を派遣する余裕などないからそう言わざるを得ないだけなのだろうが。
そんな状況だったものだから、他所からやってきたよくわからん二人組がゴブリンの巣を一掃してくれたとあれば、それはもう大喜びに決まっている。
「外さねぇんだよなぁ」
クロウが呟くと、シャロンが不思議そうな視線を向けてくる。
今回の件にしてもそうだが、シャロンという少女は得意のダウジングでどこからともなく金目の案件(本人談)を見付けてきて、クロウを引っ張って意気揚々と出掛けていき、しかしなんでか思惑通りに物事が進むことはない癖に、なんだかんだで結果いい感じに話が収まるのだ。ゴールドドラゴンの時もそう。ドリアードの時もそう。クロウが苦労して、シャロンが悔しがる代わりに、少なからず誰かが笑顔になっている。
クロウはこの光景が嫌いではなかった。そもそも、形見の剣を買い戻すためにシャロンとタッグを組んだ彼が、それが早々に叶ってなお彼女と行動を共にしている理由がこの光景のためだと言ってもいい。まあそれ以上に、自分が付いていてやらないとシャロンがいつ死ぬかわかったものではないという心配も多分にあるのだが。
「そういや、ゴブリン駆除の謝礼がもらえるらしいぜ?」
気持ち程度の金額であるが、村人達からの感謝の現れということだ。ゴブリン被害で色々と食い荒らされてしまった状況における、本当になけなしの報酬といったところだが、正直に言えば討伐したゴブリンの群れの規模には全く見合っていない。
「クロウさんに差し上げますわ」
「いや、今回は折半だろ」
「ではそのように」
どうでも良さそうに応じるシャロンに、クロウは苦笑する。この少女はいつもそうなのだ。意識が高いのかプライドが高いのか知らないが、必ず自身の働きに見合った以上の報酬を受け取ろうとはしない。シャロンの事情を考えれば少しでも稼ぎたいはずであるというのにだ。今回は一応、ゴブリンを素ごと焼き払ったのはシャロンの働きであるので、渋々半分を受け取ることにしたということだろう。
先のゴールドドラゴンの一件でも、魔物の討伐報酬と、死骸から得られる素材の売値で莫大な金銭を得られるチャンスだったのだが、シャロンはその一切を受け取らなかった。討伐したのはあくまでもクロウなのだから、と全てをクロウに渡したのである。ドリアードの件も、その前も、そのまた前も。クロウはそれらの金銭には殆ど手を付けずに残していて、いつかシャロンに還元したいと考えていた。何故ならば、クロウが全ての報酬を受け取ってしまうのは不当だからだ。確かにクロウには魔物を討伐するだけの実力があって、実際に討伐を成し遂げているのだが、だからといって実力のある者が誰でも一財産を築けるのかというと、勿論そんな美味い話はない。単純に、実力があっても振るう機会がないからだ。ゴールドドラゴンの一件が良い例だ。強力な魔物であるという以前に、滅多に遭遇することのない珍しい魔物であるからこそ、その素材に莫大な値が付くのだ。故にクロウに言わせれば、かの魔物の棲み処をダウジングで発見してみせたシャロンの働きこそが功績大なりで、つまり彼女こそが報酬を受け取るべきなのだ。
「むむむ……次こそは一攫千金ですわぁ」
取り出したロッドを握って眉を寄せているシャロンであるが、近くにお宝の気配はないのか、自慢のロッドはぴくりともしていなかった。
何の気なしにそれを眺めて、クロウは「そういやぁ」と思い出す。
「最初に俺と会った時にも、その棒握ってたよな」
「棒ではありませんロッドです。ええ、それがなにか?」
いかにもお嬢様然とした美しい少女が変な棒を大真面目に持っているシュールな光景に圧されて、クロウは内心『変な奴に目を付けられたな』と思いつつも、結局はその好奇心こそが彼女の話を受けた最大の理由となったのだ。今となっては懐かしい話である。
「まさかシャロン、俺と組んだのもダウジングの結果なのか?」
「それ以外にありまして? アナタはロッドに選ばれたのです。誇ってもよろしくてよ?」
なんとなくそんな気はしていたが、まさかの事実にクロウはげんなりする。そこは嘘でもいいから『アナタの実力を見込んで』と言って欲しかったところだ。尤も、シャロン的にはロッドの導きというのが最大級の賛辞に値するのだろうが。
「…………なあシャロン」
クロウはふと、訊いてみた。
「お前の目標金額って、いくらだったっけか」
特に深い意味はないが、クロウの手元にもだいぶ大きな金額が集まりつつある。
すると彼女は一瞬だけ目を丸くして、きょとんとあどけない表情を見せた。
そしてすぐに、ふんわりと花が香るような、無邪気な笑みを浮かべるのだ。
まるで、それを訊かれたことが嬉しくて堪らない、とでも言わんばかりに。
「次のお仕事が終わったら、教えて差し上げますわ」